ASD(やADHD等)の知識がつくことによって、それはそれでつらくなることがあります。
過去を振り返った際に、
当時相手(ASD傾向にある人)に対して自分がプラスに捉えていたことが、実はASDによるものであり、純粋にプラスに捉えて良いものではなかったと気付く、
というようなことがあるからです。
「当時の知識がなかった時の自分に忠告してあげたい」
とおっしゃる方も多くいます。
目に見える結果だけで判断してはいけない、
ということです。
ASD傾向にある人による結果(言動や行動、振る舞い等)だけを見て、プロセスを見ないで判断してはいけない、
ということです。
定型の人の言動や行動とASD傾向にある人による言動や行動が、目に見える結果が同じでもプロセスがまったく違うので意味がまったく違ってくる、
ということがあるのです。
よくわからないと思いますので、今回はカウンセリングの中でよくお客様から出てくる話をまとめてみました。
それらをいくつか挙げます(今のところ6つですが、今後追記修正予定です)。
①純粋に自分のことを思ってくれての言動(あるいは行動)だ、と思っていたことは、実はそうではなかった
当時言われて(されて)嬉しかったことが、知識がついたことによって、
「単にルールやパターンやルーティンとして言っていた(あるいは行っていた)だけだった」
「学んだことを理解しないままにただ言っていた(あるいは行っていた)だけだった」
等と気付いてつらい、ということです。
ASD傾向にある人は、なかなかその場の状況に合わせてその都度その瞬間にどのような言葉をかけたら良いのか、どのようなことをしてあげたら良いのかわかりにくい傾向にあるので、「Aという場面ではBを言う(する)」というように暗記して実行することがあります。
そのため、カサンドラ側の人は、自然に出てきたことではなかったということに気付いてしまってつらいのです。
②いつも自分に合わせてくれて優しい、と思っていたことは、実はそうではなかった
優しさで自分に合わせてくれていたと思っていたことが、知識がついたことによって、
「単に意見がなかっただけだった」
「単に考えられないからお任せされているだけだった」
等と気付いてつらい、ということです。
受動型の特徴によるものだった、ということです。
③気持ちの切り替えが早くてメンタルが強くて頼もしい、と思っていたことは、実はそうではなかった
当時頼もしいと思っていたことは、知識がついたことによって、
「単に言われたこと等を理解できていないだけだった」
「単に出来事等を忘れてしまっただけだった」
等と気付いてつらい、ということです。
④自分の意見をはっきり断定的に言えるのは自信があるからだ、と思っていたことは、実はそうではなかった
「単に自分の知っているもの・見えているものだけが世界で、自分が知らないこと・見えていないものへの想像力がないから(無知の知がないから)断定的に言っているだけだった」
「よく冷静に聞いてみると(思い出してみると)いつも発言が浅かった」
等と気付いてつらい、ということです。
⑤人前で堂々と振る舞えるのは自信があるからだ、と思っていたことは、実はそうではなかった
「単に自分は他者からどう見えるのか(客観視)を想像できないからだった」
「想像できないから不安や恐怖や羞恥心が生まれにくいのだ」
等と気付いてつらい、ということです。
⑥寛容な人、素直で純粋な人、何考えているかわからなくてミステリアス、等と好意的に思っていたことは、実はそうではなかった
好意的に思っていたことが、実はASDによるもので、
「ただ受動的なだけだった」
「何も考えていないだけだった」
等と気付いてつらい、ということです。
特に恋愛初期の頃は何事においても好意的に捉えやすいので注意が必要です。
注意が必要、と簡単に言えるものではないですけどね。
以上、いろいろと書きましたが、これらを事前にあるいはリアルタイムで感じることは正直難しいです(しかも、外モードというものがあるから余計に難しい)。
見抜けなくても自分を責める必要はありません。
以上のことは、「今過去を振り返ってみるとそうだったんだな」というように、大抵の場合後になってわかる類のものだからです。
また、共依存やアダルトチルドレンの特徴(意見が言えない、人の顔色を窺う、本当の優しさにあまり触れてこなかった等) がある方は、いろいろな意味で見破りにくいです。
例えば、③~⑤については、自分ができないことをいとも簡単に(本当の意味ではやれていないけど)やれているように見えて魅力的に映ってしまう、ということが起こり得ます。
