お宝映画・番組私的見聞録 -16ページ目

堺正章の出演映画 その6

堺正章のラストである。
71年は主演映画続きであった堺だが、72年の映画出演はなく、73年も以前夏夕介のところで紹介した「としごろ」に出演しただけである。もちろん、映画に出なかったというだけで、歌にドラマにバラエティにと大忙しであった。
そして74年、松竹映画「街の灯」で主役を演じている。これは前年の堺のヒット曲である「街の灯り」に基づいたものであろう。まあ堺のソロでの大ヒット曲といえるのは「さらば恋人」と「街の灯り」くらいではないだろうか。あと、シングルではないが「北風小僧の寒太郎」も有名だろう。この74年に「みんなのうた」で流れたものだ。
よく映画のタイトルを見ると「街の灯」であり、「り」がない。勘違いしている人も多そうだが、タイトルは「まちのあかり」でも「まちのともしび」でもなく「まちのひ」と読むのが正解らしい。
でこの「街の灯」だが共演者が中々豪華なのである。森繫久彌、笠智衆、三木のり平、財津一郎、田中邦衛、フランキー堺という顔ぶれが一同に揃うのはあまりないのではないだろうか。他に研ナオコ、栗田ひろみ、吉田日出子、高沢順子、ガロなどが出演。ちなみにガロは73年に「学生街の喫茶店」「君の誕生日」「ロマンス」と立て続けにヒットを飛ばした3人組のフォークグループだ。最初のヒット曲「学生街の喫茶店」は当初B面であったというのは有名な話。76年に解散している。
ちなみに製作は松竹と田辺エージェンシーで、企画にスパイダース時代のリーダー田辺昭知の名がある。実は堺の映画における主演というのはこれ以降はない。同じ日に公開された「ムツゴロウの結婚記」の主演は「相方」の井上順だが、こちらに田辺の名はないようだ。
この年の映画出演は他に「にっぽん美女物語」がある。主演は研ナオコで、「街の灯」と同じく松竹と田辺エージェンシーの製作となっている。研ナオコと鳥居恵子、早瀬久美、秋谷暢子が姉妹という設定だが、次女の研のみ見るからに異質な存在。役名も鯛子、鮎子、さよりに対して研は「ひらめ」となっている。他の出演者は津坂匡章(秋野太作)、湯原昌幸、三遊亭小円遊、ミヤコ蝶々などだが、堺の役どころは不明である。ストーリーにはあまり関わって来ないようだ。
75年も以前紹介したホリプロの15周年記念映画、和田アキ子主演の「お姐ちゃんお手やわらかに」に中国の殺し屋役で出演しているくらいである。
前述の様にこの時期はバラエティとドラマが中心。「ハッチャキ!!マチャアキ」「マチャアキのシャカリキ大放送!!」「マチャアキのガンバレ9時まで!!」と来て、有名であろう「カックラキン大放送」が75年から始まるのだ。
ドラマでは「時間ですよ」(70~73年)はもちろん、「マチャアキ・幸代のふたりは夫婦」(74年)「マチャアキの森の石松」(75年)といった主演ドラマがある。「ふたりは夫婦」はタイトル通り堺と十朱幸代が夫婦約だが、それ以外のことは不明。ほとんど情報のない番組なのだ。他の出演者は研ナオコ、中山仁、榊原るみ、小池朝雄、なべおさみ、等が出ていたようだ。
「森の石松」も見た記憶はないのだが、演出はマキノ雅弘で、脚本もマキノや小国英雄が担当しており、ちゃんとした時代劇のようである。石松が堺で、次郎長が浜畑賢吉。他に宍戸錠、江波杏子、渡辺篤史、岸部シロー、尾藤イサオ、浜田光夫、森繫久彌などが出演していたようだ。

