1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2016年05月26日(木) 15時09分21秒

外山恒一トークライブin東京

テーマ:告知
 ※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 外山恒一の活動に資金協力を! 協力者向けに活動報告誌『人民の敵』を毎月発行しています。詳しくはコチラ


 6月20日(月) 外山恒一トークライブ in 東京
 聴衆からの質問に外山が何でも答える“質疑応答”形式です。
 会場 文京区民センター(本郷4-15-14) 2A会議室
 18時半開場 19時開演
 参加費(交通費+会場費カンパ)1000円
 ※終演後、居酒屋に移動して交流会あり
AD
2016年05月05日(木) 16時40分13秒

第六回・外山恒一賞 受賞者発表

テーマ:外山恒一賞
 ※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 外山恒一の活動に資金協力を! 協力者向けに活動報告誌『人民の敵』を毎月発行しています。詳しくはコチラ



   外山恒一賞

 主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する。辞退はできない。

 外山恒一のファシストとしての再臨(2004年5月5日・ファシズムへの獄中転向を経て福岡刑務所を満期出所)を記念して、2011年より毎年5月5日に受賞者の発表をおこなう。

 授賞は、外山恒一が受賞者の活動に「全面的に賛同している」ことを意味するものではなく、あくまで「いま最も注目している」ことを意味するものである。多くの場合、授賞は好意的評価の表明であるが、時にはイヤガラセである場合もありうる。

 外山恒一が創設した革命党「我々団」の公然党員は授与の対象とならない。

 賞状・賞金・賞品はない。「外山恒一と我々団」や「我々少数派」などの外山恒一関連サイトで授賞が発表されるだけで、受賞者への通知もないが、受賞を知った受賞者は「外山賞活動家」であることを周囲に吹聴してまわって存分に自慢することが許される。外山賞受賞は活動家として最高の栄誉であり、いくら自慢しても自慢しすぎるということはない。


 --------------------------------------------------------------------------


 昨夏「シールズ」が国会周辺を埋め尽くしていた頃、「来年の外山賞はシールズで決まりだ」などとツイートしてるスットコドッコイを何人か見かけたが、そんなわけないだろう。リベラルな運動が盛り上がるのは停滞期の特徴であって、そりゃ原発も再稼動されてしまうはずだ。
 “若者のラジカルな社会運動の高揚は10年周期”、“xx年代後半が高揚期”という“戦後70年”ずっと続いてきた法則がこの2010年代にはついに当てはまらなくなってしまうのか、それとも単に私が何か重要な動きを見落としているのか、とにかく2010年代も半ばを過ぎたというのに何もそれらしい前兆がない。
 もっとも、私が一番よく知っている80年代の運動の推移を振り返っても、82、3年に「反核運動」などという愚劣この下ない空疎な運動の“高揚”があり、しかしこれに感化された年少部分から生じて85年頃に最盛期を迎えた保坂展人の反管理教育運動や辻元清美のピースボートが、さらに年少部分が担うことになる80年代末のラジカリズムの揺りかごの役割を果たしたのだから、3・11以来の反原発運動の空疎な“高揚”に感化された年少部分による2015年の「シールズ」は、これに飽き足らず今年か来年あたり暴走し始めるさらに年少のラジカル派をすでに内部に抱え込んでいるのかもしれない。
 その意味では私はシールズ界隈の今後の展開に注目しているし、サカシラにシールズを批判し、言葉の上ではそりゃあごもっともなことを云ってみせちゃいても、かといってシールズとは違う社会運動を別個に立ち上げる意思もないシニシスト学生どもよりも、とりあえずシールズに参加して運動現場であれこれ試行錯誤しているような学生の方を圧倒的に支持する。
 が、情報収集に怠惰なせいかもしれないが、とりあえず今のところ私の視野にはシールズ界隈にまだラジカリズムの萌芽でありえそうな動きは捉えられていないし、この1年、いや「レイシストをしばき隊」に外山賞を授与した2013年以来、見るべき社会運動など1つも新登場してきていない気がする。
 来年にこそ期待、ということで今年の外山賞はお茶を濁すことにする。

 まず昨年同様、惜しくも(?)受賞を逃した方々の紹介から。
 ちなみに昨年この枠に入った“ノイホイさん”こと菅野完氏の“「日本会議」に関する研究”は、つい先日『日本会議の研究』として単行本化され(扶桑社新書・4月末刊)、目下まさにものすごい売れ行きのようである。世間一般にそこまで評価されるほど偉大な業績をあげても、なお外山賞はなかなか受賞できない超ハードルの高い賞なのだということがよく分かるはずだ。
 やはり昨年のノミネート枠、“官邸ドローン事件”の反原発活動家・山本泰雄氏には今年2月16日、「懲役2年・執行猶予4年」という反革命・国家権力側からの“評価”が発表された。この事件、反原発派の間ではほとんど忘れ去られており、山本氏への支援の動きもおそらくほとんどないままに裁判は推移し、そんなことだから反原発派は勝てないのだと身をもって教えてくれたという意味でも山本氏、実に偉大な活動家である。おそらくこの一審判決の瞬間まで山本氏は拘束されたままだっただろうし(あんな微罪で10ヶ月もの拘束である。日本に言論・表現の自由があると思ってる奴は北朝鮮でもイスラム国でも楽しく暮らしていける)、この判決は確定したのか、それともこれから控訴審が始まるのか、こんな重要な情報に関して不思議なことにネットで検索しても何も出てこないのだが、少なくとも我々ファシストは山本氏の偉大な闘いを決して忘れはしない。
 そんなわけで以下、順次お茶を濁そう。

 ノミネート1 『メインストリーム』編集部

 2011年に創刊され、2012年に第2号および別冊が刊行された“芸術弾圧誌”の、ほぼ4年ぶりとなる第3号が今年4月に出た。一見ただの芸術批評誌だが、当人たちは“芸術誌状の芸術弾圧機構”を称している。
 今号は内容的には彼らのこの約4年間の“活動報告”で、その多くは、昨今ことに猖獗を極めるいわゆる“地域アート”、行政とタイアップしたポンコツ芸術家どもが「芸術のあふれる街づくりを!」とか「アートの力を地域活性化に活かそう!」などといった寝言を云いながら全国各地で開催している数多の税金の無駄遣いイベントへの、批判的介入(未遂を含む)の記録である。
 どれもひどく面白い。個人的には、福岡でこのテのイベントへの参加アート団体が公募された時に、彼らの本音を満載した「ダダイスト・インターナショナル」名義の応募書類と、“アートの力で人々を笑顔にしたい”みたいな寝言を書きつらねたキラキラ・ネーム的な名称のダミー団体(「アート集団ソレイユ」とか何とか)名義のそれとを送付し、案の定、ダミー団体の方だけ公募に通ってしまう顛末のレポートがオカしかった。同様にレポートが掲載されている、昨今の“アート”シーンへの悪意に満ちた抱腹絶倒のイタズラ・イヤガラセ的な実践の数々は、どれ1つとってもそれだけで充分に外山賞の栄誉に値する水準に達していると云ってよい。
 が、改めて説明するまでもなく(?)この「『メインストリーム』編集部」の“中の人”は私が主宰する革命結社「九州ファシスト党〈我々団〉」の山本桜子と東野大地の2人である。外山賞は“身内には授与しない”建前なので、泣く泣く授賞を見送る。まあ、わが党がいかに優秀な党員を抱えているか、ということである。
 同誌の入手方法は下記に。
 http://kollaps-nicht-viel-zeit.blogspot.jp/


