結構いろんな大路小路を巡ってきた気がする。
ネタ切れになる日も近いかもしれないw
今回は西京極大路に始まり東に移動し無差小路、道祖大路を見てみよう。
右京側の謎が見えてくる冒険だった気がする。
そしておまけとして平安京には存在しなかった道路なども。
では西京極大路から始めるよ。
西京極大路は平安京の西の端を南北に走る大路。
現代においてかつての西京極大路はどうなっているのか覗いてみた。
こちら妙心寺通(丹波街道)から南に覗き見る名もなき通。
西京極大路は妙心寺で途切れており、ここが北の端っこに当たる。
最初の一条大路を冒険した話でも最後に出てきた妙心寺というお寺。
こちらのお寺にちょうど西京極大路と一条大路の交わる地点がある。
この名無し通沿いには今宮神社がある。
(もし通に名前があったらごめん。だいぶ調べたけどわからんかった……。)
これが丸太町通と交差する場所に花園駅があり、そのまま南に続いている。
しかし、それは公園と右京ふれあい文化会館で途切れることになる。
寄り道なんだけど途切れてしまった西京極大路沿いにあった公園。
ここにもきれいでかわいい梅の花があったんで貼り。
梅の花も和を感じるということで私は大好きです。
寄り道其の2。朱雀大路を冒険した時のように鳩の群れが。
かわいいと思って撮ってみたら一斉に飛び出してきたw
で、この先に西京極大路だった道はあるのかというと……。
あるにはあるんだけど、四条坊門小路~高辻小路と限られている。
しかも一部敷地内の道みたいな感じって聞いたかな。
あとはちょびちょびっと重なる道があるくらいらしい。
結論からいうと、西京極大路はもはや全くといっていいほど形に残っていないことが判明。
まあこれも仕方がないことなのかもしれないね~。
ただ、朱雀大路同様に地名として残されている場所がある。
西京極という地域がその名残として残っている。
西京極駅、西京極総合運動公園、西京極の商店街・ほほえみ通などなど。
西京極駅はちょうど西京極大路上にあるのだという。
朱雀大路の時もそうだったけど、大路そのものが残っていなくても、
地名などで残されているという点では平安京マニアには嬉しかったな~。
お次は一本東隣にあった無差小路の跡を見てみるとしよう。
こちら太子道と交わるかつての無差小路こと現代の葛野大路通。
太子道は平安京の大炊御門大路と大方一致する道路。
無差小路の北の端はこの地点に当たる。
こちら葛野大路八条の交差点。
無差小路は2倍ほど幅を拡げて大炊御門大路から八条大路まで残っていた。
それ以南の右京はどの道路もぐちゃぐちゃしていて、碁盤の目状とはいえない状態。
九条大路だった現代の九条通自体もこの辺りでは曲がっている。
これらも仕方のないことだけど、説明はまた次回にでもさせてくださいな。
八条大路以南の右京でも比較的残っている道路があった。
道祖大路こと現代の佐井通。周りの皆さんは春日通って呼んでいた。
こちらは南端が九条坊門小路で、北端は金閣寺辺りまで続いているという。
狭くなってしまっているけど、息長く残り続けている点ではなかなかすごい。
右京側では貴重な南北をきれいに縦断していた道が現存しているというわけだ。
ついでに道祖大路は"さいおおじ"と読み、佐井通は"さいどおり"。
漢字が変わっただけで読みをそのままにした辺りも名残があっていいね。
おまけ・西大路通。
こちらは平安京のどの大路小路にも相当しない南北を走る道路・西大路通。
今は右京のメインストリート的な存在なのかな?
道幅がそこそこ広く30メートル~36メートル級の大路に相当するんじゃないかな。
まあ、ぱっと見でそれくらいだと思っただけだがw
こちらの道路のように京都市北部を東西に走る北大路通や、
東部や東山を南北に突っ切る東大路通もある。
それら〇大路通が現在の京都市街地を囲んでいる。
東西の京極大路や一条大路の役割をイメージするヒントになるのかもしれないね。
もう一つおまけ。
平安京巡りの必需品、イメージマップが手に入ったので貼っておこう。
これはかなりわかりやすい!
平安京オタクにはありがたい地図じゃないですか。
こうして比較すると、思った以上に現代の道路と大路小路はかぶっている。
そして通り名と大路小路の名前も同じだったりする箇所だって多い。
平安京という基礎があっての京都市なんだろう。
これはますますロマンを感じずにはいられないw
ということで今回はここまで。
次回は大路小路ではなく、大内裏内にあったとある施設、
そして平安京南西部が碁盤の目状でなくごちゃごちゃした道である理由についてです。
ここまで見てくれてありがとう~。
ではでは皆さんまたお会いしましょう~。