パープル・シャドウズの映画
流れからパープル・シャドウズの映画というタイトルにはしたのだが、彼らは主演ではなく明らかに助演だ。
パープル・シャドウズ唯一のヒット曲といえば「小さなスナック」だが、同名のタイトルで68年に映画化されている。
「小さなスナック」という歌は知っていても、パープル・シャドウズのメンバー個々につて知らない人も多いのではないだろうか。結成は65年で、その時は「ザ・バーズ」という名前だったらしい。それだとアメリカで「ミスター・タンブリンマン」などのヒットを飛ばしているグループと同じになってしまうのだが。改名は67年で、レコードデビューは68年3月。そのデビュー曲が「小さなスナック」だったのである。
メンバーについてだが、リーダーでリードギターが今井久、サイドギターが綿引則史、ベースが川合良和、ドラムスが大場吉雄である。当初は4人編成で、映画でも4人組だが、69年にキーボード担当の岡村右が加わっている。
映画の内容だが、簡単に言えば青春ラブストーリーで、主演は藤岡弘と尾崎奈々。前回紹介した「落葉とくちづけ」と同じコンビである。ちなみに、監督も同じ斎藤耕一だ。他の出演者は清水将夫、高橋昌也、山田真二、斎藤チヤ子、ケン・サンダース、石井伊吉(毒蝮三太夫)などで、ジュディ・オングやヴィレッジ・シンガースも歌のゲスト的な感じで出演している。
君子役で出演している木下節子は他の出演情報がない。歌手としてシングルが1枚出ているようだが、他のことは詳細不明である。みどり役の園江梨子は平山みきの姉で、後に平山洋子と改名し歌手として活動している。
音楽としてクレジットされているのがリーダーの今井久で、「小さなスナック」も彼の作曲である。前述のように、ヒット曲が出ることはなく、このメンバーでは71年頃まで活動していたようだ。ちなみに5枚目のシングル「別れても好きな人」はロス・インディオス&シルビアのカヴァーで大ヒットするのだが、パープル・シャドウズも歌っていたことはあまり知られていないのではないだろうか。
グループは「今井久とパープル・シャドウズ」としてメンバーチェンジを重ねながら80年代までは活動していたらしい。
ヴィレッジ・シンガーズの映画 その2
前回の続きである。ヴィレッジ・シンガーズの主演映画第2弾は「虹の中のレモン」(68年7月)である。前作「想い出の指輪」のA面にあたる曲のタイトルがそのまま映画タイトルになっている。ちなみに、このシングルは両面ともヒットしたようである。
さて「虹の中のレモン」だが、ヴィレッジ・シンガーズの映画となってはいるが、実質的な主役は竹脇無我である。竹脇の役名は前田健太ならぬ前田健、つまりマエケンである。ヒロインは前作同様に尾崎奈々。他の出演者は中山仁、加東大介、美川陽一郎、沢村貞子、牧伸二、トリオ・スカイライン、パープル・シャドウズなどである。トリオ・スカイラインは東八郎、小島三児、原田健二によるお笑いトリオで、東は東MAXこと東貴博の父である。 小島はトリオ解散後、俳優として活躍する。ヴィレッジの役柄はそのまま本人たちである。
主演映画第3弾となるのが「落葉とくちづけ」(69年)である。これもシングルのタイトルそのままである。本作も実質的な主役は藤岡弘と尾崎奈々である。藤岡弘は「仮面ライダー」(71年)で、出てきたようなイメージがあるかもしれないが、デビューは65年で既に松竹映画の青春スターの一人であった。本人は体育会系気質のせいか、松竹作品は自分の体質には合っていなかったようなことを語っている。
ヴィレッジ・シンガーズの役柄はヴィレッジ・シンガーズにそっくりの五人組(笑)で、つまり一般人である。他の出演者は香山美子、早瀬久美、佐藤蛾次郎、山本リンダ、白木みのるなどで、オックスも登場する。そういえば、山本リンダも「仮面ライダー」にレギュラー出演していた時期があったが、藤岡がケガで休演していた時で佐々木剛の2号ライダーが主演の時である。
彼等も他グループ同様に69年からは低迷が始まり、71年に解散の運びとなっている。清水道夫はソロシンガーになり、林ゆたかは俳優に転向する。他の三人はレコードディレクター、CMプロデューサー等で活躍、清水も数年でレコードディレクターに転身した。林の俳優業は順調に見えたが83年には引退し、実業家に転じた。
