こんにちは、日昔智子です。
いつもありがとうございます。
子どもは、
問題や試練がやってきても、
必ず乗り越えられます。
だから、
不登校も、
子どもは乗り越えられます。
私たち親も同じで、
さまざまな困難、
問題などを必ず乗り越えられます。
人は皆、
必ず乗り越えられるようになっていて、
なんとかなっていくものなんだと思います。
今までも、
色々な問題や試練があったと思いますが、
なんとかなってきたと思いませんか?
私は今でこそ、
こんなことを言っていますが、
娘が不登校になるまでは、
心配性がひどく、先回りばっかりしていたんです。
心配することや先回りが、
子どもには悪影響だなんて思いもしませんでした。
子どもたちが大切だからこそ、
心配して、
失敗しないように、
傷つかないように、
先回りをしてきたんです。
でも、
心配するのは、
子どもの生きる力を信じられていないことに繋がってしまっていたのですね…
先回りするのも、
子どもには荷が重い、
子どもには難しいだろう、
乗り越えられない、
そう思っていたからなんでしょうね…
無意識でしたが…
母親にそう思われている子ども達は、
見事にその期待に応えて弱い子を見せてくれたり、
心配するような現実を、
次々に見せてくれたりしていました…
そうやって、
私の心配と先回りの意識が、
子どもの本来持っている力を奪い、
余計に動けなくしてしまっていたんです。
心配するのも良くありませんが、
先回りはもっと良くなかったなぁ…
と思っています。
先回りは、
子どもが困るという経験や、
失敗の経験、
工夫する力、
改善する力、
全て奪うので、
子どもの生きる力、
自立する力、
が育まれないのだと思います。
「中学生からは、勉強が難しくなるみたいだから、塾に行った方が良いよ!」とか、
「帰りは雨が降るから、傘持っていった方が良いよ。」と傘を持たせたり、
「忘れものはない?音楽があるなら、リコーダーいるんじゃない?」とリコーダーを持たせたり…
「塾に行かせる」のは、
勉強についていけなくなって困る、
勉強がわからない、
という経験ができない。
「傘を持たせる」は
雨に濡れて、
服もカバンもびしょ濡れになる、
という経験ができない。
「リコーダーを持たせる」のは、
自分だけリコーダーを忘れて、
恥ずかしい、困る、
という経験ができない。
恥ずかしい、悔しい、悲しい、惨め、
そんな思いをさせたくなかったから、
先回りをしてきたんだけど、
そんな困る経験を自分でしないと、
自分で考えることがないし、
用意することもない。
成長もできないし、
強くもならないんですよね…
心配して、先回りして、
子どもの為だと思ってやってきたけど、
逆に子どもの力を奪っていたなんて…
当時はショックでした…
でも、娘が不登校になって、
私に気づかせてくれましたから、
今は、心配、先回り、は手放せました。
雨降るってわかっていても、子どもには何も言いません。
勉強しなさい、塾に行きなさい、
も言わない。
自分がわからなくて嫌なら勉強するだろうし、
塾に行こうかな、とか考えると思います。
親に怒られるから勉強する、
塾に行く、
なんて、目的がお母さんのためで、
自分のためじゃないですよね…
そんな理由で勉強しても、
塾に行っても意味がない。
子どもが自分で痛い目に遭って、
次からはこうしよう!って考える。
そんな痛い目に遭う経験の積み重ねが、
子どもの生きる力を育てるんだと思います。
だから、子どもが大切なら、
困る経験、
失敗する経験、
恥ずかしい経験、
もさせてあげる。
私たち親は、
子どもから助けを求められた時だけ、
助けたり手伝ってあげたら良い。
私たち親が、手助けできるうちに、
たくさん失敗する経験をしてもらいましょう。
大丈夫。
子どもはそんな弱い存在じゃないし、
どんな試練にだって、耐えられるし、
乗り越えていけます。
お母さんが味方でいてくれたら。
私たち母親も同じですから、辛いこと、
悲しいことがあっても、
なんとか乗り越えていくんだ〜
その分強くなるんだ~
成長するんだ~
幸せになるんだ~
って受けとめて、
安心して過ごしていきたいですね^_^