お宝映画・番組私的見聞録 -29ページ目

七人の刑事 終着駅の女

「七人の刑事」映画版の三本目は今までの二本(松竹)と異なり日活で製作されている「七人の刑事 終着駅の女」(65年)である。
この作品は「七人の刑事」という有名タイトルでありながら長い間、詳細不明とされていたようである。その理由がどうやら地方公開のみの併映作品だったから日活本社でも封切り日の詳細等が不明だった、ということのようである。では何故、地方公開のみだったのか?
それは後に回すとして、七人の顔ぶれはテレビ、松竹版と同じ堀雄二(赤木主任)、芦田伸介(沢田部長刑事)、菅原謙二(杉山刑事)、佐藤英夫(南刑事)、城所英夫(中島刑事)、美川洋一郎(小西刑事)、天田俊明(久保田刑事)。
ここに「特捜最前線」の船村刑事でお馴染みの大滝秀治が所轄の刑事役で加わっているような形。名前を呼ばれる場面はないらしいが、設定では「山越」という名のようだ。
上野駅のホームで若い女の刺殺死体が発見される。その死体を発見するのが「西部警察」の係長で知られる庄司永建である。メインゲストとなるのが笹森礼子で、他に北林谷栄、平田大三郎、梅野泰靖、草薙幸二郎、大森義夫、杉山元など。
他にも沖田駿一が本名の吉田毅名義で組員役、日色ともえが食堂のウエイトレスというチョイ役で出演していたりする。
笹森礼子はこの65年に結婚して引退しており、公開時期から考えると「男の紋章喧嘩街道」よりも本作が引退作ということになりそうである。平田大三郎も60年代の日活作品で活躍した役者だが、68年頃引退して実業家に転身している。
本作の注目点としては渡辺宙明が「音楽」ではなく「音響」としてクレジットされていること。誤植というわけではなくではなく、実はこの作品には音楽がないのである。
渡辺本人の話では、監督(若杉光夫)が音楽なしでいきたいと言い、劇中に街ノイズとしての音楽が流れるので、著作権使用料のかからない音楽について自分がアドバイスしたのだという。本人の感想として音楽がないと固い感じがつきまとい、かなり損をしている。音楽の必要性を改めて感じたとのことだった。
興行的にも成功しなかったのはそのためだろうとも述べており、つまりは地方公開のみになった原因にもなっているということになるのではないだろうか。

七人の刑事 女を探がせ

前回の続きだが「七人の刑事」の松竹映画版の第二弾は前作から約三か月後に公開された「七人の刑事 女を探がせ」(63年)である。
七人のキャストはもちろんテレビ版と同じ堀雄二、芦田伸介、菅原謙二、佐藤英夫、城所英夫、美川洋一郎、天田俊明である。
今回は感化院で火事があり、四人の非行少女が脱走したのだが、その中の一人が絞殺死体で発見されるところから話は始まる。その非行少女たちの顔ぶれが中々なのである。脱走組が香山美子、青山ミチ、中村晃子そして脱走者ではないが(後に逃走)被害者と同部屋だった十朱幸代というメンバー。十朱は城所演じる中島刑事のことは振り回すが、菅原演じる杉山刑事には従順といった役柄。杉山刑事は女の子にモテるという設定である。
当時、十朱は21歳、中村は18歳、香山は19歳だが、青山は14歳であった。この中では後に「銭形平次」の女房となる香山の非行少女というのが想像しづらい。まあ子役出身で、松竹入社まもない頃である。中村もまだ無名というか(新人)と付いていた。青山は13歳で歌手デビューしたが、身長も高く中学生には見えなかった。米兵と日本人母とのハーフだが、父親については不明だ。黒人とのハーフっぽくも見えるのだが、白人であると断言している説がある。
他にも田村高廣、高千穂ひづる、加藤嘉、浅茅しのぶといった顔ぶれ。香山の彼氏役で園田明弘(新人)という男が出ているが、他に出演記録はなく詳細不明である。高千穂ひづるの父は「俺がルールブックだ」の名言で知られるプロ野球審判員の二出川延明。「月光仮面」で知られる大瀬康一と64年に結婚した後は、徐々に芸能の仕事は減らしている。
犯人役はこれまで名を挙げた中にいるが、それなりの人がやっているとだけ言っていこう。
前述の非行少女役の女優たちは、軒並み出世したが、歌手である青山ミチは66年に覚せい剤で逮捕。活動再開後の74年には万引きで現行犯逮捕されているが、営業などでそれなりの収入はあったとされる。78年に覚せい剤で再び逮捕され、芸能界からは追放状態となってしまうのである。