堺正章の出演映画 その5

もう一度、堺正章である。
70~71年にかけてだが、血筋といのだろうか堺は東宝のコメディ映画4本で主演を務めている。
まずは「喜劇ドッキリ大逃走」(70年)。資料の少ない映画のようで、ウィキペディアには日活となっていたりするが、東宝(東京映画)の制作である。本作には相方の井上順も出演。ただし当時は井上順之(じゅんじ)を名乗っていた。しかし「じ」を付けたら「痔」になったという理由で、短期間で元に戻している。「お世話になりました」「涙」などのソロでのヒット曲はこの順之時代に出したものである。共演は大矢茂、范文雀、てんぷくトリオなど。大矢茂は加山雄三率いるザ・ランチャーズのギタリストであったが、70年になると単独で若大将シリーズ等に顔を出し始め、年明け71年の「若大将対青大将」では二代目若大将に指名までされているのだ。しかし彼単独の若大将が制作されることはなく、75年に三代目の草刈正雄が登場する。それどころか「女房を早死にさせる方法」を最後に姿を消してしまった。74年の公開だが、実は71年には完成しており数年だがお蔵入り状態だったらしい。つまり、若大将指名からまもなく役者を引退してしまったと思われるのだ。「ドッキリ大逃走」のもう一つの見どころはてんぷくトリオ(三波伸介、戸塚睦夫、伊東四朗)の出演だ、戸塚が早くに亡くなった為、三人揃っての映画出演はほとんどないのである。
ここから三本は渡辺プロ制作、東宝配給の作品が続く。堺自身は渡辺プロの所属ではない。
「喜劇 右むけェ左!」は、70年の大晦日が公開日となっているので、翌71年の正月映画ということだろう。本作に関しては犬塚弘が主役のサラリーマン係長で、その部下(堺、田辺靖雄、なべおさみ、大橋壮多)と自衛隊に体験入隊するというお話。自衛隊の教官役で井上順と左とん平が登場、他に小松政夫、島かおり、吉沢京子、山東昭子、いかりや長介など。犬塚は大映での主演作はあったが、クレージー映画のお膝元である東宝での単独出演自体が珍しい。大橋壮多はちょいデブの役者(本作での役名は太井)で、時代劇出演が多い。たまに善人もあるが悪役の方が多く特に「必殺シリーズ」での悪役が印象に深い。併映は植木等、加藤茶が主演の「日本一のワルノリ男」。
年明け71年、スパイダースも正式に解散し、名実ソロになった堺だが、前述のとおりナベプロ制作作品の主演が続く。
「喜劇昨日の敵は今日も敵」では、堺のソロデビューシングルである「さらば恋人」が挿入歌として使用されるが、おそらくこれが堺の最大ヒット曲であると思われる。共演はなべおさみ、吉沢京子、小松政夫、田辺靖雄、大橋壮多、いかりや長介など前述の「右むけェ左」と同じ顔ぶれが多く、小松や大橋は役名も一緒である。他に紀比呂子、范文雀、平田昭彦、大泉滉などで、布施明、ゴールデンハーフが歌のゲスト的に出演。併映は植木等、加藤茶主演の「だまされてもらいます」。
「起きて転んでまた起きて」は71年の大晦日公開。堺、なべ、吉沢京子、小松政夫、いかりや長介等に加え、安倍律子、大原麗子、桑原幸子、和田浩治などが出演している。併映の「日本一のショック男」はクレージー映画の最終作だが、やはり主演は植木と加藤茶でハナ肇、桜井センリ(起きて転んでの方に出演)は出演していない。

