Minimum Sentence - Ages of Man

「コンテンツのないノイズには何の価値もない」と己の価値観をかつて電子雑音誌上で開陳したTESCO ORGANIZATION。このリリースなど正に「コンテンツ」のあるノイズに相応しい作品だろう。イギリスに根拠を置くMinimum Sentenceの[Ages of Man]の計6曲はそれぞれ「ネアンデルタール人の絶滅」、「4400万年前に悼むという能力を身に付けた先祖」、「ペイガニズムから一神教への記念碑的移り変わり」、「技術的進歩と社会的モラルとの関係に関する終わることのない議論」、「コミュニケーションと知識の交換ツールとしての言語の誕生」、「悪名高い絹の道に沿って行われた最初の火薬の取引」に関する物。暴力を扱う曲には混乱と冷たさが、悼むことでは何か意識を上空に引っ張られるような持続音とそこで飛び回る何かの粒子とその先の世界が、原罪と名付けられた曲では牧歌的光景が一瞬見えた後の強迫観念が、産業革命ではひたすらに人を圧迫する諸雑音が、コミュニケーションではひたすら流れていく「情報」の盲目的スピードが、絹の道では歴史浪漫とその後の暗闇がそれぞれ活写される。どれも「聴かせる」構成でじっくりと聴きこむことが出来る。リリース元のDe/Tainment TpaesはTESCO ORG.の分派だが本家同様にデスインダストリアル、パワーエレクトロニクス一辺倒では無いリリース傾向に加え、ほぼ無名の新人を送り出してくる攻めの姿勢があり、これからも無名ながら良いバンドを輩出していくものと思う。

 

 

Ages Of Man, プライマリ, 1/2

GENOCIDE ORGAN - THE TRUTH WILL MAKE YOU FREE

アルバムMind Controlでアジテーターから冷徹&ニヒルな観察者になっていったGenocide Organ。その次に出されたアルバムのタイトルも、聖書に同じ言い回しがあるとはいえと言うかあるからこそ、幾らでも深読みが出来るので受け手が五里霧中に踏み迷ってしまうというGOの戦略通りの作りとなっている。その戦略を知った上で裏の裏をかいてやろうと再発裏ジャケットの文章を読めば又そこにはどういう立ち位置から解釈すれば良いのか分からない文章が書かれており(何となく聖書の引用っぽいが不明。そうじゃないとしても彼らの立ち位置自体が分からないので皮肉で書いた文章か本気なのかが分からない)、流石は安易な馴れ合いや共闘を望まない彼等だけのことはあるとだけ辛うじて了解することとなった。

改めて音盤に耳を傾けると「Mind Controlより更に地味&ニヒルじゃないか?」と感じる。年齢のせいで聞こえてないだけかもしれないが(多分、大丈夫なはず)高音が全くと言って無い。中~低音域のシンセノイズや鉄板の音などから作られるそれは恐らくアメリカ合衆国のプロパガンダから始まり、GOらしいデスインダストリアルがそれに続く。ただしストレートなのはここまでで以降は泥沼に嵌まり込んだ様な音風景が拡がる。(恐らくは)今も事が続いている地域に関してThey are so cheap(勿論、theyが何を指すのかは不明)と題を付け、一歩一歩危険地帯を行く様な鉄の板の音が誰かの独白と共に刻まれ、「見たことは無いし、これから見る事もない」とその対象を明示しないまま何度も繰り返し唱え、都市の大都市化(繁殖)はただただ不健康かつ不吉な物としてのみ表現され、帰れないのか帰らないのか不明のまま鉄は軋り、誰かを誰ともわからぬままに尊崇し、CD見開きジャケにある死体を見ている群衆写真が1945年5月前後のドイツで撮られたものであるとするならこのタイトルは、youを誰とするかで、表の意味も裏の意味も凄まじ過ぎるのではないかと思わせる曲がコトコトと鳴る生気のない鉄音と共に聞かれ、心の内から湧く不安は止めようもなく増殖する。最終曲はDie Wahrheitと名付けられ、「で、結局のところ彼等にとって真実とは?」と思い聞いてみると哄笑がうつろに響くのみ。心して臨んだ受け手が無視され放り出されるのはカフカの読後感に近い?なんてベタなことを思ってしまった。カフカ好きなら一聴の価値ありの虚ろな名盤。という訳でこのデスマスクは誰のもの?