七人の刑事(映画版)

企画変更というか、GSネタが尽きたので、TVドラマの映画版というのをいくつか取り上げてみたい。
まずは有名どころだが、「七人の刑事」(61~69年)である。新キャストによる78年~79年版もあるのだが、タイトル上は同じでややこしい。60年代版は全385話放送されたようだが、映像が残っているとされるのは2話分のみである。ゆえに番組の存在を知っている人は多いだろうが、実際に見たことある人は少ないかもしれない。
映画版は意外と知られていない気もするが、松竹版が2作、日活版が1作の全3作が存在する。今回は松竹版を取り上げてみたい。
ちなみに、キャストはテレビ版と同じである。ポスタ-の表記順で書くと、堀雄二(赤木主任)、芦田伸介(沢田部長刑事)、菅原謙二(杉山刑事)、佐藤英夫(南刑事)、城所英夫(中島刑事)、美川洋一郎(小西刑事)、天田俊明(久保田刑事)の七人である。菅原謙二は後に謙次、美川洋一郎は後に陽一郎と改名している。
堀雄二はスタート当時39歳だが貫録十分。東映の「警視庁物語」シリーズ(56~64年)で、部長刑事役でレギュラーだったことからの抜擢であろう。芦田と美川は共に老刑事といったイメージだが、スタート時は芦田44歳、美川43歳である。佐藤、菅原、城所は36~34歳とほぼ同年代で、天田が唯一の20代(26歳)であった。
この中では堀と共に映画スターだったのが菅原である。大映では主役時代もあったが、準主役的なポジションが多くなったこともあってか、オファーを受け入れたようだ。当時は映画からテレビに来るのは結構な冒険だったと思われる。
さて、映画版1作目だが、タイトルはそのまま「七人の刑事」(63年)。脚本は前述の「警視庁物語」も担当していた長谷川公之。メインゲストは倍賞千恵子、早川保、園井啓介で、当時のポスターでは七人より、この三人が大きく載っていた。
園井は新聞記者の役だが、当時NHKの「事件記者」にレギュラー出演していた。ちなみに、「七人の刑事」が放送される前「刑事物語」(60~61年)という30分ドラマが放送されていた。その顔ぶれは堀雄二、芦田伸介、佐藤英夫、美川洋一郎、天田俊明、そして園井啓介だったのである。役柄も堀は主任、芦田は部長刑事と「七刑」と同様だったようである。多忙であったと思われる園井が抜け、菅原と城所を加えて「七人の刑事」が誕生したわけである。
話を映画に戻すと、他の出演者は香山美子、富士真奈美、瞳麗子、平尾昌晃、高宮敬二、松村達雄、清村耕次、佐々木孝丸などである。

