Leger Des Heils - SONNENFLAMMEN

LDHはドイツのバンド。ネオフォークとネオクラシカルの間を縫うように出てくる音は時として長閑とも言えるようなメロディーをも生み出す。その根底にあるものはヨーロッパに根付いた特有の「美」(ヨーロッパ以外に「美」が無いと言っているのではない)そのものであろう。2022年にリリースされたこのアルバム。9曲目のEUROPAだけ歌詞がブックレットに掲載されている。

 

In our dream

we fell from the sky

In our dream

we touched the sun

Like fallen angels

drifted through the time

with burning wings

falling in an ocean of crime

 

Life is blending - life is ending

in Europa !

 

In our dream

we built the empire

for a new society

of love and strength

It's only a dream

The end is near

the dream is broken

with blood and fear

 

NOEHAEM (2023年 digital) - Anenzephalia

「お前の手持ちの音楽作品を1つ除いてすべて処分しろ」と言われたら迷うことなく手元に残すであろうこの一作。内容はもちろんの事、デスインダストリアルを体現するもの、また自分自身のこれまでとこれからを託す作品=シンボルとしてこの作品は貴重な物なのだ。

2003年にリリースされた三枚目のアルバムの20周年として再発された作品は時代の流れ(Anenzephaliaのレビューであれば進歩とは言うまい)に沿い、ネット上でも聴けるように手配がなされた。いつぞやに「ネットの弊害を言う者もいるが逆にネットがあるからこそ反ネット的な言説を多くの人に伝えることが出来る」という文句をどこかで読んだ。その言が正しいか否かは瞬時に判断することは出来ないがネットとその使用機器が広範に行き渡り、高性能化しておりネットが提供するものもそれに伴い変化していることによって人のAnenzephalia化=無脳症化が加速化していることはほぼ間違いがあるまい。

その20年の間の変化に危機感を持ったのか、「俺は20年間努力したが世の中は変わらなかった」と言って音楽活動を止めた彼はこの作品を単なる再発ではなく、世の変化に対抗する形で再生させた。比較対象の結果は記さないが内容が大きく改変されているのである。1stEPを思わせるようなどんよりした雰囲気に機械化された痴呆の声が被さるオープニング、作曲者は聴者や世の中全般を呪い殺そうとしているんじゃないかとすら思える腐敗物から立ち昇る瓦斯の様な濁音が寄せては返す場面、「機械」のような非情さと「官僚組織」的無情さの両方で「人間」を追い込んでいく場面、何もない世界でただ「工業的発展」と唯繰り返される場面、建築現場の様な規則正しい騒音の中で何らかの報告が行われる場面(歌詞が聞き取れると良いのだが、、、)、感情を持たぬ何かがゆっくりとこちらへ向かってくる場面、そして何も起こらないエンディング。

正に、私にとって、「デスインダストリアルとはかくあるべし」という作品である。前回も書いたが「インダストリアル」を語る際に未だTG,SPKで終わっており、それ以降の事が全く顧みられないのは所謂、評論「屋」の怠慢でしかあるまい。話を戻す。このデジタル化に伴う再生版の白眉は何と言ってもNOEHAEM Vの映像である。全ての人間的風景は髑髏のマークにかき消され(ベタな演出だなあなどと言う輩は彼の危機感を理解していない)、監視塔の様にテレビ塔が屹立する。「工業的発展」と言う言葉が何度も繰り返される。NOEHAEMとは「最早、新しい家(社会)など無い」というB.Molchの警句であることが思い起こされる。ビデオが終わる場面、本来楽しい遊び場にいるはずなのに何かの異変に気付いた子どもの怯えを含んだ顔が映し出される。こうまでしないと分からない無脳症達への少数者からの極めて分かり易い伝達事項である。

 

Taint-Indecent Liberties

 