02年に島谷ひとみが「亜麻色の髪の乙女」をカヴァーしてヒットしたのをきっかけに当時の五人でグループを再結成する。今も不定期でがあるが、活動することがあるようだ。
ヴィレッジ・シンガーズの映画 その1
今回はヴィレッジ・シンガーズである。前回までの3グループに比べると地味な印象があると思うが、映画出演は結構多かったりするのである。
メンバーの顔ぶれについては知らないという人も多いのではないだろうか。個人的にも、林ゆたかが在籍していたグループという印象。その林も引退して35年以上経過しており、全員が表舞台を退いて長いので、メンバーを知らなくても仕方ないところだ。
66年10月「暗い砂浜」でデビューしたが、その時のメンバーはリーダーの小松久(ギター)、林ゆたか(ドラムス)、南里孝夫(12弦ギター)、森おさむ(ベース)の4人。また、デビュー前に脱退しているが、レコーディングには古関正裕(キーボード)も参加していた。ちなみに作曲家・古関裕而の長男である。
2枚のシングルを発表したがパッとせず、南里と森はそれぞれの事情で脱退した。残された小松と林、所属のホリプロが各大学を廻り、小池哲夫(キーボード)、笹井一臣(ベース)、そして清水道夫(ヴォーカル、ギター)をスカウト。
新たな5人編成で臨んだ67年8月の3枚目シングル「バラ色の雲」が大ヒットし、人気GSの仲間入りを果たした。
映画初出演は「二人の銀座」(67年、日活)で、ジャズクラブで彼らの演奏シーンが流れるというもの。ただ、これは2月公開なので、新編成になる前であり曲も2枚目の「君を求めて」である。続いて、ここでも紹介したばかりの「ザ・スパイダースのゴーゴー向こう見ず作戦」「東京ナイト」(67年、日活)、「ザ・スパイダースの大進撃」(68年、日活)と新編成になってからの出演だが、主役はスパイダースかヤング・アンド・フレッシュであり、ヴィレッジ・シンガーズは演奏シーンがあるというだけの出演だ。
「バラ色の雲」に続き「亜麻色の髪の乙女」も大ヒットし、松竹は彼らを主演とした映画を撮ろうと考えたようだ。その第1弾が「想い出の指輪」(68年4月)である。これは同月に発売されたシングル「虹の中のレモン」のB面曲のタイトルでもある。
ここでの5人は役名は本名そのままでバンドをやっているが、プロのGSというわけではない。ヒロインは尾崎奈々で彼女はヴィレッジ映画全てのヒロインを担うことになる。他の出演者は中山仁、山本リンダ、守屋浩、本間千代子、水森亜土そしてザ・スパイダース、ザ・ダーツなどである。ザ・ダーツはその2月に発売した「ケメ子の歌」が大ヒットしている最中だった。水森亜土は当時28歳。歌手であり、女優であり、イラストレーターであるというマルチ人間。80歳を超え、近年あまり見かけることはないが健在である。次回に続く。
ザ・テンプターズの映画
スパイダース、タイガースときたら次はテンプターズというのが自然な流れだろう。と言っても彼等の主演映画は1本だけなのだが。
ザ・テンプターズハショーケンこと萩原健一の居たグループとして知られている。逆に言えば、他のメンバーについては知らないという人が多いということになるかも。萩原以外のメンバーだが、リーダーが松崎由治(リードギター、ヴォーカル)で、高久昇(ベース)、田中俊夫(サイドギター)、大口広司(ドラムス)という構成。この中では大口も萩原と同様に俳優をやったり、真行寺君枝と結婚したりしていたので、知っている人もいると思うが、他の三人は早くに表舞台を退いている。
全員が埼玉の出身で、ショーケンが与野、他の四人が大宮だ。スパイダースのリーダー田辺昭知によってスカウトされ、67年10月に「忘れ得ぬ君」でレコードデビュー。意外にもリードヴォーカルは松崎で、ショーケンはハーモニカ。二人の歌声はよく似ているので(素人耳には)、ショーケンが歌っているのかと思っていた。
