高橋みほ オフィシャルブログ「みほの突撃日記」Powered by Ameba -5ページ目

カルロス・ゴーンと弁護人立会権

昨日に続き、私が好きなアメリカドラマを視て感じること

 

推理ドラマを視ていると、当然、被疑者が警察から取調べを受ける場面が出てくる。
すると、「もう、これ以上は、弁護士が同席しなければ何も話さん。弁護士を呼べ」という流れになる。

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アメリカでは、弁護人を依頼し、取り調べの際に同席を要求するのは至極当然のことなのだろう。

 

 最近、カルロス・ゴーンの話しがあまりマスコミに出なくなった。映画を撮影するという話しもある。

 

  私は、ゴーンが国外逃亡を図ったのを当然許すわけもなく、これから日本政府がどうするのか非常に興味があるが、一点、これを契機に日本の司法制度を改革するべきではないかと思っている。

 

 それは、弁護人の取り調べの立会いを認めることである(弁護人立会権)。
 

数年前、取調べを可視化するという法案が通ったが、そのときから、私は、可視化も大事であるが、弁護人の取り調べの立会いや制限のない接見交通権を認めるというべきであると主張してきた。

 

 法律の知識がない容疑者が一人で巨大な警察組織と対等に渡り合うには、弁護人の助けが必要であるのは論を待たない。

 

 日本の推理ドラマも、「もう、これ以上は、弁護士が同席しなければ何も話さん。弁護士を呼べ」という流れにしなければいけないだろう。

 

薬物依存症とエレメンタリー

  私はアメリカテレビドラマが好きでよく視るのだが、その中でも「エレメンタリー」という番組が好きである。

 

ホームズとワトソンを現代のアメリカに持ってきて、捜査顧問探偵として活躍するというものであるが、その中で、ホームズは薬物依存症から克服を目指している。

 

 ホームズは、捜査顧問探偵として活躍をしながらも、薬物依存症は一生ついてまわるものと自覚をし、薬物に手を出さないために、ミーティングと称する、依存症の人たちが自己の体験を語り合う場を非常に大事にしている。

 

日本では、ある歌手が覚せい剤所持で逮捕されたというニュースが大きく出た。多くの人は、再犯であることを取り上げ、非難している。

 

薬物依存症からの脱却は非常に難しい(ホームズはドラマ上で、一生依存症と向き合う努力をし続けなければいけないとしている)。

 

そうであるならば、薬物依存症は非常に克服が難しいのであり、個人を非難するよりも、再犯を行わないような仕組みづくりをすべきと思う(例えば前述のミーティングを多く設置する等)。

 

 

 

 

高齢者向け新免許制度

毎日、毎日、支援者さんを訪問させて頂いております。そこで、「なる程~」と思うことが非常に多いので、その「なる程~」を皆さんと共有したいと思います。題して「庶民派高橋みほが思う、「なる程~」」
 
今日の「庶民派高橋みほが思う、「なる程~」①」は、ある自動車整備工場の経営者の方のお話。
近年高齢者の自動車事故が増えていることから、政府が高齢者向け新免許制度を創設し、安全運転の支援システムを搭載した自動車に限定して運転を認める方向であるという報道を受け、もし、それが導入されたら、高齢者の自分は、自動車整備の仕事を廃業せざるを得ない。高齢になっても働け働けと政府はいうが、それと真逆である。自動車は単に交通の手段だけではないとのお話し。
 
確かに、近年の論調は、バスなど代替手段がないから高齢者が自動車免許を返上しにくいので、そこをどうすべきかとの話しに終始し、仕事で車を使っている高齢者の方々への視点が抜けている。
 
免許の返上等の問題は、もっともっと緻密に議論をしていかなければいけないと感じた。
 
今日「庶民派高橋みほが思う、「なる程~」①」でした。

 

静岡市長選の20代有権者の投票率

静岡市長選の年代別投票率が20代25.1%という記事が静岡新聞に掲載されていた。
 
全体の投票率は48.76%なので、約半分というところだ。
 
逆に70代は67.1%。そもそも若者は絶対数自体も少ないのに、これでは20代の意識が反映されないと思うと歯噛みをしたくなる。
 
最近若者に接して思うのは、案外、街づくりなどに興味を持つ人が多いということだ。政治に関心がある若者とそうでない若者に二分化されているのか、それとも街づくりと政治は意識の上で分断されているかだろう。
 
小・中・高の時代、学校では政治について学んだ覚えがほとんどない(高校時代、政経の授業はあったが、現実の政治という感じではなかった)。
 
政治は特に、ディベートすると面白い。義務教育や高校で、もっともっと政治のディベートの時間を作るべきではないか。
そして何よりも「政治が面白い」というイメージを持ってもらうことが重要ではないか。
 
海外の選挙のニュースを見ると、非常に熱狂的な選挙運動の様子が映し出されることがある。
 
踊り狂ったり、叫んだりと、今の日本の文化からみると「そこまでは無理だあ」と思うが、主義主張をはっきりさせることが「面白い」に通じ、選挙に行く人が増えるのかもしれないと思ったりもする。

 

最低賃金の引き上げと地域別の最低賃金制度の撤廃

最低賃金の引き上げと地域別の最低賃金制度の撤廃
 
「田舎は物価が安いから最低賃金は低くてもOKだが、都会は物価が高いから最低賃金は田舎よりも高くする必要がある。」
 
この理屈は今や通じないことは国民の皆さんは肌で感じているのではないか。都会は確かに土地・家賃は高いが、電車賃・日常食品などは案外安かったりする。それに、そもそも同じ仕事をして地域によって賃金が違うというのもおかしな話である。欧州では最低賃金は国ごとだと聞く。
 
