『親を越えて子どもは大人になっていく』from シティーハンター他 | 仕事とマンガと心理学

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心理カウンセラーが語るマンガと小説についてのブログです。
心理学でマンガをみるとオモシロいので、それを伝えたくて
ぐだぐだお送りしますので、楽しんでくださいね!

こんにちは、プロフェッショナル心理カウンセラーの織田です。

 

前回ちょっとお話でた

「親殺し」テーマ、マンガでは結構あります。

 

 

児童文学読んでいても

どうも「親」っていうのは

子どもの冒険とかドラマには邪魔らしいんですよね(笑)

だから、親がいないっていう設定はすごく多い。

最近で有名なのは

なんといってもハリー・ポッターだし。

作品そのものは新しくないけれど

映画になったからあげてみるけど

ナルニア国物語も

戦争で親がそばを離れているんですよね。

 

多分、「親」というのは

良くも悪くも子どもを囲い

安定させようとする力の象徴なんでしょうね。

だから、子どもが縦横無尽に冒険しようとすると

「危ないからやめなさい!」

と叱られて冒険がなくなっちゃうwww

 

だから、まず冒険の前に

子どもを守り安定させる存在は

排除してしまう・・・と。

 

だから、安定した物語の

あだち充さんの作品には

保護者と理解者としての親がよく出てきます。

彼の物語は

基本的に「安心できる」物語だから

親OK。

 

邪魔っぽくなりそうなら

何らかの理由で親という存在を

遠ざける。

 

さて、文字通りの「親殺し」テーマ。

これは、親を乗り越えていく物語として

かなりの数があります。

わかりやすいのはシティーハンターのように

親が敵として立ちはだかり

親の死をもって何かを越えていくという

物語でしょう。

 

ルーク・スカイウォーカーも

ダースベーダー倒したしね。

直接殺さなくても

親の死が大きな契機になっている物語も

けっこうあります。

 

さて、シティーハンターの最後の大事件は

冴羽さんの「親代わり」であった人物、

槙村さんも殺されてしまった

ユニオンテオーペのトップであり

エンジェルダストの陰惨な夢を

持ち続けている人との対決です。

 

この物語はシティーハンターの中では

例外的な物語で

依頼人もいないし

美女との絡みもない。

しっかりと香さんと冴羽さんの物語が

語られています。

 

親殺し、とは心理学でいうところの

親からの自立であり

自我の確立の事で

こういった「子どもから大人への」

通過儀礼は

さまざまな文化の中に見られます。

 

例えば、昔の日本の武士文化の中にあった

「元服」なんていうのもそうですね。

定められた場所に行くとか

ある種の儀式を受けるとか

いろいろな形があるのですが

物語でいうと「親殺し」がよく出てきます。

 

シティーハンターでいえば・・・

 

物語の最初の方では

冴羽さんの由来っていうのは

ほとんど語られてきていません。

香さんとの距離が近くなり

本人が(おそらく)自分自身を見つけなおしたり

考え始めた頃に

いわゆる「過去」が顔をのぞかせてくるのです。

 

これって・・思春期から青春期にある

精神的な親からの自立によくみられることです。

この時期

子どもたちはすごく「自分って何?」とか

「真実って何?」という

本質的な問いをくりかえしていくもの。

思春期から青春期の子どもたちを対象とした

マンガに「自分探し」が多いのは

そういう理由があるのです。

 

冴羽さんも

物語が進んでいくうちに

自分を探し始めます。

そしてそれは、香さんを契機として

語られることが多い。

 

そう、人は「他者との出会い」によって

自分を知り始めるもの。

人間という字は

人との間と表現されているように

他者との深い出会いが

自己を発見させるものなのです。

 

もともと思春期から青春期の心理の大きな特徴の一つとして

それまで一番存在が重要だった親よりも

友達や恋愛などの

自分が作っていこうとする人間関係を優先します。

時には、親よりもはっきりと

友達や恋人を選ぼうとする。

それは、巣立ちの時だからなのです。

 

これが、マンガによくあらわれる

「親殺し」の物語。

だから、こういう成長を暗示した物語では

殺されていく親は子どもを受け入れて

死んでいくことが多い。

 

親を殺してから悩み苦しむのは

そこまでの心理の発達に

「足りないものがある」ことが多い。

 

親殺しでは、「八雲立つ」なんかも

典型ですけれど

これは物語の冒頭に父親を殺した主人公が

自分の運命を受け入れていく過程を

細やかに描写したものとしても

読めます。

 

その時に大きな力となるのが

友人たち。

不器用ながらも自分なりに築き上げていく

人間関係が主人公を支えていくのです。

 

八雲立つでは、親殺しをした主人公は

親に与えられた(伝えられた)使命を果たした後

自らも死んでいきますが

転生によって生まれなおしていく・・という

非常に象徴的な物語の結びになっていきます。

 

シティーハンターでは

昔々の物語のように

「そうして二人は幸せに暮らしましたとさ」という

幕引きで物語が終わっていきます。

 

そう、だから、シティーハンターは

冴羽さんという一人の人間の

「子どもから大人へと成長していく心理劇」として

読めるわけなのです。

 

だから、なんでしょうねえ。

異次元続編である「エンジェルハート」では

冴羽さんはシティーハンターでは決してしていない

「昔の戦場話」を海坊主さんとよくしているようです。

シティーハンターでは

まだ戦場話はリアルであったのに比べて

エンジェルハートでは

戦場話はしっかり「過去」になっているし

冴羽さんは泣いたり怒ったり

豊かに感情を表現するようになっていて

香さん関連では

よく泣いてます^^)

 

いいことです、泣き虫遼ちゃん。

ステキです。

自分の気持ちも素直に言語化しており

これもステキですねえ。

 

だから、シティーハンターの時よりも

冴羽さんはのびのびしていますねえ。

相変わらず美女は好きみたいですけれど

シティーハンターの時ほど

激しくないものねえ。

年取った・・・じゃなくて

必要じゃないからなんですよね。

 

親殺しマンガって

それぞれの作家さんで

描き方がそれぞれなんですけれど

こういうのを比較していくのも

面白い読み方だったりします。

 

大きなテーマなので

今回はざっくりと書いてみましたが

いかがでしょうか。

皆様のココロの物語にも

「親殺し」を探してみては?

大きな発見があるかもしれませんね。