【平安京巡り】三条坊門小路 | TOSHI‘s diary

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いつもいつも平安時代は大路だったのに、今ではこんなに小さくなっちゃった……。

っていう日記ばかりになっているので、今回は逆をいこうかと思う。

今回の主役は平安京の三条坊門小路こと京都市の御池通。


平安時代には小路で、しかも当時は途中で途切れていた道。

坊門小路ってのは大路と大路の真ん中に位置する小路って認識でいいんかな?

で、三条坊門小路は二条大路と三条大路のちょうど真ん中を東西に走っていた小路。




最初っからこんな感じで地図とか載せとけばわかりやすかったのになw

と、少しだけ反省するとしよう。


赤線を引いておいたのが今回見学してきた三条坊門小路。

現代ではそっくりそのままこの道路上に御池通が通っている。

ただ、朱雀大路や二条大路などと同様、かつての面影はほとんど残っていない。


まず、このまま西京極大路を突っ切って西に道路が伸びている。

かつて途切れていた池のある部分は埋め立てられてつながっている。

何より最も大きいのが、幅50メートルのメインストリートに進化した点かな。



では三条坊門小路だった御池通を見てみるとしよう。






こちら京都市役所前と寺町御池の交差点から西に見る御池通。

寺町通は平安時代の東京極大路ということでここが東の端っこになる。


政令指定都市の市役所で最も古いといわれているのがこの京都市役所。

確かに近代レトロな雰囲気が感じられますな~。


御池通はかつて小路だったとはとても思えないほど広い。

50メートル級の道路ということは二条大路とほぼ同じくらいの道幅。

二条大路の大きさをイメージするのにぴったりな感じがする。





こちら堀川御池の交差点から東に見る御池通。

東西南北の超大型メインストリートが交差するポイントだ。

この地点の一つ北の通にあるのがまたまた登場・二条城である。

御池通はこの地点まで50メートル級を維持している。




堀川御池より西はひとまずこの規模の道路が続いている。

この道を少し進んだところにあるのが神泉苑の南側の門。






前回はこっち側は撮っていなかったような記憶。

聖地というのは何度来ても飽きないものである。

なのでもう一度あれこれ写真を載せていこうと思う。








鳩やアヒルたちも健在で、池のほとりには白鷺(?)もいるよ。

あと池には鯉に鴨、亀も住んでいて賑やかである。

今枯れている木は桜の木かな? 時期になればまた来ようと思う。






前に来たときには咲いていなかった白梅が花開いていた。

梅の季節にいろいろ巡っているのは、実はタイミングよかったのかもしれない。



ちょっと三条坊門小路と御池通の話に戻るとしよう。

最初に貼った地図を見てもらえればわかると思うけど、

もともと神泉苑は10倍くらいの大きさで、ここの道路は神泉苑で途切れていた。


御池通の名前の由来には諸説あるようで、私がこの場でこれだ! といえるものはない。

ただ、こちらで聞いた話にすごく納得したので紹介しようと思う。


かつては巨大な自然の湖を中心に整備された大庭園で、平安時代の歴代天皇も宴を催したという。

ところが二条城築城の際に敷地と湖の水が大量に持っていかれてしまう。

結果この神泉苑は1/10の規模まで縮小させられる。

ここまでの話は前回の二条大路の冒険でも書いたと思う。


で、三条坊門小路は巨大な湖によって途切れていた部分がつながることに。

神泉苑を守り続けてきた地元の人々が神聖視された湖(池)に、

また天皇のために造られた禁苑である大庭園でもあることから、

御の字を加えてこの新たな通の名に残した。

そして江戸時代から三条坊門小路は御池通と呼ばれるようになった。

これがさっき近所のおじさんから聞いた話。


確かに御池通の名前が定着し始めたのは江戸時代初期だという。

二条城築城&神泉苑縮小のタイミングにも当てはまる。


私も御池通の名前の由来が神泉苑由来だといいなあ~と思う派かな。

