ザ・タイガースの映画 その1
ザ・スパイダースについては前回で終了。とくれば次はザ・タイガースというのが自然な流れであろう。彼等が主演の映画は全部で3本存在するが、まずはメンバー紹介から。
タイガースといえば、沢田研二のいたグループというイメージを持つ人が多いと思うが、他のメンバーもそれなりに有名なのではないだろうか。加橋かつみ、森本太郎、岸部修三(一徳)、瞳みのる、そして加橋脱退後は岸部シロー(四郎)が加入している。
岸部修三と森本、瞳は中学の同級生で、加橋は高校の夜間部で瞳の二学年下だった。この4人がベンチャーズに影響を受け「サリーとプレイボーイズ」を結成する。インストナンバーが中心であったが、やはりビートルズなどの影響もあり、専属ボーカルとして「サンダース」にいた沢田を勧誘した。翌66年、沢田は正式にメンバーとなりバンド名も「ファニーズ」に改称している(リーダーは瞳)。
関西で活動していた彼等だったが、当時ブルージーンズに所属していた内田裕也がそのステージを見て「東京にくるか」と声をかけた。ブルージーンズも所属していた渡辺プロと契約し、11月に上京した。初のテレビ出演は「夜のヒットパレード」で、番組ディレクターだったすぎやまこういちが「大阪から来たの。じゃタイガースだ」と命名されてしまったという。その後、すぎやまは作曲家に転身し、彼らの大半の曲を手掛けるようになる。また、渡辺プロの指示で、リーダーは岸部に変更されている。
内田の命により、メンバーのニックネームと芸名が決められた。岸部はリトル・リチャード「のっぽのサリー」に由来する「サリー」。瞳はキューピーに由来する「ピー」。森本はそのまま「タロー」で、元々メンバー間で使われていた愛称だった。加橋はトッポ・ジージョに似ているから「トッポ」になり、沢田はジュリー・アンドリュースから「ジュリー」。これは自分で決めたという。「サリー」辺りは無理矢理付けたような印象が勝手にあったが、元から呼ばれていたとは意外に思った。
芸名は岸部は読みの変更(本名はシュウゾウだがオサミと読む)。瞳は表記変更(本名は人見豊)。加橋は本名から一文字とる(本名は高橋克己)。沢田はそのまま本名で通した。それにしても、タカハシカツミだと今は高橋克実を思い浮かべることになるだろう。
渡辺プロとしては、本人たちの意志はともかく彼らをアイドル路線で売り出した。数あるGSの中でもトップといえる人気を得たことで、当然のように映画も製作されることになる。その第一作が「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」(68年)であった。次回に続く。