難しいことではありますが、以上のような考え方・見方・発想を事前に知っておくだけでも、知識がない時より多少は見破れる可能性が上がると思います。
相手のことを多面的に見ることができるようになると思います。
このように、知識がつくことで、ASD傾向にある方の過去の言動や行動の本当の意味がわかってしまうということが起きます。
これはこれでつらいですが、こうした知識が、もやもやして結論を出せなかった状態から、離婚や別居、あるいは再構築への決意を後押ししてくれるという面もあります。
また、「相手は変わらないから自分が変わるしかないな」と良い意味で開き直れるという面もあります(相手は変わらないから自分が変わりなさいと言うつもりは全くないです。それは本人が決めることですからね)。
いずれにしましても、
「何も知識がなかった状態で振り回されていた苦しみよりは、知識がついたことで生まれる苦しみの方がまだマシだ」
とおっしゃる方は多いです。
知識は多くて損はない(だろう)ということです。
それこそ、ASD傾向にあるパートナーと離婚して終わりではありません。
また次のパートナーを見つける際にも力になるはずです。
多くのお客様は、結婚や恋愛に限らず、職場等他の場所でも知識を役立てています。
最後に一つ申し上げておきたいことがあります。
それは、
お客様は皆さんいろいろと勉強はされていますが、意外とわかっていないことが多い、
ということです。
本当に理解しているなら、
「その場面でイライラしたり期待したりしないですよ」
ということが多い、ということです。
(本当に理解していたとしてもそう簡単に割り切れるものではないですよね)
既に持っている知識が使えるように、そして応用できるようになっていないのです。
(一言で「知識」と言っても、深さや奥行、多面性がありますからね)
エピソードを聞かせていただいて「今の話はこれに当てはまるのですよ」等と私がお伝えして初めて理解されることが多い、
ということです。
(これが、本やネットの記事を読むだけの場合とカウンセリングを受ける場合の違いだと思います)
これらを繰り返すことによって自分一人で気付くことができるようになっていきます。
そのため、生活の中で感じた違和感のあるエピソードは何でも話していただければと思います。
勝手に「このエピソードは話す必要はないかな」と判断して端折らないでいただきたい、ということです。
さらに最後に一つ注意点をお伝えします。
発達障害と診断を受けていないパートナーに対して、発達障害だと決めつけることによって夫婦問題が悪化するというケースもあります。
決めつけた側がパートナーに対して非現実的な要求をしてしまい、それがどんどん過度になっていっていることに気付けなくなる、
ということが起きます。
「それって定型の人でも察するのは無理だよ」ということも「相手が発達障害だからわからないのだ」と判断してしまう、ということです。
こういう視点がないとモラハラの加害者になってしまう危険が出てきます。
こうならないためにも、第三者の目は必要に思います。
ご相談すること自体に悩まないでくださいね。
お気軽にご相談ください↓
〈参考ページ〉
〈参考ブログ〉
なぜモラハラの後遺症はこわいのか②(+モラハラ加害者の特徴)
なぜカサンドラ症候群はつらいのか⑥-カサンドラの怒りについて-
なぜカサンドラ症候群はつらいのか⑧-話の一部を切り取って話す-
なぜカサンドラ症候群はつらいのか⑨-見たものだけで判断する-
なぜカサンドラ症候群はつらいのか⑩-「自分はそうは思わない」-
なぜカサンドラ症候群はつらいのか⑬-カサンドラ特有の不倫によるつらさ-
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)とASDの共通点-ねじ曲げて解釈することについて-
自己愛性パーソナリティ障害のパートナーと離れないとどうなるか
「カサンドラ症候群」という言葉が入っていないタイトルの記事も、ASDやカサンドラという言葉を使っていないだけで、関連している記事であることが多いです。
ぜひ他のものも読んでみてください。
温泉に行きたい。
日帰りでも良い。
これからの季節、秋冬(10~2月)が好きです。
ホームページです。
Twitterです(一番更新頻度高い系)。
お気軽にフォローしてください。
▶︎https://twitter.com/takeheart_d
noteです(ゆるい・抽象・感覚系)。
カウンセリングの日々で思うこと(抽象的な話が多いです)やアメブロから漏れたものを載せています。
個人的にはアメブロよりnoteの記事の方が気に入っています。
instagramです(ピンポイント系)。