お宝映画・番組私的見聞録 -17ページ目

萩原健一の出演映画 その6

萩原健一の最終回である。
81年、萩原の出演映画は松竹の「魔性の夏~四谷怪談より」の一作である。監督は舞台のイメージが強い蜷川幸雄で、実際に舞台っぽい作品であると評されている。松竹の解説では「四谷怪談」を青春群像ドラマとして映画化した時代劇で、キャラクターや台詞に現代的な視点を取り入れたとある。
主役の民谷伊右衛門が萩原で、その妻・いわが関根恵子というスタート時の「太陽にほえろ」コンビだ。佐藤与茂七役が勝野洋で、やはり「太陽にほえろ」繋がりだ。ラストはマカロニ対テキサスの斬り合いということになる。与茂七の妻が夏目雅子で、他に石橋蓮司、小倉一郎、森下愛子、鈴木瑞穂など。萩原と夏目雅子は日曜劇場「露玉の首飾り」というドラマで共演したことがあった。
82年は東映の「誘拐報道」。これは80年に起きた宝塚市学童誘拐事件を基に作られているが、視点を犯人側から描いている。その主役である誘拐犯役が萩原で、その妻が小柳ルミ子だ。これは監督の伊藤俊也の強い意向によるものだが、所属する渡辺プロが小柳の起用に難色を示していた。それまで、小柳の演技仕事は少なく、この年も歌手活動一本で行くことが決っていたという。小柳本人にその話は伝わっていなかったが、萩原が直接彼女に伝えたところ出演を熱望したという。東映は以前から他作品でも小柳に出演オファーをしていたらしい。
誘拐される子供の両親役は岡本富士太と秋吉久美子。他に中尾彬、池波志乃が夫婦で出演、伊東四朗、三波伸介のてんぷくトリオコンビ、加えて宅麻伸、藤谷美和子、平幹二朗、菅原文太、丹波哲郎など。三波伸介は七年ぶりの映画出演だったが、本作公開の約三カ月後に急死している。本作で萩原は日本アカデミー賞の優秀主演男優賞、秋吉久美子は優秀助演女優賞、そして小柳ルミ子は最優秀助演女優賞を受賞したのである。
83年は「もどり川」で主演。神代辰巳監督とは三度目の映画である。萩原の役は二度の心中未遂の果てに自殺する対象時代の歌人で、太宰治がモデルとなっている。ラブシーンの続く映画で共演は原田美枝子、藤真利子、樋口可南子、蜷川有紀など。「こういう役には麻薬がいる」と撮影中はずっと大麻とコカインを吸っていたという。いずれこの現場から通報されて逮捕されるかもしれないという予感はあったという。ちなみに、麻薬に関してはテンプターズ時代からやっていたことを著書「ショーケン」では明らかにしている。
ちなみに「もどり川」の製作は三協映画で、配給は東宝東和である。三協映画とは梶原一騎、東京ムービー社長・藤岡豊、石原プロ・川野泰彦の三人で設立された映画製作プロダクションである。「あしたのジョー」等のアニメ映画や「地上最強のカラテ」「愛と誠・完結編」などの製作を行っている。
「もどり川」公開の2カ月前である83年4月、萩原は大麻不法所持により逮捕され、執行猶予はついたが、約1年の活動停止よ余儀なくされた。また、翌5月には梶原一騎も傷害事件で逮捕されたのだが、警察は梶原が萩原に大麻を渡したのではと疑っていたところ、傷害事件が明らかになったという経緯らしい。
84年、いしだあゆみとの離婚が成立。婚姻届の時と同様、山崎努夫妻立ち合いの下で離婚届にサインし、山崎の提案で一週間預かってもらった。気が変わらなければ取りにきなさいということになり、一週間後いしだが取りに行った。それを役所に提出し離婚が成立したと萩原はずっと思っていたそうだが、前回も書いたとおり、いしだは婚姻届けを提出していなかったのであった。12年後、三度目の結婚をした時にいしだの籍が入っていなかったことで初めて気づいたという。