 

 

 

 

 

Genocide Organ - Mind Control

 

Genocide Organというバンドは今まで何度か明らかに過去作とは位相の異なる作品をその活動の中でリリースしてきたがその第一回目と私が感じたのがこの作品である。確か電子雑音のどこかで田野さんが「盤の厚さ以外は特筆すべきことが無い」作品といったようなことを書かれていた記憶があるが例えばこの作品の前にリリースされたSave Our Slavesで聴く事の出来る、ある意味分かりやすい攻撃性やアジテーションはこのアルバムでは後退し、冒頭のBurnや最終トラックのInnocence is a Farceに象徴されるような、陰鬱かつニヒリスティックで鈍重な濁音の流れの中に敢えてそれに反抗するように配置された暴力的雑音群が出現するという二面性のある作品となっている。

音を聴きながら再発盤の裏表を見ると表面には「マインドコントロール」とあり裏面には「神はそれを望む者に慈悲を与える」とある。この対句を大声で叫ぶのが、ジャンルは問わず、その他大勢のバンド群とするならばただそれを「それとして」記し捉えどころのない濁音の中に紛れ込ませるのが「決して本心を明かさず、本心を語ったとしてもそれをそれ以上の虚言で覆いつくす」という二面性を持つGenocide Organの手法であろう。アルバム上の曲名も深読みを誘うようなものからそのものズバリのものまでが並んでおり聴き手を翻弄する。その中で彼らは「アメリカ万歳」を唱え、イスカリオテのユダよと何度も呼び掛け、独裁者を思い出させ、世紀の偽書を持ち出し、無垢である事を虚偽に過ぎないと言い放つ。ただこの言葉の裏には「本心」が無い。それはこのアルバムの暴力的トラックが「意図的に」そこに置かれており、間違っても「暴発」や「意図しなかったもの」では無いのと歩を一にするものだ。恐らく彼らは全てがあるべき所に周到に置かれている事が聴き手に感知されても構わないと思っている。何故ならそれが感知されたとしても彼らの本心に気付かれる事が無いと彼らが確信しているからである。タイトルに沿ってベタなことを言うならばマインドコントロールされていると誤解する又は警戒することが既に彼らの術中に嵌っているということである(そもそもここで行われているのは「主張」では無く「事実の展示」である)。

おそらくこの時点で彼らはアジテーターであることを止め、冷徹な観察者へと変わっていったのであろう。その観察者への変化の理由の多くは彼らのニヒリズムに帰せられようが彼等やその他のハードコアなレーベルが距離を取り始めた「scene」との訣別を意識し始めた故だったかもしれない(例えば Noise for Noise Sake と Noise with Contentsの違いから生じるお互いの違和感)。その変化はノイズ、インダストリアルはおろかパワーエレクトロニクスというジャンルすら賑やかしになりつつある今から見れば至極妥当なものと思えるが彼らの判断はかなり早いものだったと思う。それにしてもこのジャケットのオヤジさんはだれなのか。

 

 

 

 

Anenzephalia-23
1989年に行われたAnenzephaliaの最初のレコーディング記録。恐らく彼はその時18歳前後と思われる。それまでの彼の音楽キャリアは不明であるが恐らくは今もノイズ、インダストリアルへの流れとして語られるバンド群や所謂NDW辺りを聴いていたのではないかと思う。
当作品のカセット版にはスタジオ録音と併せて1992年のライブ録音がB面の終盤に収録されており(LPには未収であるがLP版を買うとこの2曲のダウンロードコードが入手できる)ここでは既にGenocide OrganのW/Hがサポートメンバーとして参加している。場所は彼らの地所Mannheimから電車で2時間半程のMunchen郊外Backsageという所のようで現存している模様。HPを見るとちょっとしたホールくらいの大きさがあるように見える。ライブの詳細な模様は想像するしかないが虚空へ捧げるかのようなヴォーカリゼーションや不穏なリズムなど現在のAnenzephaliaと地続きのパフォーマンスを聴くことが出来る。
一方スタジオで録音された曲は勿論、若者の作った粗削りで乱暴な作品であり完成度は現在の彼等と比べようもないがそこが面白くもあり又、後のAnenzephaliaを思わせる陰鬱なトラックや現在のレコーディングには見る事のできない80年代らしい&分かり易いリズミックで陰湿な暴力的トラックなどもあってAnenzephalia初期段階での様々な面を見ることが出来る興味深い一作である。それにしても、これから2年後に名作Lyseを出す才能は矢張り凄い。