堺正章の出演映画 その4

引き続き、堺正章である。というより以前やったスパイダースの話になるかも。
66年からはスパイダースの活動が本格化してきた影響か堺個人での映画出演は途絶えている。またリーダーの田辺昭知はホリプロの一画に田辺エージェンシーの前身であるスパイダクションを設立してセルフプロデュースを開始している。
66年は田辺昭知とザ・スパイダースとして日活の「青春ア・ゴーゴー」と「涙くんさよなら」、67年も日活の「夕陽が泣いている」に出演。「夕陽が泣いている」はスパイダースの大ヒット曲をタイトルにしており、本人たちの演奏もあるが、主演扱いは山内賢、和泉雅子である。
そして67年8月に初主演映画となる「ザ・スパイダースのゴー・ゴー・向こう見ず作戦」が公開される。本作では七人全員(田辺、堺、井上順、井上孝之、大野克夫、加藤充、かまやつひろし)の個人名がクレジットされるのである。この66~67年の日活映画での共演者はいずれも山内賢、和田浩治、杉山元、木下雅弘による日活俳優バンド「ヤング・アンド・フレッシュ」で、そこにジュディ・オング、和泉雅子といったヒロインが絡むスタイルで、本作においては松原智恵子である。ちなみに脚本は倉本聰である。
また、目の負傷により休業していた浜田光夫の復帰作「君は恋人」にもスパイダースは友情出演といった形で顔を出している。ここまでは日活だが、1作だけ東宝の駅前シリーズ「喜劇駅前百年」にも顔を出している。堺のみ「佐山」という役名のある役を貰っているようだ。
68年もスパイダースの勢いは止まらす、やはり日活にて「ザ・スパイダースの大進撃」「ザスパイダースの大騒動」「ザ・スパイダースのバリ島珍道中」と彼らが主演の映画が三本制作されている。それ以外では松竹とホリプロ制作の「想い出の指輪」に出演。これは後輩GSであるヴィレッジ・シンガースが主演の映画だ。
そして、スパイダースの主演映画としては最終作となる東宝の「にっぽん親不孝時代」がある。タイトルにスパイダースがないのは、本人設定ではなく個別に役名がついているからだろうか。田辺とかまやつは後から合流する展開なので、OPは堺がドラムを叩き、映像上は五人で演奏している。この「親不孝で行こう」という曲は何故か音源化されていないので、本作でしか聞けないのである。堺の実父である堺駿二が井上順の父親役で出演(堺の父親役は藤村有弘、当時34歳)しているが、本作公開前の8月に54歳で急逝。本作が遺作となり、もちろん最後の親子共演となった(ほとんど絡みはない)。
69年になるとGS自体が下火になり始め、スパイダースもシングルは2枚のみ。映画に関しては主演作はもちろん、ゲスト出演の映画もなかった。唯一堺が「ザ・テンプターズ涙の後に微笑みを」に白髭の神様役で特別出演しているのみである。
70年、堺がドラマ「時間ですよ」にレギュラー出演することになったのをきっかけに、メンバーのソロ活動が優先されるようになった。リーダーの田辺は、マネジメントに専念するため現役を引退(前田富雄が加入)し、かまやつも脱退を宣言し、年内での解散が決まった。ちなみにラストシングルは「エレクトリックばあちゃん」で、子供の頃よく耳にした気がするが、ヒットはしてなかったらしい。

堺正章の出演映画 その3

引き続き、堺正章である。
65年になっても、舟木一夫とのセット出演は続いており、前回のような事情で東映を離れ、再び日活での出演となっている。
「花咲く乙女たち」は舟木の18枚目のシングルタイトルと同タイトルの映画である。主演は舟木自身で、定時制高校生の役である。ヒロイン役は西尾三枝子で、約1年前の「仲間たち」ではノンクレジット出演だった。彼女も定時制高校生の役だが、職場での同僚役で田代みどり、伊藤るり子、浜川智子(浜かおる)、岡田可愛などが顔を出す。
田代は当時16歳で、60年小6の時に歌手デビューし、同時期に映画デビューもしている。映画はほぼ日活で、吉永小百合との共演が多い。70年にブルーコメッツの三原綱木と結婚しており、72年にヒットした「愛の挽歌」を歌うつなき&みどりは、この夫婦のデュオだ。岡田可愛も当時16歳で、注目されるのはこの年に始まるドラマ「青春とはなんだ」の女生徒役からである。先んじて公開された日活映画版では西尾がメイン女生徒を演じている。西尾も浜かおるも日活ニューフェイスだが、共に「プレイガール」に出演するようになるのは有名だろう。
話が逸れたが山内賢がヤクザ役で、その弟分が堺である。舟木は彼等と親しくなり、更生させようと努力した結果、ヤクザから足を洗うのである。他に小池朝雄、金子信雄、菅井一郎などで、谷隼人(当時・岩谷肇)や光川環世(当時・井上清子)もチョイ役で出演している。京ふたり子なる双子の歌手が歌ったりするようだが、確認できるシングルは2枚しかないので、すぐに消えてしまったと思われる。
この年の5月堺の所属するザ・スパイダースが「フリフリ」でシングルデビューしている。
「東京は恋する」も舟木の主演映画で25枚目のシングル曲でもある。共演は和田浩治、伊藤るり子、山本陽子、葉山良二など。ヒロイン役の伊藤は東宝芸能学校からのスカウト入社で、前述の「花咲く乙女たち」はデビュー2作目だった。山本陽子は西尾三枝子や谷隼人とはニューフェイス同期にあたるが、年齢が高かったせいか(西尾より5歳上)当初はあまり役に恵まれていなかった。堺の役は舟木のアルバイト先(広告社)での後輩で、クレジットは珍しく菅井一郎、杉山俊夫、中村是好、桂小金治と共に「トメ」になっている。
「高原のお嬢さん」も舟木の主演映画で31枚目のシングル曲である。当時は毎月のようにシングルが発売されたり、同時に2枚3枚発売されたりしており、65年は計13枚リリースされている。本作のヒロインは和泉雅子で、他に山内賢、葉山良二、西尾三枝子、堀恭子、武藤章生など。堺は舟木のいる農場の使用人であり、人形劇団の一員でもある。で本作には山内の友人としてスパイダースのメンバー全員が登場する。デビュー曲である「フリフリ」の演奏などもあるようだ。ちなみに、当時は裕次郎や小林旭の主演作品に陰りが見え始め、この年の興行収入の1位は本作とのこと(12月公開なのだが)。

