new暴れん坊商人~視覚障害者の呟き~ -107ページ目

タタキ

 昨日の夕食での出来事。
 会社から帰って来て台所のテーブルの上を見ると、見え難い目ながら、白い大きな平皿に黒い物体が盛り付けられていた。
「今日のおかずはなんじゃろう?」
と、詳細は見えないので、匂いをクンクン嗅いでみた。
 何かすっぱい匂い、そう、味ポンの香りである。
 そこで、妻に聞いてみた。
「今日のおかずは、タタキじゃね?」
 すると、
「そうよ。」
と答えが返ってきた。
「結構、一杯あるんじゃね。」
「そうねぇ?一杯といえば一杯じゃけど、野菜も一緒に盛り付けているから、一緒に食べてね。」
とのお言葉であった。
 
 家族4人が揃い、
「いただきまーーす。」
と食べ始める。
 わしは、よく見えんので、小皿にそのタタキを装ってもらう。
 そして、箸で口の中へ、ポイと入れる。
「ありゃ?こりゃちょっとムニャムニャとやわらかいなぁ?それになぜかしら魚の味がせんのぉ?」
 
 そう、わしはタタキと聞いて、「カツオのタタキ」を想像していたのだが、実際は、「牛肉のタタキ」であったのである。
 けんど、なんで「タタキ」って言うんじゃろうか?
 牛肉にしろカツオにしろ、軽くあぶっているものの、決して叩いてはいないんじゃけど。

 そういえば、大阪のリハ施設にいた頃、視覚障害者だけで、忘年会と称して鍋を食いに行った。
 みんなぼんやりと見えてはいるものの、鍋の中の食材を箸の間隔でつまんでも、口の中に含むまで、それが肉なのか?エノキなのか?白菜なのか判らないのである。
 さらにそれが肉であっても煮えているのか?生煮えなのかはわからないのである。
 
 やっぱし、目が見えんと、食べ始める前の心積もりも違ってくるんですよねぇ。
 困ったもんです。

マリリン

昨日、「マリリン」の歌で知られている、本田美奈子(これで善かったかな?)が急性白血病で亡くなったことを知った。
 この白血病は、1万人に3人の割合で発症するということだ。
 
 そう言えば、小学校の時の同級生の女の子が、中学に入ってから、この病気で亡くなったことを転校先で知った。
 慢性の白血病ならよいが、急性では危険性が高いと言う。
 骨髄移植で随分完治する人も多くなったと聞くが、本田さんは手術はしても、その後の経過が悪かったらしい。
 
 わしの目の病気では命を落とす事は無いので、まだまだいい方なのかなぁ?
 けんど、ゆっくりではあっても、年々、目が見え難くなっていくのを自覚するのも辛いんですけどね。

魔のトライアングル

 いつも通勤に使用している道に、「魔のトライアングル地域」がある。
 
 白杖を使用して歩行するようになってから、安心して歩行できるようにはなったが、どうしても一箇所危険な場所がある。
 そこは、向かって左側に大きめな電柱、右側にはいつも停めてある自転車。
 その場所が近づいて、自転車を意識して通り抜けると、電柱にぶつかりそうになり、電柱を意識して通り抜けると自転車にぶつかりそうになり、とにかくヤバイのである。
 
 過去に、自転車に白杖を突っ込んでしまい、その自転車をひっくり返し、2度ほどその電柱に額をぶつけてしまった。
 白杖を使って歩行する時には、右足を前に出している時は白杖は左方向に、左足を前に出している時は白杖は右方向に大きく振っているのであるが、ちょうどその場所を通過する時は微妙な感覚のずれで電柱か自転車にぶつかってしまいそうになるのである。
 
 いつもは、最新の注意を払ってその箇所を通過するのであるが、仕事に疲れた帰宅時に、ちょっと気を抜いていると危険度が増すのである。
 これからも気を着けよーーと!!!

スティービーワンダー

 今日、ある歌番組にスティービーワンダーが出演していた。
 彼は、全盲であるにも関わらず、11歳で歌手デビューをして現在にいたっている。
 数年前、まだわしの目が見えていた時の記憶では、大きめのサングラスをかけていたっけ。
 時にはそのサングラスを外していた時もあるが、その時の顔は、うりざね顔で、ちょっと大き目の口で、目はいつも閉じていたっけ。
 少し上向きに顔を上げ、スラスラとピアノを弾きながら高めの声で歌っていたっけ。

 今はテレビに顔を近づけて見ても、顔の表情を確認することはできなかったが、頭の中で昔の顔を思い出しながら、しみじみとその歌声を聞いていた。

 そう言えば、最近彼は、全盲である自分の網膜にマイクロチップの人口網膜を植え付ける手術をしたと聞いている。
 光さへ感じられなかったその目で、少しは光の点は確認できる様になったとかなら無かったとか?
 彼がもし周りの景色や、人の顔を見ることができるようになったら、また新たな感覚で、今までにない歌を生み出す事ができるんだろうなぁ?

