LINEKRAFT - 人間戦争

 

2026年10月11日、御本人の畑にお伺いしその際にお譲り頂いた。内容については「まあ、キチガイが喚いているだけなんで」とのこと。

 

この日から約2週間前の2026年9月26日、LINEKRAFTはドレスデンで行われたTower Transmissions XIIに出演。その場にいたFREAK ANIMAL RECORDSのMIKKO ASPAは「これはJAPANOISEではなく、マジでインダストリアルだ」と書いた。ただLINEKRAFTのそれにはくっきりと「日本製」の刻印がある。

 

2026年現在の日本には(恐らく世界にも)「公憤」を装った「私憤」が瀰漫しており、言い分の正しさを認めるとしてもそれには醜さしか感じる事が出来ない。翻って彼の作品では「私憤」が昂じ「キちがい」化し、それが「腹ん中にたぎってるから」という状態を聴く事が出来る。ここにあるのは「私憤」でしかないがその「私憤」が大量の狂気的エネルギーを帯びている。その狂気的エネルギーが時には言葉の通じない海外のライブであっても、音楽を聴いているという心持以外の点でも、人の心を揺り動かすのだろう。

 

出口ナオが言った文脈とは異なる意味での「我良し」を彼は持っているのだと思う。曰く、「俺は農本主義者のどん百姓だ」、「気違い」。人の評価を気にしない表現者は強い。愛想を振り撒いたり、賑やかしをやって相手を楽しませようとする気遣いがいらない。「絶望とは何なのか」と自問しつつ日本橋の通りをブツブツ言いながら歩いてもよい。三島の最後の演説を流してもよい。「快楽の海で泳ぐ糞虫」、「腰抜け」、「乳の海で溺れ死に」(「乳の海」の元ネタは恐らく藤原新也)と罵倒してもよい。「信じるものがなにもない」とおめいた後に揶揄するように「金、金」と繰り返してもよい。「キチガイになるか、死ぬか」と迫ってもよい。何かよう分からん感じで接触不良の雑音が入り音が急に止まっても良い。だって「我良し」なんだから。

 

ノイズにお洒落小物的な何かを期待している/インダストリアルを享楽音楽と思ってる向きには全くそぐわない作品。それとは真逆の位置にいると自認している人は必聴。

 

リリース元はTESCO ORGANIZATION.先のドレスデンでのライブでもTESCOのロゴを付けた服を着た人がとても多かったという。今まで彼等がやってきた事を考えれば十分にありえる光景ではある。そのレーベルからリリースされたということは、ブランド崇拝でも何でもなく、LINEKRAFTが何らかの形である種の世界に受け入れられているという事の証左であろう。それは、個人的理解を述べるならば、「敗北する運命にある」がそれでも行動、表現せずにはいられない人々の一団である。

 

 

LINEKRAFT : Human Warfare

 

 

 

2003年の虐殺機関初来日時に仕事を辞めて来日した香港の漢からのコメントです

 

來自日本最極端和低調的噪音廠牌的出版
[帝都音社](Teito Sound)是一家來自日本的獨立音樂廠牌及,在後MSBR年代工業音樂的推手,他們的態度和高品質而限量的出版.一直在噪音界中有著特殊地位,他們也一直與各極端的噪音廠牌有著密切的關係. 十多年前有幸在日本認識了他們的主腦. 感謝他一直的照顧. 已經多次被問及可否出讓他們那些不是隨便可以買到的收藏版,那首先你要先明白這文化裡的價值,從來也不是關於金錢.

他們最新的發行是來自印尼日惹的個人噪音計劃,可知道在白人主導的噪音圈來說除了日本外,要得到他們的認同,除了你音樂外更講求你的態度. DN. Aideath 帶有強烈的政治與歷史諷刺 意味,它惡搞、扭曲了歷史上印尼共產 黨(PKI)主席D.N. Aidit(迪帕努桑 塔拉·艾地)的名字.
他最近的作品是由德國工業噪音的龍頭Tesco所發行的. 那意味著他的水平已達到那個高度.
 