ザ・ジャガーズの映画 その2

前回の続きである。「進め!ジャガーズ敵前上陸」(68年)には、前回書いた以外にも興味深い出演者が多い。
まずは、ナルシストな警部役の五代目三遊亭圓楽。後に「笑点」の司会者となるが、この時点では大喜利メンバーの一人であった。一度番組を降板しているが、本作にも出演している3代目司会者である三波伸介の急死に伴い、4代目司会者として復帰している。先日亡くなったのはその弟子である六代目の円楽だが、個人的には「楽太郎」のイメージが強い。
軍曹役で出演している南道郎は悪役のイメージが強いが50~55年頃までは、漫才師でもあった。中村晃子の友人?役で出演している謎の双子がレイコ・ミツコ。他に出演歴もないようだし、リアルに謎の双子である。
五人組の女性暗殺者レッド、ブルー、グリーン、イエロー、ホワイトが登場するが、それぞれ荒井千津子、園江梨子、杉本マチ子、比嘉照子、藤田憲子が演じている。
荒井千津子は当時22歳の松竹女優だが、本作の翌月に公開された「いれずみ無残」では主演に抜擢されている。これはシリーズ化され「いれずみ無残鉄火の仁義」「新宿そだち」(68年)の3作が公開され、いずれも荒井が主演で、準主演が松岡きっこであった。しかし「めくらのお市物語真赤な流れ鳥」(69年)で、準主演を務めた後の出演記録はなく、その時点で引退したのかもしれない。園江梨子は以前書いたとおり、後に平山洋子と改名し(妹は平山みき)し歌手とし活動している。
藤田憲子(現・紀子)は70年に人気力士だった貴ノ花と結婚。つまり若貴兄弟の母であり、近年でもたまに芸能ニュースで話題になることもあるが、松竹時代はほぼ端役専門の女優であった。しかし前述の「新宿そたち」のポスターでは、その名前が載っている。女優としては目立った実績はなかったが、貴ノ花から手紙が届いたのが交際のきっかけだったようだ。
ジャガーズと同じ事務所に所属していたザ・クーガーズもその縁で出演。ジャガーズはミリタリールックが好評だったため、クーガーズはスコットランド風衣装つまりキュロットスカートを伴うものだった。事務所から坊主頭との二択を迫られ、まだマシだからと選んだものであったらしい。ベース担当の島田宏昌は後にコミックバンド・ビジーフォーのリーダー島田与作となる。他の三人(モト冬樹、グッチ裕三、ウガンダ)は有名になったが、島田を知っている人はあまりいないのではないだろうか。

ザ・ジャガーズの映画

ザ・ジャガーズの主演映画は1本だけ存在する。「進め!ジャガーズ敵前上陸」(68年)である。前回と前々回のヴィレッジ・シンガース、パープル・シャドウズの映画と同じ松竹の製作なのだが、テイストは全然違う。純粋な青春ラブストーリーで藤岡弘の友人といった立ち位置だった前者に比べ、ブラックコメディといった感じの本作のジャガーズは主演と言って差し支えないないだろう。ただ、ポスターでのトップは中村晃子だった。
ザ・ジャガーズは6人組で、67年6月に「君に会いたい」でレコードデビュー。続く「ダンシング・ロンリーナイト」「マドモアゼル・ブルース」もヒットし、人気グループとなっていった。中でもヴォーカルの岡本信は甘いマスクで人気だった。しかし、他メンバーに関しては知らない人も多いのではないだろうか。
リーダーは宮ユキオ(ドラムス)で、レコードデビュー時は既に29歳であった。ちなみに岡本は10歳以上離れた18歳。他は沖津ひさゆき(リードギター)、森田巳木夫(ベース)、宮崎こういち(サイドギター)、佐藤安治(キーボード)。映画はこの6人で出演しているが、公開された68年3月にリーダーの宮が脱退。グループ内で内紛があったらしい。代わりに浜野たけし(ドラムス)が加入している。
ヒロイン役は前述の中村晃子。65年に歌手デビューし、当初はパッとしなかったが、67年に出した「虹色の湖」が大ヒットする。本作でもジャガーズの演奏で「虹色の湖」を歌唱するシーンがある。62年高校在学中に松竹にスカウトされ、64年に正式契約。チョイ役ではあったが63年頃から映画には出演していた。
もう一人のヒロインはヴィレッジ・シンガース、パープル・シャドウズの映画でもヒロインを務めた尾崎奈々である。彼女は、内田良平のマネージャーにスカウトされ、日活、東映いずれのカメラテストにも合格。結局入社したのは、最後に受けた松竹だった。人気ドラマ「お嫁さん」および吉永小百合が主演した「娘たちはいま」に出演して、映画よりもテレビで先に注目されていたのである。ちなみに「お嫁さん」の主演だった東山明美も本作ではスチュワーデス役で顔尾出している。
他の注目点としては、てんぷくトリオの3人が出演しているところか。三波伸介、戸塚睦夫、伊東四朗によるお笑いトリオだが、戸塚が73年に42歳の若さで病死。三波も82年に52歳で亡くなっている。残った伊東は現在も活躍中だが、三人揃っている映画は少ないので貴重かもしれない。ただし、本作では伊東はジャガーズの仲間だが、戸塚と三波は彼らを狙う悪役である。

