new暴れん坊商人~視覚障害者の呟き~ -104ページ目

謹賀新年

 いよいよ、新しい年がやって来た。
 朝の3時近くまで起きていたので、家族皆ゆっくりとした起床であった。

 元旦の朝は、皆で御神酒をいただき新年の挨拶をかわし、雑煮とおせちを食べる。
 そして、子供達にお年玉をあげて、一息ついた後、近くの神社へ初詣に出かけるのである。
 
 家族全員の健康をお願いした後、おみくじをひいたのだが、なんと、妻が中吉だった他は、あとの3人は皆、大吉であった。
 わしも今まで大吉をひいた覚えがなく、今年は何かいいことがありそうな気がする。

 昨晩、京都久々にお酒を飲んだ。
 お寿司、おせち、数の子、お刺身をつまみに、日本酒、ワイン、焼酎ととことん飲んだ。
 けんど、何か心の奥底で、
「こんだけ飲んだら、また、肝臓クンがダメージを受けているんじゃないんか?」
との思いがあるのか、
「また、明日から節酒と運動をせんにぁーいけんのぉ。」
と思う自分がいるのである。

 明日からまた仕事である。
 今年も気をゆるめず、現状に甘んじることなく、ボチボチやっていきまっせ!
 わしのブログを読んでいただいている皆様。
 本年も宜しくお願いいたしまする!

大晦日

 今日は大晦日である。
 朝一番、
「さーー、大掃除を始めるでぇーー!」
の号令を元に、家族皆で掃除をした。

 わしは、証明の拭き掃除、ガラス拭き、お風呂の掃除、床の雑巾崖。
 妻は、掃除機をかけ、台所周りを徹底的に掃除。
 子供達は、自分の部屋を掃除。
 午前中には完了した。
 
 そして、年末年始の食料を調達に、いざスーパーへ。
 思ったより混雑はしていなかった。
 わしが、まだ現役で店で働いていた10年前は、30日と31日は、お客様が見せの中でギューギュー詰めお買物をされていて、店だしが追いつかず、汗をかきかき働いていた頃が懐かしい。
 もう2度と、店で、
「いらっしゃいませぇーー!」
と販売をすることはないのだろうか?
 何年か後に、ひょっとして見えるようになればまた現場で働きたいものである。
 どうなんでしょうねぇ?
 
 待望の日本酒も買い、お寿司やすき焼きのネタ、年越しそば、おつまみやお菓子を買い求め、あとは、ゆっくりテレビでも見ながら、いんや、聞きながら年始を迎えるばかりである。
 
 あーー、無事、2005年もあとわずかで終了する。
 来年も良い年でありますように!

仕事納め

 今日でわしの年内の会社出勤は終了した。
 前にも書いたが、スーパー業界なので、お店事態は年内無休なのだが、社員は交代で休みを取るのである。
 わしは、31日と1日が休み。
 
 今年1年を振り返ってみると・・・。
 お兄ちゃんが無事高校に入学できた。
 正月の時にひいたおみくじは「凶」だったので心配していたのだが、どん底から家族みんなで協力し合い這い上がってきたのである。
 よかった、よかった。
 
 夏休みには、わしの萩市の実家に帰省した。
 日本海での海水浴と、青海島の遊覧船。
 何年ぶりかにわしの姉ちゃん家族とも会うことができ、楽しい3日間を過ごせた。
 
 秋には、人間ドッグでさんざんの結果で再検査。
 毎日飲んでいたアルコールにより、脂肪肝からくる高コレステロールと血糖値上昇であったが、節酒と毎日の運動により、どうにか標準値近くまで復活した。
 無理せず、適度な運動と適度の飲酒で、ボチボチいきます。
  
 来年はどんな年になるのだろうか?
 まあ、家族皆が健康で楽しく過ごせればいいのです。
 みなさん、来年も宜しくです。 パンパン!

マイパソコン

 わしが初めてパソコンをいじりだしたのは、2001年の春である。
 あれから早5年が過ぎようとしている。
 そう、未だに初代パソコンを使用しているのである。

 OSはいまだWindowsME。
 画面はよー見えんので、95Readerと言うスクリーンリーダーというソフトを使用して、音声で操作をしている。
 インターネットはホームページリーダーというソフトで読ましている。
 
 一昨年、ADSLに変更した時に、メモリーを増設し、ハードディスクもおnewにしたもんで、新しいパソコンは当分買ってもらえそにない。
 けんど、次に買うなら、できるだけコンパクトなノートパソコンで、無線ランにて、寝っころびながらネットサーフィンをしたいと思っている。
 そう言えば、来年だったかしら、Windowsロングホーン?という新たなOSが登場するとかしないとか?
 そうなれば、またスクリーンリーダーをバージョンアップせんといけんのです。
 
 一体いつになったらおnewの最新式パソコンで、サクサクと操作できるようになるのかしらん!