今でこそ人畜無害なお洒落風小物としてすら機能しうる「ノイズ」であるが私がノイズに漬かり始めた頃は(90年代初頭)インターネットもSNSも無く、街にはまだ「汚れ」があり、「ノイズ」にも80年代からの度を越した悪趣味の残滓の様なものがまだ辛うじて残されており手にすることでその邪悪な何かの一部分を自分の家に持ち帰ってしまう様な「何か」もまだそこにはあった。Praxis Dr. Bearmannはそんな「何か」を幾らか排出していたドイツのレーベルである。そこから95年に出たTaintのIndecent Liberties。その後に行ったインタビューが本当であれば悪魔崇拝者の手によって本当の血が塗りたくられたジャケットが金網の中に封じ込まれている。ドロドロした低雑音と明らかな悪意を持った高音。妖気染みたエコーのかかった痴呆の声。淀んだ誰かの声や雑音はそちこちに停滞し不健康な音を垂れ流す。盤上にある全てが陰湿な否定にあふれていた。こんな「人間」に自らの住所を晒したうかつさを悔やみながらも彼から届いた電子雑音2号インタビューへの返答を読みながら「ああ、この人は本物だ」と5歳くらい彼より年下の私は思ったのだった。とある本に書かれたUlex Xane(Streicher)の彼に対する弔辞はその彼の偽りのなさに敬意を表している。「それは本当の世界やストリートから生まれたものだった。他のバンドの様にホラー映画やセックスを売り物にした糞、ナイロンに対する糞みたいな話や可愛らしいジャップの少女が縛られたりセーラー服を着ているようなもんじゃない。そんなものはクソ喰らえだ。今頃のヒップスター風のトウフノイズじゃ俺は興奮できない」と。彼にはMysogynist Lustという作品もあるがこの弔辞の中でUlexは正しく彼はMisanthropeであったと書いている。「女嫌い」ではなく「人間嫌い」なのだと。その人間嫌いのまま人間嫌いの人間とだけ付き合い、己の悪趣味に耽溺してさっさと死んでいった彼に私は嫉妬する。最後はUlexの文で締めよう。「By request,he wanted no funeral.Blank,gone,done,dusted.」

Genocide Organ – Live In Japan 2003/2007 pt.3

 

ライブ後、B.Molochは帰国し、ほか3人のメンバーとKさん、私で京都、姫路に向かいました。京都は純然たる観光ですが姫路ではJack or Jiveと会うのが目的の一つ。思えば以降の帝都シリーズも含め出演者がノイズ:インダストリアル界隈の人間と交流する唯一の例でした(Inadeが来日時に「ゲストで入れてあげてくれ」と言われたカップルがいましたがどのような関係で呼んだのか聞くことはなかったです)。

 

今回のライブに合わせ作品をリリースする旨の連絡をWHから受けました。音源は既に出来ているとの話。聞くと本来はGenocide Organの2ndアルバムとして日本のレーベルから発表されるはずだったものがお蔵入りとなり、それをこの機会に発表するとのこと。私に依頼されたのはバンド名と曲名を日本語にすること。これはなかなか難しい注文でした。外国語を日本語にするとどうも締まりのないものになってしまうアレをどう避けるか。その為ストームフィーバーなどはドイツ語を英語にし、それをカタカナにするという苦し紛れの対応をせざるを得ませんでした。その他、ZentralinstitutはWHとの遣り取りの中で精神病棟を指すということが分かったのでそれを()に入れたり、Und Morgen Die Ganze Weltでは「これは歌詞の一節で~」みたいなことをメールで受け取り、それをもとに「明日は全ての世界を」という更なるアクションを取るであろうという含みを持たせた訳にしたりしました。今でも馬鹿だなと思うのは当初の盤で「I」や「IV」を漢字にしなかったことです。これはもう単に馬鹿だというしかありません。再発の際にこれは訂正してもらいました。そしてバンド名。pt1に書いた通り漢字四文字に拘っていた私は「虐殺機関」をまず提示してみました。それに対しWHは「前のと違うけど、どうなんだ?」と聞いてきます。Two thousand maniacのアセテート盤にあった「計画的大量虐殺」を指しての事と思います。以降、WHと話すと「計画的という言葉は避けたい」、「(organには機関と器官があるがと言う問いに対しては)可能であればどちらかに限定したくない」という感じでした。Genocide Organの常通り「予断を許さない」、「断定しない」態度をここでも持ち続けたい様でした。その為、「genocideを虐殺は意訳が過ぎるだろう」と思いつつも当初の通り「虐殺機関」を訳としました。その後、伊藤計劃の虐殺器官もGenocideを虐殺と訳していたのでまあそれでもよいのでしょう

 

ps.

