こんにちは、プロフェッショナル心理カウンセラーの織田です。
少女マンガといえば、これは外せません。
「ベルサイユのばら」
ページをめくれば
花が飛び散り光がちりばめられる。
ドラマティックな筋立て
美女美男子の群れ
金糸銀糸レースのコスチューム
こんなに華麗な少女マンガは他になし!
そしてまた、
実はこの「ベルサイユのばら」は
少女マンガ必須条件が
きっちりとそろっているのです。
少女マンガの定義にはいろいろあると思いますが
「あなただけテーマ」と私が呼んでいるものがあって
誰か特定の人だけに心を許すとか
誰か特定の人だけに特別な想いをかけるとか
とにかく「あなただけ」という
特別枠が必ず主人公ないしは主人公の身の回りにある。
これが「女の子」には胸きゅんものなんでしょうね。
うん。わかる。
もう一つ、ワタシ的に重要と思っているのは
アイデンティティへの問いかけ、ですね。
自分とは何か、というクエスチョンは
少女マンガには欠かせない。
そして、ベルサイユのばらは
フランス革命という非常に激動の歴史を背景に
きらびやかな宮廷に生きる貴族たちを中心に
物語が進行するのですが
そこに「オスカル」という架空の人物を添えたのが
ものすごいクリエイトを感じるんです。
女性だけれど男性と育てられる・・・
実はこれって女性の憧れだったりします。
女性だけれど男性に負けない活躍をして
強くて美しい。
でも切なさと孤独を胸に秘めている。・・・
うん、多くの女の子たちが
オスカルに投影をしただろうなあ。
そして、そんなオスカルを
幼いころからずっと見つめていたアンドレがいて
「本当の自分」をずっと受け入れてくれている。
思春期の頃は嫌で仕方がなかったかもしれない
自分でもなかなか受け入れられなかった
「本当の自分」を見つめて
愛してくれていた・・・というのは
もう、最高のロマンスですね。
彼らは、その姿も見事に
「ペルソナ」表の自分と「シャドウ」影の自分。
統合した早々に二人とも死んじゃいますが
少女マンガにとって、統合は物語の終焉ですから
死んじゃうしかなかったのでしょう。
花は実をつけるためには
枯れなければならない。
そう考えると
このマンガの随所に花が飛び散っているのは
興味深い暗喩に見えて仕方がありません。
咲き誇った花が実を結ぶ=一つの時代の終焉を迎える前に
一番美しく咲くわけですから。
で、少女たちにとっては
少なくともあの時代は
「実を結んだあと」は昔話の最後の一文に似ていて
「そして幸せになりました」
物語になっていないわけです。
だから、最終的に次から次へと
主要人物たちは死んでしまいます。
生き残るのは、市井の一女性として
生きることを決心した
貴族の血を引くロザリーぐらいかな。
それも、暗喩的ですね。
花として散っていくのか
実を結びその実を収穫していくのか。
少女マンガをそんな風に考えると
飛び散る花も深いものですねえ。
大きな時代のうねりが
革命という実を結ぶ直前の
花咲き誇る時代を描いた
ベルサイユのばら。
登場人物たちも美しく咲き
そして実を結ぶ様を見ることなく
散っていくという物語。
花が咲き、花が散る
きらきら輝く物語。
だからベルサイユのばらは
少女マンガの真髄だと思うのです