 ノミネート2 素人の乱「アジア反戦大作戦」

 松本哉がまたオカしなことをやらかした。3・11直後の反原発運動で中心的な役割を一瞬(半年間ぐらい?)担って以来、「素人の乱」あるいは「松本哉」の動向がとんと伝えられなくなったように思うが、もちろんあれ以降もアノ松本哉がずっとおとなしくしていたわけがない。どうも諸外国とくに近隣アジア諸国のヘンテコな連中(政治的であったりなかったり)とのネットワークの構築に忙しく動き回っているらしいとは、私のところにまで漏れ伝わってはきていた。つい先月、その途中経過報告のようなイベントに足を運んでみると、私なんかが漠然と想像していた以上の成果を着実に上げているようで、改めて松本氏の“天才活動家”ぶりに驚愕した。
 「アジア反戦大作戦」は、それら一連の流れの一環として松本氏らが提起した、日を決めて世界各地で同時多発的に何らかの反戦パフォーマンスをおこなう、という2015年8月末の企画である。ノミネートはそのうちやはり松本氏によって“日本でのパフォーマンス”として敢行された、戦争勢力(?)のものらしき車が武装した反戦派の集団によって白昼堂々襲撃され、鉄パイプなどでボコボコにされる、という内容である。以下がその動画。
 https://www.youtube.com/watch?v=2XYvRQCfDxs
 もちろん“フェイク”である。字幕で説明があるように、事前に「映画の撮影」と称して道路使用許可をとり、どのみち近く廃車にする予定だった知人の車を犠牲に供した、とのことである。役所に提出した道路使用許可申請の書類には、どんな場面の撮影で、具体的にどういうことをするのかなどは一切書かなかったようだ。しかし許可は下りたのだから、それらがどんなにショボいものであっても脇にカメラなど“撮影機材”さえ伴っていれば、仮に仰天した通行人の通報で警官が駆けつけてきたところで「ちゃんと許可をとっています」で何のお咎めもないのである。“問題のシーン”については何の記載もない、どーでもいいような内容の“ラブストーリー”の脚本もわざわざ書いて役所に提出しておいたというバカバカしい細部へのこだわりも素晴らしい。
 この内容的には無意味なパフォーマンスが外山賞に値するのは、「映画の撮影」を口実にするという、路上で“何か”やる際の新戦術をまた1つ編み出し、実際にそれをやってみせたという点である。こういうことの積み重ねが諸運動を前進させていくのであって、松本哉はやはりマジメで立派な活動家なのだ。
 ……が、今さら「素人の乱」「松本哉」に外山賞授与、なんてのはそれこそ“マヌケ”もいいところだろう。そもそも仮に外山賞が昔から存在しているとしたら、松本哉にはその「法政大学の貧乏くささを守る会」の活動を絶賛して98年の時点でとっくに授与しているはずである(同じく、だめ連には95年、矢部史郎には96年、雨宮処凛には00年、劇団どくんごには02年の時点でそれぞれ授与していたはずである)。外山賞はそれぐらい“早い”賞なのだ。


 ノミネート3 YouTube動画「総統閣下が都構想の失敗でお怒りのようです」

 橋下行政をおちょくった動画で、それなりに“ヒット”していたようだから、知っている諸君も多いだろう。アップロード日は2015年5月1日となっており、厳密には今回の外山賞の授与対象期間からは外れるが、私がこの動画の存在を知ったのは昨年の外山賞発表以後のことだし、私が独裁的に選考する以上は私の判断で授賞検討対象とする。
 たかが橋下ごときをヒトラー先輩になぞらえる浅薄なリベラル根性には同じ得ないが、しかしこの動画の完成度はそうしたマイナスを補って余りある。この程度のユーモア・センスを持った者が、この動画の作者以外にももう少しリベラル派の諸君の中にいてくれれば、と無理を承知で思ってしまう。
 https://www.youtube.com/watch?v=BaWRlz5J8Oc
 

 ノミネート4 たむろ荘

 今年3月、群馬県は佐波郡玉村町などという実にマニアックな地域に「たむろ荘」なる新たな“シェアハウス”が誕生した。首謀者は、群馬県立女子大の学生で、「県女を面白おかしくする会」なる謎の団体を主宰し、かつての松本哉の“鍋闘争”をアレンジした、“ちょっと「食器」が大袈裟なだけの単なる昼食”と称しての“流しそうめん”闘争などを同大学構内で展開したりしている、通称“エログロさん”である。このエログロさん、実は昨夏に私が福岡で開催した第3回目の“学生向け教養強化合宿”の参加者の1人であり、また群馬ではやはり同大学構内での公演が定例化している「劇団どくんご」の現地スタッフの1人でもある。
 合宿参加後、年末あたりからクラウドファンディングで出資者を募り、ついに(たぶん大学近くの)ボロボロの一軒家を買い取ってしまった。まだ改修作業を進めつつの試行段階という様子だが、今後きっとさらなる謎の展開をするに違いない、という期待を込めてのノミネートである。
 エログロさんのtwitterアカウントは下記。
 https://twitter.com/blue05410n?lang=ja


 ノミネート5 熊本大学ワタミ粉砕闘争

 昨年10月、いわゆる“ブラック企業”の象徴的存在だと云ってよかろう極悪人、かの“ワタミ”こと渡邉美樹氏が、熊本大学で“起業のススメ”的な講演会をおこなう、との告知が同大学当局によって発表された。
 そんなものをすんなり開催させてしまうようでは熊大の恥、と起ち上がったのが、かつて「熊本大学アナキズム研究会」を立ち上げようとして挫折し、続いて「熊本大学エスペラント研究会」を立ち上げたらあっというまに10数名の部員を獲得し、ついには文化系サークル連合組織のトップにまで上り詰めた、韓国からの留学生(だが日本人と同じ入試を受けて“留学生枠”とかでなくフツーに入学)で、アナキストなので当然“反日で反韓”だという、学生運動シーンのグローバル人材・準君である。
 準君はさっそく講演会場とされた教室と同じ建物のすぐ真下の教室を、講演の同日同時刻に使用する申請を当局に提出して受理させ、「何をすればいいですかね?」と私にも相談を持ちかけてきた。準君はかねてより、現在の熊大で例年おこなわれている“御用学園祭”を打倒し、90年代半ばまでノンセクト系学生活動家らで自主運営されていた当局非公認の「黒髪祭」を復活させることを目論んでいたので、「じゃあ黒髪祭を一瞬“復活”させるようなイベントにすればいいんじゃないの?」と私は提起した。といっても露骨な“学生運動ノリ”のイベントに今の大学生を結集させることは難しいだろうから、準君の指導下にある文化系の諸サークルにそれぞれ好きなことをやってもらう小規模な“合同発表会”みたいな感じで、ただし「テーマは“黒”」ってことにして、例えばロック研とかは「ブラック・バード」(ビートルズ)とか「黒くぬれ」(ローリングストーンズ)とか、そんなのばっかりやる。“ワタミ批判”みたいなことは一切やらずに、ただひたすら“ブラック”を連呼して、当日はその建物の中も周辺も“ブラック”と大書された張り紙だらけにしてしまう、というのはどうだ? などと謀議をめぐらせた。
 が、どうもワタミ側にこうした不穏な動きを察知されたらしく、開催告知からわずか10日ほどで今度は「中止」の告知が出た。ワタミ本人もFacebookで、「あえて言いますが、講演(註.結局、学外の別の会場で開催された)を前に熊本で小さな嫌がらせを受けました」(2015年10月24日付)などと悔しさをにじませている。
 まさに大勝利である。が、実質何もしないまま“流れた”闘争なので、外山賞授与まではちょっと憚られる。
 ちなみにこの準君も、昨夏の“第3回・学生向け教養強化合宿”の参加者の1人である。“外山合宿”の優秀な出身学生たちは、こうしてすでに各地の大学で大活躍を始めているのである。
 残念ながらつい先日、赤紙が届いて準君は徴兵にとられてしまったが、2年後にはまた熊大に復帰するとのことだ。そのとき熊大は、軍事知識まで身につけて戻ってきた学生運動指導者の恐ろしさに、これまで以上に震え上がることになるだろう。



