わしの見え方
「あなたの見え方をできるだけ具体的に説明してください。」
以前、受けたロービジョン訓練では、まずこのことを聞かれた。
その時、
「右目はほとんど見えなく、左目は中心部の視野はほとんど残っていなく、周辺部は少しは見えています。」
くらいしか答えられなかった。
どうせ、わしの目はほとんど見えていないんだからとの思いがあったからであろう。
けんど、目が見え難くなったなら、自分の見え方を自分なりに把握して、残った視力・視野を最大限に活用していかなければいけないことを、この訓練で学んだ。
そこで、自分なりに再度、今のわしの目ん玉の見え方を書き残しておこうと思った。
まず、右目。
眼の前で手を振られても判らない。ぼんやり光がわかる程度の視力しか残っていない。
まっすぐ見ると、中心部は真っ白にしか見えない。けど、左下にマッチ棒の先くらいの視野が残っている。
周辺部は右上と右下、特に右下部分はかなりの視野がのこっている。
通常、歩行している時は、右下部分を意識していれば、道路の状況も少しはつかめるみたいだ。
次は左目。
裸眼で0.01の視力、矯正してもほとんど視力は変わらない。
中心部の視野は測定不可能なくらいで0に近い。
しかし、右目と比べると、左下にかなり大き目の視野が残っている。けれど、墨字で書いてある文字を見ようとすると、商店を合わす部分は細胞が死滅しているのか、つぶれた感じで文字の解読は不可能である。大きな文字を白黒反転すれば簡単なひらがなは読めるかもしれない。
右目同様、周辺部はまだらながらも縞状に視野は残っている。
通常の歩行時でも、前面部分は、霧がかかったようになっていて、電柱や人がいても気付かない。
けんど、左下の道路の白線や、左横の電柱は確認できる。
横断歩道に立っていても、正面の信号は確認できないが、進行方向に走っている車は確認できる。
事務所内でも、正面に人が座っているかどうかは確認できないが、右側、または、左後ろに人が座っているのかは確認できるし、どんな髪型かどんな服を着ているのかおぼろげながら確認できる。
最後に両目での見え方。
パソコンの画面は、メガネをはずして白黒反転で表示してあれば、なんとなくどんな表、文章が書かれているかの概要はわかるが、もちろん、文字を確認できない。
正面に人が立っていれば、人の輪郭はわかるが、顔の表情はわからない。まさにのっぺらぼうを診ている感じである。
もちろんテレビの画面がうつっているのかはわかるが、何が写っているのかはわからない。
テレビから流れてくる音声を聞きながら、頭の中でその場面を創造しながら見ている、いや聞いている。
夢の中では、昔同様、はっきり見えている。
文字も見えるし、人の顔もよくわかる。
けんど最近、その人の顔の表情に変化がなくなってきている漢字がする。
進行度合いだが、30を過ぎてから、少しずつ、日常の生活に支障をきたしだし、40を過ぎてから、見えにくさが一挙に増した感じ。
けんど、ここ最近は、今の0.01くらいの視力視野でおさまっている感じである。
というよりはこれ以上悪くなりようがないのかも。 (苦笑)
まあ、こんなもんじゃろうか?
この先、人工網膜など開発されれば、視神経はまだ残っているらしいので、結構はっきり見えるようになるかもしれないなぁ?
はよー、そんな日が来んかいのぉ!
以前、受けたロービジョン訓練では、まずこのことを聞かれた。
その時、
「右目はほとんど見えなく、左目は中心部の視野はほとんど残っていなく、周辺部は少しは見えています。」
くらいしか答えられなかった。
どうせ、わしの目はほとんど見えていないんだからとの思いがあったからであろう。
けんど、目が見え難くなったなら、自分の見え方を自分なりに把握して、残った視力・視野を最大限に活用していかなければいけないことを、この訓練で学んだ。
そこで、自分なりに再度、今のわしの目ん玉の見え方を書き残しておこうと思った。
まず、右目。
眼の前で手を振られても判らない。ぼんやり光がわかる程度の視力しか残っていない。
まっすぐ見ると、中心部は真っ白にしか見えない。けど、左下にマッチ棒の先くらいの視野が残っている。
周辺部は右上と右下、特に右下部分はかなりの視野がのこっている。
通常、歩行している時は、右下部分を意識していれば、道路の状況も少しはつかめるみたいだ。
次は左目。
裸眼で0.01の視力、矯正してもほとんど視力は変わらない。
中心部の視野は測定不可能なくらいで0に近い。
しかし、右目と比べると、左下にかなり大き目の視野が残っている。けれど、墨字で書いてある文字を見ようとすると、商店を合わす部分は細胞が死滅しているのか、つぶれた感じで文字の解読は不可能である。大きな文字を白黒反転すれば簡単なひらがなは読めるかもしれない。
右目同様、周辺部はまだらながらも縞状に視野は残っている。
通常の歩行時でも、前面部分は、霧がかかったようになっていて、電柱や人がいても気付かない。
けんど、左下の道路の白線や、左横の電柱は確認できる。
横断歩道に立っていても、正面の信号は確認できないが、進行方向に走っている車は確認できる。
事務所内でも、正面に人が座っているかどうかは確認できないが、右側、または、左後ろに人が座っているのかは確認できるし、どんな髪型かどんな服を着ているのかおぼろげながら確認できる。
最後に両目での見え方。
パソコンの画面は、メガネをはずして白黒反転で表示してあれば、なんとなくどんな表、文章が書かれているかの概要はわかるが、もちろん、文字を確認できない。
正面に人が立っていれば、人の輪郭はわかるが、顔の表情はわからない。まさにのっぺらぼうを診ている感じである。
もちろんテレビの画面がうつっているのかはわかるが、何が写っているのかはわからない。
テレビから流れてくる音声を聞きながら、頭の中でその場面を創造しながら見ている、いや聞いている。
夢の中では、昔同様、はっきり見えている。
文字も見えるし、人の顔もよくわかる。
けんど最近、その人の顔の表情に変化がなくなってきている漢字がする。
進行度合いだが、30を過ぎてから、少しずつ、日常の生活に支障をきたしだし、40を過ぎてから、見えにくさが一挙に増した感じ。
けんど、ここ最近は、今の0.01くらいの視力視野でおさまっている感じである。
というよりはこれ以上悪くなりようがないのかも。 (苦笑)
まあ、こんなもんじゃろうか?
この先、人工網膜など開発されれば、視神経はまだ残っているらしいので、結構はっきり見えるようになるかもしれないなぁ?
はよー、そんな日が来んかいのぉ!