パープル・シャドウズの映画

流れからパープル・シャドウズの映画というタイトルにはしたのだが、彼らは主演ではなく明らかに助演だ。
パープル・シャドウズ唯一のヒット曲といえば「小さなスナック」だが、同名のタイトルで68年に映画化されている。
「小さなスナック」という歌は知っていても、パープル・シャドウズのメンバー個々につて知らない人も多いのではないだろうか。結成は65年で、その時は「ザ・バーズ」という名前だったらしい。それだとアメリカで「ミスター・タンブリンマン」などのヒットを飛ばしているグループと同じになってしまうのだが。改名は67年で、レコードデビューは68年3月。そのデビュー曲が「小さなスナック」だったのである。
メンバーについてだが、リーダーでリードギターが今井久、サイドギターが綿引則史、ベースが川合良和、ドラムスが大場吉雄である。当初は4人編成で、映画でも4人組だが、69年にキーボード担当の岡村右が加わっている。
映画の内容だが、簡単に言えば青春ラブストーリーで、主演は藤岡弘と尾崎奈々。前回紹介した「落葉とくちづけ」と同じコンビである。ちなみに、監督も同じ斎藤耕一だ。他の出演者は清水将夫、高橋昌也、山田真二、斎藤チヤ子、ケン・サンダース、石井伊吉(毒蝮三太夫)などで、ジュディ・オングやヴィレッジ・シンガースも歌のゲスト的な感じで出演している。
君子役で出演している木下節子は他の出演情報がない。歌手としてシングルが1枚出ているようだが、他のことは詳細不明である。みどり役の園江梨子は平山みきの姉で、後に平山洋子と改名し歌手として活動している。
音楽としてクレジットされているのがリーダーの今井久で、「小さなスナック」も彼の作曲である。前述のように、ヒット曲が出ることはなく、このメンバーでは71年頃まで活動していたようだ。ちなみに5枚目のシングル「別れても好きな人」はロス・インディオス&シルビアのカヴァーで大ヒットするのだが、パープル・シャドウズも歌っていたことはあまり知られていないのではないだろうか。
グループは「今井久とパープル・シャドウズ」としてメンバーチェンジを重ねながら80年代までは活動していたらしい。
 

ヴィレッジ・シンガーズの映画 その2

前回の続きである。ヴィレッジ・シンガーズの主演映画第2弾は「虹の中のレモン」(68年7月)である。前作「想い出の指輪」のA面にあたる曲のタイトルがそのまま映画タイトルになっている。ちなみに、このシングルは両面ともヒットしたようである。
さて「虹の中のレモン」だが、ヴィレッジ・シンガーズの映画となってはいるが、実質的な主役は竹脇無我である。竹脇の役名は前田健太ならぬ前田健、つまりマエケンである。ヒロインは前作同様に尾崎奈々。他の出演者は中山仁、加東大介、美川陽一郎、沢村貞子、牧伸二、トリオ・スカイライン、パープル・シャドウズなどである。トリオ・スカイラインは東八郎、小島三児、原田健二によるお笑いトリオで、東は東MAXこと東貴博の父である。 小島はトリオ解散後、俳優として活躍する。ヴィレッジの役柄はそのまま本人たちである。
主演映画第3弾となるのが「落葉とくちづけ」(69年)である。これもシングルのタイトルそのままである。本作も実質的な主役は藤岡弘と尾崎奈々である。藤岡弘は「仮面ライダー」(71年)で、出てきたようなイメージがあるかもしれないが、デビューは65年で既に松竹映画の青春スターの一人であった。本人は体育会系気質のせいか、松竹作品は自分の体質には合っていなかったようなことを語っている。
ヴィレッジ・シンガーズの役柄はヴィレッジ・シンガーズにそっくりの五人組(笑)で、つまり一般人である。他の出演者は香山美子、早瀬久美、佐藤蛾次郎、山本リンダ、白木みのるなどで、オックスも登場する。そういえば、山本リンダも「仮面ライダー」にレギュラー出演していた時期があったが、藤岡がケガで休演していた時で佐々木剛の2号ライダーが主演の時である。
彼等も他グループ同様に69年からは低迷が始まり、71年に解散の運びとなっている。清水道夫はソロシンガーになり、林ゆたかは俳優に転向する。他の三人はレコードディレクター、CMプロデューサー等で活躍、清水も数年でレコードディレクターに転身した。林の俳優業は順調に見えたが83年には引退し、実業家に転じた。
02年に島谷ひとみが「亜麻色の髪の乙女」をカヴァーしてヒットしたのをきっかけに当時の五人でグループを再結成する。今も不定期でがあるが、活動することがあるようだ。
 

