1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2017年03月25日(土) 11時44分40秒

森元斎、思想はともかく、いい人である

テーマ:ファシストの見解

※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 外山恒一の活動に資金協力を! 協力者向けに活動報告誌『人民の敵』を毎月発行しています。詳しくは
コチラ

 全国各地で不定期に開催される「外山恒一を囲んで飲む会」もしくは「外山恒一トークライブ」の情報を事前に確実に入手したい方はコチラを。
 

 ちくま新書から出た森元斎の新刊『アナキズム入門』を(結果的に)酷評する読書会をやり、すぐさまテープ起こしして『人民の敵』最新29号のコンテンツとした、という話はすでに報告した。

 で、この情報公開に「素人の乱」周辺の軟弱アナキストで「インテリパンク」を自称するちっともインテリでもパンクでもない恥ずかしい男がツイッターで突っかかってきたので、ついオトナゲなくガツンと叱ってやった話もすでに書いた。

 この流れに、〝アナルコ・ファシズム〟の偉大な先達・千坂恭二氏や、「インテリパンク」の〝類友〟軟弱アナキストたちもちょっと絡んできたりして、森元斎の新著は期せずして(あるいは目論見どおり)〝アナキズム〟に関する議論をガゼン活性化させているわけであるが、なんと、たぶん「インテリパンク」を叱りつけた文章を読んで事態を知ったのだろう森元斎君本人から、昨日電話がかかってきた。これもすでに最初から書いてるとおり、同じ福岡に住む森君とは数年前から面識があり、知らない仲ではないからこその〝徹底批判〟でもあったわけで、くだんの座談会を掲載した『人民の敵』も実は森君宛にも送付していて、それが届く頃合いを見計らってこっちからメールでも出そうと思っていたのに、機先を制される形となって、「むむむ、アナキストあなどれん」と不覚にも一瞬動揺した。

 森君が云うには(『人民の敵』の現物はまだ届いていない様子であった)、「批判されてると知って、さっそく読んでくれてしかも批判的にではあれきちんと論評してくれたらしいことに感謝半分、でもやっぱりムカツキ半分です(笑)」とした上で、だいぶ以前に進呈しといた『人民の敵』第4号(千坂氏による既成アナキズム批判を掲載)もちゃんと読んでおり、それどころか千坂氏自身の手になる本格的論考「総破壊の使徒バクーニン」が掲載された70年代の『情況』誌まで取り寄せて読んだとのことで、「千坂氏の見解も一応は踏まえて今回の本を書いたつもりです」と云う。「え!? どこらへんが?」という気もしないでもないが、もしかすると、「アナキズム」を云い出したのはクロポトキンであり、プルードンやバクーニンは「アナーキー」という言葉を肯定的に使っていたとはいえ「アナキズム」や「アナキスト」を自称していたわけではなかった、という話は盛り込まれているところなどが実はそうだったのかもしれない。

 あと森君がコトサラに強調していたのが、「矢部史郎さんとは実はすでに決裂しています」という話だった。詳細を聞いたわけではないからここで責任ある話は書けないが、昨年11月ぐらいの出来事だそうで、福岡の森君宅でおこなわれたちょっとした集まりに矢部が押しかけてきて、まあ例によって例のごとく、森君を貶めて森君界隈のヘゲモニーを簒奪しようと画策したようである。まったく懲りない奴だ(笑)。森君は矢部一派の実質的な機関誌である『Vol』の一員でもあるし、この数年はたしかに矢部の〝密接交際者〟の1人であったから、やはり矢部の〝密接交際者〟「インテリパンク」を叱る文脈でそのことにも触れたのだが、そういうわけでその点は訂正する(同時に「インテリパンク」の〝矢部史郎&森元斎マンセー〟な立場も動揺せざるを得ないはずだが、動揺しないのだろう、バカ犬だから)。

