ザ・スパイダースの映画 その1
クレージーキャッツは七人組(途中から六人)のミュージシャンであるが、他に七人組ミュージシャンで思い浮かぶのがザ・スパイダースではないだろうか。まあ彼らはGS(グループサウンズ)なので、ジャンルは違うのだけれども。
数あるというかあったGS中で最も出演映画が多く、主演作も5本存在する。メンバーはリーダーの田辺昭知以下、かまやつひろし、堺正章、井上順、大野克夫、井上孝之(堯之)、加藤充とお馴染みの名前が多いのではないだろうか。
この七人でのシングルデビューは65年だが、グループ自体は61年にリーダーの田辺により結成されている(他のメンバーは伊藤源雄、三科実、山田幸保、日吉武)。翌年、ソロデビューしていたかまやつひろしに加入を依頼するが、正式なメンバーにはならずゲストシンガーという位置だった。また、彼等のステージを見た井上孝之が加入を志願し認められる。ただしギターではなく、スリージェッツという三人組の専属シンガーとしての加入だった。
この62年には田辺は、京都で名を馳せていた大野克夫をスカウト。また子役などで活動していた堺正章にも目をつけたが、父である堺駿二の反対もあり、当初は難航したという。堺正章自身の話ではバンド活動を希望していたが、父に反対され続け、やっと了承してくれたと思ったら田辺の所に行くように言われたという。つまり本人はスパイダースの件は知らなかったらしい。
翌63年、加瀬邦彦(リズムギター)が参加したが二カ月ほどで脱退。これはリードギターをやらせてもらえなかったからだという。ベースに欠員が出たため大野の前グループの先輩だった加藤充をスカウト。ちなみに加藤はこの時寿司職人になる修業をしていたという。また、かまやつが正式メンバーとして加入することになった。
64年には六本木野獣会のメンバーだった井上順に声をかけ参加が決まる。また伊藤源雄が脱退し井上孝之がリードギターへ転向することになった。加入時はギターを弾けなかったというがわずか数年で名ギタリストに成長している。
こうしてお馴染みの七人体制が成立する。65年「フリフリ」でシングルデビューするが、当時堺と順のボーカルコンビは18歳。漫才のような軽妙な掛け合いが人気を呼んだ。元々ソロ歌手だったかまやつ、ボーカル担当だった孝之とフロントメンバーが四人。ただ一番のハンサムはオルガン担当の大野だったと言えると思う。。
堺と順の二人と他のメンバーとの年齢差は結構あり、孝之は5歳上の23歳、大野が25歳、田辺とかまやつが26歳であった。加藤は当時25歳とされていたが、実は最年長の30歳だった。
映画出演だが、堺正章は既にスパイダースのメンバーになった63年に大映の「高校三年生」や日活の「学園広場」に出演しているが、デビュー前ということもあってか(ザ・スパイダース)などとクレジットはされていない。「学園広場」にはかまやつ(かまやつ・ヒロシ名義)も堺の一学年上の高3役で出演している。日活時代の谷隼人(岩谷肇名義)も高3役だ。
傍系クレージー映画
東宝クレージー映画は62~71年に製作されているが、その時代にメンバーの主演で東宝で製作されながらクレージー映画に含まれない作品が数本存在する。「空想天獄」(68年)「奇々怪々俺は誰だ⁉」(69年)「喜劇負けてたまるか!」(70年)がそれで、いずれも谷啓が主演である。
谷啓が主演だから含まれないのではない。クレージー映画に分類されている「クレージーだよ奇想天外」(66年)などは谷啓が主演なのである。一番大きな違いは前述の三本には植木等が出演していないのである。事実上、東宝の専属だった植木がいてこそクレージー映画である、と考えられているようだ。
「空想天国」は、谷啓の芸名の由来であるダニー・ケイの映画「虹を掴む男」を下敷きにしているという。クレージーのメンバーからはハナ肇と桜井センリが刑事役で出演。ヒロインは酒井和歌子で、ライバル役が宝田明、悪役で平田昭彦、藤木悠、他に藤田まこと、藤岡琢也、京塚昌子、小松政夫などが出演している。ちなみに宝田明はクレージー映画への出演は一本もない。
