お宝映画・番組私的見聞録 -30ページ目

ザ・タイガースの映画 その2

さて「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」(68年)だが、製作はは東宝と渡辺プロ。監督はドリフや55号映画も手掛けた和田嘉訓である。挿入歌は10曲以上あり、映画の半分は彼らの演奏シーンである。とにかく、彼らが多忙で撮影時間もあまり取れなかったこともあり、ストーリーはかなり無理のあるものになったという。まあ、SFラブコメディとでも言うのであろうか。
ヒロインであるアンドロメダ星王女シルビィに扮するのは久美かおり。彼女も渡辺プロに所属していた新人歌手である。植木等主演の「日本一の男の中の男」(67年)にも「メイツガールズ」の一人として出演していた(他のメンバーは平山三紀、「トワ・エ・モア」の山室英美子)。彼女はタイガース映画全てのヒロインを演じることになる。
シルビイの従者に天本英世、浦島千歌子、婚約者であるナルシス殿下に三遊亭園楽(五代目)までが宇宙人役。浦島は当時40代の宝塚歌劇団出身の女優。聞き馴染みないと思ったら69年には引退しているようだ。圓楽は先日亡くなった六代目円楽(楽太郎)の師匠。キャッチフレーズに「星の王子さま」を使っていた。
他の出演者だが、松本めぐみ、高橋厚子、小橋玲子、なべおさみ、小松政夫、小澤昭一、石橋エータローなど。また、本作の挿入歌全ての作詞を手掛ける橋本淳、作曲を手掛けるすぎやまこういちもチラっと顔を出している。
第二作は「ザ・タイガース 華やかなる招待」(68年)。製作は渡辺プロと東宝系の東京映画である。監督は先日紹介したスパイダース主演の「にっぽん親不孝時代」を手掛けた山本邦彦。
ここでは彼らに役名が付いている。沢田(宇野健二)、岸部(赤塚修)、森本(大坪太郎)、加橋(糸川忠夫)、瞳(江田浩)となっており、頭文字は「アイウエオ」になっている。下の名は三人は本名に因んでいるが、加橋と瞳は何故か違うものになっている。役柄は高校生である(当時の実年齢は20~22歳)。前作と違いちゃんとストーリーもあり、普通の青春映画となっている。
前述のようにヒロインは久美かおりで、その友人が小山ルミ。担任教師が西村晃で、校長が藤村有弘、それぞれの親が三宅邦子、立原博、塩沢とき、上田忠好、潮万太郎。他に春川ますみ、牟田悌三、野村昭子、大泉滉、小松政夫など。
69年になると、アイドル性を前面に出したプロモーションはメンバーの不満を募らせて行くことになった。特に芸術家肌だった加橋は68年には脱退を仄めかすようになり、現状維持派だった沢田との対立が顕著になっていた。沢田に並ぶボーカルだった加橋の脱退は避けたい渡辺プロは、彼の意向を反映したアルバム「ヒューマン・ルネッサンス」をリリースしたが、その後も加橋の脱退意志は収まらなかった。次回に続く。

ザ・タイガースの映画 その1

ザ・スパイダースについては前回で終了。とくれば次はザ・タイガースというのが自然な流れであろう。彼等が主演の映画は全部で3本存在するが、まずはメンバー紹介から。
タイガースといえば、沢田研二のいたグループというイメージを持つ人が多いと思うが、他のメンバーもそれなりに有名なのではないだろうか。加橋かつみ、森本太郎、岸部修三(一徳)、瞳みのる、そして加橋脱退後は岸部シロー(四郎)が加入している。
岸部修三と森本、瞳は中学の同級生で、加橋は高校の夜間部で瞳の二学年下だった。この4人がベンチャーズに影響を受け「サリーとプレイボーイズ」を結成する。インストナンバーが中心であったが、やはりビートルズなどの影響もあり、専属ボーカルとして「サンダース」にいた沢田を勧誘した。翌66年、沢田は正式にメンバーとなりバンド名も「ファニーズ」に改称している(リーダーは瞳)。
関西で活動していた彼等だったが、当時ブルージーンズに所属していた内田裕也がそのステージを見て「東京にくるか」と声をかけた。ブルージーンズも所属していた渡辺プロと契約し、11月に上京した。初のテレビ出演は「夜のヒットパレード」で、番組ディレクターだったすぎやまこういちが「大阪から来たの。じゃタイガースだ」と命名されてしまったという。その後、すぎやまは作曲家に転身し、彼らの大半の曲を手掛けるようになる。また、渡辺プロの指示で、リーダーは岸部に変更されている。
内田の命により、メンバーのニックネームと芸名が決められた。岸部はリトル・リチャード「のっぽのサリー」に由来する「サリー」。瞳はキューピーに由来する「ピー」。森本はそのまま「タロー」で、元々メンバー間で使われていた愛称だった。加橋はトッポ・ジージョに似ているから「トッポ」になり、沢田はジュリー・アンドリュースから「ジュリー」。これは自分で決めたという。「サリー」辺りは無理矢理付けたような印象が勝手にあったが、元から呼ばれていたとは意外に思った。
芸名は岸部は読みの変更(本名はシュウゾウだがオサミと読む)。瞳は表記変更(本名は人見豊)。加橋は本名から一文字とる(本名は高橋克己)。沢田はそのまま本名で通した。それにしても、タカハシカツミだと今は高橋克実を思い浮かべることになるだろう。
渡辺プロとしては、本人たちの意志はともかく彼らをアイドル路線で売り出した。数あるGSの中でもトップといえる人気を得たことで、当然のように映画も製作されることになる。その第一作が「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」(68年)であった。次回に続く。