(伊藤さんのツイッターか何かでGenocide Organを聞いたとあったのを覚えています)

Genocide Organ - Live In Japan 2003/2007  pt.2

 

ライブそのものはDVDを見ていただくとしてその他の些事。以降ライブ当日(及びその前後)について

ライブに関しては両アーティストに「動」と「静」の二面を見せたものを行ってほしい旨を当初からお願いしていました。会場はそれに合わせ「動」を高円寺20000V(本当にライブハウスらしいライブハウスでした。WHも大きな所よりもこの位の場所が良いと話していました)、「静」を神楽坂にあったDie Platze(階段状の客席を持った演劇なども行う小ぶりのホール。田野さんが場所を見つけてきました)で行う事となりました。動員は130人前後と60人前後くらいだったと思います。

記憶に残った外国人客三人。香港から二人。私は覚えていないのですが社長曰く「リハの時に入ってきちゃってた」。聞くと二人とも「休みが取れなかったから会社を辞めてきた」とのこと。ただならぬ気合いにこちらも力が入りました。二人はその後にそれぞれEFD RECORDS(店舗、電子雑音8号に広告有)、Hatred in Eyes/Assembly of Hatred(バンドとレーベル)を立ち上げます。もう一人はDVTというユニットをやっているオーストラリア人。遠いと思っていた彼の国が実は近いと思わせる出来事でした。


ライブ前に私達は彼等からGOのシャツ(電子雑音8号の裏表紙にある物)を貰って舞い上がっておりました。田野さんはボスらしく黒色のそれをもらっていたのですがその後どうなったやら。またNさんの伝手で来ていただいたプロのカメラマンの撮影がありました。プロとして妥協はできないのでしょうが何枚もあれこれと言いながら撮りまくるので横で見ていた私はこういうのが嫌いそうなWHが怒り出すのではと思ってハラハラしていましたが何とか辛抱してくれたようです。その写真も電子雑音8号で確認可能です。

初日の機材について。メタルジャンクと投影機はMothraの高橋さん(SCRELOMA)、大久保さん(Linekraft)からお借りしました。投影機を手慣れた手つきでテープを使って台に固定するお二方を見て「場数を踏んでる人は違うな~」と頼もしく思い感心しながら見ておりました(全く関係ないですがMOTHRAも非常に良いバンドでした。ステージからはける時に手にしていた車のホイールをステージ端のメタルジャンクまで放り投げた高橋さんの雄姿を忘れることは一生ないでしょう)。セットされた鉄板を叩きながらWHが「ah,scheiße」と言っていたのが記憶に残っています。日本語にすると「畜生、たまんねーぜ」って感じでしょうか。整合されたサウンドを構築しているGOですがその根本にはこの様に鉄板をぶちのめすような音に対するフェティッシュがあるのだなと思わされました。

メンバーからライブ撮影を頼まれましたが「集中して見たいから」と私はお断りし結局はTesco USAのJane Elizabethがそれを行ったように記憶しています。またNedsオーナーも同様にカメラを回していた記憶もわずかながらあり。


二日目のライブは「Japanese special」確かに日本を題材としたフィルが多く流れ最後は原爆投下。演奏終了後にWHが追悼の意を示すように頭を下げたのが記憶に残っています。因みにこの日はWHとB.Molochが演奏中に nihil est nihil est と延々とタイプされている紙片を観客全員に配りました。紙の色はバンド側から指定があり、田野さんが東急ハンズで購入、その後コピーしてくれたと記憶しています。この日はCon-Domも血のりを使うなど会場に相応しいパフォーマンスとなりました。二日目の方が普段見られない様なパフォーマンスである意味シアトリカルでしたので部外者にも受けるものだったかもしれません。