23, プライマリ, 1/2

ーTESCOはどのくらい活動を続けているのですか

 

レーベルとしてのTESCOは1988年から存在している。もっとも1987年から近しい人へのメールオーダーを俺達はやってたんだけどね。80年代の終わりごろからもっとシリアスな態度でそれをやるようになったんだ。

 

ーTESCOを始めた動機について教えてください。DAGDA MORの宣言文に「文化とは抵抗運動である」と書かれていますがそれに近い考えがあっての事でしょうか。

 

TESCOの第一の関心は当初のインダストリアルムーブメントの伝統を保持すること。世界がそうであるのと同じくらいの激越なメッセージを持ったバンドと音楽を援助することだ。文化的な抵抗というものも当然そこに含まれる。例えば文化テロリズムといったものがそうだな。俺が思うにこの種の音楽やそのリスナーは山の頂に立って社会とその退廃を見つめているようなものなんだろうな。タブーもルールもない。ただ自分の欲求だけが重要なんだ。俺達はドイツでの実験音楽の堕落というものを見てしまっている。確かに今のシーン自体は大きくなっているけどドイツには幾つかのレーベルを除いてほとんど活動が見られない。だから俺達がやっていることはある種の抵抗運動なんだ。お前の質問はその意味で正しいね。妥協も降伏も俺達にはありえない。ただ前進あるのみだ。後退しようとは思わない。やるべき事、発言すべき事、発見するべきもの、学ぶべき事は多くある。そう考えながら俺達は自分自身の表現方法を見つけてきたんだ。

 

ーTESCOは近年ノイズの世界でプレゼンスを確立し、多くの熱心なファンを抱えていると思うのですが、貴方のレーベルのファン層に特徴の様なものはあるのでしょうか。ほとんどがヨーロッパ人ではないかと思うのですがどうでしょうか。

 

彼らが全員16から30歳のスタイルの良いニンフォマニアの女性ならいいんだけどな。その通り。俺達の客のほとんどはヨーロッパ人だ。でもこれは彼らが俺達のファンだってことではないだろうな。ただ好きな音楽やバンドを追ってるだけなんだと思う。

 

ーノイズと言えば日本では「ノイズミュージック」という言葉は貴方のレーベルの様なものからいわゆる「ジャパノイズ」と言われるものまで広範囲なものを指しています。こういう事は気になるものでしょうか。HEAVY ELECTRONICSと呼ばれた方が良いと思いますか。

 

人が俺達の音楽を何と呼ぼうが気にしないね。俺達のレーベルも色んなスタイルのものをリリースしてるしな。ただ重要なことはそこには伝達されるメッセージがあるべきで、ただシンセサイザーから出る変な音を聴いて楽しむだけのものでは駄目だということだ。俺はそういうのを意図のないノイズと呼んでる。そんなもんはあちらこちらにあるし、つまらんものだ。たまたま音が気に入るようなことがあったとしてもね。

 

ーFREAK ANIMALという雑誌で「ノイズの為のノイズ」と「コンテンツのあるノイズ」というテーマについての記事をいくつか読んだのですがこの件についての貴方の考えを教えてください。個人的にはTESCOは完全に後者であると思うのですが。

 

先にも言ったように俺は他人がノイズをどういう意図で作ろうが知ったこっちゃない。でも俺としてはコンテンツのあるノイズが好きだ。俺は楽しんでノイズを作っているような奴らのノイズは聴きたくない。それはファッションに過ぎないし、おもちゃみたいなもんだ。ちゃらちゃらした奴等がたまたま良い音楽を作ることがあるということも認めなければならないな。だけどそれは俺にとって何の意味もないし、何の価値もない。ま、これは俺の個人的な意見だけどね。

 

ー普段はどのような音楽を聴いていますか。

 