ザ・スパイダースの映画 その4

68年のスパイダース映画は、もう1本あり、それが東宝製作の「にっぽん親不孝時代」である。タイトルに「ザ・スパイダース」の文字はないので(DVDにはある)、タイトルだけだと彼らの映画だとはわからないのではないだろうか。クレージーキャッツの「ニッポン無責任時代」のもじりであろうか。
ここでの彼らはバンドではあるが本人設定ではなく、ちゃんと役名がある。堺正章(杉本邦雄)、井上順(光妙寺の録郎)、井上孝之(戸田菊男)、大野克夫(一の瀬昭)、加藤充(弓岡実)、かまやつひろし(哲)、田辺昭知(一彦)といった具合だ。
当初はかまやつ、田辺を除いた五人組で後から二人が合流する形となっている。ゆえに、主題歌となっている「親不孝で行こう」は冒頭の映像上は五人での演奏となっている。ちなみに堺はドラムス、順はギターを持っている。実際、堺はドラムはできるらしいが、順は弾くふりであろう。この「親不孝で行こう」など、本作で初披露されている曲はレコード化、CD化などされておらず、現状ここでしか聞くことができない(はず)。
他の出演者は星由里子、佐原健二、藤村有弘、水上竜子、そして堺駿二など。堺駿二はマチャアキではなく井上順の父親役なのでややこしい(マチャアキの父役は藤村有弘)。堺駿二は、本作が公開される前の68年8月に舞台で倒れて54歳の若さで急死している。ゆえに、最後の親子共演となっている。
スパイダース映画は以上だが、番外編としてリーダーの田辺昭知が役者として単独で主演の映画をご存知だろうか。大分前にここでも取り上げたことはあるが「濡れた逢びき」(67年、松竹)がそれである。ピンク映画っぽいタイトルだが、もちろん一般映画であの加賀まりことのダブル主演なのだ。ジャンルはミステリー(スリラー)になるのだろうか。大雑把にネタバレすると一度は恋愛関係になった二人が殺し合うのである。
役者志向もあった田辺だったが、自分は裏方が向いていると思ったのか、70年に一足先に現役を退き(ドラムス後任は前田富雄)スパイダクションを設立。これが後の田辺エージェンシーとなるのである。80を超えた現在もその社長として「芸能界のドン」として君臨している。