 ともかく森君はまっこと礼儀正しく、「福岡で来月やる『アナキズム入門』刊行イベントにも来てください。今回の〝徹底批判〟座談会に参加してる我々団の桜子さん、東野さんともども、ご招待の扱いにしておきます」とまで云ってくれた。森氏のアナキズム理解に異論は大いにあるが、こういう、立場を異にする者との対話を決して拒否しない(むしろ歓迎する)姿勢は、そこらへんの〝アンチファ〟自称アナキストどもと違い、まさにアナキストを自称する者としての面目躍如、実に立派である。さすが今回の新著でも結論部で「(アナキストというのは)優しい心の持ち主たちだ」、「(自らも)優しくありたい」と〝優しさ〟をこれでもかと強調していただけのことはある(などとつい茶化してしまいたくなるのが私の悪い癖だ。もっとも私の森氏への〝徹底批判〟も、バクーニンの云う「不可視の独裁」になぞらえて云えば、〝不可視の優しさ〟でないこともないとは云えなくもないと認めるにやぶさかでないこともない)。

 森君、思想はともかく、いい人である。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2017年03月24日(金) 03時42分14秒

インテリでもパンクでもない自称「インテリパンク」なる恥ずかしい自称アナキスト

テーマ:馬鹿の標本箱

※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 外山恒一の活動に資金協力を! 協力者向けに活動報告誌『人民の敵』を毎月発行しています。詳しくは
コチラ

 全国各地で不定期に開催される「外山恒一を囲んで飲む会」もしくは「外山恒一トークライブ」の情報を事前に確実に入手したい方はコチラを。
 

 「素人の乱」の周辺に“インテリパンク”を称するどう考えてもインテリでもパンクでもない恥ずかしい男が昔からウロチョロしており、誰が見たって水準以上にはインテリかつパンクであろう私としては、こんな男が身の程知らずにも私に時折突っかかってきたところで、昔も今も苦笑をもって遇する以外にないのであるが、そうして黙殺し続けているとそれはそれでこういう男は増長するので、たまにはガツンと云っておかねばなるまい。
 先日、森元斎の新著『アナキズム入門』(ちくま新書)をテキストに福岡で小規模な読書会を開催し、まあたぶん批判せざるをえない内容なのだろうと予想はしていたものの、必ずしも最初から批判する気満々で読書会に臨んだわけでもなく、むしろかなり虚心に、「評価すべきところは評価した上で……」と思いつつ、いざ読んでみると事前の悪い予感を遥かに下回ってヒドい代物だったので、結果としてはほとんど全否定に近い徹底批判の読書会となってしまった。その模様は録音し、テープ起こしして、月刊で発行している『人民の敵』第29号に掲載、販促のための簡単な内容紹介を(ツイッターはいわゆる複アカ問題のあおりで凍結中であるため)フェイスブックに書いた。
 すると、くだんの「インテリパンク」君がまたしてもツイッターでさっそく突っかかってきたのである。

 

 千坂恭二〜外山恒一のアナキズム理解はファッショ過ぎてダメダメだし、これはポジショントークの対抗言論でしかないな。向井孝〜矢部史郎〜森元斎の流れからすると、あまりにアナキズムに無理解だ。(3月23日10:14
 この人(引用者註.千坂恭二)のアナキズムがインチキで、向井孝さんのアナキズムがマジだよ。若い人はだまされてファッショに取り込まれてはいけない。(同10:16
 阪大まわりの若い人たちが千坂恭二のアナキズムの餌をまかれて外山恒一やファッショに通じてゆくのは、見過ごせない。矢部史郎さんが来阪する折りに、定期的に勉強会やるしかないな。ハキムベイと向井孝の読書会でもやりたいわ。(同10:22

 

