鈴木ヒロミツの出演映画 その2
前回の続きで、鈴木ヒロミツである。
鈴木が初めて出演した映画は「愛こんにちは」(74年東宝)という作品のようだ。実はこの作品、事情は不明だが未公開なのだという。ただ、そのストーリーと出演者についての情報は判明している。
主演はチェン・チェンという恐らく中国系の女優。台湾か香港かもしれない。瓜二つの別人と間違えられ、事件に巻き込まれるという、よくあるタイプのコメディのようだ。彼女に関しては詳細がわからなかったが、同時代に「薔薇の標的」(72年)、「卒業旅行 Little Adventurer」(73年)にも出演している。彼女が二役で他に三田明、荒谷公之、有吉ひとみ、柳川慶子、藤木悠、二瓶正也、立花直樹、藤村有弘、名古屋章などが出演している。鈴木は「茂」という役だが、どういう役柄かは不明だ。本作が陽の目を見ることはあるのだろうか。
そんなわけで、公的に鈴木の初出演映画となるのは「伊豆の踊子」(74年)ということになる。誰もが知る川端康成の小説で、これが6度目の映画化となる。主演は山口百恵で、これが初主演作品である。所属のホリプロとしては、歌は売れないが(当時)、人気は高いので役者に転向させようと考えたらしい。色々な案があったが、無難に文芸路線で行くことになり、本作が選ばれた。監督も日活で吉永小百合、高橋英樹で映画化された63年時(4度目)の監督である西河克己が選ばれた。最初から三浦友和で決まっていたイメージがあるが、当初は一般の大学生から公募で選ぶ方針で、実際に東大法学部の学生だった新保克芳が四千人の中から選ばれている。
しかし監督の西河は名古屋弁の強かった新保に反対。プリッツのCMで百恵と共演していた三浦友和を推したのである。当時は友和もあまり売れておらず、今度は東宝サイドが反対したが、西河が強硬に押し切ったのである。こうして百恵友和コンビが誕生。公募で選ばれた新保はワンシーンだけ登場し、その後は映画にかかわることはなく弁護士となった。ちなみに、05年のホリエモン騒動でライブドアの顧問弁護士として新保が登場したという。
話が横道に逸れたが、他の出演者は中山仁、佐藤友美、一の宮あつ子、浦辺粂子、江戸家猫八、三遊亭小圓遊などで、ホリプロからは石川さゆり、佐藤恵美、そして鈴木ヒロミツが出演。鈴木の役は旅館福田屋の板前である。また、百恵の曲の多くを作詞した千家和也も薬売り役で顔を見せている。
ちなみに、「伊豆の踊子」は本作以降映画化されていない。
75年はホリプロが製作に関わった以前ここでも紹介している作品に出演。
「お姐ちゃんお手やわらかに」は、ホリプロダクション創立15周年作品で、主演は和田アキ子。鈴木は森昌子の兄役で出演している。共演は夏夕介、研ナオコ、堺正章、藤村有弘、砂塚秀夫、多々良純、塩沢とき、ザ・デストロイヤー、せんだみつおなど。
「花の高2トリオ初恋時代」は、森昌子、桜田淳子、山口百恵主演のアイドル映画。ホリプロに加え、桜田が所属するサン・ミュージックも製作に名を連ねている。共演はフランキー堺、南田洋子、夏夕介、藤田弓子、中島久之などで、鈴木は警察官の役。監督の森永健次郎はデビューから一貫して日活で監督を務めており、これが初の東宝作品であった。かつ最後の監督作品でもある。
鈴木ヒロミツの出演映画
次は誰にしようかと思いついたのが鈴木ヒロミツである。鈴木は46年生まれで、本名は鈴木弘満という。
鈴木ヒロミツと言えばザ・モップス。66年に星勝(ギター)、三幸太郎(サイドギター)、村上薫(ベース)、スズキ幹治(ドラム)の四人で結成されたインストゥルメンタルバンドに幹治の実兄である鈴木ヒロミツがヴォーカリストととして加わって結成された。
67年にホリプロにスカウトされ、「朝まで待てない」でデビュー。GSとしてはかなり後発のグループであり、ルックスで人気になるようなメンバーもおらず、当初は「日本最初のサイケデリックサウンド」を掲げヒッピーのような衣装と風貌であった。
