京都の春夏秋冬とプラスα

京都の春夏秋冬とプラスα

京都・奈良・滋賀の春夏秋冬とプラスαをウォーキングで探訪する

京都市では夜間の魅力的な新たな景観づくりの策定に向け、その社会的実験の第1弾として三条大橋ライトアップが13日から3日間の期間で行われている。

この試験的なライトアップは午後7時~9時に、橋の南側の手すりや支柱、橋脚に向けて電球色の光の照明で照らされる。最近の一般の街路照明はLEDなどの白い光が多く、照明に温かみが欠けるて点が課題とされている。

今年は13日が中秋の名月で、三条大橋から見上げる東山の夜空の雲間から名月が顔を出していた。

関連ブログ:三条大橋・木製欄干の腐食が進み改修へ
       https://ameblo.jp/taka-hannari/entry-12422454835.html

 

亀岡市の郊外に本尊に不動明王を祀る谷性寺(こくしょうじ)がある。明智光秀はこの不動明王に深く帰依し、たびたび戦勝祈願を行い加護や功徳を得た。光秀が生前にこの寺を信仰していた関係で境内には光秀公の首塚が建てられている。また明智家の家紋は桔梗で、光秀の供養のため境内にはいつからかききょうの花が植えられ始めた。現在では周辺の畑まで広がり、数種類のききょうの花が咲き誇ききょうの里として親しまれている。

□ 明智光秀と谷性寺とのつながり   所在地:亀岡市宮前町猪倉
谷性寺は平安時代の創建で真言宗の古刹。大覚寺派に属し本尊は不動明王で、明智光秀はこの本尊を深く帰依した。本能寺に織田信長の襲撃に際しては戦勝祈願し、その功徳を得て本懐を遂げた。

秀吉との山崎の戦いに敗れ、坂本城に向かう途中の山科・小栗栖で民衆に襲われて死亡。その介錯をした部下の手でこの寺に首が運ばれ、懇ろに葬られたと伝わる首塚がある。


□ 各種のききょうが咲き揃う花の里
谷性寺門前の約7,000 ㎡の畑に約5万本の各種ききょうの花が咲き揃う観光スポット。今年(令和元年)は6月29日(土)~7月21日(日)の期間ききょうの里がオープンした。ちなみに、筆者は7月10日に訪れた。

ききょうの花の色はしか知らなかったが、ピンク色の存在に加え八重のききょうも初めて見た。

ちなみに花言葉は、紫:気品、白:清楚、ピンク:思いは叶う。

□ 所在地とアクセス

 

世界文化遺産登録を間近にした仁徳天皇陵古墳をこの4月に探訪した。今から1600年ほど前の古墳時代に造営された墳墓は、現在では高い木々が生い茂り築造当時の外観を目にすることはできない。近つ飛鳥博物館には、葺石(ふきいし)の斜面と垣根のように並べられた埴輪で構成される築造当時の墳丘が復原されている。
▽ 関連ブログ:世界文化遺産登録を待つ「仁徳天皇陵古墳」を三方向から探訪
 https://ameblo.jp/taka-hannari/entry-12455248803.html

□ 大阪府立・近つ飛鳥博物館  所在地:大阪府南河内郡河南町大字東山299 
近つ飛鳥」は712年に著された古事記に由来する地名。難波(なにわ:大阪の古称)から見て奈良にある本来の飛鳥を「遠つ飛鳥」、それよりも近いこの地域を「近つ飛鳥」として便宜上呼ばれている。

史跡「近つ飛鳥風土記の丘」公園内の一角に位置し、お互いに散策路で往来できる。この建物は、安藤忠雄建築設計事務所の設計で平成3年(1991)に竣工し、構造は鉄骨鉄筋コンクリート造で地上2階・地下1階。

建物の屋上は階段状の広場になっており、コンサートや演劇等の多様な使い方ができる。建物を上空から見ると前方後円墳のかたちをしているところから平成の古墳とも呼ばれることもある。安藤忠雄氏の代表作のひとつで、日本芸術大賞朝日賞・建築業協会賞・第6回公共建築賞を受賞している。

□ 仁徳天皇陵の復原模型
近つ飛鳥博物館は、5世紀頃の古墳文化の公開・展示・研究のセンターとなることを目的としている。この一環として古墳文化のシンボルとしての仁徳天皇陵古墳の復原模型が展示されている。

仁徳天皇陵の墳丘は全長486mでその復原模型縮尺150分の1。築造当時の天皇陵古墳及びその周辺の中小古墳や古墳造りに携わるムラなどが再現されている。

 

 