 --------------------------------------------------------------------------


   第六回外山恒一賞

   たかゆき 2011年以来継続中の“世界一周”旅行ツイート


  授賞理由


 “箸休め”的な授賞である(笑)。
 もともと賞創設の当初から、丸1年何も見るべき動きがなかった場合は、“受賞者なし”とせずこの「たかゆき」氏(平仮名表記は読みにくいので以下カギカッコをつける)に授賞して1回分やり過ごそうと決めていた。幸い昨年まではどうにか「これは!」という人・団体・活動があり、意外といけるもんだと油断していたら、今年ついに恐れていた「何もないじゃん!」の事態がやってきた、というわけだ。
 「たかゆき」氏は旧い友人である。知り合ったのは97年だからもう20年近く前ということになる。当時の彼は純朴な長渕青年で、大阪からストリートミュージシャンとして彼自身にとって初めての旅で福岡は中洲へとやって来た。私が歌っていたところからちょっと離れた場所で歌い始めた「たかゆき」氏だが……という話にはすでに彼自身が詳しく回想した文章がある。
 http://takayuki-taira.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_ca48.html
 当時の私は、“職場”で旅の同業者と知り合うと「泊まるとこないならウチに来なよ」と誘うのが常で、この「たかゆき」氏も誘い、話し込んでみると長渕青年にしては予想外に面白く、それから2週間ぐらい連日のように長い時間を共に過ごし、「長渕以外に音楽とか聴いたことない」という「たかゆき」氏に、ここで順番を間違えてはいかん、長渕ファンでも「いい!」と反射的に感じるに違いないマトモな音楽は何だろう、と考えた末にCSN&Yをまず聴かせるところから徐々にロック系王道の教養を“詰め込み教育”し、福岡を経って大阪に戻る頃にはすでに「たかゆき」氏は長渕に対する不敬な冗談を連発する立派な音楽青年へと更生していた。
 「カネ目当てに歌うなんて…」と長渕青年らしい潔癖な価値観を抱いていた「たかゆき」氏だが、私のギターケースに大量の千円札が入っているのを目の当たりにして簡単に信念を揺るがせ、知り合った翌日には自分もギターケースを広げていた。
 長渕に憧れてほとんど宗教的な情熱でもってギターを猛特訓する長渕青年というのは、概してギターはメチャクチャ上手くなるものだ。「たかゆき」氏もそうで、ギターケースを広げるやいなや私なんかよりずっと儲かる。気をよくした彼は大阪へ戻ってからも、大阪の繁華街で“完全お金目当て”のストリートミュージシャン活動を続け、私と同様、案の定それだけで生計を立てるようになった。妙に職人的なこだわりをしかも音楽以外のところにまで持ち始めてしまう性格らしく、そういう側面は例えば彼のこんな文章にも表れている。
 http://takayuki-taira.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_d73d.html
 ちなみに大阪で「たかゆき」氏のストリートミュージシャン稼業の現場を目撃して衝撃を受け、その2度目の福岡への旅に同行し、「弟子です」との紹介で私に引き合わされたのが、今やフォーク界では知る人ぞ知るそれなりの存在となっている良元優作君である。この私-「たかゆき」氏-優作君という“ストリートミュージシャン稼業での師弟関係”は、もちろん“下”へ行くほど、音楽に対する情熱も演奏の腕も格段に上がる。

 とまあ、そんな話はどうでもよろしい。
 とにかくこの「たかゆき」氏、今は日本にいないのである。
 大阪の高級飲み屋街で数年にわたって荒稼ぎをした彼は、充分な資金を手にし、3・11のほんの少し前、2011年の2月に、前々からの念願であった“世界一周旅行”に旅立ってしまった。
 http://takayuki-taira.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/bon-voyage.html
 上の文章の末尾には、「1,2年後日本に帰って来た時に」云々と書いてはいるが、私も「たかゆき」氏がせいぜい1、2年で日本に戻ってくるとは思っていなかった。何事にもこだわりが強く、興味が湧けば片端から見て回って、旅はかなり長いものになるだろうと予想はしていた。
 実際、まずは日本から空路、ブラジルはリオデジャネイロへと飛んだが、それから1年が経過した2012年2月、「たかゆき」氏はまだ広い南米大陸をウロウロし続けていたのである。さらに1年が経過した2013年2月には、「僕は元気です。今はバカ広いメキシコ各地を放浪中」などとツイートしている。想像をはるかに下回るペースである(https://twitter.com/takayukirainbow/status/360609176025706496)。そのキャラクターをよく知っているつもりの私にも、まさか「たかゆき」氏が、出発から5年以上が経過したこの2016年5月現在もまだ日本に戻ってきていないなどとは予想しなかった。
 昨年5月時点でのツイートによれば、それまでの4年間あまりの旅の経路は、「「日本→ブラジル→アルゼンチン→パラグアイ→ボリビア→アルゼンチン(2回目)→ウルグアイ→アルゼンチン(3回目)→チリ→ボリビア(2回目)→ペルー→ブラジル(2回目)→ベネズエラ→コロンビア→エクアドル→→コロンビア(2回目)→パナマ→コスタリカ→ニカラグア→コスタリカ(2回目)→パナマ(2回目)→コスタリカ(3回目)→ニカラグア(2回目)→エルサルバドル→グアテマラ→ホンジュラス→グアテマラ(2回目)→ホンジュラス(2回目)→グアテマラ(3回目)→メキシコ→→グアテマラ(4回目)→ベリーズ→メキシコ(2回目)→グアテマラ(5回目)→コスタリカ(4回目)→ニカラグア(3回目)→エルサルバドル(2回目)→グアテマラ(6回目)→メキシコ(3回目)→キューバ→ジャマイカ→ドミニカ共和国→ハイチ→ドミニカ共和国(2回目)→→セントマーチン(オランダ領&フランス領)→メキシコ(4回目)→カナダ→アメリカ合衆国→カナダ(2回目)→アメリカ合衆国(2回目)→カナダ(3回目)→アメリカ合衆国(3回目)→カナダ(4回目)→フランス→スペイン→フランス(2回目)→モロッコ→スペイン(2回目)→ポルトガル→→スペイン(3回目)→モロッコ(2回目)」とのことである。もちろん現在ではそれからさらに1年が経過しているのだが、twitterによれば今なお「たかゆき」氏は南欧もしくは北アフリカのあたりをウロウロしているのではないかと思われる。
 授賞は、出発を目前に開始され、今も続いている「たかゆき」氏のtwitterでの旅のレポートに対してである。