69年に村上が脱退し、三幸がギターからベース担当に変更となり四人組で活動を継続。そう言えば、ビートルズもメジャーデビュー前は五人組でベース担当のスチュアートが抜けて、ポールがベース担当にスライドしているというエピソードがある。
70年に入り、GSが衰退していく中、「ニュー・ロック」のバンドとして活動を続け、72年に「たどりついたらいつも雨ふり」を大ヒットさせている。
映画出演も数本あるのだが、全て「モップス」として演奏しているのみである。「こわしや甚六」(68年松竹)、「女番長野良猫ロック」(70年日活)、「斬り込み」(70年日活)、「野良猫ロック暴走集団'71」(71年日活)、「悪の親衛隊」(71年東映)等がある。
鈴木は71年にCMモービル石油「のんびり行こうよ」編に、車を押す青年として出演。ちなみにもう一人は役者ではなくCM演出家の木村俊士。
72年には坂口良子のデビュー作でもある「アイちゃんが行く」に7話よりレギュラー出演(鈴木ひろみつ名義)。グリコ提供の番組だったが、当初のレギュラー吉田次昭がロッテのCMに出演したため降板となり、後任に抜擢されたのである。また「時間ですよ」の第3シリーズにも猫田という質屋の従業員役で出演した。その質屋の店主はかまやつひろしが演じている。
モップスは74年に解散すると、すぐに俳優として活動を開始する。その最初のドラマが「事件狩り」(74年)である。主役は石立鉄男演じるはみ出し弁護士。その事務所の調査員が石橋正次、鈴木ヒロミツ、森田日記である。何話かリアタイした記憶はあるが第2話の「ストリーキングの女を見た!」が何となく印象に残っている。
14話で終了したので、まあ打ち切りであろう。続けて始まったのが「夜明けの刑事」であった。石立、石橋、鈴木はそのまま刑事役にスライド。揃いも揃って刑事には見えないタイプで、そこに藤木孝(当時は敬士)と主演である坂上二郎が加わった形である。ドラマは人気となり、「新・夜明けの刑事」「明日の刑事」とタイトルを変えながらも五年に渡って放送された。坂上と鈴木はその五年間レギュラーを務めた。坂上の役名が鈴木刑事なのでややこしい。「夜明け」と「新」では、モップス仲間だった星勝が劇中音楽を担当している。「ホシマサル」ではなく「ホシカツ」である。
鈴木個人の映画出演については次回から。
井上順の出演映画 その3
井上順のラストである。
74年は松竹「ムツゴロウの結婚記」で主役を務めている。ムツゴロウとはもちろん動物王国でお馴染みの畑正憲のこと。睦五朗(むつみごろう)ではない。畑の書いた同名エッセイが原作である。
同時上映がスパイダース仲間である堺正章主演「街の灯」だったが、見た感じは堺の方がムツゴロウに似ていると思う。
畑は福岡生まれで、父親からは東大医学部への進学を望まれていたが、無断で理学部動物学科へ入学している。この辺りは映画における展開も同じである。
恋人役が松坂慶子で、父親役が佐野浅夫、大学での友人役が蟹江敬三、松山省二(後に政路)、岸部シロー(後に四郎)である。当時の蟹江はまだ不気味な悪役といったイメージが強く、本作のような役は珍しかった。善人役に転向するのは80年代になってからである。ちなみに、日ごろの蟹江はとにかく無口で、自己主張をすることもほとんどなく、人付き合いも少なかったという。
他の出演者は夏純子、なべおさみ、夏八木勲、南利明、谷啓、ハナ肇などである。監督は「愛ってなんだろ」と同じ広瀬襄である。
実はこの後、井上の映画出演は82年までなかったりする。前回も触れたとおり70年代は「ありがとう」を皮切りに、約1年スパンのTBSのホームドラマにレギュラー出演している。