人間ドッグ

 先日、会社で行なわれる人間ドッグを受診してきた。
 40を過ぎたオッサンであるわしは、35歳からは、毎年、1年に一度は人間ドッグにて成人病検診を受診しなければならないのである。

 ここ数年、すっかり見えにくくなってしまい、白杖を手放せない視覚障害者であるわしが、健常者と同じ会場で受診するといろいろな事がある。
 最近は、わしも病院側もお互いを知っているので、結構スムーズに受診できるようになった方である。

 数年前にはこんなこともあった、
 胸のレントゲン撮影をしようと、着ているる服を脱がなければならない時に、
「ぼ田ッ波外せますかぁ?一人で洋服は着れますかぁ?」
と言われる始末。
「目が見えにくくたって、服ぐらい独りで着れるわい。」

「わしは、視覚障害で視力は0.01程度しか残ってません。」
と言っているのにもかかわらず、
「ハイ、そこに座って、2番はどこが空いてますか?」
と無理やり視力検査をしようとする。
 携帯型の覗き込む型の視力検査表では、0.1より低い視力は測れないと知っているのであろうか?

 ちょっと視覚障害で受診できにくいと知ると、背後から両肩を羽交い締めにして無理やりベッドに寝かせようとする人。

 それに反して、若い看護士しさんは、障害者に関する人への対応を習っているのか、
「どうぞ、右肘をおかししますので、次の会場まで誘導しましょう。ここが椅子になっていますのでしばらく座ってお待ちください。順番がきましたらまた呼びにまいります。」
と、右手を軽く椅子の背もたれに触らせてくれ、そりゃもう楽なもんである。

「まあ、これも、今後、わしと同じような障害者が受診した時のために、わしが犠牲になっていいのかな?」
と、最近は思うのである。

必殺・料理人

 今日の夕食は刺身の盛り合わせだった。
 それも、刺身用のブロックを買ってきて、わしが切り、お皿に盛り合わせたのだ。
 
 今は本社の人事部で社員ん給与のメンテをしているのであるが、昔は現場のスーパーの水産売場で魚をさばき、刺身も切っていた頃もあるのだ。
 
 今は、まな板の上の刺身のブロックも自分が持っている庖丁も見えないが、昔の頃の感でスラスラと切ることもできるのである。
 多少の刺身の一枚一枚の厚さにむらはあるものの、見栄えのある盛り合わせが出来上がっている・・・らしい。
 
 スーパーの現場にいる時に一番長く経験したのは、農産売場である。
 今でも、果物売場に行き、さっとリンゴに触ると、どの種類のリンゴか?などとわかるものである。
 
 あーー、もう一度、売場に立って、
「お客様、いらっしゃーーい。今日は白菜がお買い得だよーー!」
などと、おらんでみたいものであった。

誘導ブロックを邪魔するもの

 わしが会社への通勤時にいつも通る道がある。
 今、済んでいる市にある本社に異動になり、4年前に引っ越して来た当事は、歩道はでこぼこだらけのアスファルトであった。
 それが、昨年の春から工事に入り、半年近くかけて、広い歩道に誘導ブロックが設置された、立派な歩道になった。
 
 その歩道の工事の途中では、いつも工事現場の誘導をしてくれていたおばちゃんが、
「おはようさん、ハイハイ、右手につかまってネ!ほんじゃ行くよ。」
と何気ない誘導をしてくれていた。
 
 半年近い工事も終り、それはそれは立派な歩道が出来上がった。
 何の気兼ねもなく、白杖を尤度ブロックに沿わせてスルスルと歩行することができる・・・!!はずであった。
 しかーーし、ここは関西。
 歩道沿いにある、靴の問屋さんに毎朝荷物を配送している大きなトラックが、歩道の半分近くまで乗り上げて、荷物の積み下ろしをしている。
 