 だそうである。まとめて「苦笑」で充分だが、今回は心を鬼にしてガツンと云うことにしたんだから頑張ろう。
 「ポジショントーク」をやっているのはこの男のほうにすぎないことは誰でも分かるはずだ。この男が私と千坂氏に突っかかってくるのは、単に私と千坂氏が「ファシズム」に肯定的なスタンスを公言しているからにすぎない(一応断っておくと、私は「ファシスト」を自称しているが、千坂氏はそういうわけではない)。そうでさえなければ、この男は、アナキズムの基本テーゼの1つである〝反選挙〟を誰よりもポップに展開している私や、70年代にアナキズムの最過激イデオローグとして名を馳せた千坂氏に、子犬(ただし少しも可愛くなくバカ犬)のように鬱陶しくすり寄ってきたに違いないことは容易に想像がつく(思想的には軟弱社民だが体質的にはアナキストの美質を備えているので私も引き続き一目置いている松本哉君には同情する。松本君もそろそろ思いきってファシズム転向して、こういう鬱陶しい連中を遠ざけてはどうか。べつに本気でファシストにならずとも、「ファシスト」を自称するだけでこのテの連中は寄りつかなくなってくれる。ファシズムというのはその旗の下で何を主張しようが〝自由〟な思想なので、ファシストになるには、それを自称する決意の他にとくに何も必要ない)。しかし私も千坂氏も、俗流アナキズムでは「敵だ」ということになっている「ファシズム」を称揚している。「けしからん!」とこの男は条件反射でワンワンと吠えかかってくるわけである。私や千坂氏がファシズムを「どう」評価しているのか、その中身など見ようともしない(ま、読んで理解できるアタマがそもそもないんだが……「インテリ」を自称してるくせに)。そういうのを常識的には「ポジショントーク」と呼ぶのである。
 しかも噴飯モノなのは、この男が私や千坂氏に矢部史郎なんぞを対置して「こっちこそ本物のアナキズムだ!」などと息巻いているところである。矢部については、こんなポッと出の闘争歴ほぼ皆無な門前アナキスト小僧より、歴戦のファシスト兼アナキストである私のほうが一億倍よく知っている。なにせ私と矢部とはお互いに駆け出しであった頃から10年以上もの長きにわたる親密な同志であり、その思想的変遷に(互いに影響を与え合いさえしつつ)間近で接し、99年に袂を分かって不倶戴天の敵どうしとなって以降も、私は矢部をそこらの自称アナキストどもよりよほど思想的に近い存在だと考えているし、ファシストの私と違って正直になるわけにはいかないスターリニストの立場に身を置く矢部のほうも、そう云わないだけでどうもやはりそう考えているらしいことは矢部周辺からチラホラ漏れ伝わってもくる。
 矢部はたしかにかつてアナキストであった。初めて出会った88年末、私は素朴な戦後民主主義からマルクス主義へとようやく脱皮しかけている段階だったが、矢部はすでにアナキストを自称していた。その後、91年初頭に至るまで、私と矢部はラジカルな反管理教育運動あるいは反学校運動の高揚の一翼を時に共に時にそれぞれに担うことになる。やがて運動が停滞期に入り、何ら展望のない状況の中に放り出され、過ぎ去った高揚期における自らの経験を振り返って何らかの総括を導き出さなければならない段階に立ち至った時、今から思えば、私と矢部とはちょうど正反対の方向にそれぞれ歩き始めていたのである。高揚の末期、それぞれ遅ればせながらいわゆるポストモダン思想の洗礼を受けるのだが、不思議なことに、いずれもそれを糧とする形で、私はマルクス主義を捨ててアナキストとなり、矢部はアナキズムを捨ててマルクス主義に転じようとしていた。