「明日がござる」(75~76年)、「三男三女婿一匹」(76~77年)、「今日だけは」(77年)、「晴れのち晴れ」(77~78年)、「三男三女婿一匹第2シリーズ」(78年)、「三男三女婿一匹Ⅲ」(79~80年)と全てにレギュラー出演している。個人的にはこれらのドラマは一切見たことがない。「三男三女婿一匹シリーズ」は、主人公・森繫久彌はいずれも桂病院院長の桂大五郎を演じているが、他は役者は同じでも役柄や役名が変わったりしている。井上で言えば、第1では大五郎の次男・健太郎、第2では同じく大五郎の次男だが役名は勇気、第3では実子ではなく大五郎の長女(木内みどり)の婿養子・正太郎として出演している。
この後の「俺んちものがたり」(80~81年)では主演に抜擢。他に多岐川裕美、三原じゅん子、金田賢一、荒木由美子、岡まゆみ、高岡健二、吉幾三らが出演していた。26回予定だったそうだが、21回に短縮されたらしい。
82年に劇場公開された「装いの街」だが、実は79年の東芝日曜劇場で放送されたものを劇場用35ミリ版にしたものである。なので46分と短い。出演は三田佳子、薬師丸ひろ子、土屋嘉男、井上順など。幼い頃離婚によって父親(土屋)側で育った薬師丸が実の母(三田)と再会するお話。井上は三田に求愛される役だ。薬師丸主演の「セーラー服と機関銃」の「完璧版」の併映作として公開されている。
正確には映画として撮られたものではないので、井上の映画出演は約15年、89年の「善人の条件」までなかったということになるようだ。
井上順の出演映画 その2
続けて、井上順である。
72年はグランド劇場「おふくろの味(第2シリーズ)」にレギュラー出演。第1シリーズは主演は吉永小百合で、森光子、千秋実、佐々木勝彦、悠木千帆(樹木希林)、八代英太らが出演。佐々木は千秋の実の息子(次男)。八代はこの翌年に事故で下半身不随となってしまう。第2シリーズは森光子と千秋実演じる夫婦が主役だが、1シリーズとは別役である。他に島かおり、寺尾聰、志垣太郎、児玉清らで井上の役柄についてはよくわからない。
また、大ヒットドラマ「ありがとう」(72~73年)の第2シリーズにも十(つなし)病院の薬剤師・相沢万希男役でレギュラー出演。続く第3シリーズにも八百屋で石坂浩二の弟・寺川明子役でレギュラー出演。明子とかいて「あきじ」と読む。「美」で終わる名前の男性は結構いるが「子」はほぼ見たことがない。ただ、三木のり平の本名は田沼則子(ただし)といったりする。これ以降も石井ふく子プロデューサーの作品には頻繁に起用される
73年になると芸名を井上順之から井上順に戻している。その最初の出演映画は松竹の「愛ってなんだろ」で、主演は天地真理、森田健作である。天地の映画主演作は「虹をわたって」に続いて2作目。こちらでの共演は萩原健一や沢田研二であった。アイドル映画の場合、シングルのタイトルがそのまま映画タイトルのケースが多いが、本作は違っており主題歌として使われたのは「若葉のささやき」で、挿入歌として「ふたりの日曜日」「ひとりじゃないの」なども使用されている。他の出演者は田中邦衛、小松政夫、小鹿ミキ、尾藤イサオ、岩崎和子、佐藤蛾次郎などで、ストーリーには直接絡まないところで、谷啓、安田伸、レッツゴー三匹、そして井上が登場する。役柄は「歌手」となっているのだが、天地が出前持ちに化けて、尾藤イサオ演じる人気歌手・水野明の楽屋に入るのだが、そのドアには「水野明・井上順」と書かれているのだ。つまり本人役で、天地との軽妙なトークを繰り広げる(と言っても2分程度)。
そして年末に公開されたのが井上が主演の東宝「グアム島珍道中」である。ちなみに、堺が子供の頃に出演したのは「ハワイ珍道中」だ。実はこの作品「喜劇やさしくだまして」というタイトルで72年に完成していたのだが、お蔵入りになっていたのである。その理由は不明だが、基本的にはプロデューサー判断だと思われる。その短縮改題版が「グアム島珍道中」なのである。短縮版なので上映時間は72分と短い。しかし同時上映があの「日本沈没」で、140分の大作である。途中から「日本沈没」の単独上映に変更されている。