この直後に公開された田辺と加賀まりこ主演の映画「濡れた逢引き」に演奏している彼らが映ったりしている。また浜田光夫、和泉雅子主演の「星影の波止場」(68年、日活)でもゴーゴークラブで演奏する彼らが登場している。
そして、主演映画となる「ザ・テンプターズ涙の後に微笑みを」(69年、東宝)である。脚本は池田一朗(隆慶一郎)で、スーパーでのバイト仲間がバンドを結成するという青春映画だ。新珠三千代がショーケンの母役、須賀不二男が高久の父役。他に山岡久乃、名古屋章、そして堺正章が特別出演扱いとなっている。ヒロイン役は聖ミカという人だが、本作以外には出演作は見当たらない。ただ、約15年が経過した83~84年にかけて同じ名前の女優が日活ロマンポルノに出演している。写真を見た限りでは似ているが、同一人物かどうかは不明だ。
劇中使用曲はほとんどがレコード音源だが、ピンキーとキラーズの「恋の季節」を生演奏で歌っている。「オーママ、マア~」で知られるシングル「おかあさん」を劇中で松崎、ショーケンそれぞれが歌っている。レコードでは松崎がメインボーカルなので、ショーケンバージョンは本作でのみ聞ける。この曲に関しては「ママ、ママなんて歌ってられるか」とショーケンが嫌がり松崎がメインボーカルになったらしい。
GSブームの終焉とともに彼等も70年12月にひっそりと解散。解散コンサートのようなものは行われなかったようだ。
解散後すぐに引退した田中は97年に49歳の若さで亡くなり、大口も09年に58歳で亡くなった。そして、ショーケンも19年に68歳で亡くなっている。
ザ・タイガースの映画 その3
前回の続きである。1969年3月に起きたのが、加橋かつみの失踪事件である。これは、レッスン中にスタジオを離れた加橋がそのまま戻ってこなかったというものだった。
しかし、これは渡辺プロ主導の脱退劇だったことが発覚する。彼を失うことで、タイガースの人気低下を恐れた渡辺プロが「加橋の自発的失踪」という体裁を繕おうとしたものだった。
いずれにしろ、加橋は脱退し、後任に選ばれたのが岸部修三(一徳)の実弟である岸部シローであった。身内というだけでなく、元々グループにはサポート的な位置で関わっていたので、入れやすかったというのはあるだろう。加橋の後釜なので、ギター担当であったが実際には弾けなかったため、当初は弾く真似をしていたという(後にある程度は弾けるようになる)。ただ、ヴォーカルとしては加橋の高音に近いものを出すことができた。
そして3作目の映画「ザ・タイガース ハーイ!ロンドン」(69年)もシロー加入後に公開された。タイトル通りロンドンでの撮影も行われている。
タイガースの五人は本人の役。スケジュールに忙殺されるメンバーの前に、藤田まこと演じる出門鬼太郎が現れる。彼の正体は悪魔の化身で、その狙いは五人の魂であった。彼等の窮地を救うのが久美かおり演じる新倉めぐみであった。というようなストーリー。他の出演者は杉本エマ、左とん平、小松政夫など。ヒロイン役の久美かおりがシングル曲となる「髪がゆれている」を披露している。彼女はこの映画を最後に引退してしまうので、ザ・タイガースの映画全てでヒロインを務めた人として記憶に残ることになった。
本作が公開されたころには、GSブームも衰えが顕著になっており、タイガース映画も本作が最後となった。そして、71年1月にはザ・タイガースも解散となった。
解散後の沢田研二の活躍は説明不要だろう。森本は「森本太郎とスーパースター」を結成。「助け人走る」の主題歌「望郷の旅」は個人的に好きな曲である。失礼ながら意外にも思えたのが岸部兄弟の活躍。アイドル的な人気は他メンバーより低かったと思われるが、岸部修三は俳優に転向し岸部一徳と改名。性格俳優として長く活躍することになる。シロー(後に四郎)も俳優、そして司会者として活躍。しかし多額の借金を背負った末、09年ころから体調を崩しメディアへの露出が困難になってしまう。瞳は解散、即引退し、その後高校教師となりメンバーとの連絡も断ち切ってしまう。しかし、2011年になって40年ぶりに公の場に姿を現している。そして沢田のツアーに森本、一徳と共に参加した。13年東京ドーム公演最終日には加橋に加え、四郎も車椅子姿で登場し、メンバー六人全員が揃ったステージが実現した。
