福岡の反原発派への提起:九電前テントを運動の中心にすべきでは? | 我々少数派

福岡の反原発派への提起:九電前テントを運動の中心にすべきでは?

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 昨日また福岡での反原発デモに参加してきた。
 昨日のは(実質的に)共産党主導のデモであり、もちろん昨年来のフリーター労組周辺発の反原発デモの人たちやtwitterデモの人たちも大勢参加してはいたが、共産党系労組や民青などの旗やノボリが目立ち、おそらく二千数百名(主催者発表は五千とのことだが、せいぜい三千だろう)の参加者のうち三分の二は共産党の動員によるものだったろう。
 水をさしたいのではなく、冷静な判断をすべきだと思うのでついついこういうことを書いてしまうのだが、反原発運動なんかまったく盛り上がっていないと私は思う。そりゃ「3・11」以前に比べれば「盛り上がってる」ような気がしてくるのも気持ちは分からないでもないが、あれだけの事故が起きて二百万の人口を抱える福岡都市圏で仮に主催者発表どおり五千人の参加だったとしても、そんなの「盛り上がってる」とはとうてい云えないはずである(しかもその大半は共産党による動員なのだ)。東京で一万人とかだったらしいが、まだ国内ではたいした事故が起きてたわけでもない八八年でさえ二万人の反原発集会が実現したのである。
 事故から一年が過ぎ、このかん運動を担ってきた、とくに今回初めてこの種の運動に関わるようになった人たちの中には、無力感を抱く者もそろそろ現れそうな気がする。

 本来なら私が自分で努力すべきところ、現時点ではその力量がないために、以下、「こういうふうにすればいいんじゃないの?」とここ数ヶ月ずっと内心思っていたことを、とくに福岡の若い反原発活動家の諸君に向けて書く。
 結論から云えば、「デモもいいけど九電前テントの方により力を注ぐべし」ということである。
 九電本社前には昨年四月に反原発派の「テントひろば」が設置され、当初こそ二四時間の泊まり込み態勢だったが、現時点では朝十時から夕方五時までの時限式となっているらしい。市当局からの「指導」もあったのだろうが、おそらくそれ以上に反原発派サイドの人員不足・力量不足によるものだろう(昨日、テントに関わっている一人に訊いてみたところ、どうもそのようである)。昨年来、たまに九電前を通りかかる時は(たぶん私を嫌っている左翼活動家も頻繁に出入りしているはずだから近寄りはせず)遠くから様子をうかがっていたが、秋ごろにはテントが立っていないこともよくあったし、テントはあっても無人だったり、さらには人はいてもただ横断幕など出しているだけで寂しい感じであることがほとんどだった。
 もちろんデモは時々やらなきゃいけないし、今のようにまあ月イチぐらいのペースでどこかがやればいいのだが、実際にはデモにはそれほどの効果はない。沿道から次々と飛び入りしてくるような現象が続いているのならともかく、現在もはやそういう場面はまず見られない。反原発派の存在アピールとして以上の意味はないし(現状ではむしろ反原発派が意外と少ないことのアピールになってしまっており、それでもまあやらざるを得ないのがもどかしいところだ)、デモはやがて解散地点にたどり着いてそれで終わりであることが分かっているのだから、はっきり云って原発推進派当局の連中にとっては多少不愉快なだけで実は痛くも痒くもないのである。
 それよりも、こっち側にとっても向こう側にとっても「いつまで続くのか分からない」ような攻防が目に見える形で常に現出している方が、敵を疲弊させられる。八八年の反原発運動の高揚において、主要な運動形態がデモではなく「人々が電力会社前などに集まって激しい抗議行動をおこない、いつまでも立ち去る気配がない」だったことを思い起こすべきである。同年秋に昭和天皇が倒れて「自粛ムード」が社会を覆い、運動を担っていた左翼活動家の多くが反「自粛」、反天皇制にテーマをシフトさせざるを得なくなって反原発運動は失速してしまったが、あのまま続いていればだいぶ状況は違っていたのではないかという気がする。

 で、現状であるが、見るところ、原発を一刻でも早くすべて止めてしまうためなら自分が自由に使える時間の大部分をそのために割いてもいいと考えている者が、この一年のあいだに、福岡の反原発派の中にも少なくとも何十人かは生まれてきているように思う。
 二四時間体制で九電前テントを維持するというのも、べつにそれに参加する全員がずっとそこに張り付いている必要はなく、交代でやればいいのだから、常に少なくとも四、五人はいるという状況を実現するのは現時点でもそれほど難しいことではないと思う。
 もちろん四、五人では「脅威」にはならない。最終的には何百人、何千人が九電前に延々と居座って「原発再稼働はあきらめろ」と騒ぎ続けるようにならなければいけない。だが最初は四、五人でいいのである。とにかく「そこに行けば常に誰かはいる」という状況を作った上で、「少しでも時間がある人は一時的にでも加わってください」という呼びかけを続ければよい。
 もちろん少なくとも昼間、社員が出入りしている間はハンドマイクでの抗議行動などを続けるべきだろう。夜は路上で鍋でもやって交流を深めつつ、通行人にも盛んに「君も一緒に飲もう」と呼びかける係を置いて、一緒に飲んでるうちに何となく感化されて意気投合してしまうという、かつての〝松本哉方式〟を採用するのもいいかもしれない。映画上映会やゲストを招いての講演などのイベントも路上でやってしまえばいい。
 それ以上に大事なのは、人数に余裕がある時には天神まで出張って「再稼働阻止」を訴えるビラまきと演説をおこない、興味を示す人がいたら、せいぜい数百メートルしか離れていない九電前テントにその場で誘って連れ込むことだ。あるいは天神界隈で友達と飲むなどの際に、いっそテントに酒とツマミを持ち込んでそこに友人達を誘って飲み明かせばいい。
 とにかく常に九電前に反原発派が何人かは居座っていて、いつでも行けばエンドレスで何か賑やかにやっているという状況を作り出すことが最重要である。とくに、現時点のようにすでに運動に本格的に参加している人(しかもメインが年期の入った団塊世代の左翼活動家)だけではなく、新参の人や(我々のような?)正体不明の有象無象が混じっている、何だかよく分からないアナーキーな雰囲気がかもし出される方向を追求した方がいい。
 九電前テントを運動の中心に据えて、そこに常に人を誘い、毎日数人ずつでも新しい人が登場するようになれば、時々おこなうデモにしても、その人たちの友人知人を誘ってもらったりして、やるたびに参加者が増加し、本当に敵に脅威を感じさせる効果を持たせられるようになるだろう。

 先述のとおり、事故から一年が経過しても冷静に考えれば反原発運動が盛り上がっているとはとうてい云えず、再稼働阻止の展望もはっきりとは見えない状況の中で、次第に無力感に襲われる人も出てくるだろう。
 活路は、九電前テントの方に力を注ぎ、それとデモとを有機的にリンクさせていく方向にあると思う。
 八八年の反原発運動にしたって、盛り上がるのは実はチェルノブイリから二年近くが経過してからのことである。ここであきらめてはいけない。


 追記.もし本当に九電前テントが活性化すれば、在特会の諸君がしょっちゅう妨害に来るようになるかもしれないが、そんな時には東京の反原発右翼の人のアイデアが役に立つだろう。在特会は自分たちの行動の様子を動画にしてネットに上げるのが目的なのだから、在特会がやって来たらこっちは「笑点のテーマ」とかドリフの音楽を大音量で流し、彼らの動画がどうしてもマヌケなものになってしまうようにするだけでいい、というものである。