 そして、歩道沿いにある喫茶店に来ているお客が、狭い駐車場に止められないのか、どうどうとその誘導ブロックをまたいで、平行に駐車している。
 まだ少しは視力は残っているので、何となく車が歩道に止まっているのはわかるからよいのだが、全盲の視覚障害者であれば、確実に白杖ごとその車におかまを彫っているに違いない。
 低い車体の車であれば、白杖が先に触るからよいのだが、車高の高いトラックであれば確実に額を強打しているに違いない。
 困ったものである。
「こんな所に駐車しているが悪いんじゃ。」
と、知らん振りして白杖で車体をガンガン叩いちゃろうとも思うがそうもいかない。
 まさか、目が見えない人が通るとは思わず、必ず気がついて避けて通ってくれると思っているのであろう。
 
 ちょっとした気づかいで、歩道には車を停めてはいけないことに、早く気付いて欲しいものである。

スポーツの秋

 スポーツの秋ですねぇ?
 と言ってもわしにとっては、最近スポーツはさっぱりです。
 会社への行き帰りの合計30分近くの徒歩くらいが運動なのですかねぇ?

 休みの日は、買物に行くにしろ、どこかに行くにしろ、車での移動がほとんどです。
 もちろん、わしが運転するのではなく、妻の運転ですけど。

 昔を思い出すと、小学校の頃はサッカースクールに通っており、中学校と高校の途中まではバレーボールをしてはいたのですが、大学時代はジャズ研とアルバイトに明け暮れ、スポーツらしきものはしておりましぇん。

 最近、とみに膨らんでくるお腹を触り、
「このままではいけんのぉ。」
とは思いつつ、たまーーに、腹筋をするのみで、なんとかしなければとは思っているのですが?どうにも行動が伴いません。

 今日も、わしが休みの日、恒例のお鍋&おじやをしてしまい、ますますお腹がパンパン状態です。
 「誰か、助けてぇーー!!」
の思いで一杯のわしなのでした。

点字基礎講座・最終回

 先月、ロービジョン訓練を修了し、本日、点字基礎講座の最終会に行ってきた。
 以前、リハ施設で受けた点字とは違い、縦方向への指の動きを駆使しての読みの訓練であった。
 1回目の講義を受けて、1ヵ月、朝の出社の前の約15分間、点字のテキストをラジオを聞きながら触って練習をしていた。
 すると、昔の記憶も蘇り、50音を使った、簡単な単語と、短い文章は思ったよりハッキリと左手の人さし指で感じながら読むことができるようになったと思う。
 基礎講座は今日で修了だが、今後も月に一度の「点字を読む会」にて、アドバイスを受けることができるそうである。

 そうそう、今日、初めてJRの駅の自動券売機にて点字を触りながら帰りの切符を買った。
 今までは、
「どうせ、金額の数字やボタンの位置もわからんし、だめよのぅ。」
と人に頼んで勝手もらっていたのである。
 けんど、そんなわしを見て、
「暴れん坊商人さん、この点字を触りながら、ボタンの位置も覚えていれば、結構視覚障害者でも切符を単独で帰るんよ。」
と教えていただいたのである。

 そこで、注意して券売機のボタンの下を触ってみると、結構、ハッキリとした点字があちらこちらに表記してあるではないか。
「 これならなんとかなるかもね。」
と感じたのでした。
 
 スーパーで販売されている、ケチャップやソース、缶ビールなどにも、最近、少しずつ点字の表記がされてきたようである。
 紙パックの牛乳やシャンプーなどにも、切り込みやギザギザ感などでの、視覚障害者への配慮がされてきたようである。

 視覚障害者の中で、点字を読むことができるのは1割くらいしかいないらしい。
 確かに音声パソコンなどや、スキャナで文字をスキャンしてテキストデータに変換し、本なども読むことができるようになってきた。
 しかし、自分の人さし指を、見えにくくなってきた目ん玉の代わりとして、点字で読んで理解できるようになるのも、結構、快感なのかも??ですね!

透明人間

 今日は、ちょっと情けない思いをした。
 それは、こんな出来事である。
 
「暴れん坊商人さん、このことについては誰が一番詳しいのかなあ?」
と上司の部長に聞かれた。
 わしは、こう答えた。
「それについては、○○さんが詳しいですよ。けどそれについては・・・・・。」
と、わしは話し続けていた。
 すると、隣に座っていた課長が言った。
「暴れん坊商人さん、もう、部長はいらっしゃらないよ。」
 
 そう、わしの最初の返事を聞いたと同時に、部長はその○○さんのところに行ったのである。
 わしは、誰もいない椅子に向かって、ひたすら話続けていた。
「あーー、情けない。一言言って席を離れてくれればいいのに。まぁ、しゃぁないか。」
 
 視覚障害者にとってはこのようなことはよくあることである。
 少しは慣れてきたが、ちょっと情けない一日であった。