堺正章の出演映画 その2

続けて、堺正章である。
64年2月には、スパイダースに井上順が加入。井上孝之がリードギターに転向し、お馴染みの七人体制となった。
丁度、その頃公開されたのが日活の「仲間たち」である。主演は浜田光夫と松原智恵子で、それぞれが演じるトラック運転手とバスガイドが恋に落ちるという恋愛もの。浜田の友人の中華屋店員が舟木一夫で、浜田の助手として入社してくるのが堺である。同僚の若い運転手に妙に目立つのがいるのだが誰かと思えば当時新人の藤竜也。若干長髪でもちろんヒゲもないので、すぐにはわからない。他に松尾嘉代、内藤武敏、菅井一郎、桂小金治、林家三平(先代)など。
必ず舟木の出演作に堺がオプションで付いてくる形だが、これは当時同じホリプロ所属だったからであろう。本作では田辺昭知とザ・スパイダースの名が映画では初めてクレジットされた他、かまやつヒロシ、井上高之(当時は孝之が正しいはず)も個人名でもクレジットされている。ジャズ喫茶でスパイダースの演奏シーンがあり、ボーカルをかまやつが務めている。しかし他のメンバーは顔が映らないし、1分程度だし、誰が演奏しているかはわからない。そこにまだ井上順はいないと思われる。ベースもウッドベースなので、加藤充ではないかも。他に浜かおる(当時浜川智子)はクレジットされているが、西尾三枝子や谷隼人(当時岩谷肇)はノンクレジットだ。
その年の5月に、堺は「君たちがいて僕がいた」に出演。やはり主演は舟木一夫で、大映、日活ときて本作は東映の作品である。相手役は本間千代子で、10歳で童謡歌手としてデビューし、女優としても58年から東映に所属している。東映東京所長だった岡田茂は「善良性」の高い彼女をあまり使おうとしなかったが、岡田が京都へ転任し辻野力弥新所長になったたタイミングで初の主演作を得たのである。二人の先生役が千葉真一で、本間の母役が高峰三枝子、舟木の姉役が宮園純子、PTA会長役が須藤健で、その息子が堺正章だ。会長の息子といっても嫌な奴ではなく、父親を嫌っているという役柄である。他に佐野周二、明石潮など。
続けて同じ舟木一夫、本間千代子のコンビによる主演作が「夢のハワイで盆踊り」である。友人役が高橋元太郎と堺で、他に加藤治子、大村文武、風見章子、コロムビア・ローズ、笠智衆などである。この辺りはタイトル=舟木のシングルタイトルなのだが、本作は舟木、本間、高橋、コロンビア・ローズが一緒に歌唱している。
タイトル通りハワイで長期ロケを敢行しているが、これは東映初の海外ロケである。ちなみにハワイロケでの人員構成を巡り、東映労組と会社が揉め、ストが決行されたりしたという。
舟木と本間のコンビによる二作はいずれもヒットしたので、第三作も構想されたが、舟木の所属していた第一共栄が150万円だったギャラを200万円にするよう要求してきたのである。それを聞いた高倉健は「青二才の歌手に200万払ってるのに俺のギャラは安すぎる(90万円)」とアップを要求してきた。他の役者も値上げ運動を起こした為、東映は「本間を一人たちさせたいから」という名目で舟木と本間のコンビは二本で解消となり、舟木の後釜は西郷輝彦となったのである。
ちなみに東映の青春歌謡路線は、辻野が半年で栄転し、今田智憲新所長が岡田に呼応した不良性感度映画を推進したため終了したのである。
この64年に舟木が出演していない作品で、堺が出演したのが大映の「幸せなら手をたたこう」である。主演は宇津井健、姿美千子、倉石功、滝瑛子などで、主題歌を歌う坂本九も出演している。堺の役はクリーニング屋の店員で、「夢のハワイ」でも共演した高橋元太郎も顔を出している。