 92年暮れ、名古屋でアングラ・テント劇団の役者をやっていたはずの矢部が、当時も主要な足場は福岡に置いていたが東京にも出張拠点を持っていた私のその東京のアパートに突然押しかけてきた。「かくまってくれ」と云う。劇団で不義理をして逃げてきたらしい。「追われている」そうだ(その劇団とも当時から付き合いのある「劇団どくんご」の演出氏の証言によれば、たしかに追われていたらしい)。それでそのまま1、2週間だったか1ヶ月ぐらいだったか、矢部と同じ時間を過ごすことになる。その時に強く印象に残っているのが、矢部が私にしみじみと語った、矢部なりの80年代末の〝総括〟である。矢部は私を「うらやましい」と云った。私が、福岡で私自身の主宰する反管理教育運動の「組織」を持ち、その創設から解体までの一連の経緯を自らのものとして経験したことに対してである。その実態はかなりお粗末なもので、矢部の買いかぶりだと当時も思ったが、矢部は私が「〝党〟を持ったことがある」ということをなぜかことさらにうらやんでいる様子で、もしかしたら私ではなく矢部がその「組織」の主宰者だったらもっとうまくやったのに、というのが矢部の反管理教育運動の〝総括〟だったのかもしれない。ともかく矢部はその時、「オレも〝党〟を持ちたい」と深刻に語ったのである。
 翌93年、矢部は〝党〟を持った。明大ノンセクトの周辺から見つけてきたらしい、山の手緑と名乗るエキセントリックな女性活動家との〝2人党派〟にすぎなかったが、山の手との共闘関係を〝党的団結〟と称して、高円寺に拠点アパートを構え、停滞期の中でヒマを持て余して腐れ縁的にそこに蝟集してくる反管理教育運動時代の同志たちに些細なことで難癖をつけては〝除名〟するなどの、妙な振る舞いが目立つようになった。それら元同志たちの多くはそもそも〝挫折〟しつつあり、私と矢部は相変わらず闘争継続の意志だけははっきりしていたので、私は矢部のそうした唐突な〝スターリン主義的な〟振る舞いに辟易し時には批判的なことを云いつつ、矢部は矢部で私の展望を欠いた根無し草ぶりを冷やかしつつ、〝共闘〟と云ってもよい程度には近しい関係がしばらく続いた(当時「だめ連」界隈から〝矢部・山の手党〟に急接近し始めていた酒井隆史や丸川哲史らも含めて、私の主催で、単行本化もされているが酒井・丸川らにとってはおそらく〝黒歴史〟として封印されているようである「ヒット曲研究会」を〝矢部・山の手党〟の拠点アパートでやっていたのは96〜97年のことだ)。
 そのうち矢部とついに袂を分かつ時がきた。福岡で「だめ連」を真似た運動を展開し、それなりの成果を上げつつあったところに、私の私的な女性問題への介入を口実に矢部・山の手が乗り込んできて、「だめ連福岡」から私を排除し、その〝乗っ取り〟を図ったためである。そのせいでもともとショボい痴話喧嘩の類にすぎなかった私の女性問題は泥沼の展開をし、刑事事件に発展して、やがて02〜04年にかけて私は監獄生活を体験することになるのだが、はたして矢部がこの一件を現在はどう総括しているのか、そこは私にとっては謎のままである。私を〝女性サベツ者〟として排除したこと自体は相変わらず正当化しているだろうが、結局、矢部らの介入によって「だめ連福岡」自体が崩壊し、もちろんその〝乗っ取り〟には失敗した上に、いったんはおそらく〝反革命・外山〟の政治生命を断つことに成功したと考えていただろうに、矢部らへの徹底抗戦の結果として投獄されるに至ったと云ってもよい私は獄中で却って〝スターリニスト打倒〟の執念に燃え、ファシズム転向したことが功を奏して、矢部との決裂から8年後に(07年の都知事選で)突如として〝復活〟を果たすことになるのである。矢部の〝外山追放〟の策動は、展望を見失って「だめ連」の真似事でもせざるを得ないところまで追い込まれていた私を、結果的には救うことになったわけだ。
 私の件はまあ今回の主題ではない。99年の〝外山追放〟の策動が矢部のスターリニスト的な振る舞いの最初の大きな例だが、これを皮切りに矢部はその後も性懲りもなく似たような策動を繰り返すようになる。01年には、今は「インテリパンク」君なんぞになつかれて可哀想な松本哉君が〝法大ボアソナード・タワー闘争〟で逮捕され、矢部がその救援のリーダー役を買って出た。当初こそ松本君の法大の同志諸君にとって運動経験豊富な矢部の登場は頼もしいものと思われたかもしれないが、やがて矢部は、取り調べに完全黙秘で応じなかった松本君を声高に糾弾し始め、要は松本君が獄中にいる隙に法大をはじめ首都圏の松本派のノンセクト学生運動の諸君を松本君から離反させ、その乗っ取りを図ったのである。これはもちろん大失敗し、却って矢部は松本派の学生諸君から総スカンを食って救援から撤退することになる。