地域別最低賃金制度を撤廃し、かつ最低賃金でも暮らしていける水準に最低賃金を上げる必要性があるのではないか。
 
現在静岡県のは最低賃金858円である。1日8時間、週5日働き、4週と考えると、概算で月137,280円である。これから税金等を引くと生活ができるわけはない。もちろん、皆がみな最低賃金で働いているわけではないが、最低賃金が他の賃金の一つの指針になることは間違いない。
 
最低賃金の理想的な水準は一人当たりGDPの50%と言われている。まずは一律1000円にすることからはじめるべきではないか。
 
 

 

少子化問題・・晩産化の観点から

「少子化問題・・晩産化の観点から」
 
 「数は力」である。人口が増えていけば、それだけで国力も増強される。
 
 しかし、残念ながらこれまでの少子化の影響で、未来の母親となる女性の数が減ってしまっているので、多少合計特殊出生率が改善しても、出生数は減ってしまうのが現実である。
 
 子供の数は減り、当然人口は減っていくということを直視していかなければならない。
 
 ただ、「子供を持ちたい」という人が心配なく持つことができる世の中にしていくのが大事であると思っている。
 
 そこで、まず高度の不妊治療費(体外受精等)を医療保険の適用とする制度に変えていくべきではないか。現在は、助成金等が出ているが、制限があり、申請等が非常にわずらわしい。通常の医療を受けると同じ負担率で不妊治療を可能にすべきではないか。
 
 次に、これは、個人の生き方の直結することではあるが、年を取ると、妊娠はしにくくなるということをもっと周知するべきではないだろうか。
 
 高等教育を受ける人が増え、仕事を覚えたばかりの年代で子どもを産む選択がどの位現実的かは分からないが(第1子出生時の母の平均年齢30.7歳(2015年))、子どもが生まれやすい時期に、子どもを産んでも自己実現が図れるような社会をいかに作れるかがこれからの大きな課題だと思う。
 

憲法記念日によせて

私は、大学生の頃、芦部信喜先生、佐藤幸司先生の本で学び、そして浦部法穂先生の教えを拝聴したことから、憲法についてはかなり勉強し、思索を深めたと思う。

 

日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義が3つの柱だと言われている。

 

そして、他の条文も勉強をして感じたのは、完璧ではないものの、素晴らしい憲法であるということだ。

 

ただ、もちろん、時代の要請を受けての、変更を全く認めない立場ではない。

 

私は、「何のために憲法改正が必要か」という点が一番大事だと考える。

 

そうなると、世界で他に類がない程急激な少子高齢化社会であり、日本の大転換が図られなければいけない今に、憲法改正をしなければいけない理由があるだろうか。

 

憲法改正をしたら、少子高齢化社会の処方薬になるなら、大賛成である。

 

憲法改正よりももっともっと今やらなければならないものが沢山ある。

 

 

 

令和の時代 思いやり時代

令和はどんな時代になるであろうか。
 
天皇陛下は国民の象徴である。皇后陛下は、2004年に、適応障害であることが公表された。昭和の時代、優秀な官僚として働いていた皇后陛下が、環境が変わったことで体調を崩された。
 
私は、令和の時代を考えるとき、いくら優秀な人間でも、心の状態を崩してしまう可能性を認め、それでもその状況を受け入れ、他人事ではなく、その人達とも寄り添える、そんな心が優しい人が多い、時代であって欲しいと思う。そして、それを実現するのが政治である。
 
思いやり時代でありたい。

 

顔の見えない有権者の負託にどう応えるか

統一地方選が終わって、フェイスブックは当選のご報告で一色です。私も初めて当選させて頂いたときの嬉しさ、晴れがましさ、そして国民の皆様からの期待に違わぬように頑張らなければと、身が引き締まる思いであったことを思い出します。
 
その後、2年間衆議院議員として活動させて頂いたのですが、その間、残念ながら「あなたに入れましたよ」という人にあまりお会いすることがありませんでした。
 
それは、私に票を入れてくれた人は、町内会活動や神社活動や業界の活動などをされている人たちではなく、政治に興味はあるが、普段はサイレントの人たちだったからではないかと今は思っています。
 
今回当選された方、そして残念ながら涙をのんだ方、是非、周りで一生懸命応援して下さった方たちだけでなく、どこかで票を入れてくださった方たちの負託にも応えるよう、是非頑張って下さい。その人たちが、「○○に入れたから、地域がよくなった」、「○○に入れてよかった」と思えるような活動をお願いします。
 

 

無投票当選

 今日告示された41の道府県選挙のうち、全体の39%にあたる371の選挙区が無投票当選となったそうだ(NHKの調査による)。政令指定都市である浜松市では、7つの選挙区のうち、4つも無投票となった。

 

 非常に小さな町村の選挙ではない。道府県や政令指定都市の選挙である。これほど無投票となると、それは選挙民が政治に興味がないという点を越えて、日本の政治自体の弱体化なのだろう。
 
 議員は、非常にやりがいのある、非常にクリエイティブで、仕事をすればするほど、喜びを感じることができる仕事である。

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 しかし、残念ながら日本では政治と宗教の話しはするなと言われ、議員は素晴らしい仕事だと言われることが少ない。

 もっともっと、やりがいのある、素晴らしい仕事なんだと声を大にしていいたい。