Genocide Organ – Live In Japan 2003/2007 pt.3

 

ライブ後、B.Molochは帰国し、ほか3人のメンバーとKさん、私で京都、姫路に向かいました。京都は純然たる観光ですが姫路ではJack or Jiveと会うのが目的の一つ。思えば以降の帝都シリーズも含め出演者がノイズ:インダストリアル界隈の人間と交流する唯一の例でした(Inadeが来日時に「ゲストで入れてあげてくれ」と言われたカップルがいましたがどのような関係で呼んだのか聞くことはなかったです)。

 

今回のライブに合わせ作品をリリースする旨の連絡をWHから受けました。音源は既に出来ているとの話。聞くと本来はGenocide Organの2ndアルバムとして日本のレーベルから発表されるはずだったものがお蔵入りとなり、それをこの機会に発表するとのこと。私に依頼されたのはバンド名と曲名を日本語にすること。これはなかなか難しい注文でした。外国語を日本語にするとどうも締まりのないものになってしまうアレをどう避けるか。その為ストームフィーバーなどはドイツ語を英語にし、それをカタカナにするという苦し紛れの対応をせざるを得ませんでした。その他、ZentralinstitutはWHとの遣り取りの中で精神病棟を指すということが分かったのでそれを()に入れたり、Und Morgen Die Ganze Weltでは「これは歌詞の一節で~」みたいなことをメールで受け取り、それをもとに「明日は全ての世界を」という更なるアクションを取るであろうという含みを持たせた訳にしたりしました。今でも馬鹿だなと思うのは当初の盤で「I」や「IV」を漢字にしなかったことです。これはもう単に馬鹿だというしかありません。再発の際にこれは訂正してもらいました。そしてバンド名。pt1に書いた通り漢字四文字に拘っていた私は「虐殺機関」をまず提示してみました。それに対しWHは「前のと違うけど、どうなんだ?」と聞いてきます。Two thousand maniacのアセテート盤にあった「計画的大量虐殺」を指しての事と思います。以降、WHと話すと「計画的という言葉は避けたい」、「(organには機関と器官があるがと言う問いに対しては)可能であればどちらかに限定したくない」という感じでした。Genocide Organの常通り「予断を許さない」、「断定しない」態度をここでも持ち続けたい様でした。その為、「genocideを虐殺は意訳が過ぎるだろう」と思いつつも当初の通り「虐殺機関」を訳としました。その後、伊藤計劃の虐殺器官もGenocideを虐殺と訳していたのでまあそれでもよいのでしょう

 

ps.

(伊藤さんのツイッターか何かでGenocide Organを聞いたとあったのを覚えています)