 08年の洞爺湖サミット反対闘争での矢部の〝間抜けスターリニスト〟ぶりも当時はかなり評判となったものだ。日本全国・世界各地から反サミット派が北海道に結集するというので、その現地受け入れの責任者を、なぜか東京の矢部が務めていた。サミットが近づき、矢部も北海道入りして、サミット会場近くに反対派のキャンプを設営し、その指導者の地位に就く。北海道には、80年代末の私たちの反管理教育運動とも連携していた反原発活動家の宮沢直人がおり、矢部と宮沢との協議の上、矢部とソリの合わない活動家も全国から北海道入りするだろうことを考慮して、〝矢部キャンプ〟とは別に宮沢が主催するキャンプ地も設営されていた。もちろん(サミットに反対するためというより宮沢を支援するため)現地入りした私も〝宮沢キャンプ〟に身を寄せた。松本哉ら「素人の乱」系の諸君をはじめ、首都圏の若い活動家の多くは〝矢部キャンプ〟に、矢部があまり興味のない北海道の労組や諸党派の老人活動家たちや、矢部を嫌うごく少数の各地の若い活動家らは〝宮沢キャンプ〟に、という陣形で反サミット闘争の本番が始まった。が、初日、2日目と日が経つにつれて〝矢部キャンプ〟からの脱走者が相次ぐという珍現象が起きたのである。連日深夜まで闘争方針を決めるための退屈な会議への参加を強要され、食事は矢部ら〝指導部〟に食事係として任命されたハードコアなベジタリアン一派が提供する超薄味の健康食、キャンプ地に入るためのゲートには〝スパイの侵入〟を防ぐための歩哨が立っていたという、まさにスターリン主義体制の強制収容所から脱走者が相次ぐのは当たり前である。初期に早々と〝宮沢キャンプ〟へ逃れてきた脱走者たちは〝矢部キャンプ〟の恐るべき実態をトツトツと語り、3日目ぐらいには、〝矢部キャンプ〟離脱組による第3のキャンプ地が緊急に設営された。
 09年に法大の中核派とノンセクトの混合部隊が逮捕・起訴された時には、矢部はまたしてもノンセクト側の救援リーダーとしてこれに介入しようとした。松本哉君の逮捕の際と似たような策動を胸に秘めていたのだろうが、しょせん矢部のごとき〝間抜けスターリニスト〟が中核派から派遣されてきた筋金入りの本格派スターリニストに太刀打ちできようはずもなく、救援活動は完全に中核派主導のものとなり、もともとノンセクトだった被逮捕者たちも結局は中核派に囲い込まれてしまった。
 2011年の〝3・11〟を機に、矢部は確信犯的な〝放射脳〟路線を掲げ、東京も深刻な放射能汚染にさらされているとして(実際どうなのか私には判断がつかないが、念のため避難するのは当然だろう、ぐらいには私も思う)、もともとの出身地である名古屋近郊の愛知県春日井市へと活動拠点を移し、現在も主に名古屋で活動しているようである。矢部はそもそも地方の活動をバカにするきらいがあったが、自分が名古屋に移るなり、地元でフリーター労働運動などを長年にわたって主導してきた数歳下の活動家E氏の経営する飲み屋に現れて、「〝名古屋学派〟を形成しなければならない。誰か名古屋の大学教員にツテはないか?」と切り出したらしく、「何だ、この権威主義者は」と早々に呆れられたと聞いている。名古屋になかなか自派の勢力を築けずにいる矢部にはこのE氏が相当に疎ましいらしく、つい最近(一昨年あたり)、私の一件でも懲りてはいないようで、E氏の女性関係にイチャモンをつけて名古屋のフリーター労働運動界隈からのE氏の追放を図ったようだが、これには失敗した模様である。
 ……とまあ、実際「インテリパンク」君などどーでもいいっちゃあどーでもいいので脱線が長くなったが、20歳頃まではたしかにアナキストであった矢部史郎は、90年代初頭にボルシェビキ転向しており(自分でもそう云っていた)、以後はここに長々と記してきたように、まさにボルシェビキにふさわしい露骨にスターリン主義的な振る舞いを、かれこれ四半世紀にわたって何度も繰り返している。