堺正章の出演映画

テンプターズ萩原健一、タイガース沢田研二と来たので、次はスパイダースから堺正章である。
堺正章は46年生まれで、本名は栗原正章。喜劇俳優だった堺駿二の次男である。5歳の時に父に連れられ撮影所に行ったことをきっかけに映画デビューしている。その作品は松竹の「東京騎士伝」(52年)で、主演は鶴田浩二、角梨枝子で、他に坪内美子、増田順二、伊沢一郎、水原真知子、多々良純など。ちなみに、当時は堺正明名義である。
この52年には、もう1本「母は叫び泣く」にも出演。当時ヒットした「あゝモンテンルパの夜は更けて」を主題歌とした作品だが、歌唱した渡辺はま子、宇都美清は出演していない。主演は佐田啓二、川喜多雄二、紙京子で、他に吉川満子、市川春代、三宅邦子、森川まさみ、日守新一など。ストーリー的には市川春代が主演のような感じで、堺はその息子役である川喜多の幼年時代を演じているようだ。
もう1本子役としての記録があるのは54年、新東宝の「ハワイ珍道中」がある。これがデビュー作と思っている人もいるかもしれない。新東宝初のカラー映画で、主演は花菱アチャコ。他に伴淳三郎、益田キートン、堺駿二、江利チエミ、田端義夫、安西郷子、清川虹子などで出演者で喜劇映画であることがわかる。人食い人種が登場したり、伴淳などは「土人の王様」と二役である。堺の役は「部族の子供」で、父の堺駿二とは初共演となるようだ(絡みがあるかどうかは不明)。
ここから9年、子役としての活動歴は見当たらない。小学校中学校時代は学業に専念していたようだ。
62年、鎌倉学園在籍中の16歳でザ・スパイダースに加入する。鎌倉学園は桑田佳祐の出身校としても知られる。俳優の青木富夫(突貫小僧)や加藤春哉、脚本家の小川英、プロデューサーの岡田晋吉もここの出身だ。
ウィキペディアにはリーダーの田辺が堺をスカウトしたように書かれているが、当時の堺は役者活動をしていなかったようなので彼に目を付ける機会はなさそうに思える。阿久悠だったと思うが、彼のエッセイによれば、正章がバンド活動をしたいと言いだしたが、父駿二は首を縦に振らなかった。粘り強く訴えていると、ある日駿二は田辺を訪ねるように正章に言ったという。いつの間にかスパイダースへ加入することが決っていたのである。もちろん、テスト的なものはあったと思うが、後者の方がしっくりくると思うのだが、どうだろうか。
スパイダースがシングルデビューする前の63年から堺の役者活動が再開されている。
大映の「高校三年生」である。主演は姿美千子、倉石功で、高田美和や主題歌を歌う舟木一夫も出演している。堺も実年齢は高二だが、同級生役で出演している。他に浜田ゆう子、渚まゆみ、細川ちか子、高橋昌也など。
「学園広場」も同年公開の青春もので、これも舟木一夫が主題歌を歌い、本人も高三役で出演している。役名も「高校三年生」と同じ船田一夫なのだが、こちらは大映ではなく日活の作品。主演は山内賢、松原智恵子で、他に桂小金治、田代みどり、市川好朗、久里千春、清川虹子、安部徹、殿山泰司、トニー谷など。堺は山内(高二)の同級生役。つまり、舟木と堺は違う会社の映画だがほぼ同じような役で出演しているのだ。スパイダースの同僚かまやつひろしが高三役で、当時は日活にいた谷隼人(当時岩谷肇)も高三の役だ。生徒役では沖田駿一(当時吉田毅)、前野霜一郎、根岸一正、うえずみのる(当時植頭実)、西尾三枝子なんかも出ている。
トニー谷司会の「アベック歌合戦」で舟木と松原が「学園広場」と「高校三年生」を歌ったりするのだ。