四郎は2020年に71歳で死去。加橋は2013年以降は再結成には参加していない。
ザ・タイガースの映画 その2
さて「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」(68年)だが、製作はは東宝と渡辺プロ。監督はドリフや55号映画も手掛けた和田嘉訓である。挿入歌は10曲以上あり、映画の半分は彼らの演奏シーンである。とにかく、彼らが多忙で撮影時間もあまり取れなかったこともあり、ストーリーはかなり無理のあるものになったという。まあ、SFラブコメディとでも言うのであろうか。
ヒロインであるアンドロメダ星王女シルビィに扮するのは久美かおり。彼女も渡辺プロに所属していた新人歌手である。植木等主演の「日本一の男の中の男」(67年)にも「メイツガールズ」の一人として出演していた(他のメンバーは平山三紀、「トワ・エ・モア」の山室英美子)。彼女はタイガース映画全てのヒロインを演じることになる。
シルビイの従者に天本英世、浦島千歌子、婚約者であるナルシス殿下に三遊亭園楽(五代目)までが宇宙人役。浦島は当時40代の宝塚歌劇団出身の女優。聞き馴染みないと思ったら69年には引退しているようだ。圓楽は先日亡くなった六代目円楽(楽太郎)の師匠。キャッチフレーズに「星の王子さま」を使っていた。
他の出演者だが、松本めぐみ、高橋厚子、小橋玲子、なべおさみ、小松政夫、小澤昭一、石橋エータローなど。また、本作の挿入歌全ての作詞を手掛ける橋本淳、作曲を手掛けるすぎやまこういちもチラっと顔を出している。
第二作は「ザ・タイガース 華やかなる招待」(68年)。製作は渡辺プロと東宝系の東京映画である。監督は先日紹介したスパイダース主演の「にっぽん親不孝時代」を手掛けた山本邦彦。
ここでは彼らに役名が付いている。沢田(宇野健二)、岸部(赤塚修)、森本(大坪太郎)、加橋(糸川忠夫)、瞳(江田浩)となっており、頭文字は「アイウエオ」になっている。下の名は三人は本名に因んでいるが、加橋と瞳は何故か違うものになっている。役柄は高校生である(当時の実年齢は20~22歳)。前作と違いちゃんとストーリーもあり、普通の青春映画となっている。
前述のようにヒロインは久美かおりで、その友人が小山ルミ。担任教師が西村晃で、校長が藤村有弘、それぞれの親が三宅邦子、立原博、塩沢とき、上田忠好、潮万太郎。他に春川ますみ、牟田悌三、野村昭子、大泉滉、小松政夫など。
69年になると、アイドル性を前面に出したプロモーションはメンバーの不満を募らせて行くことになった。特に芸術家肌だった加橋は68年には脱退を仄めかすようになり、現状維持派だった沢田との対立が顕著になっていた。沢田に並ぶボーカルだった加橋の脱退は避けたい渡辺プロは、彼の意向を反映したアルバム「ヒューマン・ルネッサンス」をリリースしたが、その後も加橋の脱退意志は収まらなかった。次回に続く。
ザ・タイガースの映画 その1
ザ・スパイダースについては前回で終了。とくれば次はザ・タイガースというのが自然な流れであろう。彼等が主演の映画は全部で3本存在するが、まずはメンバー紹介から。
タイガースといえば、沢田研二のいたグループというイメージを持つ人が多いと思うが、他のメンバーもそれなりに有名なのではないだろうか。加橋かつみ、森本太郎、岸部修三(一徳)、瞳みのる、そして加橋脱退後は岸部シロー(四郎)が加入している。
岸部修三と森本、瞳は中学の同級生で、加橋は高校の夜間部で瞳の二学年下だった。この4人がベンチャーズに影響を受け「サリーとプレイボーイズ」を結成する。インストナンバーが中心であったが、やはりビートルズなどの影響もあり、専属ボーカルとして「サンダース」にいた沢田を勧誘した。翌66年、沢田は正式にメンバーとなりバンド名も「ファニーズ」に改称している(リーダーは瞳)。