勿論、TESCOからリリースしたものの多くを今でも聴いている。その他にはTG,SPK,NOCTURNALEMISSIONS,WHITEHOUSE,LUSTMORD,CON-DOM,GREY WOLVES,ANENZEPHALIAってところかな。

あとパワーエレクトロニクスの連中や昔のインダストリアルミュージックとかが好きだね。

 

ー貴方のレーベルから出される条件とはどのような物でしょうか

 

十分なコンセプトがある良い音楽であるということだな。市場の要求がどうこうというのは全く関係ないね。

 

ーヨーロッパではTESCOの様なレーベルが多くなってきたように思えます。これはヨーロッパ独自の現象なんでしょうか。それとも貴方やCMIの後追いに過ぎないのでしょうか。

 

多くのグループは他のレーベルからリリースされる事に満足しないんだろうな。だから仲間内のバンドを集めて小さなレーベルを作り始めるんじゃないかと思う。普通はそんなもんだろうし、俺達も最初はそうだった。

 

ードイツにTESCOの直営店みたいなものはあるのでしょうか。そこを訪れることは可能ですか。

 

いや、俺達のは単なるホームビジネス、メールオーダーシステムに過ぎないんだ。良い友人だけがウェルカムさ。

 

ーTESCO-DISCOというイヴェントはまだあるのでしょうか。どの位の観客が来るのでしょう。

 

ストレスはたまるし、金にはならないし、止めたよ。昔はドイツでもほかのプロモーターが毎週末に何かやってたんだけどな。HEAVY ELECTRONICSのイヴェントでは大体150から200人位の人が見に来てたね。

 

ー貴方はFUNCTIONALというレーベルも運営していますがTESCOとの違いは何ですか。

 

FUNCTIONALはTESCOの沢山の店からTESCOの大きなパッケージの作品がレコード棚に入らないと文句を言われたから始めたんだ。実際、FUNCTIONALから出ている作品のパッケージはFUNCTIONALで簡単な物だろ。最初、このレーベルは昔のテープ作品をCDにするというのがコンセプトだったんだけど、今では俺達の中でTESCOとのバランスを取るためのツールになってるね。

 

ー何か最後にあればお願いします。

 

未来は自分の手を汚すことを厭わない俺達少数の人間の手の中にある。

Atrax Morgueの晩年近く x 3

 

いつぞやの5月頃に自裁してしまったATRAX MORGUE。その訃報は電子雑音周辺で知り合ったFさんからメールで頂いたと記憶している。私は京都を旅行中で多分市バスの中で知ったと思う。自裁された後はこちらにももやもやした感情が残ったし、「何で死んだんかねえ」という話も幾らかしたように思う。ただよくよく思えば自裁だろうが何だろうが「死」は「死」でしかなくその原因やましてや自裁方法などはどうでも良いことであった&あると今改めて思う。死んだから死んだ、死ねる方法で自裁した以上の何を知る必要がある?以下の3作は、正確な所はともかくとして、彼が自裁する前後に私が聞いたと記憶している諸作品である。

 

Negative Frequencies

一曲35分前後の暗鬱なシンセ音が延々と続くもの。初期作にあるような陰鬱な音でありながらも流れとしては勢いのある音の奔流はここでは全く見られず枯れ果てた川が細く流れているようなもの。ただその流れをじっと見ると引き込まれてしまうような鬼気迫る瞬間が多々あり不気味。思えば初期AMを暗いと思った事こそあれ、不気味と思った事は余りなく音色の違いが明らかにあるように思える。熾火が放つ黒い光の様な一作。

 

Claustrophobic Introduction

マルコが第2期AMだと言ってきた作品がこれ。自身のSlaughter Productionsではなく中国(香港?)のMind Terrorism Productionsから。Negative Frequenciesの音を細分化してダメな感じにするとこうなる感じ?初めて聴いた時に「迷走してるなあ」と思ったのを覚えている。音の繋がりが無い為にシンセからどれだけ陰鬱な音が出るかを試しているだけかの様に聞こえ、つまらないと言えばつまらないがそれを楽しもうと思えば楽しめなくもないが...。SBOTHI辺りに鉄と電子が混ざり合ったような音を断続的に出してる個人的には退屈な作品があるがそれを陰鬱なシンセ音でやってると書けば何となくイメージできるだろうか。最終曲も閉所恐怖症を表現してるね~とも思えるが、個人的には、完成度がかなり低いと思うヴォイス入りトラック。

 

M.PLUS T.