Genocide Organ - Live In Japan 2003/2007  pt.1

ライブの打診が会ったのはWilhelm Herrich(以下WH)から。電子雑音を通じてインタビューやショップ用の商品を取り寄せるなどの親交がありました。ライブ開催の経験がなかったため電子雑音の田野さんへ相談。以降、彼とのやり取りは私が行い、都度田野さんと手配していくという形を取りました。その中で後に弊社社長となるNoiseuseさんも活動に加わっていきます。フライヤーのアートワーク系は電子雑音のNさん(私のような新参者以上にGO来日には感動されていました)にお願いし、文章は私が担当。「帝都制圧」というコピーも私発案かもしれません。「電子雑音」を念頭に置き漢字四文字に拘りました(後のライブも全て同じ。帝都音社も虐殺機関も同様)。
対バンに関しては同じ様なバンドが当時の日本にはおらず苦慮していたところWHからCon-domを紹介されました。バンドとしてのプレゼンスの大きさも、日本までのチケット代の負担を考えると一人で来てくれる事も非常にありがたくほぼ即決で対バンは決定しました。普通であれば日本側のバンドも迎えるところですがそこは社長と私が「2バンドで十分」と主張し、それがそのまま通ったような記憶があります(この考え方は後の帝都シリーズも同様)。あるバンドから売り込みがあったらしいですがそれは社長が断ったとも後日聞きました。
来日時に出迎えたのは私と当時、電子雑音のお手伝いなどをしていたKさん。英語に加え、ドイツ語も話せるので手伝いをお願いしました。来日はCon-domとGenocide Organとも同じ日でした。先にMike Dando(Con-dom)が到着。そのままリムジンバス乗り場へ案内。新宿へ行ってもらいました。新宿のバスターミナルで田野さん他と落ち合う段取りです。Mikeは兎も角、Genocide Organご一行は顔がよくわからず、また怖い人だったらどうしようということで私とKさんは「緊張するね」言いながら手に汗をかいていました。それでも出国ゲートから出てくればまあそれらしき人はわかるもの。こちらもそれらしい格好をしていたのでWHがこちらを見つけ目が合った途端、ニッっとしてくれたので一先ず安心。その後、Kさんとの打ち合わせ通り「今回の来日により骨を折った横山が先に握手をする」事となり、見事「初めてGenocide Organと握手した日本人」となったわけです。握手の際に「Finally」とWHが言ったのを覚えています。世の中が狭くなったとはいえ矢張りはるばる日本までライブに来た感慨があったのでしょう。
その後、全員で当時代々木駅から歩いて15分ほどの所にあった電子雑音ショップへ向かいました。駅から店の間に日本共産党の建物がありそれで盛り上がったことは言うまでもありません。
(後日談;弊社社長から教えていただいたのですが当時ショップのあったビルのオーナーが三島由紀夫の知人であり、三島本人もそのビルを訪れたことがあるようです)
(余談:メンバー全員、Mike、Tesco USAのJaneなど殆ど来日した全員が編み上げ靴を履いていたのでショップへの出入りにものすごく時間がかかったのを覚えています)
彼等の宿泊先は田野さんのお宅でした。
 

V.A.-Final Verdict

片やブラックメタルやダンジョンシンセ勢がノイズやらパワエレやらに食指を伸ばす中で本当に右寄りの思想を持つ連中がノイズというジャンルにまで到達してきたというお話は何時ぞや阿佐ヶ谷でした通り。ノイズの音の凶暴さを考えればそれが所謂アート筋やお洒落小物風に取り扱われる事の方がかなり異常な気もするがサブカル:アート勢が他人との差異化を求めた結果に行きついた先がノイズだとすれば前者のそれは矢張り音の凶悪さと己の思想の攻撃性がマッチしたという事なのだろう。また思想性の赴くところ行き着いたレーベルが一緒であるだけなら良くあることだがそこから更にKameradschaftを拗らせ異形のリリースがなされることも、私が知る以上に、あるのだろう。Final Verdictと名付けられた本作はその好例。Purificationはデスメタル、Nativistはブラックメタル、Steel Lawはハーシュノイズである。曲目やバンド名はお暇な方は各々和訳していただきたいがまあ遠慮会釈ない晒しっぷりである。ここで特筆すべきことは、阿佐ヶ谷でもふれたが、Steel Lawが所謂ノイズっぽいそれでは無くてノイズそのものをやっているところである。彼やその周辺のアーティストは初期混交時代に合ったようなノイズっぽい何かといったような「素人」っぽさが全くなく純粋に「ノイズ」として聴かれるものであることだ。もう何年も前になるが「思想的に強い奴はノイズ的に弱い」とある人と話したが最早それは昔話になったといえよう。
 

V.A.-the night and the fog

ブラックメタル界隈からのノイズへの浸食。今、それは大いに行われその全貌を掴もうとするのは最早一個人の手に余る。それでもたまにノイズ界隈でそれらしきものを発見すれば玉石混交であることを承知で入手するように心掛けている。当初は所謂ハーシュノイズから遠く離れたところで始まったそれもステイトメントだけではなく音の強度も、HNWやパワーエレクトロニクスの勃興に歩調を合わせるかのように、増してきたように思う。
所謂極右と見做されるであろう個人主義者、民族主義者、理想主義者がやっているノイズを追い掛けること。その全てがここから始まったという一作を挙げろと言われたなら迷いなくこの作品を選ぶだろう。何と言っても一曲目のSS1488である(https://ameblo.jp/teitoy/entry-12666313973.html)。DEATH MARCH TO TREBLINKAというPCから遠く離れた容赦のない曲名。愛想の全くない”Promotional Advertisement"のアートワーク。曲調はノイズでは全くないものの「メタル」の概念から遥かに遠く離れたシンセ音と総統演説がブラック「メタル」と同じ音盤に納まっていることに衝撃を受けた。また個人的経験からどうしても反応してしまう「オーストリア」のバンドであることでとどめを刺された。完全に魅了された私はこの時点で全く単独作品を出していないバンドがここに案内されているCattle Car Productions(!)から次回デモを出したときは絶対に(コンタクト先不明であるにもかかわらず)電子雑音でインタビューしてやろうと心を躍らせた。しかしながら以降、彼らは約20年間沈黙し、電子雑音も廃刊となり、ブラックメタル及びノイズとそれを取り巻く情勢も大きく変わった。何よりも世の中全般が大きく変わった。
しかし当然ながら、移り行く世の中でも価値の変わらぬものはある。この作品にある言葉。Black Metal is more than mirely music.という言葉などは正にそれであろう。個人的にはBlack Metalに限らずmirely musicで無いものを相も変わらず入手し続けている。このスタンスは彼らの固い志と同じく生涯変わらないもの思う。そういう意味では、多少大仰ではあるものの、生きることに指針を与えてくれた作品の一つと言ってもよいかもしれない。

