今回の主役は二条大路。
一条大路から数えて順番に行こうかとも思ったんだけど、ここに持ってきた。
二条大路に相当する道路は現在の二条通などなど。
平安時代には都を東西に走るメインストリートで、幅は51メートルもあったのだとか。
51メートル級っていえば御池通や五条通と同じくらいなんかな?
それでもって平安京を突き抜けて、東は法勝寺まで伸びていたという。
そう考えると朱雀大路並みのスケールを持っていた大路だとわかる。
とはいっても現代の京都市における存在感はどちらかというと薄い。
二条城は聞いたことがあっても、二条大路や二条通はそうそう聞かない気がする。
今回も朱雀大路の時のようにいろいろと考えさせられる冒険だったと思う。
ショックだったり切なくなったり、嬉しいことがあったり……。
それでは二条大路の冒険を始めるよ~。
前回の日記で載せた法勝寺から西に見る二条大路の情景。
法勝寺や白河院があった場所は、現在は平安神宮や動物園、岡崎公園になっている。
前回と同じく平安京創生館さんに展示されていた法勝寺の1/100の復元模型。
八角九重塔は高さが81メートルもあったそうな。
平安時代にランドマークタワーレベルの塔を建てちゃう辺りがすごいw
重機もクレーンもないような時代だということを考えるとね~。
で、この塔の跡地は現在動物園の中にあるという。
そういえば去年の夏ごろに動物園に行ってみたとか日記に書いていたな~。
その時は塔のことを知らなかったので、石碑(があるのかな?)は撮らなかった。
また動物園に入る機会があれば探してみようと思う。
それじゃあ今からかつての二条大路こと現代の二条通を歩いてみる。
法勝寺があった地点から西に向かって二条通を撮影。
右手に見えますのは白河院跡並びに法勝寺跡。
左手に見えますのは京都市立動物園。
歩道も合わせて広々とした大路っぽい雰囲気が残っている気がする。
こんな具合で平安神宮の前を通って鴨川まで続いている。
ここから先は半分ほどの幅になっている。
こちら寺町二条の交差点から西に見る二条通。
寺町通と二条通が交わる地点ということは、東京極大路と二条大路の交わる地点。
洛中の二条大路はここが東の端っこということになる。
ここからはさらに道幅が狭くなり、一方通行という変わりよう。
もはや大路の面影は全くないという、ちょっと寂しい状況に。
堀川通から見る二条通。
堀川通×二条通ということは堀河天皇里内裏、福井藩邸などの跡地があるはず。
石碑があったはずの場所に壁が築かれて見えないじゃないですか。
まあ工事中ってことなら仕方がないね……。
で、この二条通は堀川通まで来たところで途切れてしまう。
そう、振り向けばそこにはあの二条城が建っているからだ。
江戸時代の始まりと終わりの地である、京都に来たら外せないスポットの一つ二条城。
かくいう私は、中坊の頃に修学旅行で来て以来、全然立ち寄っていないw
二条城は別の機会にでもゆっくり巡りたいと思っている。
今回の主役はあくまで二条大路なので。
とはいえ主役がここで姿を消してしまっているのである。
お城も好きなんだけど、今回ばかりは微妙な気持ちw
しかし二条城自体が二条大路の最も大きな名残であることも事実。
メインストリート二条大路があったからこそ、ここに城を建立したというのはあるのかも。
それではいったん寄り道をしてみようと思う。
こちらは二条通と北に並行しているかつての冷泉小路こと現代の冷泉通。
この道路も二条通同様に堀川通、二条城まで伸びている。
現代では二条城によって完全に取り込まれてしまった冷泉院。
石碑や看板には冷然院と書かれている。
聞いた話だけど"然"の文字は"燃える"という意味を連想されるということで、
当時火事も多かったことから避けられるようになって"泉"になったらしい。
へえ~なるほどおもしろい。