MBとのコラボ作。自裁後のリリース。自裁前に聴いたと勘違いしていたのはその後に電子雑音内で「MBとコラボしたしたり、日本に来たりでもうやること無くなったんだろうねえ」みたいな話を聞いたからと思う。曲は大きくMORDとTODに分かれMORDが1~17、TODが1~13まである。MORDは後期MB色が強くMBの明るい暗音の流れをAMが所々遮断したり変換したり乗っ取ったりして黒く染め上げるようなもの。本人達はドスを効かせてるつもりかもしれないがそれほど暗黒でもない部分があったりしてMBは兎も角、マルコの迷走状態はこの作でも解消され切っていない気がする。AMは音の強弱や波長の高低で雑音そのものに表情を与えていたがここにはそれが余り見られない。AIが作ったと言われてもあまり驚かない扁平さ。TODはAMが主導?MORDよりは雑音に生命が宿っているように思うがやはりAM単体と比べると大人しく味気が無い。大して美しくもないメロディーがループするところも退屈でしょうがない。後半15分くらいに漸く&かろうじてMB+AMという感じになるのが救い。

マルコはMBよろしく現代音楽家もどきにでもなりたかったのか?もう全てをやり尽くし燃え尽き消耗しきっていたのか?やはり無理に第2期とか考えない方が彼の為にもよかったのではないかと今更ながら思う。

 

「文句言うくらいならレビューなんぞ書くな」というのは仰る通りであるし、私もすることは避けているけれども晩年のマルコを偲ぶ意味でもご容赦を。

 

「何でAMはあんなに再発されるのかねえ」→「死んだからだろ」なんて遣り取りもしたことがあるが私は彼を生前から知っている為にその「死」がどれだけ彼の作品に商業的付加価値を付けているのかは分からないし、知りたくもない。ただ自裁志願者を思い留めさせるような絶望のはけ口を若いリスナーが見付けてくれればとは思う。再発するレーベル側にもそういう思いがあると信じたい。

information overload unit  1st / 2nd

 

Information Overload Unitと言えばSPKなのは私でも知っているがこちらは日本のノイズバンド。パンク方面から参戦している模様。音質の悪い腐り切ったノイズに暗黒舞踏の様なヴォーカルが絡むその内容はとても2020年代に録音されたものと思えない代物。Nux OrganizationのコンピやBanned ProductionのNEシリーズに収録されていても驚かない。

 

1st作 7ep

ジーという無機質な雑音と泥酔状態の男がほき出す意味の分からない悪罵、叫び、恫喝が始まる。そしてノイズはうねり、リズムを刻み、暴走する。それに伴いヴォーカルは虚空に向かって咆哮する、誰とも知れぬものに説教する、憑かれた様に喚き散らすなどし色々な変化を見せる(何を言ってるかは一言も聞き取れないというか言語ではない)。通底しているのは日本的な陰惨さと湿った空気。どんなに乾ききった音を出してもどこか奥底に気味の悪さや何か得体のしれぬモノがいるという感覚が消え去らない。ノイズでもインダストリアルでもなく「自動書記」とか「御筆先」とか言いたくなるオカルトチックな音群。井内賢吾さんがノイズ方面に位置付けられる事があるのと同じ様なものと書けば分かる方には分かっていただけようか。因みに井内さんはこけしの歌を歌ったが彼らはインナーにこけしの写真を載せている。

 

2nd作 CDR

鉄を叩く音と雑音の向こうに男の声が聞こえる。恐らく言語ではないが何らかの言語のように聞こえるその音の連なり。やけくそになった炭鉱夫のひと踊りの様な。雑音の速度が上がるとヴォーカルの狂乱の度合いはいや増し、捨て鉢な音頭となり時には一語一語を念を込めて吐き出す呪詛の塊となる。また雑音がリズミカルになるとやぶれかぶれの状態となる。その後、音は落ち着き何らかの空間を作り出す意図をもって繰り返し吐き出されるようになるがそれは結局のところ完成しない。全てを押し流すのだが「ライフサイクル」などというポジティブな発想をさせない雑音が流されその完成前の空間を流し去り、ビープ音と共に終了。

