浜岡原子力発電所見学
私は、自然エネルギー推進派である。そして、世界に先駆けて、新しいエネルギーを作り出し、それを日本の主要産業にしたいと思っている。
静岡県には、浜岡原子力発電所がある。
小学生のとき、浜岡原子力発電所の見学をした際の印象は強力で、「原発は100%安全である」という意識に対して、幼いながらも疑問を感じていた。
それが、45年ほど経って再度見学に行くと、私の印象は100%変わった。
これでもか、これでもかという程の安全対策をしているのである。
もしものとき、もしものときを際限なく想定し、それに対して対処を行っている。
ERF(エルフ)という、元自衛隊員を入れた緊急時即対応斑を常設で作ったり、飛行機が墜落しても大丈夫なように隔壁を厚くしたり、津波で水を入れるタンクが流されてもひっかかるための杭を打ったりと、今考えうる最大限の対策をしていることが分かった。
加えて、福島の事故の前から、「失敗に学ぶ回廊」をいう、小さな事故から学ぶ場を設け、もしもの場合がおきないように、社員さんの意識の向上を図ったりしているのも知った。
これだけの対応をしていて、福島の事故により、操業を停止させられているのは、非常に悔しいだろうとも思った。
国民民主党は、2030年代には原発ゼロに向け、あらゆる政策資源を投入することを一つの公約にしている。
私は、安全対策がそれほどいらない新しいエネルギーを開発することを切に願っている。では、原子力発電をどうするのか。ここは最終的には国民の意思であろう。ただ、この浜岡の原子力発電所の見学をしてみて、議論をすべきであることは断言できる。
石破茂氏の提案・・投票の義務化について
石破氏が投票の義務化を主張している。
非常に興味深い。
組織力がある自民党にとっては、投票をしない人たちに眠ってもらう方が都合が良いだろうに、投票の義務化を主張することに、驚いた。
私は、投票に行かない人たちが、少しでも動けば世の中は変わると思っているので、義務化されたらどうなるだろうかと夢想することはあるが、参政権の歴史的経緯を考えると、選挙権はあくまでも権利であって義務ではないという所は譲れないと考えている、ただ、義務ではないけれど、行くべきではあることは論を待たない。
これらに関して、選挙ドットコムに非常に面白い記事を見つけた。支持政党別、投票は権利か義務かという記事である。
それによると、国民民主党支持者は、義務であるが38.5%、権利であるが、棄権すべきでないが61.5%であり、なんと、投票するかしないかは個人の自由が0%であった。
他政党と比べると、非常に際立っていた。国民民主党を支持している国民の皆様の政治に対する主体的な意識の高さが嬉しかった。
選挙ドットコムから転載
キャリア教育
「熊本豪雨に対する対策について」
憲法記念日に思う・・・緊急事態条項と解散権
発送電分離
今はどこでも、コロナの話題一色であるが、この4月から、法律や仕組みなどが変わったものが多い。少しずつ、紹介をしていきたいと思っている。
私が、今、とても興味深く思っているのが、この4月から義務付けられた大手電力会社の発電部門と送電部門を別会社とする「発送電分離」である。
発送電が分離していないから電気代が高いとか、発送電が分離されていないから再生可能エネルギーの導入が進まないのだという議論により、導入された制度である。
さて、では、この制度によって電気代が安くなるのか、再生可能エネルギーの導入が進むのか、非常に興味がある。
ただ、電力を考えるとき、とても大事なのが安定供給であり、災害などのいざというときにどれだけ対応ができるかである。
阪神大震災のとき、被害が大きかった私が住んでいた地域は、あっという間に電気が復旧し、その時、普及不眠で働いて頂いた電力会社の方々に非常に感謝したことを今でも覚えている。
国が導入した制度が果たして目的を達するに適したものだったのか。長期的視点で検討しなければいけないだろう。
奨学金徳政令
れいわ新撰組が、参議院議員選挙の公約の一つに、奨学金徳政令を挙げたとき、非常に興味深いと感じた。
更に、アメリカの大統領選挙などでも、奨学金ローンの返済問題は大きく取り上げられている。
現在、奨学金を自治体が肩代わりをしているところもあるということを聞き、奨学金返済を免除することは、夢物語ではなくなってきている。
さらに、国立大学の授業料を各大学に任せて自由に決める制度の導入が検討されていることを考えても、大学の授業料と奨学金の問題を深く検討していかなけれいけないだろう。
...私は、家がたとえ貧しくても、一生懸命勉強をしたいと思っている人は、授業料などの負担に躊躇せず、大学で勉強できるシステムを作るのがこれからの日本において一番重要なことだと思っている。
カルロス・ゴーンと弁護人立会権
昨日に続き、私が好きなアメリカドラマを視て感じること
推理ドラマを視ていると、当然、被疑者が警察から取調べを受ける場面が出てくる。
すると、「もう、これ以上は、弁護士が同席しなければ何も話さん。弁護士を呼べ」という流れになる。
アメリカでは、弁護人を依頼し、取り調べの際に同席を要求するのは至極当然のことなのだろう。
最近、カルロス・ゴーンの話しがあまりマスコミに出なくなった。映画を撮影するという話しもある。
私は、ゴーンが国外逃亡を図ったのを当然許すわけもなく、これから日本政府がどうするのか非常に興味があるが、一点、これを契機に日本の司法制度を改革するべきではないかと思っている。
それは、弁護人の取り調べの立会いを認めることである(弁護人立会権)。
数年前、取調べを可視化するという法案が通ったが、そのときから、私は、可視化も大事であるが、弁護人の取り調べの立会いや制限のない接見交通権を認めるというべきであると主張してきた。
法律の知識がない容疑者が一人で巨大な警察組織と対等に渡り合うには、弁護人の助けが必要であるのは論を待たない。
日本の推理ドラマも、「もう、これ以上は、弁護士が同席しなければ何も話さん。弁護士を呼べ」という流れにしなければいけないだろう。
薬物依存症とエレメンタリー
私はアメリカテレビドラマが好きでよく視るのだが、その中でも「エレメンタリー」という番組が好きである。
ホームズとワトソンを現代のアメリカに持ってきて、捜査顧問探偵として活躍するというものであるが、その中で、ホームズは薬物依存症から克服を目指している。
ホームズは、捜査顧問探偵として活躍をしながらも、薬物依存症は一生ついてまわるものと自覚をし、薬物に手を出さないために、ミーティングと称する、依存症の人たちが自己の体験を語り合う場を非常に大事にしている。
日本では、ある歌手が覚せい剤所持で逮捕されたというニュースが大きく出た。多くの人は、再犯であることを取り上げ、非難している。
薬物依存症からの脱却は非常に難しい(ホームズはドラマ上で、一生依存症と向き合う努力をし続けなければいけないとしている)。
そうであるならば、薬物依存症は非常に克服が難しいのであり、個人を非難するよりも、再犯を行わないような仕組みづくりをすべきと思う(例えば前述のミーティングを多く設置する等)。
高齢者向け新免許制度