沢田研二の出演映画 その4

沢田研二のラストである。
81年テレビの方では、1クールのドラマ「いつか黄昏の街で」で主役のファッションメーカーの営業マンを演じた。連続ドラマは「悪魔のようなあいつ」以来となる。沢田には婚約者(山本郁子)が居ながら、多岐川裕美や佐藤友美と関係を持つ。そこに中山仁や萬田久子も絡んでくるのだ。他に浜田光夫、大門正明、近藤洋介、奈良富士子、岸部シローなど。ドラマでも一徳との共演は多いが、その弟シローと共演するのは初だと思われる。
82年、本業の歌手活動では77年辺りから続いていたシングル曲でのヒットは37枚目の「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」が最後となり、以降オリコン10位以内にランクインすることや「ザ・ベストテン」のソロでの出演も無くなった。
映画ではシリーズ30作目となる「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」に出演し、ここで2番目の妻となる田中裕子と出会うのである。田中はマドンナ役ではあるが、今回の寅さんは沢田と田中の恋のキューピッド係といった感じ。まさか現実でも不倫関係に発展していくとは誰も思ってなかっただろう。
84年は「ときめきに死す」で主役のテロリストを演じている。82年に発表された丸山健二の小説が原作だが、舞台が北海道だったり、暗殺対象が宗教家だったりと原作とは違いが多い。謎の組織から沢田の世話を命じられた医師に杉浦直樹、途中から組織に派遣されてきた女に樋口可南子。この三人による奇妙な共同生活が描かれている。他に日下武史、加藤治子、矢崎滋、宮本信子、岸部一徳など。暗殺対象の宗教家を演じるのは岡本真は役者ではなく漫画家・白土三平の実弟で、当時は赤目プロ(白土のプロダクション)のマネージャーであった。ちなみに本作の映画化権を持っていたのは内田裕也だったという。沢田の役はアル・パチーノ、杉浦の役を内田がやる予定だったが、沢田からの懇願で権利を渦ったのだという。
そして85年は「カポネ大いに泣く」。監督は鈴木清順で、主演は萩原健一、そこに沢田研二、田中裕子である。二人の関係を知ってか知らずかのキャスティングだ。他の共演者は高倉美貴、柄本明、樹木希林、加藤治子、牧伸二、峰岸徹、梅宮辰夫、平田満、たこ八郎など。タイトルにもあるアル・カポネ役はチャック・ウィルソンである。チャックは当時のクイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」に出演していた米国人タレント(スポーツ・インストラクター)だが、映画出演は本作が初であった。本作で沢田と田中の仲が加速したかどうかは不明だが、87年に沢田と伊藤エミとの離婚が成立した。そして89年に沢田と田中は結婚したのである。