 

 

 

 

 

 

 

 

GENOCIDE ORGAN-OPERATIONS WITH CONTEMPT

 

三島由紀夫は小説「英霊の声」について「(あの作品を書くことで)腹を括った」とある青年に語ったそうだがこの作品はGenocide Organにとって同様の重みをもつものであるかもしれない。対峙すると改めて彼等の雑音に対する知覚:感覚の鋭さ、音楽的才能、テーマに対する非妥協性、そして誰に対しても決して阿らない(おもねらない)性格の強さを思い知らされる。「侮蔑の心を持ちつつ生きているのだ」と言わんばかりのタイトルはこちらも三島の「果しえていない約束」の「私は殆ど「生きた」とはいえない。鼻をつまみ乍ら通りすぎたのだ」に照応する。そう今まさに彼等の眼前に自らの生に対して意見表明をせざるを得ないような侮蔑的状況が広がっているということを彼らは傲然:断固たる態度でもって作品化しているのである。

 

それらしいタイトルを付け、それらしい格好をし、それらしい音を出せばそれらしい作品が出来上がるかも知れない。しかしその様に安直な態度で作られた物は直ぐに化けの皮が剥がれる。音に迷いや気遣いが現れてしまうからだ。「ここまで本心をぶちまけていいものか」と弱気になる場合もあるだろうし、元々「本心」が無い場合もある。一方、当作品には全く隙がない。全てが本心であり、全てが本気である。もう生半可な態度や見て見ない振りを出来るような状況ではないと作者自身が分かっているからだ。

 

現状を直視し、ありのままを口にする事は難しい。そこから行動することはより難しい。だが今や自尊心のある「人」であるならば決然と一歩前に踏み出すしかない。曲名にもあるように「我々の世界は完全に失われた」のだから。そういう観点からすると一つのバンドが「作った」本作は同時に欧州の動かしがたい現在:現実:時代精神が彼等をして「作らせた」やるせなく、恐ろしいほどに非情:非常:無慈悲な心理的苦痛を伴う作品であると言えるかも知れない。

 

もう兎に角本気なのだ、この人達は。敢えて自分達を含んで「我々」を主語とし「我々は不正義を正しい行先とした」と血を吐く思いで吐露し、「(試行錯誤を繰り返し)遂に俺の怒りとフラストレーションの原因そのものを攻撃するに至った」とあらん限りの怒りと憎悪を込めてその心中を書き記している。勿論、「原因そのもの」は掴まえ様のない巨大なものである。また「攻撃」する事によって生ずるであろう厄介事を計算に入れ、損得勘定をするなら一歩前へと踏み出しそれを敢えてすること自体が狂気の沙汰とも言える。しかし「人」として沈黙できない以上はかつて高橋和巳が三島の行動を評した様に「正気の狂気」でもって事に当たるしかないと決断したのであろう。もうこれは冗談事では済まされない表現行為の極北とも言うべき修羅場である。

 

ps

またこれはもうだいぶん前からの事だがこの作品が作られているのは「GERMANY」では無く「Mannheim」=人の住む所という名の都市なのである。GENOCIDE ORGANの根城、孤塁としてこれほど相応しい名前もあるまい。

 

ps2 以下は Tescoからのリリース案内。後日の為に保管を兼ねて

 LTD500 heavy vinyl, insert and numbered card.
vinyl sleeve and Digipak shows the typical GO debossed and spotvarnished layout.
One Year after exemplary :DEATH ZONES: had been identified, the struggle of positioning the table from
where we get our spoons full of Hatred served continues. Fed up, its time to let loose and free yourself, now.

 

 

Bizarre Uproar-Lily the flesh

「電話で話したことは数回あるけども会う事はありませんでした。今ではそれを後悔しています」と書けば「お、悲恋の物語か?」と思うがそこはBU。そんな筈もなく元ネタはプライベートで撮影されたS/Mビデオである。ただの肉体である(ただの肉体であっても)Lilyを愛するとタイトルを解釈すればそこにあるのは全くの肉欲か?若しくは何も添加されていないまっさらな愛情か?