 

日本でもっとも過激かつ低調なノイズ・レーベルからのリリース

[帝都音社](Teito Sound)は、日本発のインディーズ・レーベルであり、ポストMSBR時代のインダストリアル・ミュージックの牽引役でもある。その姿勢と、高品質かつ限定数のリリースは、ノイズ界において常に特別な地位を占めており、各過激なノイズ・レーベルとも密接な関係を築き続けてきた。10数年前に、幸運にも日本で彼らの中心人物と知り合うことができた。彼には長年のご厚情に感謝している。入手困難なコレクターズエディションを譲ってくれないかと何度も尋ねられたことがあるが、まずこの文化における価値を理解すべきだ。それは決して金銭の問題ではないのだ。

 

彼らの最新リリースは、インドネシアのジョグジャカルタを拠点とするソロ・ノイズ・プロジェクトによるものだ。白人が主導するノイズ・シーンにおいて、日本以外で彼らの承認を得るには、音楽そのものだけでなく、その姿勢がより重視されることは周知の事実である。DN. Aideathには、強い政治的・歴史的風刺が込められており、これは歴史上のインドネシア共産党(PKI)議長D.N. Aidit(ディパヌサン・タラ・アイディット)の名前をパロディ化し、歪曲したものです。

彼の最近の作品は、ドイツのインダストリアル・ノイズ界の重鎮であるTescoからリリースされました。これは、彼のレベルがすでにその高みに達していることを意味しています。

 

DeepL.com(無料版)で翻訳しました。

DN.Aideath - Antipatik Kontrol

 

1945シリーズが3で一応の終わりを迎えた頃から「大東亜共栄圏」と名付けたVAを作りたいなあと考えていた。筆者は所謂「大東亜戦争」は侵略戦争だと思っているし、公式の「大東亜共栄圏」は単にプロパガンダ的な意味しかないと思っている(本当にその志を持っていたと思われる人物がいたことも知ってはいる)。しかし個人的経験から引き出した個人的理想として「真の」「大東亜共栄圏」がいつぞやからか心の中にあり、それをアジア圏のデスインダストリアル方面のバンド群で作り上げられたらなと夢想していたのだ。だが考えればそれはアジア圏におけるデスインダストリアル系バンドの少なさ、また諸外国に住むアーティスト達の疑念を如何に解き、こちらの意図を納得してもらうかを考えると実現は難しいと考えざるを得なかった。

 

そんな中、2025年9月に来日したDN.AideathのTanaya Sompitさんに小岩BUSHBASHでのライブの際に会うことが出来た。先方が弊社を知っていたこともあり話をする機会を得、その会話の中で「大日本帝国に占領されていた当時のインドネシアに付いての作品を作る気はないか」と聞いた。記憶が正しければ彼の側に多少の逡巡があったように思う。それはまずは私が日本人であること。また後から考えればあまりに唐突な申し出だったからであろうと思う。そして何よりも被害を受けた立場としてどこまでそれを語れるかという慎重にならざるを得ない、インドネシア人としての、思いがあったのだと思う(この辺、やはり私は無神経であった)。「私が日本人であることは気にしないで欲しい」というメールでの遣り取りを経た中で当作品は完成した。歌詞を掲載し、曲名を和訳したのは作品の意図するところを明確にしようと言う彼と私の話し合いから決まった事であるが矢張りその日本語タイトルや歌詞を目にすると日本人としては胸を突かれた思いがするのは避けられなかった。

 

何よりも音楽としてのデスインダストリアルに必須なものは緊張感であると思う。かつてTESCO ORG.がインタビューで答えてくれた「世界がそうであるのと同じくらい激越」な音。敢えて挑発的なイメージを使用するのであればその時の緊張感を作品に刻むのは挑発を行なった者の責務であると思う。正に彼はそれを行っている。占領時~日本の敗戦~その後の国内の混乱まで正にインドネシア動乱期を描いたこの作品は見事に時代の空気を作品内に持ち込んでいる。大仰に鳴り響く異国の旋律、心をざわつかせる絶え間ない振動音、蟄居した小屋の中で脳内に鳴り響くの自省の念、悲鳴とも怒声ともつかない声、脅迫的に机は叩かれ、言語は悪夢の様に入り乱れ、1945年8月9日になり、始まりのプロパガンダと終結の詔書が流れ、希望は浪費され、疑念は消えず、受けた傷も消えることは無い。只事ではない何かが常に作品中を這い回り、心を騒がせる。正に動乱期の音楽。