関西で活動していた彼等だったが、当時ブルージーンズに所属していた内田裕也がそのステージを見て「東京にくるか」と声をかけた。ブルージーンズも所属していた渡辺プロと契約し、11月に上京した。初のテレビ出演は「夜のヒットパレード」で、番組ディレクターだったすぎやまこういちが「大阪から来たの。じゃタイガースだ」と命名されてしまったという。その後、すぎやまは作曲家に転身し、彼らの大半の曲を手掛けるようになる。また、渡辺プロの指示で、リーダーは岸部に変更されている。
内田の命により、メンバーのニックネームと芸名が決められた。岸部はリトル・リチャード「のっぽのサリー」に由来する「サリー」。瞳はキューピーに由来する「ピー」。森本はそのまま「タロー」で、元々メンバー間で使われていた愛称だった。加橋はトッポ・ジージョに似ているから「トッポ」になり、沢田はジュリー・アンドリュースから「ジュリー」。これは自分で決めたという。「サリー」辺りは無理矢理付けたような印象が勝手にあったが、元から呼ばれていたとは意外に思った。
芸名は岸部は読みの変更(本名はシュウゾウだがオサミと読む)。瞳は表記変更(本名は人見豊)。加橋は本名から一文字とる(本名は高橋克己)。沢田はそのまま本名で通した。それにしても、タカハシカツミだと今は高橋克実を思い浮かべることになるだろう。
渡辺プロとしては、本人たちの意志はともかく彼らをアイドル路線で売り出した。数あるGSの中でもトップといえる人気を得たことで、当然のように映画も製作されることになる。その第一作が「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」(68年)であった。次回に続く。
ザ・スパイダースの映画 その4
68年のスパイダース映画は、もう1本あり、それが東宝製作の「にっぽん親不孝時代」である。タイトルに「ザ・スパイダース」の文字はないので(DVDにはある)、タイトルだけだと彼らの映画だとはわからないのではないだろうか。クレージーキャッツの「ニッポン無責任時代」のもじりであろうか。
ここでの彼らはバンドではあるが本人設定ではなく、ちゃんと役名がある。堺正章(杉本邦雄)、井上順(光妙寺の録郎)、井上孝之(戸田菊男)、大野克夫(一の瀬昭)、加藤充(弓岡実)、かまやつひろし(哲)、田辺昭知(一彦)といった具合だ。
当初はかまやつ、田辺を除いた五人組で後から二人が合流する形となっている。ゆえに、主題歌となっている「親不孝で行こう」は冒頭の映像上は五人での演奏となっている。ちなみに堺はドラムス、順はギターを持っている。実際、堺はドラムはできるらしいが、順は弾くふりであろう。この「親不孝で行こう」など、本作で初披露されている曲はレコード化、CD化などされておらず、現状ここでしか聞くことができない(はず)。
他の出演者は星由里子、佐原健二、藤村有弘、水上竜子、そして堺駿二など。堺駿二はマチャアキではなく井上順の父親役なのでややこしい(マチャアキの父役は藤村有弘)。堺駿二は、本作が公開される前の68年8月に舞台で倒れて54歳の若さで急死している。ゆえに、最後の親子共演となっている。
スパイダース映画は以上だが、番外編としてリーダーの田辺昭知が役者として単独で主演の映画をご存知だろうか。大分前にここでも取り上げたことはあるが「濡れた逢びき」(67年、松竹)がそれである。ピンク映画っぽいタイトルだが、もちろん一般映画であの加賀まりことのダブル主演なのだ。ジャンルはミステリー(スリラー)になるのだろうか。大雑把にネタバレすると一度は恋愛関係になった二人が殺し合うのである。
役者志向もあった田辺だったが、自分は裏方が向いていると思ったのか、70年に一足先に現役を退き(ドラムス後任は前田富雄)スパイダクションを設立。これが後の田辺エージェンシーとなるのである。80を超えた現在もその社長として「芸能界のドン」として君臨している。
ザ・スパイダースの映画 その3
1968年、日活では三本のスパイダース映画が製作されている。前作「向こう見ず作戦」では、彼らは一般人設定であったが、この三作はいずれも人気GSであるザ・スパイダースのメンバー、つまり本人としての出演である。
