富山の五箇山と白川郷の合掌造りの

構造の家屋についてなぜ世界遺産登録するほどの構造の家屋が誕生したのかというと


日本戦国時代の武器生産火薬生産に関係していたそうです


合掌造りの特徴は大家族制大きな家に大家族が住むことですそしてそこから大量の糞尿出すことで


火薬製造をしていたのです


ポルトガル鉄砲伝来ではなくすでに日本国内には早くから鉄砲は伝わっていたそうですが


鉄砲に必要な火薬作る技術が未だ必要なだけだったのです


それは中国が発明したものですから国家秘密だった


日本は教えてもらえなかったヨーロッパは教えてもらえなかった


だから日本には鉄砲は普及しなかったそうです


火薬は黒色火薬のみでした日本には硝酸カリウムが採れないのです


堺大阪は貿易港で硝石輸入可能だったのがそれが強みで大きくなれたのですよね


その後国産硝石が出来ますそれには

トイレが必要でした


ヨーロッパも海外から輸入出来るようになるまでトイレを利用していたそうです 


白川郷は幕府直属の天領でした五箇山は加賀藩に含まれる加賀藩は幕府にも火薬を献上するが加賀百万石は

この火薬製造だったのですよね


そんな硝石製造も明治になってチリから大量のチリ硝石が輸入されると国産硝石の製造は消滅してしまった

ということです


家の隣一軒近所が田舎は凄い離れてるから街から来た人はほんまびっくりしやはると思います


お隣さんてどこよみたいな川を森を挟んでそのまた向こうの


えっ隣の集落


隣の集落じゃねえっみたいなです


かと思えば


あっここね違ぁうそこは隣の集落だ

みたいな


碁盤の目なんか田舎はないからよりややこしいよ


生えている木々や岩や御堂が隣一軒

集落だったりもする


御堂が見る人に寄っては迷い家に見えるのかもしれない


田舎の家なんて街とは違って変な家多いですからね


美観地区やから自分の家が隣に車止めるなとか一週回らされて帰らされたとか美山の茅葺きが言うとった





ご先祖様ぁばりばり齧っています


わたしこのお煎餅大好きなんですね

なんで秋田から岩手移封されたんか

しらんけどかなりショックだったらしいですね


秋田のほうが岩手よりも良かったらしいです


一説には秋田から岩手移封させられたことで守られたのかもしれないと

昔はよう分からん


長男とか次男とかの立場もあるしね

長男いうたて母親違うとかね


遠野物語はNSPも好きだけれどあんべ光俊の飛行船も好きです 


もしかしたら岩手移封されたほうが長男だったのかもしれないとかまあ昔はようある話です


どれだけ子々孫々後に残せるのか

みんなよう頑張った