年末年始の過ごし方

 2005年も今日を入れて、あと5日である。
 そこで、わしの年末年始の過ごし方を考えてみた。
 
 子供達は23日から1月9日までは冬休み。
 妻は30日から1月3日まで仕事は休み。
 わしは、本社に勤務しているとは」言え、スーパー業界なので、30日まで仕事をして、31日と元旦が休みで、2日から出勤する。

 だから、年末の31日に、家族で買物に行き、大晦日を自宅で過ごし、元旦はゆっくり起きて、初詣に行くくらいでほとんど自宅での寝正月である。

 肝臓クン復活対策として、お酒は1週間に1日しか飲んでいないが、31日と1月1日は連チャンで飲んじゃろうと企んでいる。
 それなりに、
「やっぱし、大晦日と正月はお酒を飲まにゃーーね?」
と小声で時々ボソッと呟いたりして予防線をはっているのである。

 わしと妻の実家にも帰らなければいけないのだろうが、いかんせん、山口と長崎県に帰るとなると、3日~4日の大移動になり、交通費などで数十万円が飛んでいくので、毎年は帰る事ができない。
 来年は夏休みを中心に両方の実家への帰省を考えている。
 そのためにも、しっかり働かんといけんね!
 来年もボチボチやりまっせ!

わしの老後

 今日の朝、寝床で妻がつぶやいた。
「お父さん、仕事は楽しいかね?」
 わしは、今現在は、自分の仕事については、視覚障害者ということを抜きにして、精一杯やっているつもりである。
 目が見えにくくなり、スーパーの売場で働けなくなり、本社の人事部に移り一から出直した。
 あれから早、4年が経とうとしている。
 このまま、今の仕事でやって行くしかないと思ってる。
   そして、定年が近くなれば、老後はどのように過ごせばいいのか?
 子供達は独立していくだろうし、わしと妻の2人でどこに永住の地を求めればいいのだろうか?

 わしは、もともとの本籍は山口県である。
 両親も山口県埜萩市に住んでいる。
 本家ではないが、土地も家もそこにはある。
 わしはわしで広島県に持ち家のマンションを保有しているが、現在はそこは賃貸に出して、ここ関西の社宅に住んでいるのである。
 
 妻は、将来はわしの両親が住んでいる実家にて、老後を過ごしてもよいと言う。
 今の家をリフォームして、傷害年金と少しのアルバイト収入とで、畑でも耕しながらのんびり過ごしたいと言う。
 正直言って、妻がそのように考えているとは思わなかった。
 わしにとってはありがたいことである。
 姉は嫁にいってるし、長男のわしがいずれは両親の面倒を見なければとも思ってたし、両親の墓守もしなければいけないとも思ってた。
 今後、どのようになるかはわからないが、今は、妻に感謝の気持ちで一杯である。
「ありがとうね。お母さん。」

おばあちゃんの家

 昨日、家出ぼーとしている時に、なぜかしら子供の頃、盆と正月に行っていたおばあちゃんの家の風景を思い出した。
 
 周りは夏みかん畑とスイカ畑、納屋には牛が飼ってあり、土間にはマキで炊くかまどがあり、食卓には掘りごたつ。
 その部屋から外を見ている、小学生の頃のわし。
 真直ぐ伸びた長い廊下。急な階段を昇ると8条近い畳部屋が三間並んでいる。
 2回の窓から屋根の上へ出られてそこには蜂の巣がある。あーー、怖い。

 近くの川で水遊びをするわし。
 昆虫採集で、鬼やんまトンボを摂り、冷えたスイカを食うわし。
 納屋に入って、切ったわらを恐る恐る牛にやるわし。

 何故、そんな風景を思い出したのかわからないが、今はその家は道路が通るということで、他の場所に新しい家として移ってしまった。
 もちろん、おばあちゃんもおじいちゃんもいない。
 というか、今は、わしの両親がその頃の、おじいちゃんとおばあちゃんの年齢となって、萩の田舎に2人済んでいる。
 わしの子供たちも、わしの萩の実家をそんな感じで受け止めているのかしらん。
 
 そして、そのうちにわしと妻も、年をとり、わしの子供たちの子供(孫)が、そんな思い出わしたち夫婦を見るようになるのだろうか?
 時はめぐりめぐってですかねぇ?

豪雪

 今日は大雪でした。
 朝から降り始め、ボタ雪のせいか5~6センチくらいの積雪です。
 ところが、今日は、先週すっぽかされた対面朗読のひ。
 よせばいいのに、図書館に向けていざ出発です。

 こんな積雪、何年ぶりでしょうか?
 道路は一面真っ白で、白杖をついても「ボソボソ」としか感じず苦労しました。
 けんど、道路が真っ白で、電柱などが浮かび上がって見えていて、けっこう歩きやすかったりして。
 無事、図書館に着いたのですが、なっ、なっ、なんと、今日は図書館は空いていたのですが、「さえずりさん」は大雪のため休みだそうで・・・・・! (ガックシ)
 再び、大雪の中、トボトボ歩いて帰りました。
 
 しばらくして自宅に電話があり、来週の27日に今日の代わりに活動をするとのこと。
 たまたま来週の27日も休みを取っていたのでお願いをしたしだいです。
 
 はたしてこの雪は今日中にどのくらい積もるのでしょうか?
 昼からは歯医者さんに行かねばならぬ。
 まあ、楽しみながら歩いて行ってきまーーす!