ザ・スパイダースの映画 その3

1968年、日活では三本のスパイダース映画が製作されている。前作「向こう見ず作戦」では、彼らは一般人設定であったが、この三作はいずれも人気GSであるザ・スパイダースのメンバー、つまり本人としての出演である。
まずは「ザ・スパイダースの大進撃」。ストーリー概要だが、イギリス公演から帰国したスパイダースだが、本人たちは知らぬ間に堺正章のタンバリンには高価なダイヤが埋め込まれ、田辺昭知のカバンには設計図が混入していた。それらを追って悪の一味が彼等を付け狙うのだった。どこかで、見たストーリーと思いきや、まさにビートルズの「ヘルプ」なのである。パクリなのか公言していたのかは不明だが、これも脚本に倉本聰が名を連ねている(もう一人は伊奈洸=福田陽一郎)。他の出演者は和泉雅子、真理アンヌ、草薙幸二郎、植村謙一郎、柳瀬志郎など。堺の実父である堺駿二が老婆の役で出演。その孫娘役は「スペクトルマン」で公害Gメン(立花みね子)を演じていた親桜子である。
続いて「ザ・スパイダースの大騒動」。彼等の車が追突されるところから物語は始まる。追突してきた車に乗っていたのが今回のヒロイン奈美悦子と川口恒。他に楠トシエ、由利徹、獅子てんや・瀬戸わんや、青空はるお・あきお等の出演で川口とマネージヤ役の弘松三郎くらいしか(それなりに名のある)日活俳優は出ていない。主題歌は「あの時君は若かった」である。
そして日活に開けるサパイダース映画の最終作となる「ザ・スパイダースのバリ島珍道中」。ストーリーは「大進撃」とよく似ており、密輸団がスパイダースのアンプの中にプルトニウムを仕込んで持ち出す。タイトル通りバリ島が主な舞台となっており、スパイダースと密輸団の攻防戦が繰り広げられるというお話。田辺は堺の食べたバナナの皮で転倒し、ケガをするという古典的なギャグ?がある。その為、合流が中盤以降からになる(スケジュールの都合かも)。
その密輸団に扮するのが内田良平、高品格、杉本エマ。彼等に冒頭で殺られるのが郷鍈治である。他に小川ひろみ、伊藤るり子、高樹容子、楠トシエ、平凡太郎など。

ザ・スパイダースの映画 その2

前回の続きである。堺正章は63~64年辺りは日活、大映だけでなく東映でも「夢のハワイで盆踊り」などに高校生役で出演している。
「田辺昭知とザ・スパイダース」の名が初めてクレジットされたのは日活の「仲間たち」という作品で、これは64年3月の公開で、撮影時には井上順が加入したかどうかという時期と思われる。本作にも堺は役者として出演。かまやつは(かまやつ・ヒロシ名義)本人役でスパイダースをバックに歌うシーンがあり、二人は個人名でクレジットされている。未見なのでこのシーンでのスパイダースの構成は不明である。他にも井上高之という名もクレジットされており、井上孝之(堯之)の誤植なのかどうかも不明だ。
「高原のお嬢さん」(65年、日活)は、お馴染みの七人体制でシングルデビューした後の初出演映画である。主演は前述の「夢のハワイで盆踊り」と同じ舟木一夫で、東映から日活に移った形になっている。ここでも堺は役者として出演しており、スパイダースは「エレキバンド」の役。ちなみに「スパイダース」ではなく「スパイダーズ」とクレジットされている。
「青春ア・ゴー・ゴー」「涙くんさよなら」(66年、日活)はいずれも日活俳優バンド「ヤング・アンド・フレッシュ」との共演。ちなみにメンバーは、山内賢、和田浩治、杉山元、木下雅弘で、「青春‥」の方は主演の浜田光夫とジュディ・オング、「涙くん‥」には梶芽衣子(当時、太田雅子)が加わる形になっている。スパイダースは普通に本人たちの役だが、前者には井上順がいないようだ。
「夕陽が泣いている」(67年、日活)はスパイダースのヒット曲がタイトルになっているが、主役は山内賢、和泉雅子(とヤング・アンド・フレッシュ)である。スパイダースは彼らの先輩バンドで、「夕陽が泣いている」以外にも「太陽の翼」や「なんとなくなんとなく」などが使用されている。ちなみに、和泉雅子の兄役で出演している横内章次は俳優ではなく作曲家兼ギタリストで、横内正の実兄でもある。
そしてついに彼らが主演の「ザ・スパイダースのゴーゴー・向う見ず作戦」(67年、日活)である。素人歌謡コンクールで優勝した美女(松原智恵子)が「あらゆる障害物を越えて真っすぐに自分のところまで歩いてきた人と結婚したい」と言ったのを真に受け、スパイダースが実行するという話。青春ドラマだし物理的に無理とか考えてはいけないのである。あの倉本聰が脚本に名を連ねてる。松原智恵子のバックで演奏するのがヤング・アンド・フレッシュである。