監督はテレビ「青春とはなんだ」等で知られる松森健で、彼もクレージー映画には参加していなかった。平田や藤木は「青春とはなんだ」に出演しており、生徒役だった矢野間啓二、豊浦美子も本作に登場する。
「奇々怪々俺は誰だ⁉」は、監督の坪島孝が助監督時代から温めていたというプロットを映画化したもの。ストーリーは文章では説明しにくい。ある日、鈴木太郎(谷)が会社に行くと、もう一人の鈴木太郎(犬塚弘)が席についており、同僚は彼を太郎だと認識していた。それは家でも同じで「じゃあ自分は誰なんだ」とTVの尋ね人コーナーに出演する。その結果、鈴木次郎であると決めつけられ精神病院に収容される。そこでは、彼を殺し屋の鈴木三郎であるという男が現れ、脱走を手引きするというような展開になっているらしい。
犬塚の他、ハナ肇が精神科の患者(野々山定夫)で登場。ちなみに野々山定夫はハナの本名。他の出演者は吉田日出子、横山道代、なべおさみ、二瓶正也、船戸順、左卜全、田崎潤、クレージー映画常連の人見明などが出演している。
「喜劇負けてたまるか」は野坂昭如の原作で、詳細がよくわからないのだが、犬塚弘、浜美枝、砂塚秀夫、柏木由紀子、高橋紀子、奥村チヨなどが出演している。
もう一作「喜劇泥棒大家族天下を盗る」(72年)があり、これは植木等主演なのだが、クレージ映画とはカウントされていない。あくまでも、71年に終了とみなされているようだ。
メンバーは谷啓、犬塚弘、安田伸、桜井センリとハナ以外が顔を揃えている。ヒロインは八並映子で所属していた大映が倒産し、本作が初の東宝出演だったようだ。ちなみに、この後「プレイガール」のレギュラーとなる。他には藤田まこと、三木のり平、伴淳三郎、石立鉄男、紀比呂子、大地喜和子、江夏夕子、山東昭子、峰岸徹、井上順、阿藤海といった面々が出演している。
未DVD化・BD化の東宝クレージー映画
東宝クレージー映画と言われる作品は全部で30作あるらしい。
大雑把に分けると「無責任シリーズ」「日本一シリーズ」「クレージー作戦シリーズ」「時代劇作品」の4つとなり、前の2シリーズはグループというより植木等の主演映画と言える。
「クレージー作戦シリーズ」はタイトルに「クレージー」と入っているのがほとんどだが、「無責任遊侠伝」(64年)は「無責任シリーズ」ではなく、こちらに含まれるらしい。まあ「無責任シリーズ」と言っても「ニッポン無責任時代」「ニッポン無責任野郎」(62年)の初期二作だけなのだが。同様に「花のお江戸の無責任」(64年)も時代劇ということで「無責任シリーズ」ではない。
その「花のお江戸の無責任」の監督は山本嘉次郎である。黒澤明や本多猪四郎の師匠である山本がクレージー映画も撮っていたのは意外な気もする。余談だが、ニューフェイス試験で態度が悪かった三船敏郎の合格を主張したのは有名な話だが、渋谷で靴磨きをしていた黒部進に試験を受けるように勧めたのも山本である。
30作のうち26作はDVD化されており、2005~2008年にかけてBOX形式で発売された。また、2013年から14年にかけて発売されたDVDマガジン「東宝 昭和の爆笑喜劇」にも、その26作が収録され、発売されている。
未収録なのは「日本一のヤクザ男」「日本一のワルノリ男」(70年)「だまされて貰います」「日本一のショック男」(71年)の4本あり、クレージー映画では通算27作目から30作目にあたる。つまり末期の4本である。
クレージーキャッツの人気に陰りが見え、ラストの3本に関してはドリフの加藤茶を準主役に起用し活性化を計っている。71年1月をもって石橋エータローが脱退しており、7人揃ってのクレージー映画は26作目にあたる「クレージーの殴り込み清水港」(70年)が最後となった。(88年の「会社物語」では7人揃って出演している。)クレージー映画を見ていない人にはクレージーキャッツは6人組であるという印象が強いかもしれない。
「だまされて貰います」はタイトルだけだと何の映画かわからないが、石橋を除く6人が顔を揃えた最後の作品となっている。
この4作が今後、DVD化・BD化されるかどうかは不明だが、2015年にCS・日本映画専門チャンネルにて4作とも放送されている。
犬塚弘の「ほんだらシリーズ」