わしの見え方

「あなたの見え方をできるだけ具体的に説明してください。」
 以前、受けたロービジョン訓練では、まずこのことを聞かれた。
 その時、
「右目はほとんど見えなく、左目は中心部の視野はほとんど残っていなく、周辺部は少しは見えています。」
くらいしか答えられなかった。
 どうせ、わしの目はほとんど見えていないんだからとの思いがあったからであろう。
 けんど、目が見え難くなったなら、自分の見え方を自分なりに把握して、残った視力・視野を最大限に活用していかなければいけないことを、この訓練で学んだ。
 そこで、自分なりに再度、今のわしの目ん玉の見え方を書き残しておこうと思った。
 
 まず、右目。
 眼の前で手を振られても判らない。ぼんやり光がわかる程度の視力しか残っていない。
 まっすぐ見ると、中心部は真っ白にしか見えない。けど、左下にマッチ棒の先くらいの視野が残っている。
 周辺部は右上と右下、特に右下部分はかなりの視野がのこっている。
 通常、歩行している時は、右下部分を意識していれば、道路の状況も少しはつかめるみたいだ。

 次は左目。
 裸眼で0.01の視力、矯正してもほとんど視力は変わらない。
 中心部の視野は測定不可能なくらいで0に近い。
 しかし、右目と比べると、左下にかなり大き目の視野が残っている。けれど、墨字で書いてある文字を見ようとすると、商店を合わす部分は細胞が死滅しているのか、つぶれた感じで文字の解読は不可能である。大きな文字を白黒反転すれば簡単なひらがなは読めるかもしれない。
 右目同様、周辺部はまだらながらも縞状に視野は残っている。
 通常の歩行時でも、前面部分は、霧がかかったようになっていて、電柱や人がいても気付かない。
 けんど、左下の道路の白線や、左横の電柱は確認できる。
 横断歩道に立っていても、正面の信号は確認できないが、進行方向に走っている車は確認できる。
 事務所内でも、正面に人が座っているかどうかは確認できないが、右側、または、左後ろに人が座っているのかは確認できるし、どんな髪型かどんな服を着ているのかおぼろげながら確認できる。
 
 最後に両目での見え方。
 パソコンの画面は、メガネをはずして白黒反転で表示してあれば、なんとなくどんな表、文章が書かれているかの概要はわかるが、もちろん、文字を確認できない。
 正面に人が立っていれば、人の輪郭はわかるが、顔の表情はわからない。まさにのっぺらぼうを診ている感じである。
 もちろんテレビの画面がうつっているのかはわかるが、何が写っているのかはわからない。
 テレビから流れてくる音声を聞きながら、頭の中でその場面を創造しながら見ている、いや聞いている。
 
 夢の中では、昔同様、はっきり見えている。
 文字も見えるし、人の顔もよくわかる。
 けんど最近、その人の顔の表情に変化がなくなってきている漢字がする。
 
 進行度合いだが、30を過ぎてから、少しずつ、日常の生活に支障をきたしだし、40を過ぎてから、見えにくさが一挙に増した感じ。
 けんど、ここ最近は、今の0.01くらいの視力視野でおさまっている感じである。
 というよりはこれ以上悪くなりようがないのかも。 (苦笑)

 まあ、こんなもんじゃろうか?
 この先、人工網膜など開発されれば、視神経はまだ残っているらしいので、結構はっきり見えるようになるかもしれないなぁ?
 はよー、そんな日が来んかいのぉ!

年賀状完成

 今日、年賀状の印刷が完了した。
 先日も書いたが、裏面は、とあるHPよりダウンロードした、無料の年賀状素材集を、ワードを使用して印刷し、表の宛名欄も、こりゃまた無料のフリーソフト「宛名君」を使い、印刷をしたのである。
 昨年、住所は入力してあったので、思ったより速く仕上った。
 
 皆さんがよく使用している、「筆王」などのソフトでは、どうしてもマウスを使用して視覚を頼りに操作しなければならないのだが、わしが使ったソフトはどうにか音声のみで操作可能であった。
 しかし、宛名欄は、最終的には、晴眼者の眼を借りて、全体のレイアウトを確認してもらわなければならないんだだがねぇ。

 一昨年までは、印刷やニ全て頼むか、妻に全て手書きで書いてもらわなければならなかったのだが、どうにか自力で年賀状作成ができたのは嬉しい限りである。
 
 晴眼者で、パソコンに詳しい人から見ると、とっても幼稚なできばえではあるが、それでもええんじゃ。
 上出来、上出来じゃ。