ザ・スパイダースの映画 その1

クレージーキャッツは七人組(途中から六人)のミュージシャンであるが、他に七人組ミュージシャンで思い浮かぶのがザ・スパイダースではないだろうか。まあ彼らはGS(グループサウンズ)なので、ジャンルは違うのだけれども。
数あるというかあったGS中で最も出演映画が多く、主演作も5本存在する。メンバーはリーダーの田辺昭知以下、かまやつひろし、堺正章、井上順、大野克夫、井上孝之(堯之)、加藤充とお馴染みの名前が多いのではないだろうか。
この七人でのシングルデビューは65年だが、グループ自体は61年にリーダーの田辺により結成されている(他のメンバーは伊藤源雄、三科実、山田幸保、日吉武)。翌年、ソロデビューしていたかまやつひろしに加入を依頼するが、正式なメンバーにはならずゲストシンガーという位置だった。また、彼等のステージを見た井上孝之が加入を志願し認められる。ただしギターではなく、スリージェッツという三人組の専属シンガーとしての加入だった。
この62年には田辺は、京都で名を馳せていた大野克夫をスカウト。また子役などで活動していた堺正章にも目をつけたが、父である堺駿二の反対もあり、当初は難航したという。堺正章自身の話ではバンド活動を希望していたが、父に反対され続け、やっと了承してくれたと思ったら田辺の所に行くように言われたという。つまり本人はスパイダースの件は知らなかったらしい。
翌63年、加瀬邦彦(リズムギター)が参加したが二カ月ほどで脱退。これはリードギターをやらせてもらえなかったからだという。ベースに欠員が出たため大野の前グループの先輩だった加藤充をスカウト。ちなみに加藤はこの時寿司職人になる修業をしていたという。また、かまやつが正式メンバーとして加入することになった。
64年には六本木野獣会のメンバーだった井上順に声をかけ参加が決まる。また伊藤源雄が脱退し井上孝之がリードギターへ転向することになった。加入時はギターを弾けなかったというがわずか数年で名ギタリストに成長している。
こうしてお馴染みの七人体制が成立する。65年「フリフリ」でシングルデビューするが、当時堺と順のボーカルコンビは18歳。漫才のような軽妙な掛け合いが人気を呼んだ。元々ソロ歌手だったかまやつ、ボーカル担当だった孝之とフロントメンバーが四人。ただ一番のハンサムはオルガン担当の大野だったと言えると思う。。
堺と順の二人と他のメンバーとの年齢差は結構あり、孝之は5歳上の23歳、大野が25歳、田辺とかまやつが26歳であった。加藤は当時25歳とされていたが、実は最年長の30歳だった。
映画出演だが、堺正章は既にスパイダースのメンバーになった63年に大映の「高校三年生」や日活の「学園広場」に出演しているが、デビュー前ということもあってか(ザ・スパイダース)などとクレジットはされていない。「学園広場」にはかまやつ(かまやつ・ヒロシ名義)も堺の一学年上の高3役で出演している。日活時代の谷隼人(岩谷肇名義)も高3役だ。
 

傍系クレージー映画

東宝クレージー映画は62~71年に製作されているが、その時代にメンバーの主演で東宝で製作されながらクレージー映画に含まれない作品が数本存在する。「空想天獄」(68年)「奇々怪々俺は誰だ⁉」(69年)「喜劇負けてたまるか!」(70年)がそれで、いずれも谷啓が主演である。
谷啓が主演だから含まれないのではない。クレージー映画に分類されている「クレージーだよ奇想天外」(66年)などは谷啓が主演なのである。一番大きな違いは前述の三本には植木等が出演していないのである。事実上、東宝の専属だった植木がいてこそクレージー映画である、と考えられているようだ。
「空想天国」は、谷啓の芸名の由来であるダニー・ケイの映画「虹を掴む男」を下敷きにしているという。クレージーのメンバーからはハナ肇と桜井センリが刑事役で出演。ヒロインは酒井和歌子で、ライバル役が宝田明、悪役で平田昭彦、藤木悠、他に藤田まこと、藤岡琢也、京塚昌子、小松政夫などが出演している。ちなみに宝田明はクレージー映画への出演は一本もない。
監督はテレビ「青春とはなんだ」等で知られる松森健で、彼もクレージー映画には参加していなかった。平田や藤木は「青春とはなんだ」に出演しており、生徒役だった矢野間啓二、豊浦美子も本作に登場する。
「奇々怪々俺は誰だ⁉」は、監督の坪島孝が助監督時代から温めていたというプロットを映画化したもの。ストーリーは文章では説明しにくい。ある日、鈴木太郎(谷)が会社に行くと、もう一人の鈴木太郎(犬塚弘)が席についており、同僚は彼を太郎だと認識していた。それは家でも同じで「じゃあ自分は誰なんだ」とTVの尋ね人コーナーに出演する。その結果、鈴木次郎であると決めつけられ精神病院に収容される。そこでは、彼を殺し屋の鈴木三郎であるという男が現れ、脱走を手引きするというような展開になっているらしい。
犬塚の他、ハナ肇が精神科の患者(野々山定夫)で登場。ちなみに野々山定夫はハナの本名。他の出演者は吉田日出子、横山道代、なべおさみ、二瓶正也、船戸順、左卜全、田崎潤、クレージー映画常連の人見明などが出演している。
「喜劇負けてたまるか」は野坂昭如の原作で、詳細がよくわからないのだが、犬塚弘、浜美枝、砂塚秀夫、柏木由紀子、高橋紀子、奥村チヨなどが出演している。
もう一作「喜劇泥棒大家族天下を盗る」(72年)があり、これは植木等主演なのだが、クレージ映画とはカウントされていない。あくまでも、71年に終了とみなされているようだ。
メンバーは谷啓、犬塚弘、安田伸、桜井センリとハナ以外が顔を揃えている。ヒロインは八並映子で所属していた大映が倒産し、本作が初の東宝出演だったようだ。ちなみに、この後「プレイガール」のレギュラーとなる。他には藤田まこと、三木のり平、伴淳三郎、石立鉄男、紀比呂子、大地喜和子、江夏夕子、山東昭子、峰岸徹、井上順、阿藤海といった面々が出演している。