 「たかゆき」氏、とにかく妙な人なのだ。“こういう人です”と説明しづらい。ギターはメチャクチャ上手いが、だからどうだというほどではないし、長渕教団から脱会した後はあれよという間にものすごくアンテナのいい王道サブカル趣味人と化したのだが、優れた消費者であるという以上ではないし、先に一部紹介したブログの文章を読めば何とも絶妙なユーモアセンスの持ち主であることも誰にも分かろうが、それは“文才”とかとはまた違うものだったりして、要するに多方面にそれなりの才能を示す多芸多才でかつ超センス・エリートで、何でもそれなりにこなすが特に「これ!」というジャンルがない人なのである。
 だから「たかゆき」氏のtwitter上での“世界一周記”が今回の外山賞受賞作品ということにはなるのだが、その文章がいいとか何とかいうのでもなく、しかもツイート量は膨大でたびたびどーでもいい脱線もあるので今から全部を読むのもおそらくかなり大変で、ずっと読んでいるとこのアカウントの魅力は明らかなのに、ちょっと覗いてみてそれがパッと分かるとも思えない。まあ興味のある人はヒマな時にコツコツ読むといいとは思うけれども……。
 たまに「たかゆき」氏のツイートが話題になることもあって、一番最近では昨年9月、シリアからの難民がヨーロッパにどっと押し寄せて社会問題化していた頃、ちょうどハンガリーにいた「たかゆき」氏からの“現場レポート”がそうなっていた。
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/646876486872526850
 個人的には2013年8月の、中南米の“危険な”国々についての3日間にわたる濃密なツイートによく表れた「たかゆき」氏の極めて正常な感覚に感動した。
 http://twilog.org/takayukirainbow/date-130816/allasc
 http://twilog.org/takayukirainbow/date-130817/allasc
 http://twilog.org/takayukirainbow/date-130818/allasc
 時折唐突に報告される、何か思いついた特定のテーマでのプチ企画にも面白いものが多い。例えば比較的最近の、戦国時代に伊達政宗が派遣した船に乗っていた日本人たちの子孫で、苗字がそのまんま「ハポン(日本)」というスペイン人たちを訪ねて回る話。
 http://twilog.org/takayukirainbow/date-160227/allasc
 旅のもはや初期ということになるが、見た人は幸せになれるというぐらい滅多に見られない超珍しい“幻の鳥”ケツァールを探し求めて山中へ分け入り、すぐ見つけてしまう話。
 http://twilog.org/takayukirainbow/date-111107/asc
 先に「たかゆき」氏には特に「これ!」といった表現ジャンル・手段がないと書いたが、あるいは「写真」がそれだとは云えるかもしれない。こんな膨大なツイート量のアカウント、“ざっと”読むのも大変だよ、という場合にはとりあえずアップされた写真の数々だけでも眺めていくといいかもしれない。
 私はビジュアル面のセンスに決定的に欠けていて、絵とか写真の良し悪しを云々することはできないのだが、たぶんかなりの才能なんじゃないの? という気はしている。
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/582187411121242112
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/582200143941885952
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/590324316056768512
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/630943326460583936
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/632676422310567936
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/637825569187590144
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/705945674412658689
 凝り性の「たかゆき」氏だから、ヘンな写真も時々アップされる。
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/381317359559921664
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/398377036915277825
 https://twitter.com/takayukirainbow/status/582212450923184129
 たまーにアップされる動画も脱力的で良い。
 https://www.youtube.com/watch?v=G3YekZUBvXQ
 https://www.youtube.com/watch?v=FwOGyIPMVcU
 https://www.youtube.com/watch?v=Tlmo8CnCYoc
 https://www.youtube.com/watch?v=r3RAmBUA97c

 というわけで長々と書いてきた。
 長年の友人に“授賞”なんつうあるイミ“上から目線”なことは我ながらどうなんだ、とは思う。
 が、こんなにすごい旅をもうかれこれ5年以上も続け、それをレポートし続けている「たかゆき」氏に、フォロワー千人足らずというのはどう考えても不当だと思うし、彼に注目する人が少しでも増えるきっかけになれば、と本来なら“受賞者なし”となる年が来てしまうことを実は本当は心待ちにもしていた。もちろん「たかゆき」氏は帰国したら意外と“プロ旅行者”だか何だかとしてブレイクしちゃうんじゃない? それをさっすが外山恒一、こんなに早くから注目していたとは……、となるかもという下心もある。何度も云うように、どこがどうというわけでもないので伝えにくいんだが「たかゆき」氏がとにかく“すごい奴”であることは間違いないと思っており、単に「オレこんなスゲェ奴と友達なんだぜ」と自慢したいだけ、というのもある。

 「たかゆき」氏のtwitterアカウントは、
 https://twitter.com/takayukirainbow
 膨大なツイート量なのでtwilogの方が読みやすいかもしれない。
 http://twilog.org/takayukirainbow/allasc
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年04月26日(火) 18時05分56秒

5月1日、北九州市での「反原発右派」デモに結集せよ!

テーマ:告知
 ※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 外山恒一の活動に資金協力を! 協力者向けに活動報告誌『人民の敵』を毎月発行しています。詳しくはコチラ


 突然だが5月1日に北九州市小倉で反原発・脱原発のデモを主催することになった。
 もともと、3・11の直後の2011年7月から東京・銀座での毎月デモを今も続けている「右から考える脱原発ネットワーク」(統一戦線義勇軍の針谷大輔氏が主宰)が、“5月1日、2日に福岡県北九州市で開催される「G7北九州エネルギー大臣会合」に合わせ”て、彼らの主催では九州で初めてということになる脱原発デモを5月1日に小倉で予定していたのだが、先日の熊本・大分での大地震を受けて「中止」ということになった(http://maruta.be/anntokyo1107/121)。
 福岡現地ではこのかん、「右から九電前抗議」の藤村修氏が中心となって準備を進めていた。あくまで主催は東京側なので、東京側が中止を決めた以上、それ自体はやむを得ない。が、すでに情宣も一定やってるんで当日どうせ集合予定場所に藤村氏が行って中止を知らずにやってきた人に対応するつもりのようだし、もちろんデモ申請とかは全部もう通ってるんだし、福岡側でこれを引き継いで決行してしまえばいいんじゃないか、という話に当然なる。が、東京側が公式に中止としたものを、現地受け入れ側の代表である藤村氏がそれと連続性を持つような形で引き継ぐのも何か筋が通らない、と藤村氏は悩んでいた。
 で、じゃあ、もともと参加予定者の1人だった私が新たに臨時のデモ主催団体「反原発右派」を立ち上げて、もともと予定されていた時間帯・コースなどをそのまま踏襲してデモをやる、ということで話がまとまった。
 そういう経緯なので、私の主催ではあるが、いつものようなサブカル的な(?)面白主義は今回は一切ナシである。単にフツーにマジメに淡々とやる。以下、「右から考える脱原発ネットワーク」主催のデモの中止を伝える告知ハガキの送付先に、同時に別個に「反原発右派」名義で送付したハガキの文面である。