 

DN.Aideath本人より

Antipatik Kontrol is how we were shaped, how we became a mirror self reflection of propaganda- a tool-preservation, a will to control what is already controlled from both side

 

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GENOCIDE ORGAN - From the Gutter

 

昨今のパフォーマンスでは貫禄というか凄味を醸し出すGENOCIDE ORGANがその活動初期の頃から何か独特の雰囲気を持つ組織であったことが良く分かる作品。2026年、カセットリリース。

 

「主観では何らの害も与える気はなかったが客観的に見れば我々は何か酷いことをしてしまった」と刻された1993年の 「A Rough harsh manifest of time」。冒頭のDeath to China III の執拗なアジア的(偽アジア的)旋律の繰り返しとそれに被さる中国風の謡。これから世に満ちる恐怖、狂気を現実の下に引っ張り出す序曲としてそれは完璧に機能している。

 

地獄の黙示録におけるカーツ大佐の独白。米軍が行った予防注射を受けたベトナムの子どもたちの腕をベトコンが切り落としていったという話。マーロン・ブランドの語り口を取り囲む冷たい瘴気の様な音は聴衆をしてさらなる不安と落ち着かなさを感じさせたことだろう。

 

そして音はその凶暴さと音量を増し、力への渇望と独立が叫ばれ、「これは虚偽ではない」と自分の立ち位置が証言される。この辺りの暴虐、冷徹と言える音塊を聴けば、デスインダストリアル/パワーエレクトロニクスとジャンル分けされるであろうGENOCIDE ORGANにおいても喧しい&非人間的な音=「ノイズ」というものがその曲の重要な位置を占めていることが分かるだろう。実際、90年代にはMERZBOWとGENOCIDE ORGANが同じ音盤上に揃い踏みすることもあったのだ。

 

作品はB面に移り水晶の夜の様にガラスは割られ世紀の陰謀論、でっち上げが幕を開ける。その出所不明の情報を深く確かめることもなく怒気を含んだ声を上げながらも、その声の裏には計算と深謀が感じられる。第三帝国上空で行われたであろう空中戦を淡々と振り返った後に始まるのが Klaus Barbie。第二次大戦中~戦後にかけて歴史の裏街道を歩いた彼の事績を取り上げる事でGENOCIDE ORGANは正体不明さ、言動の信用出来なさ、胡散臭さとそこから来る彼等への恐怖を手に入れたと言えるだろう。リズムだけを取り上げれば日本の祭囃子の様に長閑なモノだが、それにノイズと叫び声、そして虐殺機関の名称が付いてくる事で曲は何か酷く禍々しいものに変容してしまう。

 

最終曲では南米の暴力組織がそれこそ荒れ狂い、曲はその型枠を失い、僅かなその構造が怒号と雑音の中で聞き取れるだけとなる。GENOCIDE ORGANの中でも特にノイズ色の強い一曲ではないだろうか。最後の如何にも(ノイズ界隈の)90年代的拍手(聞いて頂ければ何となく言いたいことは分かると思う)が何とも心地良く、「何はともあれ無事戻ってきた」と言う感じがする。

 

THE GREY WOLVES - PUNISHMENT

 

1992年発表であるから、1997年リリースのNATURAL ORDERによって蒙を啓かれた、私がまだデスインダストリアルやパワーエレクトロニクスに対して本気で向き合っていなかった頃の作品だ。そんな当時の私であってもそれを海外通販で購入し、箱を開け本体を見た時に目にしたそのジャケットにある餓死寸前の人物写真、ALL YOU NEED IS HATEとかSAY NO TO DEMOCRACYと大書されたポスター状の物には流石に気圧されて、暫し「何だこれは...」と道に立ち迷った様な気分になったのを覚えている。GENOCIDE ORGANのSAVE OUR SLAVESと同様に明らかな異物を手にしたという感覚があった。

 

ほぼ純粋なノイズしか聞いていなかった当時の私にとって明らかに不純物の音。確か「ノイズウォー」だったと思うが腐ったパンクと形容された爛れ切った情念の塊の様な、音の中に鉄のカーテンが下りている様な、灰色の空に撒き散らされる死体焼却炉から出る黒い煙の様な、儀式を考え付く知能もないままに狂人達がただ群れ集まり円を描いて立ち尽くしている様な、またその狂人達が声帯の赴くままにおらぶかの様な、ただひたすらに何かを叩き潰す様な音。