未DVD化・BD化の東宝クレージー映画

東宝クレージー映画と言われる作品は全部で30作あるらしい。
大雑把に分けると「無責任シリーズ」「日本一シリーズ」「クレージー作戦シリーズ」「時代劇作品」の4つとなり、前の2シリーズはグループというより植木等の主演映画と言える。
「クレージー作戦シリーズ」はタイトルに「クレージー」と入っているのがほとんどだが、「無責任遊侠伝」(64年)は「無責任シリーズ」ではなく、こちらに含まれるらしい。まあ「無責任シリーズ」と言っても「ニッポン無責任時代」「ニッポン無責任野郎」(62年)の初期二作だけなのだが。同様に「花のお江戸の無責任」(64年)も時代劇ということで「無責任シリーズ」ではない。
その「花のお江戸の無責任」の監督は山本嘉次郎である。黒澤明や本多猪四郎の師匠である山本がクレージー映画も撮っていたのは意外な気もする。余談だが、ニューフェイス試験で態度が悪かった三船敏郎の合格を主張したのは有名な話だが、渋谷で靴磨きをしていた黒部進に試験を受けるように勧めたのも山本である。
30作のうち26作はDVD化されており、2005~2008年にかけてBOX形式で発売された。また、2013年から14年にかけて発売されたDVDマガジン「東宝 昭和の爆笑喜劇」にも、その26作が収録され、発売されている。
未収録なのは「日本一のヤクザ男」「日本一のワルノリ男」(70年)「だまされて貰います」「日本一のショック男」(71年)の4本あり、クレージー映画では通算27作目から30作目にあたる。つまり末期の4本である。
クレージーキャッツの人気に陰りが見え、ラストの3本に関してはドリフの加藤茶を準主役に起用し活性化を計っている。71年1月をもって石橋エータローが脱退しており、7人揃ってのクレージー映画は26作目にあたる「クレージーの殴り込み清水港」(70年)が最後となった。(88年の「会社物語」では7人揃って出演している。)クレージー映画を見ていない人にはクレージーキャッツは6人組であるという印象が強いかもしれない。
「だまされて貰います」はタイトルだけだと何の映画かわからないが、石橋を除く6人が顔を揃えた最後の作品となっている。
この4作が今後、DVD化・BD化されるかどうかは不明だが、2015年にCS・日本映画専門チャンネルにて4作とも放送されている。

