萩原健一の出演映画 その2 | お宝映画・番組私的見聞録

萩原健一の出演映画 その2

前回の続きで萩原健一である。
GS後、萩原は俳優になろうと思っていたわけではなく映画監督になりたかったのだという。そこで「めまい」の監督だった斎藤耕一へ師事することを考えたのであった。
その斎藤が「約束」(72年)という映賀を撮ることになり、その現場に萩原はサード助監督として参加したのである。しかし、主役の男優は中山仁に決まったが、女優の方が決らない。岩下志麻から始まり、岡田茉莉子、倍賞千恵子などが候補に挙がっては諸事情で消えた。中尾ミエに決まりかけたが、今度は監督の斎藤がイメージに合わないとNG。その後も、低予算の作品だったため、ギャラの問題で数名に断られたという。そうこうしているうちに、中山仁のスケジュールが危うくなり降板してしまう(チョイ役で出演)。
萩原は斎藤に思いつきで「パリにいる岸惠子さんはどうですか?」と提案してみたという。「あの岸惠子がやるわけないだろう」と否定されたが、ダメ元で手紙を送ってみたところ、思いがけずいい返事が来たという。しかし「相手の方の顔写真を送ってください」とも書かれており、今度は慌てて男優を探す羽目になった。しかし、時間もないので斎藤は「それこそダメ元でお前の写真を送っておけ」ということになり、萩原は髪を少し切り、ネクタイを締めた証明写真のようなものを送ったという。最終的に岸は出演を承諾、萩原も思わぬ形でその相手役として出演することになってしまったのである。ちなみに、岸は当時39歳で萩原より17歳上であった。萩原は相手役ではあるが、岸の世話役も兼ねていた。
本作には刑事役で三國連太郎が出演しており、「台本通りに演じるだけではダメ」など色々教わったという。ラストシーンでは予め「手加減せずに殴るからゴメン」と三國に言われていたという。萩原はこうした三國のやり方に共感したといい、自分の演技のルーツになっていると語っている。本作の演技で高評価を得た萩原は本格的に俳優として活動していくことになったのである。
72年と言えば「太陽にほえろ」が始まった年でもある。有名な話だが、当初は萩原は出演を拒否していた。タイトルの「太陽にほえろ」が気にいらない(要るにダサイ)、加えて役名(あだ名)も気に入らない。当初の「坊や」から「マカロニ」に変更となったが、やっぱり気に入らないとギリギリまで揉めたようだ。最終的には衣装は自分で決める、そして音楽をPYGの仲間である大野克夫、井上堯之にやってもらうという点を条件として出演を承諾したのである。その彼らが作ったテーマソングが大ヒットし、もちろん番組自体も人気を呼んだ。しかし、半年くらいで萩原は降板を申し出る。局側がそれをOKするはずもなく、もう半年出演が延長されることになった。その終盤に4本ほど未出演の回があったのだが、この間に映画「股旅」(73年)を撮影していたという。監督は市川崑で、製作はATGである。タイトル通り股旅もので、三人の若い渡世人が主役。演じるのは小倉一郎、尾藤イサオ、そして萩原健一だ。キャラ的に一番死にそうな萩原が一人生き残るのだ。
以前書いたと思うが、撮影期間宿に泊まっていた際に、萩原が小倉に殴りかかったという。年齢は萩原の方が1つ上なのに態度が上からだった、ということに腹を立てたらしいのだが、役者としてのキャリアは子役あがりの小倉がずっと上である。その辺を尾藤に戒められたというようなことがあったそうな。ちなみに小倉は昨年より芸名を俳号として用いていた小倉蒼蛙(そうあ)に改名したようだ。