萩原健一の出演映画 その5

今回も萩原健一である。
主演ドラマはヒット作が続いていたが、映画の方はそれほどヒットしたものはなかった。だが、77年に出演した「八つ墓村」は大ヒット作となった。この当時は横溝正史ブームの最中であり、東宝が石坂浩二を金田一耕助役に配し、人気を呼んでいた中、松竹では渥美清を金田一役に抜擢した。これは横溝自身の希望だそうで、石坂浩二では二枚目過ぎるので、渥美の方が自身の持つイメージに近いそうである。
脚本は橋本忍が担当。その橋本から萩原の元にストーリー上の主役である辰弥役のオファーがあったという。最初はどうしようかなと思ったそうだが、たまたま読んだ雑誌にポール・ニューマンが「タワーリング・インフェルノ」に出演したという記事を見て、じゃあ俺も「八つ墓村」に出てみようかなと思ったそうである。これは要するに大衆娯楽作品にも出演していいかな、というような意味合いだろう。個人的には「タワーリング・インフェルノ」はパニック映画というジャンルではあっても名作であると思う。ちなみに「八つ墓村」の公開は77年あるが、製作自体は75年からスタートしている。他の出演者は小川真由美、山崎努、市原悦子、中野良子、山本陽子、加藤嘉、花沢徳衛、大滝秀治、夏八木勲など。ちなみに萩原演じる辰弥の少年時代を吉岡秀隆が演じている。
萩原が出演を決めた理由の一つに渥美の存在があった。一度共演して見たかったのだという。萩原に言わせれば、本作は「変な映画」だったという。不自然だと思えるような場面も多く、思わず渥美に「ヘンだと思いませんか」と尋ねると「俺が金田一耕助である時点でヘンなんだよ」と返したという。「俺はみんな寅さんだから」と自虐的なことも言っていたそうな。
78年に最初の妻である小泉一十三と離婚。まもなく、いしだあゆみとの同棲が始まり、80年に結婚することになる。媒酌は山崎努夫妻が務めている。婚姻届けはいしだに渡していたが、じつは彼女はそれを役所に出していなかったのだそうな。この80年には黒澤明監督の「影武者」に出演している。主役の武田信玄及び影武者役は当初勝新太郎だった。萩原は信玄の後を継ぐ諏訪(武田)勝頼の役だ。他に山崎努、根津甚八、大滝秀治、桃井かおり、倍賞美津子、室田日出男らに加え、オーディションにより油井昌由樹、隆大介、清水大敬、阿藤海などが選ばれている。黒澤映画の常連である志村喬、藤原釜足も最後の黒澤作品出演となっている。
勝新太郎の降板騒動は有名だが、どちらも自分のペースでやらないとすまないタイプということもあり、黒澤が勝の態度にキレて降板させたのである。代役は黒澤映画の常連である仲代達矢に決まったが、萩原はその経緯は知らないと語っている。まあ単純に仲代なら黒澤に逆らうことはないし、スケジュールも大丈夫だったからなのだろう。さすがの萩原も黒澤に逆らったりはしなかったそうだが、落馬して溺死しそうになるなど危ない目にもあったという。天気は良いのに、役者もエキストラも甲冑を着たまま一週間にわたり待機させられたこともあったという。たまりかねた、田中友幸Pと萩原が黒澤の部屋を訪れると「雲を待っている」という。田中が「一週間も待たされているんですよ。早くしてください」と文句を言うと「そんなことはわかっている。私だってイライラしているんだ」と逆ギレしたという。
賛否両論あった作品だが、当時の歴代興行成績の1位を記録している。