          ※

 来る5月1日に東京の「右から考える脱原発ネットワーク」の主催で予定されていた北九州市でのデモの中止決定を受け、これに参加予定だった福岡在住者の側で新たにデモ主催団体として「反原発右派」を立ち上げ、もともと予定されていた集合場所、時間帯、コースをそのまま踏襲する形で、反原発・脱原発を訴えるデモをおこなうことになりましたので、改めて以下、ご案内申し上げます。
 先日の震災において、稼働中の川内原発、非稼働中ながら原子炉内外に大量の放射性物質は存在する玄海原発、伊方原発はとくに異常を起こさなかったようですが、ヒヤリとはさせられました。我々も原発がそうそう簡単に大事故を起こすものでないことは承知していますが、福島の例を挙げるまでもなく、その安全性は決して絶対的なものではありません。どんなものも絶対に安全ではないとはいえ、原発の場合は万が一の大事故がもたらす被害の空間的・時間的な規模が甚大にすぎます。そのようなことにならないうちに、できれば今すぐ、そうでなくともなるべく速やかに、原発は全廃すべきだと考えます。
 デモの予定は以下の通りです。JR小倉駅南口近くの米町公園に午後二時半に集合、三時出発です。“右派”を標榜し、デモの先頭もしくは最後尾に国旗を掲げますが、そうしたこと自体に異議を唱えられないかぎり、どなたでも参加できます。
 またデモ終了後には解散地点の近隣で交流・意見交換の場を設ける予定です。この交流の場には、必ずしも原発に否定的でない方の参加も歓迎します。交流会にのみ参加を希望される場合は、米町公園でデモ隊の到着(四時半頃になると思います)をお待ちください。御多忙の折かとは思いますが、是非とも私どものデモにご参加いただければと思っております。

          ※

 とにかくそういう経緯だし、情報も行き渡らずあんまり参加人数も多くないとは思うが、先日の地震によって九州でも原発への不安は潜在的には高まっているようなのに具体的な動きはあんまり見えないという状況もあり、今回は「とにかくやる」「やること自体に意味がある」と考えて、盛り上がるかどうかとか気にせず淡々とやることにする。
 実施予定は以下のとおり。

日程:平成28年5月1日(日)
集合:14時30分
出発:15時00分

集合場所:米町公園(福岡県北九州市小倉北区京町3-5)
コース:米町公園を出発し小倉城を周って小文字通りに入り、日銀前で北上し国道199号線から米町公園に戻る。(全長約3.7km・1時間半弱を予定)
[出発]米町公園
 ↓
国道199号
 ↓
「西小倉駅前」交差点
 ↓
「小倉北署前」交差点
 ↓
「太陽の橋東」交差点
 ↓
小文字通り
 ↓
日本銀行北九州支店前
 ↓
「砂津橋西」交差点
 ↓
国道199号
 ↓
[到着]米町公園

主催:反原発右派
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年03月13日(日) 06時37分33秒

自作解説「原発推進組曲」

テーマ:オリジナル動画
 ※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 外山恒一の活動に資金協力を! 協力者向けに活動報告誌『人民の敵』を毎月発行しています。詳しくはコチラ


 リテラシーというか現代文読解能力というか、あるいは読解に必要な(この場合はJポップに関する文化的)教養を欠いた者がネット上で好き放題に語り散らしている御時世であるから、たまには“自作解説”という野暮も必要だろう。
 3・11から間もない時期にYouTubeに発表した、「原発推進組曲」と題した“替え歌メドレー”について以下、今さら解説する。

 動画の冒頭には、これは私の歌唱による替え歌ではなく、長渕剛の「俺らの家まで」の一部がそのまま流れる。タイトルや註釈の文言の表示にまず20秒ほど必要で、せっかくだから何かBGMをつけよう、もちろんテーマにふさわしい内容の歌詞がよい、さらにもちろん本来はそういう歌ではない方がオカしくて良い、ということで選曲したものである。後に“反原発・長渕派”の恐ろしいインボーを展開することになるとは、この時は思ってもみなかった。
 歌詞は「分かってるさ、君の兄貴が賛成してないのはね。君の立場も分かるし、兄貴の云いぶんも分かる」というものだ。原曲は原発の歌ではもちろんなく、単なるラブソングである。だが原発テーマの作品の冒頭に流れるとやっぱりオカしい。かつ今回の作品は表面上は“原発推進”のスタンスにしてあるわけで、“こっち側”ではなく“あっち側”が“賛成してない”設定もピッタリである。

 1曲目の原曲はRCサクセションの「ドカドカうるさいR&Rバンド」である。
 “原発問題で替え歌をやる”ならまず忌野清志郎を冒頭に持ってこないわけにはいかない。88年に日本で最初に反原発運動が盛り上がった時(広瀬隆ブームというやつだ)、キヨシローはこれに呼応し、洋楽ロックの往年のヒット曲に日本語の(多くは原詞と無関係な)社会派メッセージ詞をつけた曲だけで構成された“替え歌アルバム”『カバーズ』を発表しようとしたが、反原発の立場を鮮明にした数曲も含まれていたため、発売元の東芝EMIが親会社で原発メーカーである東芝に気兼ねして、発売直前に発売中止の決定が出て(数ヶ月後の敗戦記念日に別のレコード会社から発売)、日本ロック史に残る一大騒動となった。この一件に腹を立てたキヨシローは覆面バンド・タイマーズを結成し、さらに事態を面白くエスカレートさせて最高だったのだが、そこらへんは各自自分で調べなさい。
 とにかく、“原発問題で替え歌をやる”なら最初にキヨシローなのは、常識と良識のある表現者にとっては他に選択の余地などない単なる“正解”なのである。問題は、どの曲を選ぶかだ。
 キヨシローが作った反原発(替え歌)ナンバーである「サマータイム・ブルース」や「ラヴ・ミー・テンダー」をさらに替え歌にするなどは下の下だ。替え歌なんだから、元の曲は原発とは何の関係もないものでなければならない。そしてこれはこの後のすべての曲に関して云えることだが、良い替え歌を作るための最大のコツは、“元の歌詞をなるべく変えない”ことである。さらにはもちろん、原曲が一定知られたヒット曲、もしくは少なくとも教養人なら知ってなければならない“スタンダード・ナンバー”でなければならない。
 何かないかといろいろ探した結果、「ドカドカうるさいR&Rバンド」を選んだ。“ヒット曲”ではないが、RCサクセションの作品中では知名度の高い曲の1つである。RCはサザンと双璧をなす日本の2大ロックバンドであり、健全な常識人ならビートルズやローリング・ストーンズやRCやサザンの代表曲はそれぞれ10数曲ずつは知っていなければならず、RCでは「キモちE」とか「ドカドカうるさいR&Rバンド」は当然その“10数曲”に入る。
 さて歌詞である。
 この曲に目をつけたのはまず元詞の「街じゅうのガキどもにチケットがバラまかれた」の「チケット」のところを「セシウム」とかに替えればいいな、と思ったからである。そこからスタートして他の箇所をそれに合うように替えていく。タイトル部分である「ドカドカうるさいR&Rバンドさ」のところは特に重要だが、まあ放射能汚染に不安が拡がるだろうことについて、「ガタガタうるさい一般庶民だ」と替えたのは私としてはあまり満足がいってない。「一般庶民」がどうも言葉として落ち着きが悪いのだが、おおよそそういう意味で、語呂的にメロディに合う言葉を他に思いつかなかった。
 「ツアーがどこに行くのか誰も知らない」の部分は、放射能汚染された農作物が「どこに行くのか誰も知らない」ってふうに替えればよかろう(最終的には「オレは知らない」にした)。
 そんなふうにいったんおおよその“設定”が決まると、さまざまの箇所で“上手い替えかた”が思い浮かぶ。印象的な「子供だましのモンキー・ビジネス」、「よってたかって分け前をあさる」、「まともな奴は1人もいないぜ」の部分はまさにそのまま使える箇所だが、替え歌として分かりやすくするためにあえて「電気ビジネス」とした。「ホテルをうろつく女を誰かがヨロシクしてるぜ」の部分、ここは「ヨロシクしてるぜ」を残したい。何を「ヨロシクしてる」ことにすれば今回の替え歌の設定に合うか? やはり「安全基準」だろう。「ヨロシクしてる」主語は「誰か」ではなく「政府」だ。メロディに文字数を合わせる必要もあるし、最終的にはここは「気休めの安全基準を政府がヨロシクしてるぜ」となった。
 「バカでかいトラックから機材が下ろされ」という原曲の歌い出しもなるべく残したい。とくに「バカでかい云々」という強烈な冒頭フレーズは残したい。この場合、「バカでかい地震」もしくは「バカでかい津波」とするしかなかろう。「バカでかい津波」とすることにし、それで非常用発電設備という「機材」が壊されて、今回の事故は始まったのだから、替え歌の歌い出しとしても申し分ない。
 これだけ元詞の印象的な語句やフレーズを残せれば、替え歌としては充分上出来である。残った部分は元詞と無関係にオリジナルに創作してももう問題ない。