「グアム島珍島中」は井上の他、酒井和歌子、青木英美、徳永礼子、名古屋章、安芸晶子、藤木悠、森光子などが出演している。安芸晶子とは市地洋子のことで、73年頃のみ安芸晶子を名乗っていた。主題歌は井上と酒井による「やさしくだまして」で、旧タイトルがここに残されている。実は「喜劇やさしくだまして」のポスターはなぜが出回っており、井上は順之だし、市地洋子はそのままである。酒井と青木と言えば共に「飛び出せ青春」にそれぞれ先生役、生徒役で出演していたが、前述の「愛ってなんだろ」にはやはり生徒役だった降旗文子が天地の同僚役で出演している。
井上順(順之)の出演映画
堺正章とくれば、次は井上順である。
井上順は47年渋谷生まれ。2月なので堺とは同級生ということになる。13歳にしてジャズ喫茶に出入りし、峰岸徹、大原麗子、田辺靖雄らがいた六本木野獣会のメンバーとなる。やがて、田辺昭知に声をかけられ、64年にスパイダース入り堺と共にボーカルとMCを担当するようになる。
映画に関しては、スパイダース時代は当然堺と一緒で、「喜劇 ドッキリ大逃走」や「喜劇 右向けェ左」(70年)も堺と一緒に出演しているので、紹介済である。
スパイダース解散後にソロとなってからの最初の映画は「西のペテン師・東のサギ師」(71年)である。原作は藤本義一だが、脚本も本人が担当した。タイトルで言う西のペテン師が藤田まことで、東のサギ師が井上順(当時は順之)である。ヒロイン役となるのが浜木綿子と徳永礼子(後にれい子)。徳永はほぼ新人で「猿の軍団」が有名だろうか。他に藤木悠、市地洋子、茶川一郎らに加え、芦屋雁之助、芦屋雁平、曾我廼家五郎八、コロムビアトップ・ライトといった喜劇人が顔を揃えている。
「喜劇 泥棒大家族天下を取る」(72年)は渡辺プロの製作で東宝創立40周年の記念作品の一つ。主演は植木等で、谷啓、犬塚弘、桜井センリ、安田伸といったクレージーキャッツのメンバー(つまりハナ肇以外)も出演しているので、本作を最後のクレージー映画だとする見方もある。他に藤田まこと、峰岸徹(当時隆之介)、小松政夫、なべおさみ、藤村有弘、三木のり平、伴淳三郎、女優陣はミヤコ蝶々、八並映子、紀比呂子、江夏夕子、大地喜和子、山東昭子といったところ。井上順之は郵便配達役だが「特別出演」扱いになっているのは、当時の「シャボン玉ホリデー」の司会だったからのようだ。クレージーキャッツ、ザ・ピーナッツを中心とした歌とコントの番組というイメージの人が多いと思うが、実は72年5月からの半年間は谷啓、ピーナッツ、井上がメインの公開番組だったのである。その期間を覚えている人はあまりいないのではないだろうか。
この頃の映画出演はこの2本だけで、短かった井上順之時代ではあるがソロシングルに関しては「昨日今日明日」「お世話になりました」「涙」と堺以上にヒットを連発していたのである。
ドラマへの出演も当然ある。「焼きたてのホカホカ」(71年)は中山千夏主演のホームドラマ。舞台となるパン屋の店員となった中山とパン屋の4人の息子とその母親(乙羽信子)を中心としたドラマらしい(未見なので)。その4人の息子が上から井川比佐志、津坂匡章(秋野太作)、井上順之、渡辺篤史で、名前は単純に一郎から四郎である。ちなみに脚本は全話佐々木守が担当している。やはり佐々木の脚本で中山が主演で男兄弟の家庭というと「お荷物小荷物」(70年)を思い出す人もいるのではないだろうか。まあ「焼きたて~」を覚えている人は少ない気もするけれども。他の出演者は東野英治郎、鶴間エリ、丘みつ子、和田浩治、財津一郎、朝丘雪路などである。
堺正章の出演映画 その6
堺正章のラストである。
71年は主演映画続きであった堺だが、72年の映画出演はなく、73年も以前夏夕介のところで紹介した「としごろ」に出演しただけである。もちろん、映画に出なかったというだけで、歌にドラマにバラエティにと大忙しであった。
そして74年、松竹映画「街の灯」で主役を演じている。これは前年の堺のヒット曲である「街の灯り」に基づいたものであろう。まあ堺のソロでの大ヒット曲といえるのは「さらば恋人」と「街の灯り」くらいではないだろうか。あと、シングルではないが「北風小僧の寒太郎」も有名だろう。この74年に「みんなのうた」で流れたものだ。