沢田研二の出演映画 その3

今回も沢田研二である。
79年は「太陽を盗んだ男」で主役を演じている。彼の演じる城戸は無気力な中学の理科教師。ある日社会見学で彼と生徒たちを乗せたバスが大量の火器を持った老人(伊藤雄之助)にバスジャックされる。要求は「皇居へ行って天皇陛下に合わせろ」というもの。しかし、丸の内警察の山下警部(菅原文太)の活躍もあって事件は解決する。
その日から城戸は変わり、原爆の作り方を授業で行うなどの奇行が始まる。そして東海村の原発から液体プルトニウムを強奪し、自宅で原爆を完成させ日本政府を脅迫し、交渉相手に山下警部を指名する。
とまあ、序盤のあらすじを書いただけでもヤバイ話なのがわかる。城戸の要求が「プロ野球ナイターの完全中継」だったり「ローリングストーンズの日本公演」だったり、振り回される警察。次いで「5億円」を要求するが、城戸に被爆の症状が現れる。といったような展開。当時でもよく映画化できたと思うような内容だが、これは監督の長谷川和彦自身が胎内被爆者であるというところから考えた企画でもあるようだ。
前述以外の出演者は池上季実子、佐藤慶、北村和夫、神山繁、風間杜夫、水谷豊など。刑事役が汐路章、石山雄大、市川好朗、森大河と普段は悪役の面々である。草薙幸二郎と草薙良一も出ているが、以前も書いたとおり、顔も結構似ているので兄弟(親子)と思われがちだが、二人に血縁関係はない。配給は東宝だが日活や東映の大部屋出身者が多く出演している。
山本Pによれば、当初は城戸を萩原健一、山下を高倉健で考えたというが、高倉が犯人の方をやりたいと言ったため、イメージと合わず流れて、長谷川と親しかった菅原文太に落ち着いた。菅原が「ジュリーなんかどうなの」と言うので、交渉したところスケジュールの都合で1年以上待つことになったという。しかし、その後の長谷川の話では主役のキャスティングに難航していたところ助監督の一人に「ジュリーは駄目なんですか?」と言われ、「そうか沢田がいたか」とすぐに会いに行って、出演OKを貰ったと話している。どちらの話が正解なのかは不明だ。
80年の正月には3時間のスペシャルドラマ「源氏物語」が放送され、沢田が主役の光源氏を演じている。脚本は向田邦子、演出は久世光彦である。共演は八千草薫、十朱幸代、芦田伸介、渡辺美佐子、伴淳三郎、竹脇無我、いしだあゆみ、倍賞美津子、風吹ジュン、藤真利子、火野正平、伊東四朗、成田三樹夫、岸本加世子、朝加真由美、植木等などである。
81年の映画主演作に「魔界転生」がある。制作は東映、角川春樹事務所で、原作は山田風太郎だ。ちなみに「てんせい」ではなく「てんしょう」である。主演は柳生十兵衛を演じる千葉真一、そしてW主演という形になるのだろか天草四郎時貞を演じる沢田研二だ。山田の原作とは異なり最終的には、この二人の対決となる。千葉真一は他作品でも十兵衛を演じており、本作は4度目の十兵衛となる。
悪魔の力により甦った四郎は自分と同様に無念の死を遂げた者を甦らせ魔界衆に引き入れていく。その面子が宮本武蔵(緒形拳)、細川ガラシャ(佳那晃子)、宝蔵院胤舜(室田日出男)に加えオリジナルキャラの伊賀の霧丸(真田広之)。四郎を含め当初はこの五人であったが、後に十兵衛の父・柳生宗矩(若山富三郎)が加わる。他に丹波哲郎、松橋登、神崎愛、大場順、島英津夫、久保菜穂子、成田三樹夫、鈴木瑞穂、犬塚弘、また角川春樹も板倉内膳正役で顔を出している。

沢田研二の出演映画 その2

引き続き、沢田研二である。
74年末に、沢田個人としては初の主演映画である「炎の肖像」が日活系で公開されている。監督は藤田敏八である。当時の日活はロマンポルノが主軸であったが、たまに一般映画が制作されることもあった。
沢田が演じる主人公・鈴木一郎ならぬ鈴木二郎は人気ロック歌手で愛称はジュリーである。つまりは虚構と現実が混在しているような作風となっている。共演は秋吉久美子、地井武男、大門正明、中山麻里、原田美枝子、悠木千帆(樹木希林)、朝丘雪路、佐野周二などで、加えて内田裕也や井上堯之バンド(井上、大野克夫、岸部一徳など)の面々も顔を見せている。
75年にはザ・ピーナッツの姉の方伊藤エミと結婚。年齢は伊藤が7歳上で、妹のユミの方は生涯独身だった。きっかけは不明だが同じ渡辺プロに所属しており、出会う機会は多かったであろう。また沢田はタイガース時代から作詞や作曲を行っており、他の歌手にも提供していた。ザ・ピーナッツにも曲の提供を行っていたので、そこからより親しくなっていったことも考えられる。提供曲のほとんどがアルバムの中の一曲とかであるが、アン・ルイスの「ラ・セゾン」はシングル曲として大ヒットした。ちなみにその作詞は三浦百恵(山口百恵)である。
その結婚直後にスタートした沢田主演ドラマが「悪魔のようなあいつ」である。全17回で原作は「同棲時代」の上村一夫。68年に発生した三億円強奪事件だが、この75年12月に時効が成立することになっていた。その犯人こそが沢田演じる可門良という設定だ。妹役の三木聖子は渡辺プロ入社2カ月での抜擢で、もちろんデビュー作。歌手としても同時期に「まちぶせ」でデビューした。「まちぶせ」は81年に石川ひとみがカバーシングルとして発売し、大ヒットした。
他の出演者は藤竜也、荒木一郎、安田道代、篠ヒロコ、金田龍之介、ディック・ミネ、伊東四朗、尾崎紀世彦、樹木希林、細川俊之、そして若山富三郎など。岸部修三(一徳)、大口広司、デイブ平尾といったGS仲間も出演している。岸部はこの時期に井上堯之バンドを脱退し、俳優に転向していく。また本作の主題歌として使用された沢田の「時の過ぎゆくままに」が大ヒットしている。
翌76年は映画「パリの哀愁」に主演。制作は所属の渡辺プロ(配給は東宝)で、フランスを舞台にしている。相手役のフランス人女優クローデーィヌ・オージェは「007サンダーボール作戦」(65年)ではボンドガールを演じている。他の共演者は浅野真弓、大口広司、大滝秀治など。
一方で、この76年は暴行事件(不起訴処分)を起こし、賞レース等を辞退しているが、翌77年の「勝手にしやがれ」が大ヒットし、日本レコード大賞、日本歌謡大賞を独占している。ここから、ヒット曲連発の歌手としては一番の充実期に入ったこともあり、77~78年の演技仕事は「七人の刑事」のゲスト出演くらいである。