ヴィレッジ・シンガーズの映画 その1

今回はヴィレッジ・シンガーズである。前回までの3グループに比べると地味な印象があると思うが、映画出演は結構多かったりするのである。
メンバーの顔ぶれについては知らないという人も多いのではないだろうか。個人的にも、林ゆたかが在籍していたグループという印象。その林も引退して35年以上経過しており、全員が表舞台を退いて長いので、メンバーを知らなくても仕方ないところだ。
66年10月「暗い砂浜」でデビューしたが、その時のメンバーはリーダーの小松久(ギター)、林ゆたか(ドラムス)、南里孝夫(12弦ギター)、森おさむ(ベース)の4人。また、デビュー前に脱退しているが、レコーディングには古関正裕(キーボード)も参加していた。ちなみに作曲家・古関裕而の長男である。
2枚のシングルを発表したがパッとせず、南里と森はそれぞれの事情で脱退した。残された小松と林、所属のホリプロが各大学を廻り、小池哲夫(キーボード)、笹井一臣(ベース)、そして清水道夫(ヴォーカル、ギター)をスカウト。
新たな5人編成で臨んだ67年8月の3枚目シングル「バラ色の雲」が大ヒットし、人気GSの仲間入りを果たした。
映画初出演は「二人の銀座」(67年、日活)で、ジャズクラブで彼らの演奏シーンが流れるというもの。ただ、これは2月公開なので、新編成になる前であり曲も2枚目の「君を求めて」である。続いて、ここでも紹介したばかりの「ザ・スパイダースのゴーゴー向こう見ず作戦」「東京ナイト」(67年、日活)、「ザ・スパイダースの大進撃」(68年、日活)と新編成になってからの出演だが、主役はスパイダースかヤング・アンド・フレッシュであり、ヴィレッジ・シンガーズは演奏シーンがあるというだけの出演だ。
「バラ色の雲」に続き「亜麻色の髪の乙女」も大ヒットし、松竹は彼らを主演とした映画を撮ろうと考えたようだ。その第1弾が「想い出の指輪」(68年4月)である。これは同月に発売されたシングル「虹の中のレモン」のB面曲のタイトルでもある。
ここでの5人は役名は本名そのままでバンドをやっているが、プロのGSというわけではない。ヒロインは尾崎奈々で彼女はヴィレッジ映画全てのヒロインを担うことになる。他の出演者は中山仁、山本リンダ、守屋浩、本間千代子、水森亜土そしてザ・スパイダース、ザ・ダーツなどである。ザ・ダーツはその2月に発売した「ケメ子の歌」が大ヒットしている最中だった。水森亜土は当時28歳。歌手であり、女優であり、イラストレーターであるというマルチ人間。80歳を超え、近年あまり見かけることはないが健在である。次回に続く。