滋賀県東南部に位置し、忍者や信楽(しがらき)焼き等で馴染みの甲賀の里がある。この地で平安時代から守り、守られてきた三大仏像があり、これの寺を巡る拝観が平成25年11月から始められている。これら三大仏像とは、大地寺(だいちじ)の釈迦如来、櫟野寺(らくやじ)の薬師如来十楽寺(じゅうらくじ)の阿弥陀如来で、いずれも如来の坐像でその像高は日本最大級

その中で、櫟野寺薬師如来の拝観は昨年秋の大開帳期間中に済ませており、残りの二カ所の大地寺十楽寺を先日に拝観した。

*画像は三大仏巡りのパンフレットより引用。
三大仏像の所在地とアクセス
悟りを開いた者という意味の如来は仏の世界では最高位にあたり、人々を教え導き救済する仏さまのリーダー。過去を司る釈迦如来を祀る大地寺、現在を司る薬師如来を祀る櫟野寺、未来を司る阿弥陀如来を祀る十楽寺は、それぞれ離れた場所にあり三カ所を一日で回ることは難しい。このため今回の大地寺と十楽寺の拝観にはマイカーを使った。

□ 蓬莱庭園の大地寺  所在地:甲賀市水口町名坂1168
奈良・天平時代に高僧・行基が開いたと伝わる臨済宗の古刹。本尊は行基が一刀三礼〔仏像を彫るとき、ひと彫りごとに三度礼拝すること〕で刻んだとされる丈六の釈迦如来坐像。仏像の高さの基準の一つに、釈迦の身長一丈6尺(約4.85m)がある。坐像はその大きさが半分になるので「丈六像」と呼ばれている。

書院前の蓬莱庭園は、江戸時代に水口城を築いた小堀遠州が作庭したと伝わる枯山水式庭園。2段のサツキの大刈込で大波小波と宝船を表現。

□ 摩耶夫人の十楽寺  所在地:甲賀市土山町山中351
創建時は天台宗であったが信長の兵火に会い焼失。江戸時代初めの寛文年間(1661~)に浄土宗に改め、知恩院直轄の末寺になり現在に至る。本尊は日本最大級の丈六阿弥陀如来坐像。

お釈迦様が誕生された姿の「摩耶夫人立像」は室町時代の作とされ、法隆寺とこの寺の国内に2カ所しかない珍しい仏像。

 

 

400余年の歴史と伝統を伝える南座。昨年11月に、2年9か月に及ぶ耐震補強改修工事を経て新たに開場している。歴史ある外観はそのままに、内装設備が全面更新。年間を通して幅広い文化を国内外へ発信する劇場へと新たに生まれ変わった。

この新開場記念の一環として「京都ミライマツリ2019」が開催(2019.5.12~5.25)、その昼マツリを楽しんだ。

このイベントの特長は、一階の客席椅子や花道が全て撤去され、そこに屋台やフードコーナーが設けられている会場のレイアウト。ここに南座の新たなイベント展開の意気込みを感じとった。

舞台のスクリーンに演出された歌舞伎の技法「納涼滝」のプロジェクションマッピングを眺めながら、ドリンクや老舗・人気店の屋台飯に舌鼓を打った。


▼通常の1階客席の様子

▽関連ブログ:400余年の歴史を伝える南座の舞台に初めて立つ
       https://ameblo.jp/taka-hannari/entry-12060969320.html

 

来年(2020)の大河ドラマは、戦国時代の智将・明智光秀を主役とする「麒麟がくる」。麒麟(きりん)は、王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣と言われる。
このドラマでは明智光秀麒麟になぞらえ、彼の前半生に焦点を当て、その生涯を中心に戦国の英傑たちの運命の行く末が描かれる。その光秀にゆかりの亀岡市で、5月3日に恒例の「亀岡光秀まつり(明智光秀公武者行列)」が開かれ、見物した。

□ 亀岡市と明智光秀
亀岡市は京都市の西に隣接し、京都市・宇治市に次ぐ京都府第3の都市で人口は約8万8千人。京都駅からJRで20分ほどの位置にあり、京都市のベッドタウンとしての性格を強めている。更に、サッカーやラクビーの専用球技場・京都スタジアム(仮称)が2020年春のオープンを目指して建設が進められている。こうした今の亀岡市の礎を築いたのが明智光秀

□ 城跡として残る丹波亀山城
光秀は16世紀(戦国時代末期)に織田信長に仕え丹波亀山城を築き、ここを拠点に丹波を平定する。本能寺の変に伴う光秀の死後も亀山城は歴代城主により整備・拡充が進められるが、明治時代の廃城令に伴い明治10年に天守等が解体され、今は城跡や堀跡に往時の姿を残している。三重県にある同じ地名との混同を避けるため、明治2年(1869)に当初の亀山の地は亀岡に改名された。

