平安時代中期の「枕草子」(清少納言)、鎌倉時代後期の「徒然草」(吉田兼好)と共に日本三大随筆にあげられているのが「方丈記」。方丈記は、鎌倉時代初めに鴨長明が今の伏見区日野の山中の庵(いおり)にこもり執筆し、今から800年程前の1212年(延暦2年)に完成したとされる。
この方丈庵は下鴨神社の摂社・河合神社に復元されているが、かねてから気にかけていた方丈庵の跡を求め日野の山中に入った。
□ 方丈庵跡へのコース
当日午前中の明智光秀の胴塚と小栗栖の明智薮のウォークを終え、地下鉄東西線の石田駅前のファミレスでランチ。その後、府道172号を南東方向に歩き、日野自治会公会堂前の交差路を日野の山並みに向かって直進する。
この地の氏神・萱尾(かやお)神社を右手に見ながら進むと、やがて左手に京都市の日野野外活動施設が見えてくる。この施設沿いの道路の奥から、方丈庵跡につながる急な山道に入る。
地下鉄・石田駅から方丈庵跡までの歩行距離は約2㎞、時間にして約1時間20分ほど。山道に入るまでの途中には、方丈石までの1000mと500mまでの道標があり道に迷うことはないが〔↓の写真①②参照〕が、入山後は人の気配がほとんどないのでクループでの探訪が望まれる。
□ 方丈庵跡のシンボル・方丈石 所在地:伏見区日野南山
方丈庵跡は、頂上が伏見区と宇治市の市境にある日野岳(標高373m)西斜面の中腹(標高約150)にある。この場所を目指し野外活動施設沿い道路の奥から山道に入る〔↓の写真③参照〕。
入山後3分程の所に約250m先の道標がある〔↓の写真④参照〕。ここから急な山道を20分ほど登ると、枯れた谷川の近くに露出した大きな岩にたどり着く。この巨岩が方丈石と呼ばれ、鴨長明が居を構えた方丈庵跡を特定するシンボルとして今に伝えられている。
□ 江戸時代からの観光スポット・方丈庵跡
長明が建てた庵は、その広さが一丈(約3m)四方から「方丈」の名が付けられ、移動に便利な組み立て式建屋が特長。確かに大岩の上面にはそのスペースがあり、この岩を土台にしたとする説にもうなずける。
方丈石の傍には二つの石碑がある。注目すべきは「長明方丈石」と刻まれている右側の石碑。この石碑は江戸時代中期の明和9年(1772)の建立で、当時の文化人を中心に多くの人が訪れ観光地となっていたことが偲ばれる。左の石碑「方丈の庵跡」は現代での建立。
▽ 関連ブログ:「方丈記」の鴨長明とゆかりの下鴨神社
https://ameblo.jp/taka-hannari/day-20121201.html