 2曲目は「プカプカ」の替え歌である。ディランIIというグループのこの71年の曲は、日本フォーク史におけるスタンダード・ナンバーの1つだが、これを2曲目にしたことにとくに深い意味はない。“イヤミったらしい原発推進の歌”に作り替えやすい元歌詞をいろいろ探していて、「♪おれのアンコ(あの娘)は何々が好きで」というリフレインを「原発が好きで」に替えてはどうかという、とくに斬新でも何でもないありきたりな思いつきにすぎない。「♪おれのアンコは何々(タバコ、スウィング、男、占い)が好きでいつも云々(タイトルになってる“プカプカプカ”その他の擬音)」という元詞だから、その擬音のところはもうメロディも無視して原発推進派の決まり文句を並べ、歌うのではなく語ればいいだろう、と。「遠い空から降ってくるっていう幸せってやつが云々」を「放射能ってやつが云々」と替えたのも、まあ“ヤッツケ”である。
 全体の構成としても、RCでまずハイテンションで始めたのを、いったん盛り下げるための穴埋め的な曲として、いろいろ作ったうちそういう役割を果たしうるものを2曲目に置いた、という以上ではない。

 3曲目はサザンの「TSUNAMI」である。
 阪神大震災の時にはクールファイブの「そして神戸」をラジオなどでかけるのが自粛されたり、あるいは麻薬その他でミュージシャンが逮捕されるとその作品が店頭から回収されたりする後進国・日本のいつもの光景にはウンザリしており、今回も案の定「TSUNAMI」が自粛となったので(自粛そのものは仕方ないとしても、わざわざそのことを宣言せざるを得ないこの後進国の同調圧力が不愉快だ)、絶対にこの替え歌メドレーには「TSUNAMI」を入れなきゃいかん、とこれは最初から決めていた。
 問題は上手く替え歌にできるかどうかである。
 で、元詞を見てみると「とめど流る清か水よ、消せど燃ゆる魔性の火よ」とあるではないか! 「流る」を「流す」に替えて冷却水の意味にすればそれだけでもう他に何も替える必要がない。
 そもそも桑田の書く歌詞は1行1行が断片的なフレーズで、歌詞集が『ただの歌詞じゃねえか、こんなもん』(新潮文庫)と題されてさえいるように、内容ではなくメロディやリズムに乗るかどうかが最大に重視されており、そこがまさに“日本語ロック史”におけるサザンの大発明、画期的な偉業でもあるのだが、必然的にカッチリとした物語性が薄く、つまりもともと替え歌に向いてない。今回、「TSUNAMI」は“とにかく入れた”というアリバイさえ作ればよいのだし、せっかくだから「津波」という単語が出てくる部分は何とか残して使うとして、それで充分である。「♪とめど流す清か水よ、消せど燃ゆる魔性の火よ」と歌い始めて、いきなり強引に「津波云々」の部分につなげて、オチをつけて終わり。

 4曲目は山本譲二の「みちのくひとり旅」だ。
 “東北の歌”を何か入れたいと思ったら、誰だってまずコレを思いつくはずの国民的大ヒット演歌である。で、元詞はどうか?
 サビに「たとえどんなに灯りが欲しくても」とある! 何と! これはそのまま“原発ナシでやっていけるんですか?”という原発推進の国賊どもの定番の脅迫フレーズにつなげられるではないか! そもそもサビの歌い出しが「たとえどんなに恨んでいても」である。良識ある人々は誰でも原発推進派を恨んでいる。“しかしそれでも原発は必要でしょう?”という奴らの開き直りにつなげられる、できすぎた元詞である。
 こんなにハマるサビができれば、あとは簡単である。推進派の売国奴どもが開き直る歌になるわけだから、その前提として、一応“謝罪”の方向のAメロ、Bメロがあるほうが笑えるだろう。推進派の米帝の手先どもが被災地を神妙な顔つきで回る“みちのく土下座旅”だ。元詞に出てくる「月の松島、しぐれの白河」という地名の織り込みも活かしたい。形容詞の部分はどうでもいいが、「松島」ではなく「福島」、「白河」ではなくやはりギリギリ危なかった「女川」あたりがふさわしいか。
 “土下座旅”の描写だが、Aメロ部分の元詞をよく見ると「その場しのぎのなぐさめ言って、みちのくひとり旅」とある! 替える必要がない! 「その場しのぎのなぐさめ言って、みちのく土下座旅」で決まりだ。
 これまたここまで原曲の印象的な箇所を残せればあとは好きに創作していい。「ここで一緒に死ねたらいいと、すがる涙のいじらしさ」という歌い出しも、「ここで一緒に死ね」と被災者に罵倒されている東電職員の図、とすることを思いつき、あとはテキトーに平身低頭のノリで作っていって、しかしサビで“そうは云っても本当に原発ナシでやっていくおつもりですか?”と得意の恫喝にかかる。
 我ながら傑作だと思う。