クレージーキャッツ第4の男と言われたのが犬塚弘である。植木等は東宝、ハナ肇は松竹、谷啓が東映と来たので、犬塚は大映で主演を持つことになった。と言っても「ほんだら」シリーズ2作だけなのだが。犬塚は松竹で、ハナ肇が主演を務めた映画にはほぼ出演しているのだが、実は「素敵な今晩は」(65年)という作品では主役を務めているのである。ハナの他、石橋エータロー、桜井センリ、そして岩下志麻、中村晃子らが出演している。ゆえに、大映では2、3作目の主演作ということになる。
その「ほんだらシリーズ」1作目が「ほんだら剣法」(65年)である。原作は「銭形平次」で知られる野村胡堂で、監督は「座頭市」等で知られる森一生が務める。かつてエノケンの主演で撮られた「磯川兵助功名噺」のリメイクということだ。その磯川役が犬塚で、ハナ、桜井、石橋、安田伸と植木、谷以外のクレージーのメンバーが揃い、藤田まことも出演している。ここまでだと東宝っぽいのだが、以下は本郷功次郎、杉田康、坪内ミキ子、藤村志保、紺野ユカ、木村元なと大映の役者で固めている。主題歌も犬塚がソロで歌っているようだ。
2作目が「ほんだら捕物帖」(66年)で、監督は同じ森一生だが前作と関連性はなく犬塚の役柄も違う。クレージーのメンバーはハナ、桜井、石橋、安田に加え、谷啓も参加しており、植木以外が揃った形である。藤田まことも引き続き出演で、今回は遠山金四郎役である。
後は前作同様に藤村志保、姿三千子、島田竜三、南条新太郎、杉山昌三九といった大映の役者が顔を揃える。他に当時は大映への出演が多かった藤岡琢也がいる。
前述の通り、以降大映で犬塚の主演作が撮られることはなかった。70年代から「ドタバタはあまり好きではない」という犬塚は喜劇作品に顔を出すことは少なくなる。
普通に悪役を演じることもあり、「必殺シリーズ」では藤田まこと演じる中村主水にに斬られたりもしている。
ご存知の通り、23年2月時点クレージーキャッツの唯一の存命者となっている。ちなみに93歳であり、桜井センリが12年に亡くなってから10年頑張っていることになる。20年に俳優としては引退を表明したが、クレージーキャッツとしての引退は否定しているという。
谷啓の「競馬必勝法シリーズ」
谷啓主演の「図々しい奴」は好評で、続編も製作されたのだが、この後東映では任侠映画が中心に据えられるようになり、結局谷の東映での主演映画は他に「競馬必勝法シリーズ」(67~68年)が作られたのみであった。
67年、当時プロデューサーだった岡田茂は東映にも喜劇路線を敷こうと、東宝から渥美清を引き抜き「喜劇急行列車」を製作した。同時上映だった「あゝ同期の桜」によるところも大きかったと言われるが同作はヒットし、「列車シリーズ」と「必勝法シリーズ」という喜劇二大路線が敷かれることになったのである。監督はどちらも瀬川昌治だった。
その必勝法シリーズの第1作が「喜劇競馬必勝法」(67年)である。こちらの企画は岡田の盟友・今田智憲で、当時は「ギャンブル時代」などとも言われており、これを取り入れない手はないとの考えからだった。予定では競馬以外にも競輪、競艇、オートレースなども取り入れたかったようだが、結局は競馬ものしか製作されなかった。
主演は谷啓、伴淳三郎、進藤英太郎、三木のり平、白川由美、小川知子、京塚昌子、山城新伍に加え、競馬評論家の大川慶次郎や丹波哲郎が本人の役で出演している。進藤や山城の名はあるが、一見東宝っぽいキャスティングである(白川や京塚は東宝所属)。伴淳の息子役である吉野謙二郎とは雷門ケン坊のこと。谷啓の同僚役で小林稔侍や小松政夫が顔を見せている。
実際にレース開催中の大井競馬場でロケが行われ、キャストやスタッフは自腹で馬券を購入して勝負したという。ほぼ全員が負け、監督の瀬川は「必勝法なんてない」と怒り、1日だけの特別出演だった三木のり平もギャラより馬券代が高くついたと憤慨していたという。「本職」の大川慶次郎(当時38歳)も全く当たらず「大井競馬はシロウトなので」と言い訳していたらしい。
第2作は「喜劇競馬必勝法大穴勝負」(68年)で、谷啓、伴淳三郎の他、長門裕之、長門勇、十朱幸代、由利徹など。