よく映画のタイトルを見ると「街の灯」であり、「り」がない。勘違いしている人も多そうだが、タイトルは「まちのあかり」でも「まちのともしび」でもなく「まちのひ」と読むのが正解らしい。
でこの「街の灯」だが共演者が中々豪華なのである。森繫久彌、笠智衆、三木のり平、財津一郎、田中邦衛、フランキー堺という顔ぶれが一同に揃うのはあまりないのではないだろうか。他に研ナオコ、栗田ひろみ、吉田日出子、高沢順子、ガロなどが出演。ちなみにガロは73年に「学生街の喫茶店」「君の誕生日」「ロマンス」と立て続けにヒットを飛ばした3人組のフォークグループだ。最初のヒット曲「学生街の喫茶店」は当初B面であったというのは有名な話。76年に解散している。
ちなみに製作は松竹と田辺エージェンシーで、企画にスパイダース時代のリーダー田辺昭知の名がある。実は堺の映画における主演というのはこれ以降はない。同じ日に公開された「ムツゴロウの結婚記」の主演は「相方」の井上順だが、こちらに田辺の名はないようだ。
この年の映画出演は他に「にっぽん美女物語」がある。主演は研ナオコで、「街の灯」と同じく松竹と田辺エージェンシーの製作となっている。研ナオコと鳥居恵子、早瀬久美、秋谷暢子が姉妹という設定だが、次女の研のみ見るからに異質な存在。役名も鯛子、鮎子、さよりに対して研は「ひらめ」となっている。他の出演者は津坂匡章(秋野太作)、湯原昌幸、三遊亭小円遊、ミヤコ蝶々などだが、堺の役どころは不明である。ストーリーにはあまり関わって来ないようだ。
75年も以前紹介したホリプロの15周年記念映画、和田アキ子主演の「お姐ちゃんお手やわらかに」に中国の殺し屋役で出演しているくらいである。
前述の様にこの時期はバラエティとドラマが中心。「ハッチャキ!!マチャアキ」「マチャアキのシャカリキ大放送!!」「マチャアキのガンバレ9時まで!!」と来て、有名であろう「カックラキン大放送」が75年から始まるのだ。
ドラマでは「時間ですよ」(70~73年)はもちろん、「マチャアキ・幸代のふたりは夫婦」(74年)「マチャアキの森の石松」(75年)といった主演ドラマがある。「ふたりは夫婦」はタイトル通り堺と十朱幸代が夫婦約だが、それ以外のことは不明。ほとんど情報のない番組なのだ。他の出演者は研ナオコ、中山仁、榊原るみ、小池朝雄、なべおさみ、等が出ていたようだ。
「森の石松」も見た記憶はないのだが、演出はマキノ雅弘で、脚本もマキノや小国英雄が担当しており、ちゃんとした時代劇のようである。石松が堺で、次郎長が浜畑賢吉。他に宍戸錠、江波杏子、渡辺篤史、岸部シロー、尾藤イサオ、浜田光夫、森繫久彌などが出演していたようだ。
堺正章の出演映画 その5
もう一度、堺正章である。
70~71年にかけてだが、血筋といのだろうか堺は東宝のコメディ映画4本で主演を務めている。
まずは「喜劇ドッキリ大逃走」(70年)。資料の少ない映画のようで、ウィキペディアには日活となっていたりするが、東宝(東京映画)の制作である。本作には相方の井上順も出演。ただし当時は井上順之(じゅんじ)を名乗っていた。しかし「じ」を付けたら「痔」になったという理由で、短期間で元に戻している。「お世話になりました」「涙」などのソロでのヒット曲はこの順之時代に出したものである。共演は大矢茂、范文雀、てんぷくトリオなど。大矢茂は加山雄三率いるザ・ランチャーズのギタリストであったが、70年になると単独で若大将シリーズ等に顔を出し始め、年明け71年の「若大将対青大将」では二代目若大将に指名までされているのだ。しかし彼単独の若大将が制作されることはなく、75年に三代目の草刈正雄が登場する。それどころか「女房を早死にさせる方法」を最後に姿を消してしまった。74年の公開だが、実は71年には完成しており数年だがお蔵入り状態だったらしい。つまり、若大将指名からまもなく役者を引退してしまったと思われるのだ。「ドッキリ大逃走」のもう一つの見どころはてんぷくトリオ(三波伸介、戸塚睦夫、伊東四朗)の出演だ、戸塚が早くに亡くなった為、三人揃っての映画出演はほとんどないのである。