 5曲目は山口百恵の「いい日旅立ち」で、これまた誰でも知ってる国民的大ヒット曲。
 単にこの頃ストリートミュージシャン稼業でなぜかヘビーローテーションで歌っていたもので、せっかくだからこれも替え歌にできないかと、半ばムリヤリに完成させたのだが、いざやってみると、このメドレー中では前曲の「みちのくひとり旅」と並ぶ思わぬ傑作に仕上がった。
 手順としては、“なるべく元の歌詞を残す”という原則にしたがって、まずはサビの「ああ日本のどこかに私を待ってる人がいる」を、どういう設定の歌にすれば残せるか、と考える。主体はあくまで原発推進派である。原発推進派の“私”を待ってる人が日本のどこかにいる……これはやっぱり“誘致”ネタだろう。“私”はつまり、経済的に疲弊した日本じゅうの田舎に原発を売り込む“死の商人”である。
 サビをほぼそのまま残す方針である上、メロディがはっきりしていて“どう聞いても「いい日旅立ち」”になるから、これはもうサビに至るまでは好き勝手にやってよい。「破産間近の田舎町に向かい『ひとつ原発いかが?』と持ちかける」と元詞から残してあるのは「間近」と「向かい」の2単語のみだが、暗いメロディと相まってブラックな雰囲気で我ながら素晴らしい。
 サビは「ああ日本のどこかに私を待ってる人がいる、いい日旅立ち」までそのまま残した。続く「夕焼けをさがしに、母の背中で聞いた歌を道連れに」は「聞いた何々を道連れに」だけ残し、「札束を抱えて、偉い学者に聞いた嘘を道連れに」としたが、これまた我ながら上手い思いつきだと思う。
 私はこのメドレーの中でこれが一番お気に入りである。

 私としては一番聴いてほしい、暗くブラックな大傑作が2曲続いたことだし、さてそろそろアップテンポに盛り上げて締めくくりたい。
 これまたこの“替え歌メドレー”製作を思いついた当初から絶対に入れたいと思っていたハマショー(浜田省吾)の「マネー」である。もちろんこんな恥ずかしい後進国の土人ロックの典型ナンバー、私が好きな曲であるわけがなく、今回のテーマに使い勝手の良いフレーズが元詞にたくさんありそうな予感がした(元詞は知ってるわけだが、替え歌を作ることを意識した状態で聴き知ってるわけではないから、本当にそうかどうかは改めて検討してみないと何とも云えないわけだ)からである。
 改めて歌詞を見てみるまでもなく、もちろんあの有名なフレーズは念頭にあった。「いつか奴らの足元にビッグマネー叩きつけてやる」である。“札束で顔をひっぱたく”のが人民の敵・推進派のいつものやり口である。これまた“誘致”ネタになるだろうことは、いざ取り組む前から予想がついていた。
 設定を考える。
 「“いつか”奴らの足元にビッグマネー叩きつけてやる」ということは、“今は”それができずに悔しい思いをしている、という設定にならなければいけない。たしかに原発事故の直後である2011年当時の“今”は、誘致など論外だろう。しかも推進派の非国民どもは、それは本当は原発を必要としている人たちがいるのに、左がかった反対派どもが不安を煽って邪魔をしているのだ、などと恥知らずで的外れで許しがたい責任転嫁をしているものである。
 元詞の歌い出しを見てみる。「この街のメイン・ストリート、わずか数百メートル、さびれた映画館とバーが5、6軒」。おおっ、まさに原発の誘致を持ちかけるにピッタリな、疲弊した地方都市ではないか。しかし実際には原発が建てられてしまう地域はもっと悲惨なことになっているのが普通である。もっと悲惨にしよう。「メイン・ストリート」は「数十メートル」に縮め、「さびれた映画館」は「つぶれたコンビニ」に替え、「バー」は「1、2軒」に減らした。
 元詞は「ハイスクール出た奴らは次の朝バッグをかかえて出てゆく」だが、「奴らは」だけ残し、あとは“設定の説明”に回して「漁協・農協の奴らはそれでも原発をなかなか建てさせてくれない」とした。その理由はもちろん、反対派どもが不安を煽るからである。元詞を無視して、そのままそういう“設定の説明”を続ける。田舎町に残る人々は「心ごまかしているのさ」という元詞は活かして、田舎者どもは本心では原発を建ててほしいはずなのに、「広瀬(隆)や小出(裕章)のデマに惑わされ、心ごまかしているのさ」とした。
 サビの「Money, Money makes him crazy. Money, Money changes everything. いつか奴らの足元にビッグ・マネー叩きつけてやる」は、「him」を「you」に替えただけで、そのまま使用した。

 「マネー」で終わってもよかったんだが、この“替え歌メドレー”を着想してほぼ完成し、しかしとくに前記の“「ドカドカうるさいR&Rバンド」のところは「ガタガタうるさい一般庶民」でいいのか”問題や、やっぱりあと1、2曲入れたいなど、さらに完成度を高めようとして試行錯誤しているところに例の、斎藤和義の自作替え歌「全部ウソだった」が発表されて話題になった。
 先を越された、と思った。と同時に、その斎藤和義の替え歌の出来を見て、そもそも私はかれこれ20年来、ミュージシャンだのアーティストだの、さもセンス・エリートでございという顔をして、いざ社会派っぽいことを表現しようとするとセンスのカケラもない、口ほどにもない奴らだとバカにしきっているわけだが、案の定、何のヒネリもない凡作だった上に、しかも88年時点でとうに偉大なキヨシローが反原発を歌ってロック史に残る大騒動を巻き起こしたことを忘れたフリして「オレたちはダマされてた」的な無責任きわまりない反革命ソングだったので、こんな程度が日本ロックの水準では世間様に顔向けできないではないかと他人事ながら怒りを燃やした。まだ出来に納得いかないところもあるが、斎藤和義のに比べたら圧倒的に高水準だし、もう発表してしまおうと決めた。
 が、せっかくなら斎藤和義の替え歌も何か入れちゃえ、とイヤミで作ったのがメドレーのラストの「大丈夫」の替え歌である。
 つまりこれも順序としては、“何か斎藤和義の曲を”という“ミュージシャン縛り”がまずあり、その特定のミュージシャンの作品の中から替え歌にできそうなものを選ぶという、冒頭のキヨシロー作品と同様のものになる。が、斎藤和義のいくつかのヒット曲の歌詞をざっと見て、これしかないとすぐに「大丈夫」を替え歌にすることに決めた。
 だって原発推進の歌で、「大丈夫」とはこれまたハマりすぎではないか。「大丈夫、なるようになるのさ」、「いつでもそうやって笑ってたじゃない?」、「もう忘れましょう」などなど、“原発推進派が云ってる”と仮定すると笑えるフレーズだらけなのである。
 そういうフレーズをなるべくそのまま残し、あとは“ヤッツケ”だ。テキトーに作ったが、ハマショーで締めくくるより余韻が出ていい感じにもなった。原曲では最後は「ルルル……」とハミングでフェイドアウトしていく。これに当時、私が“表向きの店長”をやっていた福岡市のBARラジカルという怪しい飲み屋の“真の店長”が横から、「そこ、時々“ベクレル”って歌ったら?」とさすが真の店長を務めるだけのことはある画期的に不謹慎なアイデアを提供してくれた。

 とまあ、おおよそそんなふうにして「替え歌メドレー・原発推進組曲」は完成した。
 ちなみに動画のラスト、今は存在しないBARラジカルの宣伝等の部分でBGMに流れるのがRCサクセションの「サマータイム・ブルース」である。
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年03月02日(水) 20時24分54秒

超高級誌『人民の敵』創刊号〜第17号、傑作コンテンツ10

テーマ:ブログ
 ※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 外山恒一の活動に資金協力を! 協力者向けに活動報告誌『人民の敵』を毎月発行しています。詳しくはコチラ


 『人民の敵』、毎月メチャクチャ苦労して作り、しかもかなりのハイレベルをずっと維持しているのに、ちっとも読者が増えず努力と才能が報われない。アホ呼ばわりされたくない諸君は、つべこべ云わずに購読しなさい。
 http://www.warewaredan.com/jinteki.html