第3作は「喜劇競馬必勝法一発勝負」(68年)で、谷啓、伴淳三郎の他は大橋巨泉、橘ますみ、東野英治郎などが出演した。
この68年瀬川は松竹に移籍。また東映社長大川博の息子である大川毅専務と今田たち重役の対立があり、今田は傍系の東映芸能社長に左遷された。その影響かこの「必勝法シリーズ」も以降、製作されることはなかった。
谷啓の「図々しい奴」
渡辺プロ社長の渡辺晋は、クレージーキャッツのメンバーをバラ売りすることを目論み、植木等は東宝で、ハナ肇は松竹へ、谷啓は東映へ売り込むことを考えていた。東映の岡田茂は、その頃東映にも喜劇路線を導入しようと渥美清を起用したりしていたが、谷啓も面白いと考え、両者の思惑が一致し、起用が決定した。
その際に、渡辺晋が自分の名を企画に入れてほしいと主張し、岡田は企画は自分がやるのでと突っぱね、渡辺の名前を入れる入れないで揉めたという。結局、渡辺の名は入れないがギャラの一部を渡辺プロに支払うという形で落ち着いたという。
作品は柴田錬三郎原作の「図々しい奴」に決まった。しかし、これはつい三年前(61年)に松竹で映画化されたものであった。ちなみに主役の戸田切人は杉浦直樹で、津川雅彦(伊勢田直政)、牧紀子(美津枝)、高千穂ひづる(多嘉)、他に東野英治郎、小沢栄太郎、沢村貞子、渥美清などが出演していた。
また63年には大映テレビでドラマ化もされ、大部屋俳優だった丸井太郎が切人役に抜擢され、映画で切人だった杉浦直樹が直政役で出演した。他に久我美子(美津枝)、菅原謙次、姿三千子、玉川伊佐男、河野秋武、佐竹明夫らに加え、原作者の柴田も出演した。このテレビ版の主題歌を歌っていたのが谷啓であり、その流れから東映版の「図々しい奴」が企画されたようである。ちなみに、丸井太郎がその後は役に恵まれず、67年に自殺してしまったのは有名な話である。
東映版「図々しい奴」は翌64年に公開された。切人役は谷啓で、他ににとって初の主演作となっている。テレビ版で直政役だった杉浦直樹がそのまま直政役で出演。つまり杉浦は松竹版、テレビ版、そして今回の東映版と全てに出演しているわけである。他に佐久間良子(美津枝)、長門裕之、上原ゆかり、中原早苗、南廣、浪花千栄子(多嘉)、根岸明美、西村晃などが出演している。
その五か月後には「続・図々しい奴」(64年)も公開されている。基本的にスタッフ、キャストは前作と同じで、谷、杉浦、佐久間、長門、上原、中原、南、浪花、根岸らは引き続き同じ役で出演、新たには多々良純、大泉滉、潮健児などが加わっている。また、原作の柴田錬三郎と作家の水上勉が二等兵の役で出演している。
監督は瀬川昌治で、三島由紀夫の「愛の疾走」の準備をしていたところに企画が流れ、本作が廻ってきたという。
ハナ肇の「為五郎シリーズ」
ハナ肇、山田洋次のコンビは終焉を迎えたが、ハナを主演とした松竹作品は継続されている。それが「為五郎シリーズ」
である。
「アッと驚く為五郎」は、ハナが「巨泉×前武ゲバゲバ90分」(69~71年)で発したフレーズで流行語にもなっているギャグである。元々は浪曲「清水次郎長伝」の節回しで、為五郎はその登場人物。この部分がハナのお気に入りで、ふと彼が言ったところウケて、番組で使われるようになったようだ。
番組のヒットを受けてクレージーキャッツによるシングル「アッと驚く為五郎」も69年末に発売され、これもヒットした。当時は何かしらヒットすれば映画化されるような風潮もあり、すぐに松竹によって映画化されることになった。
タイトルはそのまま「アッと驚く為五郎」(70年)で、主演はもちろんハナ肇だ。共演は梓みちよ、尾崎奈々、佐藤友美、財津一郎、谷啓、監督は瀬川昌治が務める。
この「為五郎シリーズ」は、全部で五作品あり、第2弾が「なにがなんでも為五郎」(70年)で、共演が谷啓、光本幸子、小沢栄太郎、有島一郎である。
第3弾が「やるぞみておれ為五郎」(71年)で、共演が谷啓、光本幸子、緑魔子、財津一郎、伴淳三郎などである。
