私の“3・11”以降 | 我々少数派

私の“3・11”以降

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 川内原発は再稼働するだろう。
 長渕剛が“義挙”に踏み切る以外にもう阻止の手立ては何もないので、私はとくに何もせず事態を傍観している。
 反原発運動もこれで一区切り、というわけで私が3・11以来おこなってきた“異端的反原発活動家”としてのさまざまな行動・発言を振り返ってみよう。
 一見フザケているように見えて(見せて)、その実いかに私が本気で原発即時全廃のためにある知恵を絞ってきたか思い知らされるはずである。

     2011年

 3・11はその数ヶ月前から計画を進めていた福岡市内のBAR「ラジカル」がいよいよ開店1週間前というタイミングで、私はすぐに反原発運動には踏み込めなかった。当時の私は、こんな感じだ。
 震災と原発に関する外山恒一のツイートまとめ(2011年4月19日)

 反原発運動がまたもや左派・リベラル派の運動として展開すればろくな結果にならないことは最初から分かっていたので、“反原発右派”の形成の必要をかなり早い時期から意識してており、例えばこんなことをやっている。
 久々に、外山恒一の萬流政治塾(2011年6月1日)

 BARラジカルが忙しく、なかなか反原発運動の現場に出られない日々が続くが、せめてもの貢献をと思ってこんなことをやった。かなり早くから準備はしていたのだが「どうもアリガチな社会風刺にしかならん」ことに納得がいかず試行錯誤を繰り返していたところ、斉藤和義の自作替え歌が評判となり、かつそれがあまりにも低レベルだったので、「あれよりはだいぶマシだろ。ついでに斉藤和義の替え歌も1つ追加しちゃえ」と開き直って慌てて公開したものだ。
 新作替え歌メドレー「原発推進組曲」(2011年7月10日)

     2012年

 開店から約10ヶ月間のBARラジカル常駐任務から解放され、いよいよ現場に出始める。だが案の定、反原発運動の主流は左派・リベラル派のヌル~いラブ&ピース路線となっており、さっそく苦言を呈しつつ“独自路線”の模索も開始する。ちなみにこの時にいわゆる“twitterデモ”を「世界に1つだけの花」に喩えたことが例の野間易通サンに私への最初の反発の感情を呼び起こしたようである。「オレたちだってあんな歌ちっとも良いと思ってねーよ!」と。まあ私の喩えも悪かったのかもしれない。私の本意は“ラブ&ピース”ノリを排さなければ反原発運動は負ける、ということで、それ自体はは間違っていなかったと今でも思う。
 緊急提起:九州反原発〝ハイセンス部隊〟の形成を!(2012年2月26日)
 福岡の反原発派への提起:九電前テントを運動の中心にすべきでは?(2012年3月12日)
 全国の反原発派への提起:再稼働阻止のために(2012年4月2日)
 この時期は、私が多くの反原発派にイロモノ、キワモノと見られているだろうことを意識しての、“外からの提案”的な呼びかけが多い。まあ結局、ついに最後まで私をそのようにしか扱い得なかったことが、川内原発再稼働という反原発派の敗北の主要な原因とさえ云えるのだが。

 まもなく現在につながる、既成の反原発派とは“別行動”で独自にいろいろやる、という路線が始まる。まずは、再び自民党政権に戻ることが最初から確実だった2012年末の衆院選に際しての、“原発推進派懲罰遠征”である。事前に盛んに参加を広く呼びかけているのだが、反応はほぼ皆無だった。
 全国の反原発派は衆院選が近づいたら九州に来い(2012年8月2日)
 都知事選および衆院選への“参加”宣言(2012年11月24日)

 いよいよ“原発推進派懲罰遠征”本番である。
 原発推進派候補を徹底追跡中 in 衆院選(2012年12月5日)
 原発推進派懲罰遠征(2012年12月23日)

     2013年

 “懲罰遠征”をただ面白がるだけで、せっかく我々が身を挺して反原発派の新戦術のヒントを提示していることに気づかない連中にシビレを切らしている。
 参院選に向けて全国の反原発派の諸君へ(2013年5月4日)