ここから三本は渡辺プロ制作、東宝配給の作品が続く。堺自身は渡辺プロの所属ではない。
「喜劇 右むけェ左!」は、70年の大晦日が公開日となっているので、翌71年の正月映画ということだろう。本作に関しては犬塚弘が主役のサラリーマン係長で、その部下(堺、田辺靖雄、なべおさみ、大橋壮多)と自衛隊に体験入隊するというお話。自衛隊の教官役で井上順と左とん平が登場、他に小松政夫、島かおり、吉沢京子、山東昭子、いかりや長介など。犬塚は大映での主演作はあったが、クレージー映画のお膝元である東宝での単独出演自体が珍しい。大橋壮多はちょいデブの役者(本作での役名は太井)で、時代劇出演が多い。たまに善人もあるが悪役の方が多く特に「必殺シリーズ」での悪役が印象に深い。併映は植木等、加藤茶が主演の「日本一のワルノリ男」。
年明け71年、スパイダースも正式に解散し、名実ソロになった堺だが、前述のとおりナベプロ制作作品の主演が続く。
「喜劇昨日の敵は今日も敵」では、堺のソロデビューシングルである「さらば恋人」が挿入歌として使用されるが、おそらくこれが堺の最大ヒット曲であると思われる。共演はなべおさみ、吉沢京子、小松政夫、田辺靖雄、大橋壮多、いかりや長介など前述の「右むけェ左」と同じ顔ぶれが多く、小松や大橋は役名も一緒である。他に紀比呂子、范文雀、平田昭彦、大泉滉などで、布施明、ゴールデンハーフが歌のゲスト的に出演。併映は植木等、加藤茶主演の「だまされてもらいます」。
「起きて転んでまた起きて」は71年の大晦日公開。堺、なべ、吉沢京子、小松政夫、いかりや長介等に加え、安倍律子、大原麗子、桑原幸子、和田浩治などが出演している。併映の「日本一のショック男」はクレージー映画の最終作だが、やはり主演は植木と加藤茶でハナ肇、桜井センリ(起きて転んでの方に出演)は出演していない。
堺正章の出演映画 その4
引き続き、堺正章である。というより以前やったスパイダースの話になるかも。
66年からはスパイダースの活動が本格化してきた影響か堺個人での映画出演は途絶えている。またリーダーの田辺昭知はホリプロの一画に田辺エージェンシーの前身であるスパイダクションを設立してセルフプロデュースを開始している。
66年は田辺昭知とザ・スパイダースとして日活の「青春ア・ゴーゴー」と「涙くんさよなら」、67年も日活の「夕陽が泣いている」に出演。「夕陽が泣いている」はスパイダースの大ヒット曲をタイトルにしており、本人たちの演奏もあるが、主演扱いは山内賢、和泉雅子である。
そして67年8月に初主演映画となる「ザ・スパイダースのゴー・ゴー・向こう見ず作戦」が公開される。本作では七人全員(田辺、堺、井上順、井上孝之、大野克夫、加藤充、かまやつひろし)の個人名がクレジットされるのである。この66~67年の日活映画での共演者はいずれも山内賢、和田浩治、杉山元、木下雅弘による日活俳優バンド「ヤング・アンド・フレッシュ」で、そこにジュディ・オング、和泉雅子といったヒロインが絡むスタイルで、本作においては松原智恵子である。ちなみに脚本は倉本聰である。
また、目の負傷により休業していた浜田光夫の復帰作「君は恋人」にもスパイダースは友情出演といった形で顔を出している。ここまでは日活だが、1作だけ東宝の駅前シリーズ「喜劇駅前百年」にも顔を出している。堺のみ「佐山」という役名のある役を貰っているようだ。
68年もスパイダースの勢いは止まらす、やはり日活にて「ザ・スパイダースの大進撃」「ザスパイダースの大騒動」「ザ・スパイダースのバリ島珍道中」と彼らが主演の映画が三本制作されている。それ以外では松竹とホリプロ制作の「想い出の指輪」に出演。これは後輩GSであるヴィレッジ・シンガースが主演の映画だ。
