平等院

 

 

単立寺院  平等院

 

 

山号 : 朝日山

宗派 : 単立

本尊 : 阿弥陀如来

創建年 : 永承7年(1052年)

開山 : 明尊大僧正

開基 : 藤原頼通

 

 

所在地 : 京都府宇治市宇治蓮華116

 

 

京都府宇治市宇治蓮華にある単立寺院。
山号は朝日山。
宇治は『源氏物語』の「宇治十帖」の地であり、古来、山紫水明で、左大臣源融が
別業(別荘)宇治院を営んだことは名高い。
それはのち、六条左大臣源重信を経て藤原道長の手に移り、たびたび遊宴が催された。
宇治院(宇治殿とも)は道長より子頼通へ譲られるが、末法の初年とされた1052年(永承7)
頼通は寝殿を仏殿(本堂)とし、翌年、宇治川の西岸に阿弥陀堂が建立された。
東から西の極楽浄土を望む位置に建てられ、阿字池には翼廊付きの御堂を配置し、
堂内には定朝作の阿弥陀坐像を安置するなど、

極楽浄土を観想する当時の浄土思想に基づいてつくられた。
初代の執印(開山)は園城寺の明尊大僧正。
以後、1056年(天喜4)に法華堂、1061年(康平4)に多宝塔、1066年(治暦2)に五大堂が造立された。
頼通の没後、娘の四条宮藤原寛子が住した。

宇治は古代から交通の要衝で、646年(大化2)道登が架橋した。
1180年(治承4)源三位頼政が園城寺に兵をあげ、奈良へ赴く途中宇治で平氏と戦い、平等院で自害した。
梶原景季と佐々木高綱の先陣争い(1184)も有名であり、承久の乱(1221)では
上皇方と北条方の対峙の所となった。
建武年間(1334~38)楠木正成が足利尊氏と戦ったとき付近一帯を焼き、平等院も鳳凰堂、観音堂、鐘楼を残し焼失した。
なお、鎌倉時代、西大寺叡尊は平等院の僧の勧めで、宇治橋修造、網代撤廃(殺生禁断)を行い、浮島に十三重石塔を建てた。
室町時代に近江の三井寺円満院門主が兼務したが、

明応年間(1492~1501)浄土宗の栄久上人が管理し、
浄土・真言・天台宗が対立し、浄土宗の浄土院と天台宗寺門派の最勝院の管理となり、
現在、西院の住職が3年交替で代表役員を務めている。

 

 

『表参道』

 

『寺号標石』

 

『旧南門』

 

『ミュージアム鳳翔館』

 

『鳳凰堂(阿弥陀堂)』

 

『鳳凰堂(阿弥陀堂)』

 

『鳳凰堂阿弥陀如来坐像』

 

『鳳凰堂の屋根にある鳳凰』

 

『鳳凰堂阿弥陀如来坐像』

 

『源頼政の墓地』

 

『表門』

 

『観音堂』

 

『扇の芝』

 

『藤棚』

 

『阿字池』

 

『州浜』

 

『池殿地蔵堂』

 

 

『六角堂』

 

『鐘楼』

 

『梵鐘』

 

『集印所』

 

『茶房藤花』

 

『境内図』

 

『夢浮橋ひろば』

 

 

 

<塔頭寺院>

 

『浄土院』

 

『浄土院救世船乗観音』

 

『浄土院養林庵書院』

 

『浄土院羅漢堂』

 

『浄土院宇治茶の祖・竹庵の碑詩』

 

『最勝院』

 

『最勝院不動堂内陣』