この20年に一度という大雪の中、わざわざ選挙の街頭応援演説を聞きに行くなんてどこのバカだよ、、、と思いつつ、白銀に包まれた渋谷駅へ足を運ぶ。







いやぁ、いましたね同志が大勢!胸熱。
私、選挙の演説にわざわざ足を運ぶなんて経験は初めてです。それは正しく、「お祭り気分」。選挙って「お祭り」なんですねぇ。踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら・・・の「お祭り」と同じ。

タモさん本人の演説後、選挙期間中「夫人」のようにピッタリ寄り添うデヴィ夫人の応援演説。
北朝鮮拉致被害者・増本るみ子さんの弟さんである、増本照明さんの演説には身が引き締まる。「国家犯罪の被害者」という人にそうそうお目にかかれるものではないから。

そして衆議院議員の西村真悟の応援演説。さすが現職の衆議院議員!演説のプロ中のプロ中のプロで驚いた。実は昨日も私、タモさんの応援演説を聴きに赴いているのだが、今まで聴いた演説の中で、一番「上手い」。選ぶ言葉、選ぶ争点、演説の長さ、声の張り、抑揚、どこで声を張り上げ盛り上げるか等々、計算し尽くされているのか・数限りない演説を繰り返すことで身についたものなのか。
だからこの日一番、聴衆が湧いていたように感じた。私も、うっかり熱いものが込み上げてきてしまったよ。



ところで。

今回参加してみて初めて分かった事があるのだが、中心に据えられたイデオロギーをすり替えれば、どれもみんな同じなんだな。

最初は、壇上の演説者に熱い視線を注ぎ、大雪の中冷え切った手足に構うことなくじっと演説に聴き入るその様は、熱狂的なファンがいるアーティストのライブに集うのと同じだな、と自らを振り返り感じたのですが(つまり、角松さんのライブ開場と同じような雰囲気という意味です。行った事ないけど、永ちゃんのライブでも何でもいい)、これ、中味を入れ替えればどこでも同じことだろうな、と。


例えば、昨日の応援演説で、私的に一番ツボった演説はこれなのだが


「外国人地方参政権を許したらどうなるかッ!

あのカリフォルニア州グレンデール市と同じように、そこの忠犬ハチ公の像がどかされて、

そこに、慰安婦像が建ってしまうんだッ!!!

そんなことは断じて許してはいけないッッ!!!」



(ジャーナリスト 井上和彦氏による応援演説より)


拍手喝采で、私も「忠犬ハチ公の像がどかされて、慰安婦像が建つ」という演説考えたこの人は神だなと内心大受けしながら、「そうだそうだ!!!」と頷いてしまった。しかしよくよく考えたらこれ、「外国人地方参政権認容」→「渋谷のハチ公広場が慰安婦広場になる」には、かなりの飛躍がある。


渋谷に慰安婦像を建てる為には、

①渋谷区議員に韓国人が過半数選出される

 か

②渋谷区議員に韓国人が1名以上選出され、その議員がロビー活動によって他の議員に慰安婦像建立を説得し、過半数の同意を得る

のどちらかしかないと思うのだが、①ということは考えにくいし、カリフォルニア州のグレンデール市が実現させた②という方法も、あれは外国だからこそロビー活動が効奏したのであり、ここ日本に於いて、日本人に「ハチ公撤去して慰安婦像を建てましょう」と言って日本人の首を縦に振らせるのは相当難しいはず。そこまで日本人はバカではない。

これは、

「原発政策は、福島県出身の田母神さんにお任せください!」

も同じで、一見物凄く説得力あるように聞こえるのだが、よくよく考えたら凄く飛躍していておかしな理屈になっているという。要は、福島出身のタモさんが原発賛成してるんだからいいだろう=福島県民が賛成してるんだからいいだろう、ということでしょう。強引すぎて笑える!

だけどこれらは、選挙に於いては、言ったもん勝ち。


そして、この飛躍は、たとえば

「福島県は第2のチェルノブイリになってしまう!」

とか

「東京都を第2のチェルノブイリにしていいのか!」

みたいなスローガンにも見られ、脱原発支持者が、こちらから見ればやや過激なスローガンを叫ぶ理由、その気持ちも、非常によく、分かってきたのであった。



「ハチ公広場が慰安婦広場になってしまう!」

というのと、

「東京都が第2のチェルノブイリになってしまう!」

というのは、同じなんじゃないかなと。

どちらのイデオロギーに共感するかという違いだけなんじゃないかな、と。






「そこに慰安婦像が建ってしまうんだ!」






サインに応じるタモさんを激写しました。



「出口調査では2位まで浮上、あと一歩!」bu東スポ調査←最後まで笑わせてくれるなよ・・・




2.9追記

田母神閣下、お疲れ様でした!