 

それらは余りに異質でグロテスクだった。そしてCULTURAL T.*という言葉とそのMAFIFESTO。ドグマなどはなくただ個々人の持つ力を称揚するモノ。全ての人、物がその聖なる鉄槌から逃れられないモノ。その態様や内容を問われないモノ。どこにでも潜り込めてそこで活動することが出来るモノ。この非人間的世界に抗議するモノ。そしてこの社会に取って異質なモノであり、それがもたらした傷は決して癒えることが無いモノ。TOMORROW BELONGS TO US.

 

間違いなく、MANIFESTOにある様に、当時の私の「心を汚染し、狂気の種を蒔」いた一枚。他にも犠牲者は数多いだろう。

 

目出たくも2025年に再発された。

 

*削除除けにT.とした。

 

Punishment, Secondary, 2 of 10

Information Overload Unitは一言で言うならパンク系の方がやってらっしゃるノイズ:インダストリアル系UNIT.

過去作のレビューはこちら。

 

 

 

 

メンバーの一人が「Information Overload Unitです」と名乗りを上げるが酔ってらっしゃるのか足元は覚束なく、その後に継ぐ語も出て来ない。酔った人特有の近寄りがたい笑顔と共に彼はセッティングテーブルへ位置した。向かって右側にはダンディな風体のもう一人のメンバーが立つ。

 

大ボリュームで人を高揚させるのではなく、静かに排出されるノイズの中で足元の覚束ないまま一人が紙に書かれた単語を読み上げる。恐らくは添付のフライヤーにある単語を読んでらしたのだと思う。「宣言」などと言う大仰なそれではなく、酔った詩人が己の書きだした単語をそのまま酔いに任せて誰に聞かせるでもなく口に出したかのような発語。バックに流れる音はノイズのメインストリームから外れた怪しげな裏通りで鳴る音であり、そこには辻占いや「この階段を昇ったら死ぬだろうな」と思わせるような雑居ビルの階段がある。酔漢もいれば何故そこにいるのか説明のしようもない影絵の様な人型のモノもいるだろう。この垂れ流し雑音をすらパンク界隈の人が楽しめているとしたらその雑食性には頭が下がるが逆にここにノイズリスナーがいないこともそれはまた不足であるなあと思いながら私は、ハーシュノイズ系では味わえない、その隠微:淫靡な濁音に耳をすましていた。

 

だんだんと(ギミックではない)ノイズは強度を増し、もう一人のメンバーを鼓舞激励するかのようにその背中を叩くヴォーカリストは二本のマイクを使い分け多彩な声のヴァリエーションを聴かせる。この辺りの雑音群とヴォーカルの齎す高揚感は正にノイズ:インダストリアルバンドのそれで気分の良いことこの上なかった。音とステージ上の状況は変化しリズムというよりも打撃:酔っ払いが憤懣と共に机を敲くかのようなそれと酔いに任せての(?)セッティングテーブルへの膝蹴りがあり様々な感情をはらむヴォーカルがあった。この酩酊と高揚が入り混じったかのような状況は、見た事はないが、躁状態のSmell&Quimのライブに近いのではないかとふと思った。

 

アンプを切っての演奏終了。アンコールはしないのか、アンプラグでやらないのかと声のかかる中、あっという間だった40分ほどの演奏は終了。正に「今日来なかった人は後悔する」内容であった。因みにこの日の入場料はわずか1,000円、しかもCDR付き。まさにパンクス的な漢の一夜。

 

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MAKT - MISSBRUK

 

様々なバンド名を使い分ける人は少なからずいてそれぞれに思惑はあるのだろうが、何故別名義を使う必要があるのかと思う時も多い。このMAKTはMZ412やソロ名義で活動しているHenrik Nordvargr Björkkの新しいプロジェクト(もう一人匿名のメンバーがいる)だが新名義を使う必要性がはっきりとわかる内容であった。アルバムタイトルはスウェーデン語で権力などの濫用を意味するようだ。

 