萩原健一の出演映画 その4

今回も萩原健一である。
75年に入り「傷だらけの天使」が終了する直前に公開されたのが「雨のアムステルダム」である。キャストは72年の「約束」の再来という感じで、主演が萩原で、共演は岸惠子、三國連太郎というトリオが再び揃ったのである。ただし、監督は別だし、制作も「約束」は松竹だったが、「アムステルダム」は東宝である。実際にアムステルダムでオールロケを行ったようだ。他に松橋登、仏人俳優のアラン・キュニーなど。
この年の4月に萩原は最初の結婚をしている。相手はモデルの小泉一十三である。「太陽にほえろ」にゲスト出演したのがきっかけで、同棲生活を送るようになり、子供ができたので結婚に至ったそうである。
「アフリカの光」は、タイトルにあるアフリカに行くわけではない。アフリカを目指す二人の若者の話である。主演は萩原と田中邦衛で、共演が桃井かおり、高橋洋子、藤竜也、峰岸徹、河原崎長一郎、藤原釜足など。監督は「青春の蹉跌」に続いて神代辰巳である。
続けて公開されたのが「鴎よ、きらめく海を見たか めぐり逢い」という長いタイトルの映画だが、こちら関しては主演ではない。主演は田中健、高橋洋子である。制作はATGで、共演者が根岸明美、高岡健二、あがた森魚、下條正己、そして萩原である。萩原の役名は「サングラスと白い杖の男」となっており、特にストーリーには絡まない感じだが、サイトによっては「川村」という名が付いていたりする。
75年の出演映画は以上の三本だが、ドラマでは「前略おふくろ様」がスタートしている。ウィキペディアには、倉本聰の元に依頼が日テレではなく、萩原から直接あったと書かれている。しかし、著書である「ショーケン」では、倉本から萩原の元に「板前の役をやらないか」と持ち掛けられたとなっている。この年、萩原は音楽活動を再開し、初のソロアルバムを出している。その中の一曲が「前略おふくろ様」だったのである。この曲を気に入った倉本が自分の母親とイメージを重ね合わせて「前略おふくろ様」の設定が出来上がったのだという。
正直言うと、自分はこのドラマをあまりまともに見たことはないのだが、だいたいのことは知っている。おふくろ様役は大女優・田中絹代で、共演は桃井かおり、坂口良子、丘みつ子に加え、梅宮辰夫、室田日出男、川谷拓三の東映勢、他に小松政夫、加藤嘉、北林谷栄など。桃井かおりは映画からの続けて共演。大部屋俳優だった川谷拓三も本作で一気に有名となった。テンプターズからの盟友である大口広司も出演している。
一見、萩原演じる三郎のセリフ回しはいかにもアドリブっぽく聞こえるが、倉本はアドリブを一切許さず、全て台本通りだったと語っている。基本やりたい放題だった萩原にしては珍しいといえる。
終了から半年後には第2シリーズ(76~77年)がスタート。基本的にレギュラーは同じだが、八千草薫、木之内みどり、風吹ジュン、岸田今日子、志賀勝、三浦洋一らが加わっている。ゲストには、安藤昇、渡瀬恒彦、大木実、大原麗子、岩城滉一などが登場した。安藤昇や渡瀬恒彦なんかがゲストで出演というのは珍しい気がする。

萩原健一の出演映画 その3

つづけて萩原健一である。73年は「股旅」の他に、岸田森の項でも触れた「化石の森」で主演となっている。
ヒロイン役は本作が映画デビューとなる二宮さよ子で、萩原の母親役が杉村春子である。二宮は設定では萩原と同級だが、実年齢では2歳上の当時25歳。文学座では杉村の部屋子として身の回りの世話などをしていたという。他の共演者は日下武史、浜田寅彦、八木昌子、田中明夫、岸田森などで、監督が篠田正浩ということもあり、その妻である岩下志麻も萩原の姉役で出演している。
テレビの方では「太陽にほえろ」を降板し、時代劇「風の中のあいつ」で主演。黒駒勝蔵という通常「清水次郎長」では悪役として描かれる侠客を演じている。その子分が前田吟、下條アトムで、テンプターズ、PYGの同僚であった大口広司も子分の一人(大岩)として加わっている。逆に次郎長が悪役で米倉斉加年が演じていた。番組主題歌を沢田研二が歌っている。
この時期(73~74年)、並行して「くるくるくるり」というドラマでも主役を演じている。人力車屋を舞台としたホームコメディで全20話だが、知っている人は少ないのではないだろうか。事実、自分も知らんかったし。共演は伴淳三郎、島田陽子、三ツ矢歌子、香山美子、宍戸錠、ちあきなおみ、細川俊之、研ナオコ、佐藤蛾次郎、小松政夫などが出演していた。沢田研二も1話と2話のみ友情出演している。
もう一つ知られてなさそうなのが「新宿さすらい節」(74年)。これも主演で、若き特ダネ記者を演じている。58年の新宿が舞台で、先輩記者(岩下浩)の変死をきっかけに、裏社会に深入りしすぎて凶弾に倒れるといった話のようだ。共演が中野良子、二谷英明、星由里子、緑魔子、田口計、渡辺文雄、下川辰平など。本作は1クールのドラマだが、その最終話の前週に始まったのが「傷だらけの天使」(74~75年)である。この番組が伝説化したことにより、ほぼ同時期の「くるくるくるり」や「新宿さすらい節」の影が薄くなってしまったようである。まあ、CS等で(たぶん)放送されていないこともあると思うが。
このようにドラマで忙しい時期であったせいか、映画は74年は「青春の蹉跌」一本だけである。ロマンポルノで手腕を振るっていた神代辰巳の初の一般映画監督作だ。共演は桃井かおり、壇ふみ、河原崎建三、高橋昌也、赤座美代子、森本レオ、荒木道子など。音楽は井上堯之が担当している。
簡単にストーリーを紹介すると大学生だった萩原が家庭教師をしていた桃井が大学に合格すると彼女と付き合うようになる。しかし、叔父の娘(檀ふみ)とも付き合うようになり、彼女との結婚を考えるようになる。それを桃井に告げると妊娠していることを知らされる。萩原は思い出の場所(雪山)に桃井を誘い殺害する。そして壇との結婚を果たすのだが、捜査の手が伸びていた。というような感じ。萩原は本作で「キネマ旬報」最優秀男優賞を受賞した。神代は「傷だらけの天使」でも2本監督を担当している。
ちなみに、桃井かおりの兄は脚本家の桃井章で、「太陽にほえろ」も数本担当している。ただし、萩原が降板した後である。