 今回は、販促活動も兼ねて、既刊17冊から、我ながらこのコンテンツはすごい! と自画自賛せざるを得ないベスト10を掲載順に紹介する。
 バックナンバーの注文も受け付けているが、上記リンク先にもあるとおり、第14号までは「1冊5000円」、第15号以降は「同一号5冊セット5000円」(つまり余った4冊を周囲に転売して自己負担額を減らせる)であることに注意。

 では発表。
 創刊号・〈対談〉 with スガ秀実
 創刊号はとにかく豪華な布陣なのである。4コンテンツのうち3つがそれぞれ、笠井潔氏、スガ秀実氏、千坂恭二氏との対談ときたもんだ。ほとんど現代日本の最高の知性3人と云っていい。もちろん全部濃厚すぎる内容だが、とくにスガ氏が、モノを知らない私に分かりやすくレクチャーしてくれた現代中国論が圧巻。

 第2号・〈対談〉 with 藤村修
 03年の獄中ファシズム転向以来、右翼方面の友人知人は当然やたら増えたが、藤村氏は“異端的極左活動家”時代からのたった2人の“右翼の友人”の1人(もう1人は大石規雄氏)。しかもその当時から“同世代で最も話(現状分析とか)の合う”友人である。その藤村氏がここ数年、AKB嫌いをこじらせた結果として非AKB的ないくつかのアイドル・グループにハマりまくるという由々しき事態に陥っている。が、さすが藤村氏のアイドル論、めちゃくちゃ面白いのである。新自由主義批判と結びついた特異なアイドル論、必読。

 第3号・〈座談会〉 with 山本桜子&東野大地
 我が「九州ファシスト党〈我々団〉」が擁する優秀な芸術活動家2名との鼎談である。2人は近年とみに猖獗をきわめる“アートで街おこし”的な行政タイアップ・アートに我慢ならないらしく、あちこちで批判的介入を試みている。それらがなぜ、どうイケナイのか詳しく語ってもらった“現代アート徹底批判”。同テーマ・同メンツで第11号にも続編的な鼎談がある。

 第4号・〈対談〉 with 千坂恭二
 “アナキズムの延長としてのファシズム”論の大先輩である千坂氏には、創刊号・この第4号・第8号・第12号・第15号とすでに5回も誌面に登場いただいている。どれも無類に面白いが、中でもこの第4号での“アナキズム思想&運動史”レクチャーはすさまじい。左派インテリ界に流通している常識的・教科書的なアナキズム史を「クロポトキンが捏造したものにすぎない」と一刀両断、“真のアナキズム史”の概略が語られて目からウロコである。ちなみに第8号では今度は“ファシズム史”篇のレクチャーがおこなわれている。

 第5号・〈対談〉 with 宮川敬一
 外山が“九州で出会った唯一面白い現代美術家”と評するのがこの宮川氏である。その来歴・活動史を根掘り葉掘り訊いてみると、次々に飛び出す珍エピソードの数々。とくにオウム事件の、すなわち日本社会の急速な監視社会化・警察国家化が始まった年である95年、小倉の街でひっそりとしかし大々的に展開された「パラサイト・プロジェクト」は、外山がそれについて聞き知った97年、もしすでに「外山恒一賞」が存在していれば受賞間違いナシの革命的芸術実践である。

 第7号・〈対談〉 with スガ秀実
 創刊号・第4号に続いて3度目のスガ氏登場、さっすが日本で最も世界に通用する知識人だけあって、外山の知らない重要知識が毎回レクチャーされて有意義である。この対談では、スガ氏が最近気づいて目下研究中という柳田国男に関する新発見について、惜しげもなく語ってもらえている。『人民の敵』を読まない者には知的向上心がない、とこのコンテンツの存在1つで断言しうる

 第9号・〈発掘インタビュー〉 with 沢村真司
 ワケあって仮名で登場(『青いムーブメント』その他の一般流通書籍では、史料性に鑑みて実名表記)の、外山の反管理教育運動時代の最重要の同志への、93年時点での貴重なインタビュー。“学校と闘うための同世代の仲間”を求めて中学生時代から全国各地を飛び回るパワフルさには外山も脱帽。志向性の近い仲間をはるかに容易に見いだしうるはずのネット社会が成立して、むしろ逆にこういう“行動の人”が出てこなくなった。

 第10号・〈発掘インタビュー〉 with 見津毅および〈発掘インタビュー〉 with 太田リョウ
 とくに88年から91年にかけて急進的な若い左翼の重心をなした「反天皇制全国個人共闘〈秋の嵐〉」の、それぞれ95年と03年に若くして世を去った2人の中心人物に、やはり93年時点でその体験を聞き取っておいた貴重すぎるインタビューを併載したこの第10号は、大げさでなくまさに現代史の一級史料である。ここ最近、野間易通氏をはじめ幾人もの活動家がそれぞれの視点での“運動史”を発表し始め、それはそれで有意義だし必要なことではあるものの、はっきり云って〈秋の嵐〉を知らない者に80年代以降の運動史を語る資格はない。なお第3号にも、同じ93年にやはり〈秋の嵐〉の中心的活動家の1人だった佐藤悟志氏にその体験を聞いたインタビューを掲載。

 第11号・〈対談〉 with 菅野完
 通称“ノイホイさん”、右翼の立場からの反原発言説で著名なツイッター論客の1人となり、noiehoie名義で『保守の本分』(扶桑社新書)を上梓し、反・在特会の排外主義批判の運動にも積極的に関わり、現在は安倍内閣を強力に支える草の根右翼団体「日本会議」への批判的ルポのウェブ連載が好評の菅野氏である。同連載の取材のため九州を訪れた菅野氏に、日本会議に関するこれまでの取材&研究成果を、まだ連載では書いていない、もしかしたら書けないかもしれない内容まで含めて語ってもらった。

 第16号・〈インタビュー〉 with 有川理
 熊本県がバブル期に片田舎につい建ててしまった巨大な前衛建築(の大量にあるうちの1つ)、通称“海のピラミッド”を、07年から11年にかけて、ゲバラやマルコムXやレーニンその他の肖像が掲げられる面妖でかつ西日本最大級のクラブとして“占拠”していた首謀者による、諸外国の事例をあれこれ云うことしか能がない日本の学者どもがまず知らない、こんなところに存在した日本国内の“スクウォット”闘争についての貴重な証言。

 とまあ、こんなところか。初期の号に掲載したものが多くなったが、もちろん最近のコンテンツの水準が下がっているわけではない。第13号および第14号の“88年の反原発運動”に関する当事者の証言も、世の中のことを少しでもマジメに考えたい者には必読ものだし、全体的に、第9号の「劇団どくんご」の詳細な来歴インタビューや、第8号の“宮崎くんだりでメゲずに頑張ってる人たち”プチ特集など、上に挙げた諸コンテンツと甲乙つけがたい名企画は他にいくつもある。また私の書き下ろし原稿、現在のところ第3号に「序章」、第16号に「第一章」を掲載した、70年代以降の日本の青年運動の通史「全共闘以後」も、読んでいない者はアホ同然と断言しうる必読文献である。
 まあとりあえず上に挙げたあたりから、騙されたと思って5000円払って読んで衝撃を受けなさい。
いいね!した人  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。