 一方で、こんな“恐ろしいインボー”をサラッと提示していたりもする。
 【ファシスト党の新提案】原子力ムラのムラ祭りを反原発のポスターで埋め尽くせ!(2013年6月3日)

 ブログでは紹介していないが、翌年の都知事選でもやった“原発推進派ほめご…いや大絶賛”戦術を、この年の夏の参院選でまずは試している。
 外山恒一「原発推進派ほめご...大絶賛キャンペーンin新潟」(2013年7月5日)YouTube動画
 外山恒一「原発推進派ほめご...大絶賛キャンペーンin札幌」(2013年7月19日)YouTube動画

     2014年

 都知事選での“ほめご…”である。
 お待たせしました! 都知事選参加宣言!!(2014年1月23日)
 原発推進派ほめご…大絶賛キャンペーン@2014東京都知事選:傑作ツイート集①(2014年2月13日)
 原発推進派ほめご…大絶賛キャンペーン@2014東京都知事選:傑作ツイート集②(2014年1月23日)

 この年の3月から、今となっては、川内原発再稼働を本当に阻止しうる唯一のプランだったと自負する“反原発・長渕派”のインボー計画に没頭するのだが、それとは別に、2012年中にも1度提起した“電気代大量滞納作戦”を練り直して再度提示している。これだって、私がかくまで“キワモノ扱い”をされず、私の提案が反原発派の主だった人々の間で真剣な検討の対象となる程度に状況が好転していれば、それなりの効果がある作戦だったかもしれないのである。
 「川内原発再稼動阻止の恐ろしいインボー」2つのうちの1つ(2014年7月25日)

 これもブログに記事はないが、2014年中にやった私の重要な“独自の反原発運動”である。
 外山恒一の「原発再稼働反対」川内および周辺市町"説教&恫喝"街宣(2014年6月14-15日)

 反原発派に“反原発エンタテインメント”を提供して士気を維持する、というのも私が意識的に担っていた私なりの重要任務なのだが(例えば2011年の「原発推進組曲」)、こんなものも発表した。
 「仁義なき戦い・原子力戦争」(2014年10月12日)


     2015年

 2014年3月から2015年2月にかけて、ほぼ丸1年間、川内原発再稼働を本当に阻止しうる唯一のプランだった“反原発・長渕派”の“恐ろしいインボー”に没頭したが、今年3月、ついにインボーの継続推進を断念して情報公開した。
 長渕剛がその気になれば川内原発再稼働ぐらい簡単に阻止できる(2015年3月9日)
 “反原発・長渕派”誕生秘話(2014年3月執筆・原稿用紙換算約30枚分)(2015年7月7日)
 インボーの舞台が鹿児島から東京に移った段階(2014年秋)で、私は一切オモテに出ない形で“長渕サウンドデモ”の呼びかけがおこなわれたが、すでに自身のツイッターなどで私へのトンチンカンな誹謗中傷を開始していた野間易通サンが、この長渕デモを私のインボーであると気づかず大絶賛し始めたことには、こっそり大笑いしていた(やがて気づくと野間サンは沈黙した)。東京での長渕デモへの、以下2本の九州勢からの連帯表明動画も、今だから白状するが私が撮影・編集したものである。
 〝天文館の長渕〟和KAZU
 藤村修氏からの連帯メッセージ

 これはどちらかと云えば“反原発エンタテインメント”路線だが、こんなこともやっている。
 【3・11特別企画】ジュリーの反原発ソングを(歌詞を変えて)歌ってみた(2015年3月11日)

 その他、今年に入ってからも私は次のようなやはりそれなりに重要かつ現実性のある再稼働阻止のさらなる新作戦を提示してさえいる。
 反原発派は再稼働を狙う原発立地市町村に福島の砂や水をせっせと運べ(2015年5月13日)

 どんなにキワモノ扱い、イロモノ扱い、果てはサブカル扱いされても、メゲず腐らず、本当に有効でしかも面白い奇跡的な反原発運動を、私はこれほど次々と提起し、時に自分で実践もしてきた。どこがサブカルだ。ほんとにマジメで偉い、と誰もホメてくれないから自分でホメるために、まとめてみた。