萩原健一の出演映画 その2

前回の続きで萩原健一である。
GS後、萩原は俳優になろうと思っていたわけではなく映画監督になりたかったのだという。そこで「めまい」の監督だった斎藤耕一へ師事することを考えたのであった。
その斎藤が「約束」(72年)という映賀を撮ることになり、その現場に萩原はサード助監督として参加したのである。しかし、主役の男優は中山仁に決まったが、女優の方が決らない。岩下志麻から始まり、岡田茉莉子、倍賞千恵子などが候補に挙がっては諸事情で消えた。中尾ミエに決まりかけたが、今度は監督の斎藤がイメージに合わないとNG。その後も、低予算の作品だったため、ギャラの問題で数名に断られたという。そうこうしているうちに、中山仁のスケジュールが危うくなり降板してしまう(チョイ役で出演)。
萩原は斎藤に思いつきで「パリにいる岸惠子さんはどうですか?」と提案してみたという。「あの岸惠子がやるわけないだろう」と否定されたが、ダメ元で手紙を送ってみたところ、思いがけずいい返事が来たという。しかし「相手の方の顔写真を送ってください」とも書かれており、今度は慌てて男優を探す羽目になった。しかし、時間もないので斎藤は「それこそダメ元でお前の写真を送っておけ」ということになり、萩原は髪を少し切り、ネクタイを締めた証明写真のようなものを送ったという。最終的に岸は出演を承諾、萩原も思わぬ形でその相手役として出演することになってしまったのである。ちなみに、岸は当時39歳で萩原より17歳上であった。萩原は相手役ではあるが、岸の世話役も兼ねていた。
本作には刑事役で三國連太郎が出演しており、「台本通りに演じるだけではダメ」など色々教わったという。ラストシーンでは予め「手加減せずに殴るからゴメン」と三國に言われていたという。萩原はこうした三國のやり方に共感したといい、自分の演技のルーツになっていると語っている。本作の演技で高評価を得た萩原は本格的に俳優として活動していくことになったのである。
72年と言えば「太陽にほえろ」が始まった年でもある。有名な話だが、当初は萩原は出演を拒否していた。タイトルの「太陽にほえろ」が気にいらない(要るにダサイ)、加えて役名(あだ名)も気に入らない。当初の「坊や」から「マカロニ」に変更となったが、やっぱり気に入らないとギリギリまで揉めたようだ。最終的には衣装は自分で決める、そして音楽をPYGの仲間である大野克夫、井上堯之にやってもらうという点を条件として出演を承諾したのである。その彼らが作ったテーマソングが大ヒットし、もちろん番組自体も人気を呼んだ。しかし、半年くらいで萩原は降板を申し出る。局側がそれをOKするはずもなく、もう半年出演が延長されることになった。その終盤に4本ほど未出演の回があったのだが、この間に映画「股旅」(73年)を撮影していたという。監督は市川崑で、製作はATGである。タイトル通り股旅もので、三人の若い渡世人が主役。演じるのは小倉一郎、尾藤イサオ、そして萩原健一だ。キャラ的に一番死にそうな萩原が一人生き残るのだ。
以前書いたと思うが、撮影期間宿に泊まっていた際に、萩原が小倉に殴りかかったという。年齢は萩原の方が1つ上なのに態度が上からだった、ということに腹を立てたらしいのだが、役者としてのキャリアは子役あがりの小倉がずっと上である。その辺を尾藤に戒められたというようなことがあったそうな。ちなみに小倉は昨年より芸名を俳号として用いていた小倉蒼蛙(そうあ)に改名したようだ。