第4弾が「花も実もある為五郎」(71年)で、共演が藤田まこと、光本幸子、林美智子、范文雀、石山健二郎などである。この2~4作の監督は55号映画の野村芳太郎で、併映作品が渥美清、山田洋次の「男はつらいよ」シリーズになっている。そして最後となるのが「生まれ変わった為五郎」(72年)で、共演が緑魔子、財津一郎、殿山泰司、三木のり平、桜井センリなどで、監督は森崎東、併映がコント55号の「びっくり武士道」となっている。
ハナが演じる主人公は1作目は大岩為五郎だが、2~5作は坂東為五郎で統一されている。ただ、複数作出ている共演者(谷啓、光本幸子、緑魔子、財津一郎など)が同じ役なのか毎回違う役なのかは詳しい資料などもないので不明である。松竹作品ってそういったサイトもなく調べにくいのである(個人的に全て未見)。
ちなみに、71年をもって東宝のクレージー映画は終了しており、ハナの松竹における主演映画もこの72年の「喜劇社長さん」をもって終了し、主に脇役として活躍することになる。
ちなみに、為五郎はドラマ化されており、「男一番!タメゴロー」(70年)のタイトルで、26回に渡り放送されている。制作は松竹ではなく東映で、主演はもちろんハナ。共演は八千草薫、金子信雄、飯田蝶子、なべおさみ、入川保則、丹阿弥弥津子など。脚本には向田邦子が参加している。
ハナ肇の「一発シリーズ」
66年、主演ハナ肇、監督山田洋次のコンビでは「運が良けりゃ」「なつかしい風来坊」の二作が作られている。ヒロインは共に倍賞千恵子で、「運が良けりゃ」での共演はクレージーキャッツのメンバーでは、犬塚弘、桜井センリ、安田伸で、他に藤田まこと、田辺靖雄、「ケンちゃん」シリーズの宮脇康之、そして渥美清が特別出演扱いで出演している。
「なつかしい風来坊」での共演はメンバーでは犬塚弘と桜井センリ、他に有島一郎、中北千枝子の東宝勢、山口崇、松村達雄、真山知子などである。なおこの作品はブルーリボン賞の主演男優賞(ハナ)、監督賞(山田)を受賞しており、初期の山田作品では最も評価が高いようである。
そんなコンビで次に制作されたのが「一発シリーズ」である。ヒロインは全て倍賞千恵子で、メンバーでは犬塚弘がすべてに出演している。ただシリーズと言ってもタイトルに「一発」と入っているだけで、その内容や登場人物には繋がりは一切ない。
第一弾が「喜劇一発勝負」(67年)である。老舗旅館を舞台にしたコメディで、他の出演者は谷啓、桜井センリ、左とん平、石井均、三井弘次、当時スパイダースの堺正章、井上順、そして東宝から加東大介といった顔ぶれである。
第二弾が「ハナ肇の一発大冒険」(68年)である。タイトルに「ハナ肇」が入っているのは他のハナ主演作含めて本作のみである。渡辺プロも制作としてクレジットされている。倍賞美津子も出演しており、千恵子との姉妹共演が見られる(一緒のシーンがあるかどうかは未見なので不明だが)。他の出演者は桜井センリ、なべおさみ、入川保則、中村晃子などである。
第三弾が「喜劇一発大必勝」(69年)である、これは藤原審爾の「三文大将」が原作となっている。ストーリー上ではハナよりも谷啓が主役という感じになっている。他の出演者が佐山俊二、佐藤蛾次郎、蘆屋小雁などである。
この後、山田洋次はご存知の通り渥美清主演の「男はつらいよ」シリーズを撮ることになり、山田のハナを主演とした作品はこの「一発大必勝」が最後となっている。
ハナ肇の「馬鹿シリーズ」
クレージーキャッツによる東宝クレージー映画は非常に有名だと思うのだが、メンバー個々でも異なった映画会社で主演を務めているのである。植木等は東宝、谷啓は東映、犬塚弘は大映、そしてリーダーのハナ肇は松竹である。今回はハナ肇の主演映画から「馬鹿シリーズ」(64年)を取り上げてみたい。
ハナ肇はメンバー7人の中で年齢的には5番目であり、谷啓と安田伸のみが年下なのだが、グループを結成したのが彼ということもあり、リーダーに収まっている。
55年に「ハナ肇とキューバンキャッツ」を結成。メンバーには犬塚弘、クレージーキャッツのほとんどの曲を作曲することになる萩原哲晶もいた。翌56年には谷啓、石橋エータローが加入し、「ハナ肇とクレージーキャッツ」へ改称している。57年に植木等、安田伸が加入。60年に石橋が結核のため休養し、代役として桜井センリが加入。61年にスーダラ節が大ヒット爆発的な人気を得る。石橋が復帰するが、桜井もそのまま残ることになり、お馴染みの7人体制がスタートする。