 

黒々とした濁雑音の流れの上に覆い被さる中年女の「フフフフフフ、ヘヘヘ」という笑い声と裳裾を引きずるような「イーーーーーーーー」、「アーーーーーーーー」、「ヤァーーーーーーーー」、「ウンヲーーーーーーーー」、「ンーーーーーーーー」、「キィヤー」、「イイイイ」等の意味不明の発声、静謐なピアノの旋律、何かの物音、息遣い、「ありがとうございます。イエス様、ハレルヤ」という文句と共に振り下ろされる鞭とその乱打、それが一段落すると「ディヤァ~~~アーハハハハーーーーー」という哄笑とも嘆声とも言えぬ音が発せられ、数度の息遣いの後に先の音が嘆きの声であると分かる泣き声、呻き声のようなものが聞こえてくる。何が起こっているのか知りようもないが私はサスペリアのバレー学校の中年女教師の苦悶の顔を思い出してしまう。もうこの辺りはS/Mというよりホラーの世界である。

恐らくドミナとの会話から始まる裏面。窓から車の走行音が聞こえる中で何かが行われている。耳をすますと男の息遣いが聞こえるような、、、。バックには空調機の音を大きくしたような雑音が流れている。何かが滴り落ちる音、キリキリと渦を巻き上昇していく雑音、白・痴的な音色の繰り返しによって醸し出される恐怖と狂気、一方的なドミナからの声掛け、獣のような男の(?)咳き込みと唸り声、それを煽りたてるような痴・呆的な雑音リズム、そこで人はくんずほぐれつしているのか?死者が生き返って生者を嘲っているような短い笑い声と共に始まる互いの肉を喰らうかのような原始的睦みあい、そして限りなく死に近い恍惚。

 

ASRARからはLP再発され、WRATHからもFanatic Edition
が出たBizarre Uproarの傑作の一つ。是非CDでもExtended Versionとかを出してほしい所。

 

XE-BLACK HOLE

 

その昔、PSFレコードには日本三大キ●ガイと称される方々がいらっしゃったがそれに倣えばこのXEもフィンランド三大キ●ガイの一人と言えるだろうか。これ程に酷いコンセプトで15年以上活動しているのは流石としか言いようがない。その彼の2016年作。今回のアートワーク上に那智のお歴々は登場しないがジャケを開くと「ウゲッ」となる仕様。グロい。

恐らくは有色人種のおばさんたちなんだろうなあと思わせる女達が騒ぐ騒ぐ。XEも一言一言を区切るようなヴォイスで対抗。ただいかんせん数が違うので押され気味。美しくない鳥のさえずりにも似たおばさんたちの声が最高潮になった時の煩いことったらない。この劣勢を覆すのはやはりマスターの力。おばさん達のギャーギャー声を強制的に断ち切りWP!と叫んでの反則勝ち。2曲目は那智のシンボルを曲名としてのフィードバックノイズと虚空に消えていく彼独特のねばついた叫び声。ある意味典型的ではあるけれども先人の持っていた緊張感をきちんと自分のものとしている、流石。3曲目は1941年に行われたフィンランドの首相のラジオスピーチを絡めた珍しくシリアスな物。重苦しい濁音の上でフィードバックが時々きらめく。当時のソ連による圧迫に対して戦おうという呼びかけがその内容とのことでその文脈から「相当」を褒め称える部分なども含むらしい。XEの主題からして使われるべきスピーチではあるがこの音の暗さ重さはXEにしては稀有だと思う。4曲目と5曲目はNCとNCpt.2。何の略かはXEと付き合いのある人なら直ぐ分かるだろう。低音ドローンと高音フィードバックにhatefulなヴォーカル。時に流れを変え、また停滞し、思い出したように再度流れ出す憎しみのノイズ連鎖が素晴らしい。3曲目の雰囲気を引きずってか暗さ重さを感じさせるのもまた良し。最終曲は

Sex&Violenceってかなりストレート。ブラックメタル&ノイズと言っても良い程のスピード感。シンバルも鳴っているし。XEの作品に対してこんなことを書くとはと思いつつも「文句なしにカッコいい」と断言しても良いかもしれない。
長めの曲がだらだらと続く事の多い彼らとしては10分越えの曲がないという珍しい一枚。