犬塚弘の「ほんだらシリーズ」

クレージーキャッツ第4の男と言われたのが犬塚弘である。植木等は東宝、ハナ肇は松竹、谷啓が東映と来たので、犬塚は大映で主演を持つことになった。と言っても「ほんだら」シリーズ2作だけなのだが。犬塚は松竹で、ハナ肇が主演を務めた映画にはほぼ出演しているのだが、実は「素敵な今晩は」(65年)という作品では主役を務めているのである。ハナの他、石橋エータロー、桜井センリ、そして岩下志麻、中村晃子らが出演している。ゆえに、大映では2、3作目の主演作ということになる。
その「ほんだらシリーズ」1作目が「ほんだら剣法」(65年)である。原作は「銭形平次」で知られる野村胡堂で、監督は「座頭市」等で知られる森一生が務める。かつてエノケンの主演で撮られた「磯川兵助功名噺」のリメイクということだ。その磯川役が犬塚で、ハナ、桜井、石橋、安田伸と植木、谷以外のクレージーのメンバーが揃い、藤田まことも出演している。ここまでだと東宝っぽいのだが、以下は本郷功次郎、杉田康、坪内ミキ子、藤村志保、紺野ユカ、木村元なと大映の役者で固めている。主題歌も犬塚がソロで歌っているようだ。
2作目が「ほんだら捕物帖」(66年)で、監督は同じ森一生だが前作と関連性はなく犬塚の役柄も違う。クレージーのメンバーはハナ、桜井、石橋、安田に加え、谷啓も参加しており、植木以外が揃った形である。藤田まことも引き続き出演で、今回は遠山金四郎役である。
後は前作同様に藤村志保、姿三千子、島田竜三、南条新太郎、杉山昌三九といった大映の役者が顔を揃える。他に当時は大映への出演が多かった藤岡琢也がいる。
前述の通り、以降大映で犬塚の主演作が撮られることはなかった。70年代から「ドタバタはあまり好きではない」という犬塚は喜劇作品に顔を出すことは少なくなる。
普通に悪役を演じることもあり、「必殺シリーズ」では藤田まこと演じる中村主水にに斬られたりもしている。
ご存知の通り、23年2月時点クレージーキャッツの唯一の存命者となっている。ちなみに93歳であり、桜井センリが12年に亡くなってから10年頑張っていることになる。20年に俳優としては引退を表明したが、クレージーキャッツとしての引退は否定しているという。

谷啓の「競馬必勝法シリーズ」

谷啓主演の「図々しい奴」は好評で、続編も製作されたのだが、この後東映では任侠映画が中心に据えられるようになり、結局谷の東映での主演映画は他に「競馬必勝法シリーズ」(67~68年)が作られたのみであった。
67年、当時プロデューサーだった岡田茂は東映にも喜劇路線を敷こうと、東宝から渥美清を引き抜き「喜劇急行列車」を製作した。同時上映だった「あゝ同期の桜」によるところも大きかったと言われるが同作はヒットし、「列車シリーズ」と「必勝法シリーズ」という喜劇二大路線が敷かれることになったのである。監督はどちらも瀬川昌治だった。
その必勝法シリーズの第1作が「喜劇競馬必勝法」(67年)である。こちらの企画は岡田の盟友・今田智憲で、当時は「ギャンブル時代」などとも言われており、これを取り入れない手はないとの考えからだった。予定では競馬以外にも競輪、競艇、オートレースなども取り入れたかったようだが、結局は競馬ものしか製作されなかった。
主演は谷啓、伴淳三郎、進藤英太郎、三木のり平、白川由美、小川知子、京塚昌子、山城新伍に加え、競馬評論家の大川慶次郎や丹波哲郎が本人の役で出演している。進藤や山城の名はあるが、一見東宝っぽいキャスティングである(白川や京塚は東宝所属)。伴淳の息子役である吉野謙二郎とは雷門ケン坊のこと。谷啓の同僚役で小林稔侍や小松政夫が顔を見せている。
実際にレース開催中の大井競馬場でロケが行われ、キャストやスタッフは自腹で馬券を購入して勝負したという。ほぼ全員が負け、監督の瀬川は「必勝法なんてない」と怒り、1日だけの特別出演だった三木のり平もギャラより馬券代が高くついたと憤慨していたという。「本職」の大川慶次郎(当時38歳)も全く当たらず「大井競馬はシロウトなので」と言い訳していたらしい。
第2作は「喜劇競馬必勝法大穴勝負」(68年)で、谷啓、伴淳三郎の他、長門裕之、長門勇、十朱幸代、由利徹など。
第3作は「喜劇競馬必勝法一発勝負」(68年)で、谷啓、伴淳三郎の他は大橋巨泉、橘ますみ、東野英治郎などが出演した。
この68年瀬川は松竹に移籍。また東映社長大川博の息子である大川毅専務と今田たち重役の対立があり、今田は傍系の東映芸能社長に左遷された。その影響かこの「必勝法シリーズ」も以降、製作されることはなかった。