去年の今ごろ、ちょうど
「静寂を求めて」という
ドキュメンタリー映画を観て
感じたことを書きました。
でもまさか、その後1年も経たないうちに
世界が強制的に、「喧騒」から
「静寂」に包まれることになるとは
誰も予想する人はいなかったでしょうね。
さて、映画の中でとても印象に残ったのは
「静寂とはこぶしを開くようなもの」という言葉。
これについてあらためて
感じたことを書きたいと思います。
こんにちは。
対話空間「旅するコーチング」へようこそ!
「がんばっている自分を労えない」
「自分に自信がない」
「他人に合わせてしまう」
「職場の人間関係がしんどい」
そんな悩みをコーチとの対話で解決し
自分の人生を大切に生きていきませんか?
ライフコーチの
小国里恵(おぐにりえ)@京都です。
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静寂とは「こぶしを開くようなもの」
1年経っても、なんかジーンときます。
一方、振り返ると…
こぶしを握り締めて、
喧騒のなか、自分を叱咤激励してきた自分。
あなたはそんなことなかったですか?
わたしは以前はそうでした。
ふと自分のデスクに戻った時、
実際「こぶしを握り締めたままの自分」に
ハタと気づくことが時折ありました。
そのことが決してダメだというワケではないのです。
そうやって手に入れたものもある。
そうですよね。
こぶしを握り締めて
喧騒のなか前を向いて、
陸上の100m走のように
わき目も降らず走り抜けることで
たくさんのことを得てきた。
人脈、信用、報酬、称賛…。
でも、もしあなたがその過程で
何か「見失ってしまったかも」って
感じることがあるなら。
もしかして「静寂」が必要なのかもしれませんよね。
(かつて、わたしはまさにそれが必要でした)
それは「環境としての静寂」に
身を置くことでもあるし
いったん立ち止まり、
「自分の中の静寂」と対話することでもある。
静寂とは「こぶしを開くようなもの」
であるならば。
ギュッと握りしめていたこぶしを
開いた時のあの感覚を
思い出してみてください。
力がホワッと抜けて
手がジーンとして
血がじんわりとゆっくりと通う感じ…
無理に何かを掴みにいかなくっても
こぶしを開けば、
やってくるものもあり、
感じるものもあり、
受け止めることのできる
手のひらが自分にはある。
そこに気づく。
こぶしを握りしめることで
一瞬走ることはできるけれど、
緩めることで…
開くことで…
その方が意外と
「楽に長く」歩くことができる。
コーチとの対話って、そんな自分の中の
「静寂」と向き合う時間でもあるのです。
ほんとニュートラルで。
どこまでも広がっていて。
ときどき、そこに戻りたい
自分を整えるための
「森」のような場所でもあります
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