かつてはメインストリート二条大路沿いの名所だったという。
ところが現代では石と看板が建っているだけである。実に悲しいですな……。
かといって二条城がないと京都じゃないし――というジレンマ。
平安京と京都の両方が好きだからこその苦しみである。
寄り道其の二。
こちらもメインストリート二条大路沿いの名所の一つ。
そして二条城とも関わりの深いことで知られるスポットを紹介しよう。
二条城の南側に位置する神泉苑。
ちかんに注意!! が一気に雰囲気をぶち壊してしまうw
風情ある庭園に神社と料亭がある、平安京&二条大路巡りには外せないスポット。
王朝物の文学にも度々その名が登場する聖地の中の聖地。
「生きものを大切に」
かわいいアヒルや鳩が出迎えてくれるところも嬉しいね。
こちらのアヒルは相当人間に慣れているっぽい。
白梅の花を発見したぞ。
桜の時期がきれいだって聞いたけど、白梅が出迎えてくれるのも嬉しい。
この神泉苑、平安時代には今の十倍ほどの規模だったそうな。
広大な自然の湖を利用した広大な庭園は、二条大路沿いの一大名所だったという。
ところが二条城が築城される際に、こちらの巨大な湖の水をお堀に持っていったのだとか。
神泉苑の敷地と水の大半は二条城に取られてしまい、現在の規模にまで縮小されたという。
つまり、二条大路というメインストリート、神泉苑の巨大な湖があってこそ生まれた城、
それが二条城だということがわかる。
寄り道其の三。美福通り。
大内裏及び平安宮の壬生大路にあったとされる、美福門由来と思われる美福通。
しかし、実際の美福門の位置は二条城の敷地内。
この通と美福門の位置は結構ずれている。
さらに余談をするなら、美福門院という女性の院号も美福門由来らしい。
では、二条大路の旅に戻るとしよう。
二条城以西の二条大路はどうなっているか見てみようと思う。
地図を見ると二条通の延長線上に道路が伸びていた。
が、相変わらず奥の細道状態で、千本通までの道路には通り名もない。
そんな感じで千本通こと平安京の朱雀大路と交差する。
ということは朱雀門跡が残る地点に到達というわけだ。
朱雀大路の冒険で撮影した朱雀門跡。
東西南北の超大型メインストリートが交差するポイント。
現代ではどちらの道路も超大型とはいえない状態。
まあ普通に考えて80メートル以上の道幅なんて不要になる運命なんだろうけどw
ここをさらに西に進むとどうなっているのだろう。
千本通以西の二条大路跡は上押小路通として残っている。
上の写真、千本通×二条通のエリアに伸びる"朱雀二条商店街"を発見。
朱雀大路と二条大路を今に残してくれているようなネーミング。
これは朱雀大路の取材の時に見つけたかったかなw
下の写真は上押小路通を西に撮影した様子。
この道路は平安宮の宇多小路こと現在の佐井西通まで伸びている。
相変わらず一方通行のような広さだけど、長さでいえば道路としてそこそこ残っているようだ。
意外と残されているようで平安京オタクの私には嬉しかったな~。
朱雀大路と同様に栄枯盛衰をド直球で感じさせられた気がする。
これが千年の時の流れかと思うと、いろいろと考えさせられたよね。
どちらもメインストリートの面影は残っていない。
だが、何百年もの間、幾度となく激戦の舞台となったことを振り返れば、
ここまで残っていることの方が奇跡なんじゃないかな。
千年以上前から存在する道路を私たちも利用できる。これは奇跡だしロマンだと思う。
何度も同じ感想ばかりをいってあれだけど、千年以上前の大きな遺産を残してくれて、
先輩方、どうもありがとうございます。
ということで今回はここまで。
長ったらしい記事を最後まで見てくれてありがとう~。
まだまだ平安京の冒険は続くと思うんで、また見てくれると嬉しいです。
ではでは皆さんまたお会いしましょう~。