ザ・スパイダースの映画 その1
クレージーキャッツは七人組(途中から六人)のミュージシャンであるが、他に七人組ミュージシャンで思い浮かぶのがザ・スパイダースではないだろうか。まあ彼らはGS(グループサウンズ)なので、ジャンルは違うのだけれども。
数あるというかあったGS中で最も出演映画が多く、主演作も5本存在する。メンバーはリーダーの田辺昭知以下、かまやつひろし、堺正章、井上順、大野克夫、井上孝之(堯之)、加藤充とお馴染みの名前が多いのではないだろうか。
この七人でのシングルデビューは65年だが、グループ自体は61年にリーダーの田辺により結成されている(他のメンバーは伊藤源雄、三科実、山田幸保、日吉武)。翌年、ソロデビューしていたかまやつひろしに加入を依頼するが、正式なメンバーにはならずゲストシンガーという位置だった。また、彼等のステージを見た井上孝之が加入を志願し認められる。ただしギターではなく、スリージェッツという三人組の専属シンガーとしての加入だった。
この62年には田辺は、京都で名を馳せていた大野克夫をスカウト。また子役などで活動していた堺正章にも目をつけたが、父である堺駿二の反対もあり、当初は難航したという。堺正章自身の話ではバンド活動を希望していたが、父に反対され続け、やっと了承してくれたと思ったら田辺の所に行くように言われたという。つまり本人はスパイダースの件は知らなかったらしい。
翌63年、加瀬邦彦(リズムギター)が参加したが二カ月ほどで脱退。これはリードギターをやらせてもらえなかったからだという。ベースに欠員が出たため大野の前グループの先輩だった加藤充をスカウト。ちなみに加藤はこの時寿司職人になる修業をしていたという。また、かまやつが正式メンバーとして加入することになった。
64年には六本木野獣会のメンバーだった井上順に声をかけ参加が決まる。また伊藤源雄が脱退し井上孝之がリードギターへ転向することになった。加入時はギターを弾けなかったというがわずか数年で名ギタリストに成長している。
こうしてお馴染みの七人体制が成立する。65年「フリフリ」でシングルデビューするが、当時堺と順のボーカルコンビは18歳。漫才のような軽妙な掛け合いが人気を呼んだ。元々ソロ歌手だったかまやつ、ボーカル担当だった孝之とフロントメンバーが四人。ただ一番のハンサムはオルガン担当の大野だったと言えると思う。。
堺と順の二人と他のメンバーとの年齢差は結構あり、孝之は5歳上の23歳、大野が25歳、田辺とかまやつが26歳であった。加藤は当時25歳とされていたが、実は最年長の30歳だった。
映画出演だが、堺正章は既にスパイダースのメンバーになった63年に大映の「高校三年生」や日活の「学園広場」に出演しているが、デビュー前ということもあってか(ザ・スパイダース)などとクレジットはされていない。「学園広場」にはかまやつ(かまやつ・ヒロシ名義)も堺の一学年上の高3役で出演している。日活時代の谷隼人(岩谷肇名義)も高3役だ。