だってそうなると平安時代の名残なわけだし、千二百年の時を越えてこうして地味につながっている。

時代と時代でバトンタッチを続けながら何かしらの形でつなげられている。

そう考えるとおもしろいしロマンがあるじゃん? あくまで私の感じ方だが。


つまり御池通という通り名そのものが平安時代の、そして神泉苑の名残であると思いたい。

というロマンチストな私の願望の話でした。



あんまりうまくまとめられていないままだけど、先に進めるよ~。

三条坊門小路と御池通の冒険の続きだ。




こちら二条駅から東に見る御池通。

堀川通→神泉苑の前→千本通→二条駅とこんな感じで道路が続いていた。


この二条駅でいいものを発見したんでちょっとご紹介。






もう私が映り込んじゃっているけど、私は見なくていいので石碑を見てくださいな。

平安京のおおまかな地図と、朱雀大路と朱雀門に関する説明が刻まれた石碑。

こういう見事な碁盤の目状の地図を見るとなぜか落ち着くなあ~w




七本松通×御池通の交差点というか二条駅から西に見た御池通。

平安京では皇嘉門大路×三条坊門小路の交差点に当たる。

ここから再びそこそこ道幅の広い道路になっている。



このまま西に進んでいって、西大路御池まできたところで少し寄り道。





こちら西大路御池の交差点。

この地点にある喫茶ほっとはあとさんに立ち寄ってランチをいただくことに。

前々からとても気になっていて行ってみたかったんだ。








実をいうと三条坊門小路の冒険はこちらに行きたいそのついでだった。


ランチをいただいて私が購入したのは、手作りのアクリルタワシと花ふきん。

これらの商品は京都府では"ほっとはあと製品"と呼ばれるもの。

障害のある方が作った手作り商品。素朴で手作り感のある花柄に惚れたんだ。

手作りが好きな私はよく手作り市を覗きに行くけど、こうして販売店まで足を運ぶこともある。

とても落ち着く素敵な雰囲気なので、合間を見てまた行きたいなあ~。

皆様、どうもありがとうございました。



それでは平安京の三条坊門小路こと京都市の御池通の旅に戻りますよ。




西大路御池には平安京の斎宮邸跡がある。


源氏物語の聖地の一つなのか~。ごめん、私は源氏物語を読んだことがないw

ここでかっこよく説明できればいいと思ったんだけどねぇ。

そうすればこの記事もさらに盛り上がるだろうに。


だが、斎宮についてなら少しだけ。

天皇に代わって伊勢神宮に仕えた未婚の皇女や女王を斎王といい、

彼女たちが住んだ宮殿のことを斎宮と呼んだそうな。

『日本書紀』の時代から存在したらしい。

うろ覚えなんで何かおかしかったらごめん。






御池春日の交差点から西に見る御池通。

ってことはこの地点は平安京の道祖三条坊門に相当する。


前にも書いたような気がするけど、こちら佐井通が通る交差点はなぜか、

○○佐井、佐井○○とは呼ばれず、たいてい○○春日、春日○○だという。

地図では佐井通になっていたけど、近所の人はみんな春日通って呼んでいる。


いずれはこの平安京の道祖大路こと京都市の春日通(佐井通)にもスポットライトを当てる予定。

なのでこちら道祖三坊も覚えておこうと思った次第。




こちら葛野大路御池から西に見る御池通。

ということは平安京の西端まであとわずかというわけだ。




こちら西京極大路が南北に走っていたと思われる地点。

平安時代の西京極三条坊門だった辺り。

残念ながら西京極大路跡の道路は現存しない。


代わりに梅の花が私を迎えてくれた。いつもきれいだね☆


とりあえずかつての三条坊門小路を東京極大路から西京極大路まで横断したわけだ。

御池通となった今ではさらに西へと道路が伸びている。




朱雀大路や二条大路のようにメインストリートから一方通行になった道路とは、

真逆の運命を辿りメインストリートへと進化した三条坊門小路の冒険でした。


今回はここまで。

長ったらしくいろいろ書いた記事を最後まで見てくれてありがとう~。

ではでは皆さんまたお会いしましょう~。


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