□ 第47回・亀岡光秀まつり/明智光秀公武者行列
光秀の遺徳を偲び、亀岡市民あげて顕彰する市内最大規模の春まつりで、毎年5月3日に開催され今年で47回目を迎えた。

この祭りの呼び物は明智光秀を中心とする武者行列で、総勢約500人の規模で繰り広げられた。

行列は13時10分頃に市役所前を出発し旧城下町界わいを行進し約1時間後に丹波亀山城跡に到着し休憩。午後15時頃に城跡を出発し15時30分頃に南郷公園に到着し行進を終える。

行列の主役は明智光秀も含め馬に乗る次の5人の武者
明智秀満:光秀の重臣 ・斎藤利三:秀満と並ぶ重臣・明智治右衛門:叔父の明智光久の子で重臣の一人。・溝尾庄兵衛:光秀の流浪時代からの家臣。

更に、光秀の正室・煕子(ひろこ)と三女の細川玉子も輿(こし)に乗り行列に彩りを添える。ちなみに、玉子は信長の勧めで細川忠興の正室になり、後にカトリックに入信しガラシャの洗礼名を受ける。

この夏、アゼルバイジャン共和国で開催される第43回世界遺産委員会で、堺市にある「百舌鳥(もず)古市古墳群」の世界文化遺産登録の可否が正式に決まる。

この登録に先立ち、百舌鳥古墳群にある「仁徳天皇陵古墳」を探訪した。世界最大級の大きさを少しでも実感すべく、市役所の地上80mのロビーからの展望、古墳の周囲の一周2850mのウォーク、VR(バーチャルリアリティー)技術での上空300mからの眺望も含め3方向からチェックし、その全貌を実感した。

□ 日本最大の広さを持つ前方後円墳
仁徳天皇陵古墳は、円と四角を連結させ、上からみると鍵穴のように見える形をした前方後円墳という日本独自の形で日本最大の面積を有する。前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部の直径は約249mで高さは約34.8m、前方部の幅は約307mで高さは約33.9mの規模で3段に築かれている。左右のくびれ部には祭祀を行う造出(つくりだ)があり、三重の濠が巡らされている。

□ 仁徳天皇陵を囲む周遊路
甲子園球場12個分が入る広さを持つこの陵墓は、宮内庁の管理のため中に入ることはできない。先ず、その広さを歩いて体感するには周囲に整備された周遊路を巡る。前方部の中央にある拝所を起点に、周遊路の距離は一周で2,850m、ゆっくり歩いた場合の所要時間は約50分。築造当時は石段と埴輪で覆われた墳墓も、今は木々が生い茂る森が続く。なお、この周遊路は堺シティマラソンのコースの一部に使用される。

□ 市役所21階のロビーからの眺望
規模からして仁徳天皇陵の全貌をヒトの目線から肉眼で見るのは難しい。周辺にある永山古墳南側の陸橋の上やJR百舌鳥駅南側の陸橋の上からでは満足できず、市役所高層館21階の展望ロビーからの眺望を選んだ。このロビーは高さが80mで、古墳から北西1㎞ほどの場所にあり、無料解放されている。陸橋より眺望はマシであるがこれにも限界がある。

上空300mからのVR映像
仁徳天皇陵の近くにある堺市博物館内で、VR(バーチャルリアリティー)技術による専用のディスプレーを装置し、上空300mからの仁徳天皇陵の全体を見た。約1600年前の築造当時の木々のない姿や立ち入ることができない古墳内部のCG映像も再現され、臨場感あふれる映像を体験できた。

▽築造当時(古墳時代)の仁徳天皇陵古墳周辺のイメージ図

昨年5月に、びわこバレイに登りテラスからびわ湖の眺望を楽しんだ。春霞におおわれた眼下の景色の中に、目に入ったびわこ大橋。その時からびわ湖大橋を歩いて渡ろうとの関心を持ち、霞が立つ前の時期を選んで3月18日に実施した。当日は晴天に好天に恵まれ、大橋上からのパノラマは、びわ湖の雄大な景観を改めて認識した。
▽ 関連ブログ:初夏のびわ湖テラスからの絶景
       https://ameblo.jp/taka-hannari/entry-12382173432.html

*撮影:2018/5/14

□ ウォーキングコース
選定のポイントは、東西に架かる大橋をどちらから渡るか? 残雪を頂く比良山系の眺めを前方に見ながらの歩行を期待し、(守山側)から西(堅田)に向けて歩くことを選択。