2枚組CDの一枚目は過去作カセット2本のカップリング。テーマとするのは、恐らく、ナチの台頭からその破滅とその事後に行われたもう一つの暴力(ナチと関係した女性の髪を切るなど)。Nordvargrのイメージとは結び付かない直線的なパワーエレクトロニクス。総統演説や子どもの歓声などテーマに相応しいSEを伴い、安直なリズムなどのないオールドスクールな音色の佳曲が並ぶ。

 

新録の二枚目はヨーロッパの現在を俯瞰する作りと思われ意味深な曲名がずらりと並ぶ。音も厳しさや寒々しさが増しているように聞こえ、この辺りはNordvargrの北方人としての技量の見せどころか。デスインダストリアルとパワーエレクトロニクスの素敵な混交状態が続く。

 

一枚目、二枚目ともに曲番号が通しで書かれており(CD1が1~14、CD2が15~24というように)テーマも時系列になっているので1930年代から現代までのMAKTを総覧した形にしたいという意図が伺える。

 

ではさて何が彼をしてMAKT(スウェーデン語、権力、力、権威などの意)へ導いたか。その答えはこの二枚組CDの最後の曲名 THE DEATH OF WESTERN DEMOCRACY にあるのではないかと思う。「理想」が死んだのか「そこにあった現実」が死んでしまったのかはこの作品でははっきりとは明かしていないけれども(*)、何かが、特にヨーロッパで、「死んで」しまった事は恐らく確かでそれに対する憤りや「何かを表現者として語らねばならない」という気持ちが彼をして新名義を作り作品を発表させたのでないかと思う。

 

自分語りになるが丁度、「知識量、情報収集整理能力はAIに負け、未だに一部狂人の暴走を止めるような倫理観を確立できないとすれば何のために人類は「進歩」したのか」と思う日々に似た様な危機感を共有できる作品に出会えて良かったと思う。

 

 

PS. SEももう少し聞き取れれば何らかのヒントになるか。

*理想が死んだかそこにあった現実が死んでしまったかについては以下の文章をどう聴き手が解釈するかであろう(両方とも死んだという解釈も可能ではある)。

Makt/Power/Authority: A Language That Everybody Can Understand.

The Universal Unifying Law That Shapes Men And Women Into Submissive Tools That Shapes The Future.

 

 

 

 

ばねとりこは妖怪をテーマにしたノイズを演奏しており、演奏時に妖怪が憑依する云々の話だけはどこからともなく耳に入っていた。あるいは先年大阪で行われた NWN/HOSPITAL FEST.の際に各種通訳をしていたのが御本人であるのでその際にadvaita records のKさんからそう教わったのかもしれない。時系列は定かではないが一度、東京でライブをしたことがあるのも知ってはいたが、私は今回が初見。

 

黒い音が流れる中でマイクに口を寄せきゅうりを齧る。その美味しそうに食べる姿と美味しそうなきゅうりのシャキシャキとした音と黒い音の対比の妙。冒頭からいきなり妖怪のペースに巻き込まれていく。機材机の上には御本人が描かれた(?)妖怪の絵が依り代の様に置かれている。何らかのポーズをとり、動いていく中でしこを踏んだり、手をどこかへ捩じり込み「尻子玉を~」という捩じれた声を発する辺りから今回現れた妖怪が何であるかが分かって来る。しこを踏む毎に鳴り響く轟音、専用ケース入りの手回しハンドルx2を備える自作(?)楽器の立てる軋み系金属音、四つ這いで機材テーブルの周りを這い回る異形の動き。舌を出し、手を舐めずり、頭の上の皿に湿り気を与える様は正に河童が今、眼前に現れたという感じだが手回しハンドルを回す手の動きはあくまで繊細可憐で異形であるが故に粗暴であるとは限らないのだぞと主張している。二本あったきゅうりの一本半が食べられ、その残った半分を音塊と共に観客の眼前にグッと突き出す様子は何を語ろうとしたのだろうか。Bizarre Uproarの近作で聴かれるような金属ノイズループの激しさを伴う演奏後半を通り過ぎ河童は去って行った。

 

「地底の河童!」等の声が飛ぶ中、大塚地底はかつて水没したことがある様で、「水没したら困るね」みたいな冗談も飛んだ。それに応えて河童の憑依から素に帰ったご本人。「いえ、逆に大丈夫です。河童のおかげで良い事があります(大意)」と答える。これは正に春駒的門付け芸では無いか!と私は独り興奮していた。