萩原健一の出演映画

今回からは萩原健一である。テンプターズとしては取り上げたことがあるが、個人としてはやっていなかった。
50年埼玉の与野生まれ。ショーケンというあだ名はデビュー前からのもので、本名は萩原敬三なのだが、何故かケンちゃんと呼ばれていたという。ショーは「小」の意味で、清水次郎長で言う大政小政のようなもの。萩原は田端の中学に通ったが、北区の辺りを仕切っていた番長OBがダイケンで、別の学校の番長がチューケンだったという。二人とも本名が「ケン」だったからで、萩原はダイケンの弟分みたいな存在であり前述の様に「ケンちゃん」と呼ばれていたのでショーケンになったという。
中三の時にザ・テンプターズに加入するが、ショーケンと呼ばれていたので、わかりやすく健一を芸名とした。
67年にプロデビューするが、デビュー曲の「忘れ得ぬ君」続く「おかあさん」とがメインヴォーカルは松崎由治が務めている。萩原によると「歌いたくなかったから」だそうで、ヒラヒラの衣装とかもイヤでたまらなかったという。
テンプターズ時代には、雑誌の対談をきっかけに知り合った8歳年上の女優の江波杏子と交際していたという。テンプターズは71年に解散し、タイガース(沢田研二、岸部一徳)、スパイダース(大野克夫、井上堯之)、テンプターズ(萩原健一、大口広司)という三大人気GSが二人ずつ集まったPYGが結成された。売りはもちろんショーケン、ジュリーのツインヴォーカルだが、ファン同志の仲が悪く会場でケンカが起こったりもした。そのうちどちらのファンにも敬遠されるようになり、人が集まらなくなっていたようだ。歌に関しても、沢田とは張り合えないと萩原は感じるようになり、渡辺プロも次第に沢田をメインにするようになって行ったという。そして萩原は「沢田が居ればいいだろう」とPYGから抜けている。とまあ、この辺は本人の著書「ショーケン」を基に書いているので、ウィキペディア情報とはズレが生じているかもしれない。
話は前後するが、GS時代に萩原が個人で出演した最初の映画が森次康嗣の時にも紹介した「めまい」(71年)である。時期的にはテンプターズの解散直後となる。主演は歌手の辺見マリで、「経験」「私生活」といったヒット曲を飛ばしていた頃だ。辺見マリは人気歌手の役で、萩原、森次、ドンキーカルテットのジャイアント吉田がその高校時代の同級生という設定。ちなみに実年齢では萩原と吉田は14歳差である。辺見は萩原と同じ50年生まれだ。劇中では萩原は辺見にフれて交通事故を起こして重傷を負うが、彼を慕う范文雀の看護で命を取り留め結ばれることになる。実は萩原はその范文雀とも実際に交際していた時期があったという。本作がきっかけかどうかは不明であるが。
「喜劇・命のお値段」(71年)は、フランキー堺と財津一郎が主演の風刺喜劇。刑務所帰りの二人はニセ医者として、廃業寸前の病院に入り込む。その病院の息子が萩原で、医学部に在籍しながら医者にはなりたくないという若者である。何故か医療の心得が多少あるフランキーが手術を成功させたり、謎のカユイカユイ病の発生や、岡田茉莉子が営業上うその啞だったりと、今ならヤバイと思われるネタの多い作品である。