このためJR堅田駅から江若バスに乗り換え、びわ湖の東岸に移動。佐川美術館前でバスを降り、近くのさざなみ街道からウォーキングをスタート。びわ湖の東岸に沿って北に向かって1時間ほど歩き、第一なぎさ公園に立ち寄る。昼食をピエリ守山(ショッピングモール)で済ませ、びわこ大橋に入った。

□ びわ湖大橋の建設目的と長さ
湖東と湖西を短時間で結ぶことを目的に、琵琶湖の東西幅が最も狭い大津市今堅田守山市今浜の間に架けられた有料道路。昭和39年(1964)9月28日に開通し50年以上を経過している。橋は片側2車線で、長さは上り守山方面は1,400m、下り大津方面は1,350m

歩行者・自転車道の追加設置
昭和55年(1980)3月に、上り・下り車線それぞれに車道と分離して設けられおり、その幅は約2mほど。また、途中には休憩できるようなスペースが設けられている。

□ 大橋上からの眺め
ビューポイントは比良山系の眺め。びわ湖西岸の山並みで最高峰は武奈(ぶな)ヶ岳で標高は1,214m。澄み切った青空のもと僅かな残雪が春の陽射しに輝いていた。

□ 大橋の歩行時間は約25分
湖面から最も高い所は約26.3mで、これを中心としたなだらかな曲線は、湖上を行き交う船の航行に支障がないように設計されたもの。西詰に近くなるにつれて下り坂になっており、約25分ほどで橋を渡り終えた。当日は更に湖族の郷と呼ばれる堅田の街中を散策した。

 

 

 

今の時期の花だよりは梅の花の開花状況。この中で梅林と肩を並べ、開花状況が示されるのが長浜盆梅展。盆梅とは鉢植えの梅、つまり梅の盆栽のことで、関西では馴染みの展示会。

かねてから一度はと思っていたので、今年は仲間を募って鑑賞に出かけた。

さすがに68回の歴史を重ねている盆梅展、推定樹齢100年を超える古木が、みずみずしい花を咲かせる生命力に接し感動した。

 盆梅展の歴史と規模
長浜盆梅展は1952年(昭和27)から始まり、今回で68回目。主催者が管理する約300鉢から、咲き具合に合わせて常時約90鉢の盆梅が展示されている。盆梅の大きさと古さや開催の歴史、寄贈数から「日本一の盆栽展」と主催者はアピールしている。

 樹齢400年の古木「不老
初開催の前年に、地元の栽培愛好家が手掛けていた約50鉢を長浜市に寄付したのがきっかけで開催された。中には、高さ3mに近い巨木や樹齢400年と伝わる古木もある。訪問時に目にした樹齢400年とされる古木の「不老」の生命力と花をさかせる勢いには感動した。

□ 盆梅の栽培・育成管理
盆梅は基本的には一年中は鉢で管理されるが、鉢の土が固くなるのを防ぐため約3年に一度は鉢から鉢への植え替えが行われる。樹勢が弱った木は地植え移され回復させられることもあるとか。

このような管理に加え、季節の変わり目や気温の変化を見ながら水やりが行われる。こうしていつまでもみずみずしい花をつける。

□ 会場の慶雲館
130年以上前に建てられた歴史的建造物。明治20年、明治天皇の京都行幸の帰りに長浜での休憩所として建てられた。当時の総理大臣・伊藤博文が慶雲館と名付けたと伝わる。

明治45年には京都の七代目小川治兵衛の手で庭園の整備も行われた。現在は国指定の名勝。

 

 

あけましておめでとうございます。

 

正月飾り言えば、住宅や商店でのしめ飾り、事務所や工場のエントランスには門松が定番。以前はグリル部分にしめ飾りをつけて走るマイカーを目にしたが、今ではその姿はすっかり消えてしまった。初詣客で賑わう神社では、その年の干支(えと)を現したジャンボ絵馬に出会う場合も増えている。

これらの絵馬の中から代表として、今年は護王(ごおう)神社の絵馬が相応しい。護王神社は京都御所の西にあり、明治の初めに御所の守護神として高雄の神護寺から現在地に移転した。

境内には霊猪(れいちょ)があり、いのしし神社とも呼ばれている。

しめ飾り・門松・絵馬に加え、今年は珍しい正月飾りとして、近くの公園でイノシシの親子のオブジェを目にした。よく観察すると素材はマツの木。

昨年9月の台風で公園や山林の木々が多く倒れ、その倒木の処理が自治体の課題とか。僅かな量と言え、倒木の再利用のアイデアの一つとして拍手したい。

 

▽ 関連過去ブログ
 ①今年も五社の「戌年」の大型絵馬を見て回った!
  https://ameblo.jp/taka-hannari/entry-12345427069.html
 ②観光スポットに見る京の正月飾り
  https://ameblo.jp/taka-hannari/entry-11444029255.html