Missionary-Mujahadeen

このタイトルでノイズとジャンル分けされていれば怒涛のノイズと熱砂のようなアジテーションヴォイスと思うだろうが豈図らんや全く違う。そんな単純なものではなかった。静まり返った空間で詠唱が厳かに唱えられる冒頭。窓から差し込む光の筋のような一本の音がその空間に現れる。その光はギリギリとした不快な音の束へと変貌し重苦しいドローンと何かの金属を緩慢とは言えぬまでもそう熱心ではない動作と共に叩く音がそこに加わる。まだ遠くの方で詠唱が聞こえている。一瞬音が途絶えた後にかなりの音量で挿入されるラジオニュースと思われる音、様々な放送局からの情報が入り乱れ、電波は乱れ、ラジオはそれらの電波を正確に拾わずノイズが喧しい。その中でも何らかの忌まわしいことが行われたことが英語(若しかしたらそれ以外の言語でも)報じられる。やがてそれらは静まり返り、また何かの金属を叩く音が聞こえてくる。人がトンネルの向こう側から何かを、歌かスローガンを唱えるように、叫んでいる。何が機会となったのかその音は急激に大きくなり、また何かを切っ掛けにその音は小さくなり、またやや大きくなる。その繰り返しでAサイドは終了。何かを伝えたいという意思を持った低音のパルスと唯、自然現象で鳴っているだけとは思えないコン、コンという小さな音。闇夜にぼんやりと浮かび上がる淡い光のような高い音が何やらオカルトめいた雰囲気を醸し出す。それらの音はややスピード、音量、明度を変えつつだらりだらりと連なり流れる。その音が止んだ後に歪みのかかった詠唱が始まるのだが、その詠唱する男性の声は、泣いているのであろうか、時々途絶える。それは号泣などではなく堪えきれない落涙の様だ。異教徒にとっては何とも不可解で不明な一作。音自体は昨今の「ノイズ」というよりも90年代初頭前後の日本ノイズコンピ「音」シリーズやNUX Org.のコンピを思い出した。

Sproofilic Vessel/Astral Death-Caustic Emanation
ヒムラーが好きで自分の音をultra-violent=超暴力的とたった一言インタビューでほきすてた80年代のSutcliffe Jugend。「ノイズはキチガイでナンボ」という旧態依然な価値観から抜け出せぬ私は(そもそも「~でナンボ」という言い方自体通じるのかどうか)未だその血の繋がらぬ末裔達、空気感染した後継者達に会いたいと未だに思っているのだが最近見つけたその存在は、恐らくは、ノイズというよりもブラックメタル若しくはダンジョンシンセ界隈から前触れもなく立ち現れてきた。
https://ameblo.jp/teitoy/entry-12818738692.htmlで紹介したAstral Deathとのスプリット作をここに紹介するSporofilic Vesselがそれである。寄生虫性壊死と題された2曲にはどちらも乾ききった無や窓枠の黒さだけが引き立つ真っ白な部屋の中に閉じ込められた狂人のまともに向き合うことも出来ぬような瘴気が充満している。強制収容所、特に建物内部に立ち入った時に感じるあの何とも言えぬ空気。何か恐ろしい怨念を込めて出鱈目に金属の箱で床や壁をする音、屋内に充満する人間味のかけらもない機械音、本人以外の誰にも聞こえていないかのような浮遊する高い音、壁の向こうから聞こえてくる狂人の叫び声、留め様もない黒い妄想から生まれる新しい神はおぞまし気な機械音を伴い目前に超然と屹立し、改めて周りを見ればそこは唯の白い空間でしかない。Astral Deathもまた何等の虚飾もない灰色の音階をただ垂れ流す虚ろの世界。その素晴らし過ぎる光景の前に言葉もない。