 一方、私や千坂氏が肯定的に云う「ファシズム」は、これまでさんざん指摘してきたように(しかし、単にインテリでないばかりか、自らの無知無学を克服する努力もしようとしないこの男はそれらを読んでやしないだろうから親切に教えてやるが)、もともとアナキズムの一派である。イタリア社会党の極左マルクス主義者であったムソリーニが最初に「ファシズム」を掲げて同志を募り始めた時、ムソリーニ自身まだ極左を自任していたわけだし、集まってきたうちの半分はアナキストだった(残り半分も右翼などではなく前衛芸術家である)。最近の海外の(アカデミズムもド三流な日本のそれと違って)マトモなファシズム研究では、ファシズムの起源は左翼にあるとする一派がそれなりの勢力を成しており、彼らによれば、「ファシズム」を最初に名乗ったのはイタリアのムソリーニであるとしても、思想的にはそれとほぼ同質のものがもっと以前にフランスで「プルードン会」と称するグループによって掲げられ、この系譜に属する人々がやがてイタリアにならって「ファシズム」の名称を採用していくという。プルードンは云うまでもなく〝アナキズムの始祖〟とされる人物である。今回の森元斎の本でも(なるべく触れないようにしつつ)少し触れていた、アナキストの代表格であるバクーニンのアナキストらしからぬ独裁者志向をちゃんと分析して、「バクーニンこそ最初のファシストである」と結論している研究者もあるらしい(これらはすべて偉大な先達・千坂氏の教示による)。
 そもそも私自身、アナキストが(矢部のような)スターリニストに対抗し勝利するにはこちらも〝党〟や〝権力〟を志向するしかないと結論し、不勉強だったのでそういうアナキズムもあるということを千坂氏に教えられるまで知らず、いさぎよくファシストを名乗り始めたまでである。それにアナキストを名乗ってしまうと、スターリニストに(もちろんブルジョア国家権力にも)勝利するためには〝党〟や〝権力〟を志向してもいいんじゃないか、などという発想を理解する人たちはそもそもアナキストの自覚がないだろうから寄ってこないだろうし、「お、アナキスト党か」とホイホイ寄ってくるような連中とはそういう発想を共有できないだろうし、私の〝新アナキズム〟運動を形成する上でアナキストを自称するのは端的に無意味だと思ったからでもある。少なくとも私は明確に〝アナキズム運動の一形態としてのファシズム運動〟を最初から志向しており、実際、ファシズム転向時点の不勉強な私の目から見ても、ムソリーニのファシスト党が(少なくともその初期においては)実質的にアナキスト党であることは明白だった。
 で、10代の頃から学校当局など既存国家権力の出先機関のみならず(矢部と決裂する以前からとうに繰り返し)共産党や市民主義者など既成左翼とも徹底的に闘ってきた筋金入りの(当初は自分はマルクス主義者のつもりでいたんだが)アナキストである私の足元にも及ばない、どうせボルシェビキと1度も闘ったことなどない(まあ「素人の乱」主導の反原発運動に「右翼を排除しろ」と介入してきたヘサヨ諸君と少し揉めた件は承知しちゃいるが、要するにそういう貴重な経験を思想化するだけの知性がそもそもないのだろう)自称「インテリ」で自称「パンク」で自称「アナキスト」にすぎない「インテリパンク」君は、クロンシュタット、マフノ運動、スペイン内戦……とアナキストがボルシェビキに負け続けてきた歴史を我がものとして深刻に反省した末に「(アナキズムとしての)ファシズム」という可能性を提起している私や千坂氏には「えせアナキストめ!」とワンワン吠えかかり、とっくにアナキズムからボルシェビキ転向して久しい矢部なんぞを「ホンモノのアナキストだ!」と勘違いして尻尾を振ってすり寄ってるわけで、しかも実際こういう手合いが森元斎なども含めて今の自称アナキストの大半なのだから、もういっそ矢部が革命を成就して、矢部スターリニズム体制下で全員虐殺されればいいんじゃないかと思う。

