昨日、初めて泣きました。
泣いた、というより
ホロリと一瞬、涙がこぼれました
(…と、わざと美しく書いてみる…)
「初めて」と書いたのは、
コロナウィルスに関連して、
と言う意味です。
まあ、普段からしょっちゅう
泣いたり笑ったりしているので、
ホロリと涙が出るくらいは
なんてことないのですが、
昨日の涙は少し意外でした。
こんにちは。
対話空間「旅するコーチング」へようこそ!
「がんばっている自分を労えない」
「自分に自信がない」
「他人に合わせてしまう」
「職場の人間関係がしんどい」
そんな悩みをコーチとの対話で解決し
自分の人生を大切に生きていきませんか?
ライフコーチの
小国里恵(おぐにりえ)です。
➡私のプロフィールです
昨日、散歩に行ったんです。
私が勝手に幼少時から「我が庭」と思っている
家近くにあるお寺のお庭。
そこのお池がとても美しくて。
そしたら、なんとお寺は自主的に拝観中止。
(京都の寺社仏閣は休業要請対象には入っていません)
お庭も途中までしか行けなくなっていました。
一応期限付きですが。
いつもなら池を周回できるのですが、
途中でガンと門が閉ざされているのです。
もちろん感染対策のためなので、
致し方ないのですが。
本来なら歩いている遊歩道を
遠くに見ながらふと思ったんです。
「見えているのに向こうに行けない」
すると、急に涙があふれてきました。
それと同時に、なぜか
「福島の人ってこういう感じなんかな…」と
思ったのです。
ほんと、唐突だけど。
原発で未だに故郷に帰れない人々を
急に思ったのです。
想像でしかないけれど。
自分の故郷が見えているのに帰れない。
フェンスの向こうにある家。
家があるのに入れない。
木々は美しく、木の葉はいつもように
風に揺れているのに。
川も流れているのに。
到底、同じだとは言いません。
まったく違います。
私には家もあるし、時間もある。
住み慣れた街で自由に生活している。
いつも行っている場所に行けなくなった、
という、今多くの人が体験していることを
私も単に体験したというだけなんですが、
ただ、
「自分の中に沁みている場所」が
あるのに行けない、ってなんだか
哀しいなぁ淋しいなぁ、と思ったのです。
しみじみと、思ったのです。
こうやって、その人だけが知っている
ささやかな日常が削られていく。
その時にコロナなんて関係なく、
もっと前から制限どころか、
未だに仮設に住んだり、
故郷を失った人ってたくさんおられる。
そのことがとっさに
思い浮かんだっていう話です。
まさか、池を目の前に
涙が溢れるとは思ってもみなかったし、
訪れたこともない、
知り合いもない福島に
一瞬でも想いを馳せるとは思ってもなかった。
命が大事。
命あればこそ。生きてればこそ。
それはそうだ。
と同時に、私たちが生きてる日常って
いろんな景色や記憶で作られていたんだなと。
色や音や感触や。
ただ、生きてきたわけではない。
日々、いろんなものを受け取っていたのだなと。
テレビやネットなど、
自分の外側からやってくるものとは違う。
あまりにささやかだから見逃しそうだけど、
これが体感というか実感というか、
そういうもんだろうか。
そんな感じです。
もう少し微妙な感情があったように
思うのですが、うまく書けません。
でも残しておこうと思います
・・・・・
コーチとの対話でホッコリ・スッキリしませんか
25年、福祉の世界で働いていました
いま、まさに最前線を支える福祉職の方へ
↓↓↓
◇こちらも募集中です
➡コーチング「クライアント」募集のお知らせです~はじめの一歩を踏み出したいあなたへ~
zoom、無料電話で対応しています
はじめの一歩を踏み出したい方
↓↓↓
ブログへのご感想、ご質問等も!
いつもいいね、フォロー
ありがとうございます