まずは「ザ・スパイダースの大進撃」。ストーリー概要だが、イギリス公演から帰国したスパイダースだが、本人たちは知らぬ間に堺正章のタンバリンには高価なダイヤが埋め込まれ、田辺昭知のカバンには設計図が混入していた。それらを追って悪の一味が彼等を付け狙うのだった。どこかで、見たストーリーと思いきや、まさにビートルズの「ヘルプ」なのである。パクリなのか公言していたのかは不明だが、これも脚本に倉本聰が名を連ねている(もう一人は伊奈洸=福田陽一郎)。他の出演者は和泉雅子、真理アンヌ、草薙幸二郎、植村謙一郎、柳瀬志郎など。堺の実父である堺駿二が老婆の役で出演。その孫娘役は「スペクトルマン」で公害Gメン(立花みね子)を演じていた親桜子である。
続いて「ザ・スパイダースの大騒動」。彼等の車が追突されるところから物語は始まる。追突してきた車に乗っていたのが今回のヒロイン奈美悦子と川口恒。他に楠トシエ、由利徹、獅子てんや・瀬戸わんや、青空はるお・あきお等の出演で川口とマネージヤ役の弘松三郎くらいしか(それなりに名のある)日活俳優は出ていない。主題歌は「あの時君は若かった」である。
そして日活に開けるサパイダース映画の最終作となる「ザ・スパイダースのバリ島珍道中」。ストーリーは「大進撃」とよく似ており、密輸団がスパイダースのアンプの中にプルトニウムを仕込んで持ち出す。タイトル通りバリ島が主な舞台となっており、スパイダースと密輸団の攻防戦が繰り広げられるというお話。田辺は堺の食べたバナナの皮で転倒し、ケガをするという古典的なギャグ?がある。その為、合流が中盤以降からになる(スケジュールの都合かも)。
その密輸団に扮するのが内田良平、高品格、杉本エマ。彼等に冒頭で殺られるのが郷鍈治である。他に小川ひろみ、伊藤るり子、高樹容子、楠トシエ、平凡太郎など。
ザ・スパイダースの映画 その2
前回の続きである。堺正章は63~64年辺りは日活、大映だけでなく東映でも「夢のハワイで盆踊り」などに高校生役で出演している。
「田辺昭知とザ・スパイダース」の名が初めてクレジットされたのは日活の「仲間たち」という作品で、これは64年3月の公開で、撮影時には井上順が加入したかどうかという時期と思われる。本作にも堺は役者として出演。かまやつは(かまやつ・ヒロシ名義)本人役でスパイダースをバックに歌うシーンがあり、二人は個人名でクレジットされている。未見なのでこのシーンでのスパイダースの構成は不明である。他にも井上高之という名もクレジットされており、井上孝之(堯之)の誤植なのかどうかも不明だ。
「高原のお嬢さん」(65年、日活)は、お馴染みの七人体制でシングルデビューした後の初出演映画である。主演は前述の「夢のハワイで盆踊り」と同じ舟木一夫で、東映から日活に移った形になっている。ここでも堺は役者として出演しており、スパイダースは「エレキバンド」の役。ちなみに「スパイダース」ではなく「スパイダーズ」とクレジットされている。
「青春ア・ゴー・ゴー」「涙くんさよなら」(66年、日活)はいずれも日活俳優バンド「ヤング・アンド・フレッシュ」との共演。ちなみにメンバーは、山内賢、和田浩治、杉山元、木下雅弘で、「青春‥」の方は主演の浜田光夫とジュディ・オング、「涙くん‥」には梶芽衣子(当時、太田雅子)が加わる形になっている。スパイダースは普通に本人たちの役だが、前者には井上順がいないようだ。
「夕陽が泣いている」(67年、日活)はスパイダースのヒット曲がタイトルになっているが、主役は山内賢、和泉雅子(とヤング・アンド・フレッシュ)である。スパイダースは彼らの先輩バンドで、「夕陽が泣いている」以外にも「太陽の翼」や「なんとなくなんとなく」などが使用されている。ちなみに、和泉雅子の兄役で出演している横内章次は俳優ではなく作曲家兼ギタリストで、横内正の実兄でもある。
そしてついに彼らが主演の「ザ・スパイダースのゴーゴー・向う見ず作戦」(67年、日活)である。素人歌謡コンクールで優勝した美女(松原智恵子)が「あらゆる障害物を越えて真っすぐに自分のところまで歩いてきた人と結婚したい」と言ったのを真に受け、スパイダースが実行するという話。青春ドラマだし物理的に無理とか考えてはいけないのである。あの倉本聰が脚本に名を連ねてる。松原智恵子のバックで演奏するのがヤング・アンド・フレッシュである。