はじめに

前回までの投稿にもあるように、これまで書いてきたブログの記事を本のようにまとめています(まるで自費出版でもするかのように笑)。

 

自分で言うのもおこがましいですが(本当に!笑)、英語学習・教育とidentityについて書いた本の中では、結構充実した内容になっていると思います(まず日本語になっているものが少ない)。

 

今回書き足した部分のみを読まれたい方は以下を読んでいただき、これまでの流れを踏まえて読んでくださる方は以下のリンクからお読みください(THE 書き途中という感じで恐れ入りますが・・・)。

 

 

  コラム:折り紙職人identity

ここまでidentityの複雑さ・多様性について述べてきましたが、理解していても実践の場で正しくその知識を使うのは難しいものです。ということで、先日僕自身が経験したことを少しお話しします。

我が校では、毎年国際交流イベントが行われています。私学ということもあり、毎年何名か留学生を受け入れているのですが、今年は20人程度来校しているようです。その生徒たち (年齢、出身はバラバラに見えました)が我々の英語の授業に来てくれて、特別活動をするという機会が設けられました。たったの1時間でしたが、生徒たちはとても楽しそうに過ごしていました。

我々教員は教室から広い場所へ連れていき、生徒をグループ分けして、留学生が用意してくれた遊びを一緒にやるのをみていただけでした。折り紙、ジェスチャーゲーム、1枚カードを引いてそのカードに書かれたお題をヒントを出し合いながら当てるゲームなどをやっていました。そうです、ただの遊びの時間ですね。笑 ですが、生徒はとても活発に英語・日本語の入り混じった会話をしながら楽しい時間を過ごしているようでした(この意義については後ほど詳述します)。

 

この国際交流の時間の中で、identityの観点から勉強になった内容を一つ紹介します。それは、とある生徒が「折り紙職人identity」を発揮していたことです。

その生徒は、普段の英語の授業ではあまり積極的なタイプではなく、むしろ英語に苦手意識があるように見える生徒でした。ですが、この国際交流の時間では、「折り紙職人identity」を発揮することで、見事に活動に参加していたのです。

普通に考えたら、英語が苦手な生徒は国際交流など避けたいことだと思います。しかし、自分の得意分野を活かすことで、彼は英語の活動に参加ができたのです。このことは、2つの重要な意味をもっていると僕は思います。

一つには、英語が苦手だからといって、英語の活動全てが苦手で消極的になってしまうわけではないということ。つまり、指導者側が与えるアクティビティやタスクに多くの引き出しがあれば、英語が苦手な学習者も参加できる活動があるかもしれないということです。指導者としては、ついつい学習者に努力を求めてしまいがちですが、その前にこちら側のスキル・与えられるタスクや活動のバリエーションについて反省しなければいけないと改めて思わされました。

そしてもう一つは、やはりidentityは「本当の自分」といった固定したものではなく、特定の時空間に生じるものであるということです。教室でのその生徒は、いわば「英語が苦手な生徒identity」を示しているし、少なくとも僕や他の生徒からはそう見られていると思いますが、「折り紙職人identity」であることは知られていませんでした(少なくとも僕からは)。identityは固定化されたものではなくダイナミックに交渉されるものであるがゆえに、全てを捉えるのは不可能ですが、指導者は学習者の多くの側面を知っていることが大切であると思います。日本の学校であれば、担任に相談して学習者の特徴を知ることもできますし、また前の段落に書いたようにさまざまなタスクや活動を与えていくことが肝要であると思います。

 

このように、英語学習・教育とidentityについて日頃から考え探究している僕でも、その奥深さに驚かされることが多々あります。英語学習・教育というと、単語や文法を学び、それを駆使して文を組み立てたり読んだりすることとついつい思いがちですが、そんな単純なものではないのです。第二言語の学習とはいえ、英語が「ことば」である以上、英語学習・教育は「脳内ですること」と片付けることはできず、社会的な側面にも注意を払わないといけません。また、そういった人間観・学習観にアップデートしていくことで、より現代という時代にあった英語学習・教育ができるようになることでしょう。この本がその思考のアップデートの一助になれることを願っています。