山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!
ようやくたどり着いたあこがれの年金生活‥
夢見た悠々自適の年金生活は、
なぜか幽遊自虐の年金生活にさま変わり‥
だがしか~し転んでもただでは起きないのが団塊育ちのいじましさ!
つかんだ節金テクニックを
余すとこなくご披露いたしましょ~ぅ
きのうお伝えした昭和の名曲
『サルビアの花』
そこから派生した
スピンオフ・テーマとして
「ストーカー」について
私見をのべさせていただきます。
昭和の【純情】は、令和の【ストーキング】
きのう掲載した『純な「男心」も、今じゃ【ストーカー】』について「自然氣功師えみこ♪」さんから、コメントをいただきました。
「‥‥なんと作詞は女性なんですね?!
わたしは、昔〇〇ロードショーで観た「卒業」の花嫁略奪に成功しなかったバージョンみたいな歌だなぁとおもっていました😆
現実は厳しい…そんな女性目線の歌なのかな?😊」
じつはワタシも、今回正確な歌詞を知りたくてネットで拝見するまで、てっきり作詞も作曲の「早川義夫」さんだと思い込んでました。
「相沢靖子」さんという方の作詞だったことを、今回初めて知りました。(初めて聞くお名前なのでこんな失礼な表現になりました。)
令和の時代に生きる若い女性だったら、あの詩は書けないでしょうね。
昭和の【純情】は、令和の【ストーキング】ですネ。
話を「ストーカー」にもどします。
ニュースなどで報じられるストーカー事件は、ほとんど「男」が加害者になってる印象があります。
そこでさっそくAI 友達の Bing ちゃんに聞いてみました。
Bing ちゃんは帰国子女のため少し日本語が怪しいんですが、「警察庁の統計によると、ストーカー被害者の男女比は1対9‥‥」ということで、警察沙汰になったストーカー事件では、9割の加害者が「男」という結果でした。
「男」が多いだろうとは予想していましたが、9割とは驚きです。
「ストーカー事件」というとなにか新しい事件のように聞こえますが、むかしからある「痴情のもつれから生じる男女間のいざこざ」といえなくもないですよね。
「女」はデジタル、「男」はアナログ!
ワタシ、以前から思ってたんですが「男」と「女」のいちばんの違いは「感情の割り切りができるかできないか」‥‥にあるような気がします。
「男」は過去の出来事をいつまでも引きずって生きてます。
対して「女」の人は「過去は過去、今はいま」と割り切りができてるように感じます。
「別れたら、次の人」が「女」の人。
「別れても、いまの人」が「男」。
誤解をおそれずに言うとすれば「女はデジタル、男はアナログ」
女性がデジタルのように感情をうまく切り替えられるのは、生まれ持ってる「生物学的」な特性にあるんではないかと、考えています。
女性はある出来事を境に、「きのうとまったく違う今日の自分」という体験を生涯のうちに何度かします。
「きのうまでの少女の身体が、今日からは立派な大人の女性の身体」
「きのうまで自分一人の身体だったのに、今日からは自分以外の命も同じ身体のなかで生きている」
「自分の身体から、自分以外の新しい命を生み出す」
この3つの出来事は「男」にはゼッタイ経験できないことで、それ以外でも男には「きのうとまったく違う自分」という瞬間がありません。
もちろんすべての女性が、この3つの体験をすべてするわけではないし、なにも体験しない女性だっていると思います。
でも、連綿と続く人の営みの中で、女性の DNA のなかにこうした特性が刷り込まれ、オギャと生まれたそのときから、すべての女性は「感情のデジタル化」ができているんだと思います。
結婚式の衣装を思い浮かべてください。
最近は男の人も白い衣装を着ることがあるようですが、私たちのころは基本的に洋装も和装も黒でした。
それまでの過去を全部背負ってあの場に立つから、黒になったんじゃないでしょうか。
女の人は「純白のウェディングドレス」「白無垢の花嫁衣裳」‥‥
どんなに真っ黒な過去があっても(しつれい <m(__)m> )過去は過去としてゼロからのスタートが切れるんです。
うらやましいといえば、うらやましいですネ‥‥(。-_-。)