62年に東宝クレージー映画第1作「ニッポン無責任時代」が公開されるが、実はそれより早く60年大映の「足にさわった女」でハナが主演を務めているのである。
そして64年、東宝クレージー映画がヒットを続ける中、松竹がハナ肇を主演とした映画を製作する。それが「馬鹿まるだし」だった。監督はこれが三本目だった山田洋次である。山田はハナの主演映画を8本撮ることになる。本作にはハナの他、犬塚弘、石橋エータロー、安田伸、桜井センリ、そして東宝との関係からノンクレジットだが植木等も出演している。谷啓がいないのは東映で主演映画「図々しい奴」を撮影していたからである。ヒロインは桑野みゆきで、藤山寛美や渥美清が特別出演扱いで登場。竜雷太が本名の長谷川竜男名義で出演しているようだ。
第2弾は「いいかげん馬鹿」(64年)。ヒロインは岩下志麻で、犬塚弘とハナの付き人だったなべおさみも出演している。
第3弾は「馬鹿が戦車でやってくる」(64年)。ちなみに戦車と書いて「タンク」と読む。ヒロインは岩下志麻で、犬塚はハナの弟役で出演。谷啓もチラッと登場するようだ。
ちなみに、テレビドラマ版もあり「おれの番だ!」という枠で「ハナ肇の『馬鹿まるだし』」(64年)のタイトルで放送されている。共演は犬塚と桜町弘子、中尾ミエなどである。
コント55号の映画(松竹版) その2
前回の続きだが、タイトルに55号がつかない55号映画がいくつか存在する。
まずは「泣いてたまるか」(71年)。これは66~68年にかけて放送された1話完結式のテレビドラマシリーズの映画版である。そこでの主演は渥美清、青島幸男、中村嘉葎雄の3人が務めたが、映画版では彼等ではなく坂上二郎が主演になっている。萩本欽一も準主演的な役(腹違いの兄弟)なので、55号映画にカウントしてもいいかもしれない。他の出演者は榊原るみ、倍賞千恵子、高橋長英、佐藤蛾次郎、浜村純、ミヤコ蝶々などである。倍賞千恵子は、妹の美津子とは対照的に55号映画だけでなくドリフ映画にも出演していないので、珍しいと言えるかもしれない。
「初笑いびっくり武士道」(72年)は、タイトルだけ聞くと時代劇コメディのようなものを予想してしまうが、実はこれ原作が山本周五郎の「ひとごろし」なのである。未見なので、本作が原作どおりにやっているかは不明だが、ここまで原作を想像できないタイトルは中々ないのではないか。この4年後には原作どおり「ひとごろし」のタイトルで萩本が演じた双子六兵衛を松田優作が、坂上が演じた仁藤昂軒を丹波哲郎が演じているのである。このキャストだけでも、原作が同じとは考えづらい気がする。
「びっくり武士道」の他の出演者だが、岡崎友紀、榊原るみ、宍戸錠、ピーター、森田健作、光本幸子、田中邦衛、フォーリーブス、野呂圭介、そして嵐寛寿郎と多彩な顔ぶれである。後輩のコント0番地や坂上の師匠にあたる阿部昇二も出演している。自分の記憶では「55号決定版」か何かで阿部昇二を見た記憶がある。小柄なしょぼくれたオジサンという感じだった。これらも監督は野村芳太郎である。
もう1本は時代が前後するのだが「俺は眠たかった」(70年)。これは萩本欽一が制作・監督・脚本・音楽・主演という一人五役を務めた作品である。坂上二郎はそれに対抗して?本人役を含む一人五役を演じている。55号が所属する浅井企画の浅井良二が製作としてクレジットされている。他の出演者は、前田武彦、青島幸男、左とん平、名古屋章、伴淳三郎、石立鉄男など。DVD化などはされていないようである。
萩本欽一の次回監督作品は23年後の「欽ちゃんのシネマジャック」まで待つことになる。
コント55号としての映画はこの68~72年の4年足らずに集中しており、以降はない。萩本はバラエティ番組をいろいろ立ち上げ、坂上は俳優としてそれぞれ活動して行くことになり、70年代中盤からはコンビとしての活動はほとんど見られなくなっていく。唯一、「ぴったしカン・カン」(75~86年)で二人が揃って解答者として出演していたくらいだろうか。