中村敦夫の出演映画 その6

中村敦夫編の最終回である。
73年後半はは日テレの開局20周年記念番組であった「水滸伝」に主役の林冲を演じている。続けて74年は「おしどり右京捕物車」で主役の神谷右京を演じた。個人的には、どちらもリアルタイムで視聴していた。
ドラマで忙しかったせいか、この時期の映画出演はない。
75年になって、中村が代表だった番衆プロに李學仁という在日韓国人青年がシナリオを持参して現れたという。タイトルは「異邦人の河」。シナリオ自体は幼稚なものだったというが、そのテーマには感じるものがあった。現在もそうかもしれないが、当時は朝鮮半島や在日外国人の問題に触れることはタブーという風潮があったのである。
しかし、中村は本作のプロデュースを引き受けることにしたのである。不可能と思える難題を目の前にすると、やって見たくなってしまう気質のためだと本人は語っている。制作費の問題があるので、まず中村はノーギャラで出演してくれる俳優を探した。その結果、米倉斉加年、河原崎長一郎、菅貫太郎、常田富士男、柳生博、小松方正、馬渕晴子、宇都宮雅代などが承諾してくれたという。中村自身もジャーナリスト役で、藤田敏八も殺し屋役で出演した。主役は朴雲煥と言ってもわからないと思うがジョニー大倉が韓国名で出演したものである。当時は「キャロル」が解散した直後であった。ヒロイン役は新人の大関優子で、ミス「水滸伝」コンテストで二位入選し、審査員をしていた中村が番衆プロに引き入れていたのである。彼女は後に佳那晃子と名を変えて活躍することになる。スタッフは日本人、在日韓国人、朝鮮人が入り乱れかなり険悪な雰囲気だったというが、何とか完成にこぎ着けという。中村は製作者としても名を連ねている。
テレビに目を向けると75年は「剣と風と子守唄」にレギュラー出演し、三船敏郎と初共演。また、「紋次郎」時代のライバル番組だった必殺シリーズ6作目「必殺仕置屋稼業」に紋次郎を思わせる渡世人姿の殺し屋としてゲスト出演。ちなみにこの回の脚本を担当した中村勝行は中村敦夫の実弟である。76年はその流れからか、続く7作目「必殺仕業人」にはレギュラー出演となった。掛け持ちで「青春の門 筑豊編」にも出演していた。
これらが終了した頃、社長を務めていた番衆プロを抜け、独立している。原田芳雄は相変わらず気に入ったものしか出演せず、桃井かおりは遅刻の常習犯で撮影をすっぽかしたりする。担当マネージャーがノイローゼ気味になったので、桃井には辞めてもらったという。松田優作が入りたいと言ってきたこともあったが、自分の子分も連れてくるという。若いのに兄貴分を気取っているのが気に食わず断ったという。俳優を引き連れて独立を画策するマネージャーも現れ、中村は次第に馬鹿らしくなってきて先手を打って辞めたのだという。その後、番衆プロは消滅している。
77年の映画出演に「姿三四郎」がある。5度目くらいの映画化なのだが、監督は岡本喜八で、三四郎役は三浦友和であった。中村の役は檜垣源之助で、弟の鉄心は矢吹二朗(千葉治郎)、源三郎は宮内洋という特撮でお馴染みの二人がキャスティングされている。他に若山富三郎、秋吉久美子、岸田今日子、岸田森、芦田伸介、丹波哲郎、森繫久彌、仲代達矢という豪華メンバーではあったが興行的には振るわなかった。中村の感想も欠点はないが、大して面白くもないというものであった。この後、野口五郎主演の「季節風」や桜田淳子主演の「愛の嵐の中で」といったアイドル映画への出演がこの時期は続いている。

中村敦夫の出演映画 その5

もう1度、中村敦夫である。
72年の出演映画には、もう1作品あり初の東映映画出演となる「売春麻薬Gメン」である。これは宮内洋の項で紹介したと思うが、主演は千葉真一で麻薬潜入捜査官である。中村の役は麻薬組織の殺し屋で、他に宮内洋、武原英子、佐野浅夫、渡辺文雄など。中村は初の東映と書いたが、テレビの方では売れる前ではあるが「キイハンター」や「プレイガール」等にゲスト出演している。
「木枯し紋次郎」は中村のケガなどの影響もあり、18本を撮り終えたところで一旦休止となった。その間に73年の正月映画として撮影されたのが岸田森の項でも紹介した「夕映えに明日は消えた」なのである。中村にとっては初の主演映画となるはずだったのだが、お蔵入りとなってしまったのである。監督の西村潔に聞いても、はっきりとした理由は教えてくれなかったという。中村が人づてに聞いたのはプロデューサーの藤本真澄に気に入られなかったから、ということなのだが、他にも事情はあったらしい。西村監督はこの後、「燃える捜査網」「大非常線」といった千葉真一主演のアクションドラマや「ハングマンシリーズ」などで活躍したが時代劇を撮ることはほとんどなかった。93年に自死してしまうが、20年経過しているので、このお蔵入りの影響というわけではないだろう。
「木枯し紋次郎」が再開し、73年3月いっぱいで終了。入れ替わるように始まったのが原田芳雄主演の「真夜中の警視」であった。原田は中村と一緒に俳優座を辞め、番衆プロを結成。前述の「夕映えに明日は消えた」での中村の敵役も原田だった。「真夜中の警視」と言っても刑事ドラマではない(刑事も登場するようだが)。原田扮する西条が「事件屋」として難事件に挑んでいく、といったお話らしい。その原田が撮影中に交通事故を起こしたのだが、実は無免許だったことが発覚する。それを受けて13話の予定だったものが7話で打ち切りとなってしまったのである。そういった経緯なので、おそらく再放送されることもなく完全に封印されてしまったと思われる。無論、自分も一度も見たことはない。
この事件で原田が会見を開くことはなかったようだが、中村によれは原田はイメージとは逆に極度に内気で神経が細かったという。カメラマンにけがをさせ、動揺の極致にあり、会見を開くような状態ではなかったので、隔離するしかなかったのだという。
急遽代わりの番組を用意する必要があったが、中村の出番となったのである。企画は既に進んでおり、再び市川崑とのコンビによる「追跡」というドラマであった。つまり、一月半放送開始が早まった形になったのである。時代劇・現代劇の違いはあれど、「木枯し紋次郎」のコンビによるドラマということで注目を浴びたのだが、第1回の視聴率は6%しかなかったという。その後数回放送しても上昇する気配はなかった。そこで、プロデューサー会議の結果、監督経験のない舞台系の演出家たちを起用してみようというものだった。その中の一人が唐十郎だったのである。唐が監督したのは16話として放送予定だった「汚れた天使」であった。しかし16話として放送されたのは「天使の罠」というエピソードであった。これは関西テレビが独断で行ったものであった。