 

幾らテクノロジーが進化して世の中がのっぺりしようとも人の本質は変わらない。であるが故に妖怪も門付け芸能者も世の中のどこかで生き続けるのだ。

 

PS. 次は(妖怪ではないが)奪衣婆や見越し入道辺りが来ないかなと、、、

 

 

 

 

 

 

NUORI VERI - Kadonnut maailmankuva

 

ノイズ界隈の煩悶青年達は全てパワーエレクトロニクス、デスインダストリアルに走るのかという疑問に「否」と間違いなく唱えているNUORI VERI。バンド名=「young blood」であり、rural industrialという一見矛盾した言葉で形容される彼の音は確かに若さ故の揺らぎの様な物が作品を徹頭徹尾覆いつくされている。

 

インタビューによれば彼の諸作品は「非暴力、反戦主義であった自己の心情が揺らいでいることから生じる心の揺れ」を表現したものでもあるとのこと。その「心の揺れ」を表した作品は冒頭で「若い血、失われた世界観」と自己を紹介し作品名を読み上げることから始まる。ゴトンゴトン、ジーと旧式の機械が立てる音とトレモロ。ブラックメタル風に若しくは多少の芝居気と共に吐き出される言葉。機械や金属が唸る中でピアノはつま弾かれ、語る様な口調と遠くへの呼び掛けが併存する。荒涼:寂寥としたピアノの音と心の内をそのまま表出したかのような語り口。その声の向こう側から聞こえてくる狂気。軋む金属、早口の女性の声、曖昧模糊とした音の霧。雑音と警戒する犬の鳴き声と大声で何かを伝えようとする男。静謐なピアノ音、鳥の声。淡々と話す男の声、アコーディオン、様々な音が聞こえてくる。

 

静けさをさらに深めるような音が鳴る中で紙をめくり、鉛筆で何かを一心に書き連ねている情景で作品は終了する。

 

Kadonnut Maailmankuva, プライマリ, 1/6

 

 

 

 

VA-Fuck the modern world (3A4ИCTКA)

 

現地の人に言ったら絶対に「纏めるな!」と怒られそうだがバルト三国といわれるとアルフレート・ローゼンベルクがエストニア出身であることやそのハードな国としての歴史を思い、「さぞや重苦しいお国柄であるのだろう」と勝手に決めつけてしまう。今でもちゃんと生きているのかと心配してしまうあのPogromもリトアニア出身だ。重苦しい気候と歴史の国で彼らはどの様に生きているだろうか。

 

当CDは2005年にリトアニアの首都Vilniusで行われたNordic Audio Modernというインダストリアル系イヴェントを記念したもの。ジャケのゴリゴリ感、愚直としか言いようのないタイトル。そして雨と自殺の国と自らの国を紹介する態度は子どもっぽい戯言ではなく灰色の空の下で生きることを余儀なくされている鬱屈した青年の本心であると私は思う。この思いは作品に逆さまに書かれた「only a few survived and they told the truth.we came from other worlds to witness their truth」という文句を読んでほぼ確信となる。この疎外感とエリート主義の綯い交ぜになった言葉は正にデスインダストリアルが胎動し始めた彼の地の、また流れ流れてデスインダストリアルに安息の地を見つけた世界中の若者達の心持を少なからず代弁しているように思う。

 

とここまで書いて内容が弱いとがっかりするのだろうがこの作品は上で書いたような事柄に相応しい内容を誇っている。煩悶青年達の一部がその鬱屈を享楽で紛らわすのではなく、その根源を凝視することによって解決しようとするかの如く。デスインダストリアルはデスインダストリアル、パワーエレクトロニクスはパワーエレクトロニクス、ダークアンビエントはダークアンビエントの基礎的な部分をしっかりと捉えて演奏され、その一人一人の真摯さ故に曲調が様々であっても散漫なものにならず非常に聞き心地が良い佳作である。

 

恐らく余り流通している作品ではないだろうがこれから上で書いたジャンルを聴きこんでいこうとする方や当時ライブ会場に集ったであろうこの手の音楽に初めて触れる煩悶青年達には強く印象に残った(残る)世界観と音調であると思う。

 

Fuck The Modern World (3A4ИCTКA), プライマリ, 1/5