瑞聖寺

 

 

黄檗宗  瑞聖寺

 

 

山号 : 紫雲山

宗派 : 黄檗宗

寺格 : 単立

本尊 : 釈迦如来

創建年 : 寛文10年(1670年)

開山 : 木庵性?

開基 : 青木重兼

 


所在地 : 東京都港区白金台3-2-19

 

 

江戸黄檗宗寺院最初創建の伽藍

紫雲山瑞聖寺は、本山である黄檗山萬福寺の開山隠元の弟子木庵和尚(萬福寺第ニ世)を開山として、
寛文10年(1670)に創立された。
伽藍は青木甲斐守によって寛文10年5月より建立が開始され、
翌11年4月には山門・大殿・方丈・左右大小寮舎が落成し、同年6月15日に木庵を請じて開山とした。
延宝8年(1680)には下谷池端瑞錦袋円の元祖了翁僧都により経蔵が建立され、
唐本の一切経が納められた。また同年冬には僧堂が落成している。

塔頭の竹巌院は、開基青木甲斐守によって天和3年(1683)に開創され、
さらに当寺第ニ世鉄牛和尚によって微笑院、第三世慧極明和尚によって慈光院が建立された。
その後瑞聖寺は再々火災に見舞われた。
文献上から知れる火災は、享保11年(1726)が最初であり、
このとき大殿、山門、方丈、左大寮舎、微笑院を焼失した。
そして享保14年(1729)には大殿の再建に着手し、同17年(1732)に上梁している。
また同16年(1731)に方丈、同18年(1733)に開山堂を再建し、次第に伽藍を復興していった。

しかしながら、第二の火災が延享2年(1745)にあり、
おそらく創建当時の伽藍を完全に復興する以前に羅災し、再び諸堂を焼失したであろう。
延享の火災後、宝暦7年(1757)に仏殿が再建され、明和2年(1765)に天王殿、
同5年(1768)に開山堂、同6年(1769)に鐘楼、 安永2年(1771)に祠堂、
同9年(1780)に斎堂兼庫裏、文化元年(1804)に禅堂がそれぞれ再建され、
文政11年(1828)には、仏殿、天王殿、方丈、禅堂の他に庫裡、惣祠堂、経蔵、鐘楼、
門番所付表門および裏門、諸候方霊屋八宇、鎮守八幡宮などの建物、
あるいは徹笑院、竹巌院、慈光院などの塔頭が整備され、瑞聖寺創立以来再び、
江戸名所図会にみられるような壮大な伽藍景観が形成されたといえよう。
この壮大な伽藍は、それほど長く維持することができず、
安政2年(1855)の大地震、同3年(1856)の大風雨により諸堂が大破し、
おそらく明治維新の大変革期にさらに諸堂を失ったであろう。

明治期の瑞聖寺は、明治10年(1877)の境内絵図面に書かれている大殿、庫裡、霊屋二棟、祠堂、表門、
裏門がかろうじて残ったにすぎず、 その後旧規に復興することもままならず、
わずかに明治18年(1885)に鐘楼が再建されている。
戦後、昭和42年(1967)に庫裡が、新しく寺務所を兼ねて建て替えられ現在の状況に至っている。
また昭和59年(1984)に大雄宝殿が東京都有形文化財に指定され、
平成4年8月(1992)に国指定重要文化財し指定され、現在に至っている。
本尊は釈迦如来であり、脇士として阿難・迦葉が安置されている。
<瑞聖寺hpより引用>

 

 

『寺号標柱』

 

『裏門』

 

『地蔵堂』

 

『達磨堂』

 

『鐘楼』

 

『参道』

 

『大雄宝殿』

 

『大雄宝殿内陣』

 

『布袋尊(山手七福神)』

 

『大雄宝殿説明板』

 

『ご本尊説明板』

 

『大雄宝殿扁額』

 

『開梆』

 

『雲板』

 

『庫裡』

 

『報恩堂』

 

『開山堂』

 

『灯籠』

 

『瑞聖寺後庭築假山記碑』

 

『石造五重塔』

 

『石仏』

 

『石仏』

 

『附の旧通用門』

 

『東門』