そして、スパイダースの主演映画としては最終作となる東宝の「にっぽん親不孝時代」がある。タイトルにスパイダースがないのは、本人設定ではなく個別に役名がついているからだろうか。田辺とかまやつは後から合流する展開なので、OPは堺がドラムを叩き、映像上は五人で演奏している。この「親不孝で行こう」という曲は何故か音源化されていないので、本作でしか聞けないのである。堺の実父である堺駿二が井上順の父親役で出演(堺の父親役は藤村有弘、当時34歳)しているが、本作公開前の8月に54歳で急逝。本作が遺作となり、もちろん最後の親子共演となった(ほとんど絡みはない)。
69年になるとGS自体が下火になり始め、スパイダースもシングルは2枚のみ。映画に関しては主演作はもちろん、ゲスト出演の映画もなかった。唯一堺が「ザ・テンプターズ涙の後に微笑みを」に白髭の神様役で特別出演しているのみである。
70年、堺がドラマ「時間ですよ」にレギュラー出演することになったのをきっかけに、メンバーのソロ活動が優先されるようになった。リーダーの田辺は、マネジメントに専念するため現役を引退(前田富雄が加入)し、かまやつも脱退を宣言し、年内での解散が決まった。ちなみにラストシングルは「エレクトリックばあちゃん」で、子供の頃よく耳にした気がするが、ヒットはしてなかったらしい。
堺正章の出演映画 その3
引き続き、堺正章である。
65年になっても、舟木一夫とのセット出演は続いており、前回のような事情で東映を離れ、再び日活での出演となっている。
「花咲く乙女たち」は舟木の18枚目のシングルタイトルと同タイトルの映画である。主演は舟木自身で、定時制高校生の役である。ヒロイン役は西尾三枝子で、約1年前の「仲間たち」ではノンクレジット出演だった。彼女も定時制高校生の役だが、職場での同僚役で田代みどり、伊藤るり子、浜川智子(浜かおる)、岡田可愛などが顔を出す。
田代は当時16歳で、60年小6の時に歌手デビューし、同時期に映画デビューもしている。映画はほぼ日活で、吉永小百合との共演が多い。70年にブルーコメッツの三原綱木と結婚しており、72年にヒットした「愛の挽歌」を歌うつなき&みどりは、この夫婦のデュオだ。岡田可愛も当時16歳で、注目されるのはこの年に始まるドラマ「青春とはなんだ」の女生徒役からである。先んじて公開された日活映画版では西尾がメイン女生徒を演じている。西尾も浜かおるも日活ニューフェイスだが、共に「プレイガール」に出演するようになるのは有名だろう。
話が逸れたが山内賢がヤクザ役で、その弟分が堺である。舟木は彼等と親しくなり、更生させようと努力した結果、ヤクザから足を洗うのである。他に小池朝雄、金子信雄、菅井一郎などで、谷隼人(当時・岩谷肇)や光川環世(当時・井上清子)もチョイ役で出演している。京ふたり子なる双子の歌手が歌ったりするようだが、確認できるシングルは2枚しかないので、すぐに消えてしまったと思われる。
この年の5月堺の所属するザ・スパイダースが「フリフリ」でシングルデビューしている。
「東京は恋する」も舟木の主演映画で25枚目のシングル曲でもある。共演は和田浩治、伊藤るり子、山本陽子、葉山良二など。ヒロイン役の伊藤は東宝芸能学校からのスカウト入社で、前述の「花咲く乙女たち」はデビュー2作目だった。山本陽子は西尾三枝子や谷隼人とはニューフェイス同期にあたるが、年齢が高かったせいか(西尾より5歳上)当初はあまり役に恵まれていなかった。堺の役は舟木のアルバイト先(広告社)での後輩で、クレジットは珍しく菅井一郎、杉山俊夫、中村是好、桂小金治と共に「トメ」になっている。