試写を見た関西テレビの重役が内容に問題ありと判断し、他の話に差し替えようと決断。それを知った唐は激怒し「汚れた天使」を放送しなければ関西テレビと絶縁すると宣言し、中村や他の俳優たちもそれに呼応したのだった。しかし、関西テレビは差し替えを強行。これにより出演者、スタッフが以降の出演制作をボイコットしたため、16話をもって終了となったのである。本作も中村がベスパに乗って走っている姿は記憶にあるのだが、まともには見ていなかったと思う。本作もその経緯から再放送やソフト化などは難しそうである。
今回は「映画」からは、ほぼ離れた話題になってしまったが、ちょうどいい機会だったので。

中村敦夫の出演映画 その4

引き続き中村敦夫である。
彼が「木枯し紋次郎」に選ばれた経緯は割合有名だと思うので、ここでは詳しく書かないが、中村にとって魅力的だったのは普通のカツラではなく、自毛を利用してやるという話だったという。要するに髷の部分だけをくっつけるというものだ。それならあっという間にできるし、圧迫感もないからである。
市川崑監督から見ると長身で面長、しかもギャラも安い必要があったのである。市川は当時金策に苦労しており、小谷正一プロデューサーの提案で、TVシリーズをやって監修料を蓄えて映画製作資金に充てようと考えたのである。この企画が挙がったとき、田宮二郎など多くのスターが名乗りをあげたというが、ギャラの高いスターを使うわけにはいかなかったのである。とにかく、両者の思惑が一致し「木枯し紋次郎」が決定した。
その直後になるが、中村は市原悦子、原田芳雄、菅貫太郎ら10人の劇団員と共に首脳との関係が悪化していた俳優座を退団している。いざとなると二の足を踏んだ者も多く、その人数になったという。生活のため新たな拠点をつくる必要があったが、新劇団を作るのではなく、役者のマネージメントを行う番衆プロというプロダクションを作ったのである。社長は市原悦子の夫である舞台監督だった塩見哲が就任。つまり市原悦子の本名は塩見悦子で、あの志穂美悦子と同じ読みになるのである。番衆プロという名前は事務所が新宿の番衆町にあったからという単純な理由だ。ここには後に、常田富士男や桃井かおりが加わっている。中村は資金稼ぎの為に、あまり仕事を選ばなかったというが、原田は自分の気に入った作品しか出ようとしなかったという。そんなこともあり事務所の稼ぎのほとんどは中村によるものだった。
72年の元旦に「木枯し紋次郎」がスタート。これにより中村は一躍人気スターとなった。第2話には原田もゲスト出演している(中村以外みんなゲストだが)。
72年の出演映画としては「無宿人御子神の丈吉シリーズ」がある。紋次郎の大ヒットもあり、同じ笹沢佐俣の原作による渡世人ものの映画化である。主役の丈吉は原田芳雄で気に入った役ということなのだろうか。第1作「牙は引き裂いた」で丈吉は妻子を殺されてしまうのだが、犯人は国定忠治(峰岸徹、当時は隆之介)とその舎弟の長五郎(内田良平)と九兵衛(南原宏治)だと様子を探っていた九兵衛の子分から聞かされる。丈吉は三人への復讐を決意するというストーリーだが、あの有名な国定忠治が女子供を惨殺したのか?というのがポイントであろう。丈吉も現場を見たわけではないので。中村敦夫はというと、やっぱち渡世人である疾風の伊三郎として登場。紋次郎との差別化のためか右眼に眼帯をしており、もちろん楊枝を加えたりはしていない。当時のポスターでも原田の全身ショットの背後にでかでかとその顔が。最初は丈吉の邪魔をするのだが、最終的には助っ人になったりする。九兵衛は倒され、仲間の巳之吉(菅貫太郎)は片目を潰される。他の出演者は松尾嘉代、北林早苗、花沢徳衛、阿藤海など。
第2作「川風に過去は流れた」も72年の公開。原田以外では中村、峰岸、菅は引き続き登場。ただし中村と峰岸の出番は少ない。今回のターゲットである長五郎役は内田良平から井上昭文へと変更になっている。ヒロイン役で中野良子と市原悦子が登場。つまり中村、原田、菅、市原と俳優座脱退組(つまり番衆プロ)が揃って出演しているのだ。他の出演者は内田朝雄、安部徹、長谷川明男、加藤嘉など。