ザ・テンプターズの映画

スパイダース、タイガースときたら次はテンプターズというのが自然な流れだろう。と言っても彼等の主演映画は1本だけなのだが。
ザ・テンプターズハショーケンこと萩原健一の居たグループとして知られている。逆に言えば、他のメンバーについては知らないという人が多いということになるかも。萩原以外のメンバーだが、リーダーが松崎由治(リードギター、ヴォーカル)で、高久昇(ベース)、田中俊夫(サイドギター)、大口広司(ドラムス)という構成。この中では大口も萩原と同様に俳優をやったり、真行寺君枝と結婚したりしていたので、知っている人もいると思うが、他の三人は早くに表舞台を退いている。
全員が埼玉の出身で、ショーケンが与野、他の四人が大宮だ。スパイダースのリーダー田辺昭知によってスカウトされ、67年10月に「忘れ得ぬ君」でレコードデビュー。意外にもリードヴォーカルは松崎で、ショーケンはハーモニカ。二人の歌声はよく似ているので(素人耳には)、ショーケンが歌っているのかと思っていた。
この直後に公開された田辺と加賀まりこ主演の映画「濡れた逢引き」に演奏している彼らが映ったりしている。また浜田光夫、和泉雅子主演の「星影の波止場」(68年、日活)でもゴーゴークラブで演奏する彼らが登場している。
そして、主演映画となる「ザ・テンプターズ涙の後に微笑みを」(69年、東宝)である。脚本は池田一朗(隆慶一郎)で、スーパーでのバイト仲間がバンドを結成するという青春映画だ。新珠三千代がショーケンの母役、須賀不二男が高久の父役。他に山岡久乃、名古屋章、そして堺正章が特別出演扱いとなっている。ヒロイン役は聖ミカという人だが、本作以外には出演作は見当たらない。ただ、約15年が経過した83~84年にかけて同じ名前の女優が日活ロマンポルノに出演している。写真を見た限りでは似ているが、同一人物かどうかは不明だ。
劇中使用曲はほとんどがレコード音源だが、ピンキーとキラーズの「恋の季節」を生演奏で歌っている。「オーママ、マア~」で知られるシングル「おかあさん」を劇中で松崎、ショーケンそれぞれが歌っている。レコードでは松崎がメインボーカルなので、ショーケンバージョンは本作でのみ聞ける。この曲に関しては「ママ、ママなんて歌ってられるか」とショーケンが嫌がり松崎がメインボーカルになったらしい。
GSブームの終焉とともに彼等も70年12月にひっそりと解散。解散コンサートのようなものは行われなかったようだ。
解散後すぐに引退した田中は97年に49歳の若さで亡くなり、大口も09年に58歳で亡くなった。そして、ショーケンも19年に68歳で亡くなっている。

ザ・タイガースの映画 その3

前回の続きである。1969年3月に起きたのが、加橋かつみの失踪事件である。これは、レッスン中にスタジオを離れた加橋がそのまま戻ってこなかったというものだった。
しかし、これは渡辺プロ主導の脱退劇だったことが発覚する。彼を失うことで、タイガースの人気低下を恐れた渡辺プロが「加橋の自発的失踪」という体裁を繕おうとしたものだった。
いずれにしろ、加橋は脱退し、後任に選ばれたのが岸部修三(一徳)の実弟である岸部シローであった。身内というだけでなく、元々グループにはサポート的な位置で関わっていたので、入れやすかったというのはあるだろう。加橋の後釜なので、ギター担当であったが実際には弾けなかったため、当初は弾く真似をしていたという(後にある程度は弾けるようになる)。ただ、ヴォーカルとしては加橋の高音に近いものを出すことができた。
そして3作目の映画「ザ・タイガース ハーイ!ロンドン」(69年)もシロー加入後に公開された。タイトル通りロンドンでの撮影も行われている。
タイガースの五人は本人の役。スケジュールに忙殺されるメンバーの前に、藤田まこと演じる出門鬼太郎が現れる。彼の正体は悪魔の化身で、その狙いは五人の魂であった。彼等の窮地を救うのが久美かおり演じる新倉めぐみであった。というようなストーリー。他の出演者は杉本エマ、左とん平、小松政夫など。ヒロイン役の久美かおりがシングル曲となる「髪がゆれている」を披露している。彼女はこの映画を最後に引退してしまうので、ザ・タイガースの映画全てでヒロインを務めた人として記憶に残ることになった。
本作が公開されたころには、GSブームも衰えが顕著になっており、タイガース映画も本作が最後となった。そして、71年1月にはザ・タイガースも解散となった。
解散後の沢田研二の活躍は説明不要だろう。森本は「森本太郎とスーパースター」を結成。「助け人走る」の主題歌「望郷の旅」は個人的に好きな曲である。失礼ながら意外にも思えたのが岸部兄弟の活躍。アイドル的な人気は他メンバーより低かったと思われるが、岸部修三は俳優に転向し岸部一徳と改名。性格俳優として長く活躍することになる。シロー(後に四郎)も俳優、そして司会者として活躍。しかし多額の借金を背負った末、09年ころから体調を崩しメディアへの露出が困難になってしまう。瞳は解散、即引退し、その後高校教師となりメンバーとの連絡も断ち切ってしまう。しかし、2011年になって40年ぶりに公の場に姿を現している。そして沢田のツアーに森本、一徳と共に参加した。13年東京ドーム公演最終日には加橋に加え、四郎も車椅子姿で登場し、メンバー六人全員が揃ったステージが実現した。
四郎は2020年に71歳で死去。加橋は2013年以降は再結成には参加していない。