沢田研二の出演映画

ショーケンとくれば、次はジュリーだろうと言うことで沢田研二である。タイガースとしては取り上げたことがあるので、今回は沢田個人の活動についてである。
本名は澤田研二で、48年生まれ。ショーケンより2歳上。京都育ちだが、生まれは鳥取である。父親は長谷川一夫の内弟子だったこともあるという。京都の鴨沂高校を中退しているが、かなりのワルだったと言われている。大信田礼子は高校の同級生である。ちなみに、この学校の卒業生には山本富士子、田宮二郎、団令子、加茂さくらなどがおり、森光子は沢田同様に中退している。皇族も在籍していたことがあり、結構な名門のようである。
17歳の時に、岸部修三(現・岸部一徳)に誘われサリーとプレイボーイズ(ファニーズ→ザ・タイガース)にヴォーカリストとして加入した。
67年にザ・タイガースはデビューし、大人気となり、映画も「世界はボクらを待っている」「華やかな招待」「ハーイ!ロンドン」の三本が制作された。クレージーキャッツの「クレージーメキシコ大作戦」(68年)にはソロでメキシコ人女優の恋人役として出演しているがノンクレジットである。また植木等主演の「日本一のヤクザ男」(70年)にも、流しの歌手として顔を出しており「侍ニッポン」を歌唱している。
71年1月にザ・タイガースは解散。翌月、萩原健一の項でも書いたPYGに参加。11月には「君をのせて」でソロデビューしている。72年の2枚目シングル「許されない愛」がヒットし、萩原の俳優活動も本格化してきた為、PYGは自然消滅していき、二人を除くメンバーは井上堯之バンドとして沢田のバックバンドを務めた。
この72年辺りから、少しづつ俳優仕事も行う様になっていく。何といっても「太陽にほえろ」第20話へのゲスト出演である。萩原扮するマカロニ刑事に射殺される犯人役を演じている。映画では萩原の項でも書いたが天地真理主演の「虹をわたって」に出演。ストーリーに直接絡んでいるわけではないようだが、天地がたまたま居合わせた彼のヨットに乗り込み出発するが、台風の直撃を受け救出されるという役だ。
73年、6枚目のシングル「危険なふたり」が大ヒット。初のオリコン1位を獲得し、結果的にはこの年の歌謡大賞を受賞することになる。
本業の歌手活動が好調だったこともあり、この年の映画出演はないが、90分の単発ドラマ「同棲時代」に出演している。主役の今日子と次郎を、梶芽衣子と沢田が演じているのである。共演は湯原昌幸、山本コウタロー、研ナオコ、市地洋子、初井言栄、仲谷昇、そして萩原健一が「友情出演」している。実はこのドラマ、当時は高価だったVTRで制作されたため、テープを再利用するのが普通だったこともあり、2度放送されただけで消去されてしまい、幻のドラマとなっていたのである。しかし、当時の放送を録画したUマチックテープが発見され、13年にTBSチャンネルで約40年ぶりに放送された。ちなみに脚本は山田太一だ。
「同棲時代」は映画化もされ、こちらは由美かおると仲雅美が主演である。大ヒットしたため、すぐに第二作の制作が決定したが、由美かおるが嫌がったため、高沢順子と本郷直樹に変更されている。