「高原のお嬢さん」も舟木の主演映画で31枚目のシングル曲である。当時は毎月のようにシングルが発売されたり、同時に2枚3枚発売されたりしており、65年は計13枚リリースされている。本作のヒロインは和泉雅子で、他に山内賢、葉山良二、西尾三枝子、堀恭子、武藤章生など。堺は舟木のいる農場の使用人であり、人形劇団の一員でもある。で本作には山内の友人としてスパイダースのメンバー全員が登場する。デビュー曲である「フリフリ」の演奏などもあるようだ。ちなみに、当時は裕次郎や小林旭の主演作品に陰りが見え始め、この年の興行収入の1位は本作とのこと(12月公開なのだが)。
堺正章の出演映画 その2
続けて、堺正章である。
64年2月には、スパイダースに井上順が加入。井上孝之がリードギターに転向し、お馴染みの七人体制となった。
丁度、その頃公開されたのが日活の「仲間たち」である。主演は浜田光夫と松原智恵子で、それぞれが演じるトラック運転手とバスガイドが恋に落ちるという恋愛もの。浜田の友人の中華屋店員が舟木一夫で、浜田の助手として入社してくるのが堺である。同僚の若い運転手に妙に目立つのがいるのだが誰かと思えば当時新人の藤竜也。若干長髪でもちろんヒゲもないので、すぐにはわからない。他に松尾嘉代、内藤武敏、菅井一郎、桂小金治、林家三平(先代)など。
必ず舟木の出演作に堺がオプションで付いてくる形だが、これは当時同じホリプロ所属だったからであろう。本作では田辺昭知とザ・スパイダースの名が映画では初めてクレジットされた他、かまやつヒロシ、井上高之(当時は孝之が正しいはず)も個人名でもクレジットされている。ジャズ喫茶でスパイダースの演奏シーンがあり、ボーカルをかまやつが務めている。しかし他のメンバーは顔が映らないし、1分程度だし、誰が演奏しているかはわからない。そこにまだ井上順はいないと思われる。ベースもウッドベースなので、加藤充ではないかも。他に浜かおる(当時浜川智子)はクレジットされているが、西尾三枝子や谷隼人(当時岩谷肇)はノンクレジットだ。
その年の5月に、堺は「君たちがいて僕がいた」に出演。やはり主演は舟木一夫で、大映、日活ときて本作は東映の作品である。相手役は本間千代子で、10歳で童謡歌手としてデビューし、女優としても58年から東映に所属している。東映東京所長だった岡田茂は「善良性」の高い彼女をあまり使おうとしなかったが、岡田が京都へ転任し辻野力弥新所長になったたタイミングで初の主演作を得たのである。二人の先生役が千葉真一で、本間の母役が高峰三枝子、舟木の姉役が宮園純子、PTA会長役が須藤健で、その息子が堺正章だ。会長の息子といっても嫌な奴ではなく、父親を嫌っているという役柄である。他に佐野周二、明石潮など。
続けて同じ舟木一夫、本間千代子のコンビによる主演作が「夢のハワイで盆踊り」である。友人役が高橋元太郎と堺で、他に加藤治子、大村文武、風見章子、コロムビア・ローズ、笠智衆などである。この辺りはタイトル=舟木のシングルタイトルなのだが、本作は舟木、本間、高橋、コロンビア・ローズが一緒に歌唱している。
タイトル通りハワイで長期ロケを敢行しているが、これは東映初の海外ロケである。ちなみにハワイロケでの人員構成を巡り、東映労組と会社が揉め、ストが決行されたりしたという。
舟木と本間のコンビによる二作はいずれもヒットしたので、第三作も構想されたが、舟木の所属していた第一共栄が150万円だったギャラを200万円にするよう要求してきたのである。それを聞いた高倉健は「青二才の歌手に200万払ってるのに俺のギャラは安すぎる(90万円)」とアップを要求してきた。他の役者も値上げ運動を起こした為、東映は「本間を一人たちさせたいから」という名目で舟木と本間のコンビは二本で解消となり、舟木の後釜は西郷輝彦となったのである。
ちなみに東映の青春歌謡路線は、辻野が半年で栄転し、今田智憲新所長が岡田に呼応した不良性感度映画を推進したため終了したのである。
この64年に舟木が出演していない作品で、堺が出演したのが大映の「幸せなら手をたたこう」である。主演は宇津井健、姿美千子、倉石功、滝瑛子などで、主題歌を歌う坂本九も出演している。堺の役はクリーニング屋の店員で、「夢のハワイ」でも共演した高橋元太郎も顔を出している。