 

 追記.どうでもいいがこの男が矢部と別にもう1人持ち上げている向井孝は、この男と違ってそれなりにちゃんとしたアナキストだったから(私も生前に1、2回お会いしてもいる)、生きていればたぶん私の一連の反選挙運動を絶賛し、この男のことは……たぶん視野にも入らないだろうな。

 

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2017年02月10日(金) 05時39分30秒

福岡で定期的に学習会をおこなう

テーマ:ブログ

※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 外山恒一の活動に資金協力を! 協力者向けに活動報告誌『人民の敵』を毎月発行しています。詳しくは
コチラ

 全国各地で不定期に開催される「外山恒一を囲んで飲む会」もしくは「外山恒一トークライブ」の情報を事前に確実に入手したい方はコチラを。

 福岡で定期的に学習会をおこなう。
 毎週日曜午後に開催。13時開始で17時か18時まで。夜はそのまま交流会。
 学習会は参加費無料(テキストのコピー代のみ徴収)。交流会は参加費千円。
 テキストは外山が適宜選定。外山が影響を受けまくっているスガ秀実氏、笠井潔氏、千坂恭二氏の文章が多くなると思うが、それ以外のものになることもある。
 テキストは事前に読んでくる必要ナシ。
 第1回目は2017年の2/19に開催し、以後4/30まで、学生合宿期間中である3/5を除いて毎週おこなう。5月は例によって「劇団どくんご」の九州各地での公演に随行することになると思うので丸々1ヶ月中断。6月以降の予定は改めて告知する。
 参加したいが会場(福岡市南区某所の外山邸)の場所を知らないという者は前日までにwarewaredan@mail.goo.ne.jpまでメールを。

 また、外山の急用などで突如中止になる場合もあるので、参加するつもりの者は前日に一度必ずコチラをチェックしておくこと。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2017年02月03日(金) 17時41分25秒

今期も開催!【春休みで差をつけろ! 第6回・学生向け「教養強化合宿」】

テーマ:告知
※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 外山恒一の活動に資金協力を! 協力者向けに活動報告誌『人民の敵』を毎月発行しています。詳しくは
コチラ

 2014年8月、2015年3月と8月、昨2016年3月と8月におこなった合宿の第6弾である。
 過去5回と同様、参加費無料・食住最低限保障、福岡までの往復交通費のみの負担で、春休みが明けるやいきなり超優等生、という夢のような合宿だ。
 開催主旨は下記のとおりで学生(高校生・大学生・院生)限定、また内容は過去5回とほぼ同じなので、すでに過去参加した諸君はご遠慮いただきたい。

 <font size="3">3月1日(水)~10日(金)</font>
 9泊10日の全日程参加を希望する人を優先的に受け入れるが、前回までと同じように、最低限知ってほしいことは3月7日の夕方までにやってしまい、3月8日と9日の2日間はいわば“発展学習”なので、3月8日の朝で離脱するという者も人数に余裕があれば受け入れる。
 1日の夜に福岡入りしていただき、交流会。翌2日から毎日“9時5時”で、私が付きっきりで講師役を務める“詰め込み教育”的な座学三昧の6日間の“基本コース”があり、8日朝に“基本コース”のみの参加者は解散、である。
 さらに2日間の“発展学習”的な座学があり、その参加者は10日朝解散、となる。打ち上げ的な交流会を9日夜におこなう。

 そんなわけで、参加希望者はwarewaredan@mail.goo.ne.jpまで、氏名・学校名など記入してメールを。
 あと過去の例でとくに高校生などが参加する場合は、親に「こういう合宿に参加したいんだけど」などと正直に相談すると「ダメ!」となって参加を阻止されたりするので、「ちょっと1人で旅行してみたい」とかテキトーにごまかすなり、どうせ1週間か10日そこらで戻るんだしいっそのこと“プチ家出”するとか、各自工夫のこと。