中村敦夫の出演映画 その3

引き続き中村敦夫である。
70年の出演作品には「幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形」がある。岸田森の項で紹介した「血を吸う」シリーズの第1作である。2、3作目の吸血鬼を岸田森が演じていたが、1作目は誰かというと中村敦夫ではない。東宝の若手女優だった小林夕岐子である。東宝ニュータレント6期生で、同期に菱見百合子、牧れい、九条亜希子、小西まち子など特撮ヒロインになったメンツが多い。父は水島道太郎、母はタカラジェンヌだった山鳩くるみ。「ウルトラセブン」へのゲスト出演(アンドロイド少女)や「怪獣総進撃」「南海の大決闘」といいた東宝特撮への多かったことからの抜擢であろうか。
「血を吸う人形」では小林の婚約者だったのが中村である。彼女に会いにその屋敷を訪れたまま行方知れずになる。その消息を追って、妹である松尾嘉代と恋人である中尾彬が屋敷を訪ねる。といったストーリーで、結局中村は死んでいたので、松尾、中尾コンビが主役という感じになる。他の出演者は宇佐美淳也、南風洋子、高品格、浜村純など。
71年は大島渚監督の「儀式」に出演。製作は大島が率いる創造社で配給はATGである。大島がどこからか俳優座の異端児であった中村に目を付けたらしい。主演は河原崎建三と賀来敦子で、他に大島の妻である小山明子、創造社のメンバーでもある小松方正、戸浦六宏、渡辺文雄、大島作品常連の佐藤慶、殿山泰司、乙羽信子、小沢栄太郎など。建三の実母である河原崎しづ江も出演しているが、本作が最後の出演作品となっている。賀来敦子は詳細不明だが、62~63年にかけて数本のドラマ、映画への出演記録があるが、64年以降はなく本作で復活した形となっている。
物語は「テルミチシス テルミチ」という奇妙な電報で始まるが、そのテルミチ(立花輝道)を演じるのが中村である。
また、この71年にはNHK大河ドラマ「春の坂道」に石田三成の役で出演。しかし、初任給1万5千円程度の時代にギャラが1本4千円という安さで、しかも週に5日拘束されてしまうということで、「一刻も早く処刑されて消してほしい」という異例の申し出をしたという。ギャラは安くても、天下のNHKで目立つ役をやるのは光栄だというのが常識だったので、当然関係者は激怒し、お望み通り降板させようと思っていたところに、中村へのファンレターが多くNHKに届き始めたのである。マスコミからの取材も殺到し、NHKもその人気を無視できなくなり、5~6話だった出演予定が16話に伸ることになったのである。普通なら役者として嬉しい誤算という出来事だが、中村にとっては薄給で4カ月働かされることになったので、非常に迷惑だったと語っている。
また俳優座においては、中村ら中堅・若手が上演を希望した「はんらん狂騒曲」が幹部が反対したことで俳優座首脳との対立が決定的なものとなった。中村は劇団の許可を得ず「はんらん狂騒曲」の上演に踏みきったのである。公演が終了すると経済的に追い詰められ、すぐにでも収入を得なければならない状態となっていた。
幸いにも「春の坂道」で名が売れ、ドラマへの出演依頼が殺到していた。中村の答えは「ギャラの高そうなもので」。内容はなんでも良かったのである。劇団の映画放送部としてはそうもいかず、二本の連続時代劇ドラマに絞り込んだきたが「そちらで決めてください」と他人任せであったという。後日、それとは別に市川崑監督が時代劇の主役を探しているから会いに行けという。候補作があるのに、必要ないではないかと思ったが、巨匠の希望だからと渋々向かった。相手が自分を選んでくれる保障はこの時点ではなかったのである。
お分かりだと思うが、その時代劇こそが「木枯し紋次郎」である。市川監督は待ち合わせの喫茶店に中村が入って来たのを見た瞬間に彼を紋次郎役に決めたと言う。