 座学では、過去5回の場合、左翼思想の入門書1冊、左翼運動史の入門書1冊、そしてポストモダン思想の入門書1冊の計3冊をひたすら読み進めた。
 左翼思想を理解しておかなければ左翼運動史は理解できず、左翼運動史を理解しておかなければポストモダン思想のモチベーションが理解できず、ポストモダン思想を理解しておかなければとくに人文系の学生としてはお話にならない。この脈絡を、大ざっぱにでも把握している学生が、現在そんなに多いとは思えない。むしろほぼ皆無に近いはずである。したがって、当然たったの7泊8日では“基礎中の基礎”しか伝授しえないとはいえ、それだけでも現在の学生の平均的水準からは圧倒的に抜きん出ることが可能なのだ。前回からの“プラス2日間”の“発展学習”では、さらに80年代から現在までの運動史と、文化・芸術運動史の概説に1日ずつ充てる。
 もちろん私は“左翼学生”を育成しようというのではない。そもそも私はファシストであり、左翼を敵視している。当然ながら左翼思想・左翼運動史そしてポストモダン思想に関する私のレクチャーは批判的な視点からのものとなる。左翼になってもらうのではなく(なってもらってもかまわないが)、左翼を知ってもらうための合宿である。世の中がどれほど“右傾化”しようとも、インテリ層においては今も昔も左翼が主流である。左翼にならずとも、左翼を知ってはおかなければ、とくに学生はどうにもならない。
 私の究極的な(といっても中期的な)目標は、常々公言しているとおり「(左右混淆の)学生運動の再建」である。合宿参加者の中からその担い手が出てきてくれればもちろん嬉しいが、私もいきなりそんなことまで期待してはいない。たった7泊8日もしくは9泊10日で伝えられることは基本的には表層的な知識のみである。これを踏み台として単に“優秀な学生”になってもらうだけで現段階では充分だ。優秀な学生があちこちに散在しているという「学生運動の再建」の前提条件をととのえていくことが、現在の私の短期的な目標である。

 なお昨年春の参加者のうち2人が、“体験記”を公開している。
 ・外山恒一さん主催『学生向け「教養強化合宿」』のレポートと個人的感想
 ・外山恒一謁見記

 多くの学生諸君の合宿参加決意を期待する。
 
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年08月21日(日) 16時48分41秒

「外山恒一を囲んで飲む会」開催情報の告知連絡網に登録を!

テーマ:ブログ

 ※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 外山恒一の活動に資金協力を! 協力者向けに活動報告誌『人民の敵』を毎月発行しています。詳しくはコチラ

 

 外山恒一は結構ひんぱんに全国各地をウロウロしている。普段は福岡にいるのだが、全国たいていの都道府県に少なくとも2、3年に1回は足を運んでいる。そういう場合には「外山恒一を囲んで飲む会」など開催しているのだが、いかんせん行動が発作的で、余裕をもって事前に告知できないというか、むしろたいていは「突然ですが明日、青森市で開催します!」とツイッターで呼びかけたりして、もちろん突然すぎて誰も集まらず、告知ツイートを見逃した人が「えーっ、外山恒一来てたのかよ!?」と数日後にツイートしてたりする。
 そこで、「何かやる時は急遽でもいいからメールで知らせてほしい」という人を全国規模で大々的に募集する。

 warewaredan@mail.goo.ne.jp 宛にその旨、書き送ってほしい。
 もちろん本名など記載しなくても結構。簡単なプロフィールなども、あれば嬉しいがべつになくても構わない。ただし居住している都道府県名だけは必ず記載のこと(北海道の場合は旧支庁名も書いてほしい)。

 告知は来週いきなり来るかもしれないし、2、3年後になるかもしれない。
 東京には年に1、2回行っており、その往路・復路で大阪・京都・名古屋などにはたいてい寄るし、時には遠回りして長野や北陸に寄ったりもしている。福岡・大阪間は山陽を通ることもあれば山陰を通ることもある。
 東北や北海道にだって2、3年に1度は行っている。四国もそれぐらいの頻度だ。
 本拠地の九州内では本当にしょっちゅう各県に出没する。ただし沖縄にはなかなか行けないと思う(そもそも1度も行ったことがない)。
 鹿児島にも年に何回も行くぐらいだから、連絡網への登録人数次第では、距離的にたいして変わらない山口・広島・島根あたりには個別に交流会を開催するためだけに足を運ぶことも考えるかもしれない。

 そんなわけで、こぞって登録を!

 

いいね!した人  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。