遂に動いた。
島津義弘が戦闘態勢に入った。
狙うは徳川家康の首のみ‼️
一直線に本陣に向かって進んできた。
世の中では、島津が撤退した時にとった伝説の戦法の捨奸(すてがまり)。
実は、家康の首を狙った捨て身の戦法だった。
一直線に本陣に向かって進んで来る。
福島正則は、ハッと思い出した。
動くな
これか!咄嗟に部隊に向かって指令を出した。
『彼らは死兵だ!追うな!深追いするべからず!』
これが島津か…
福島軍は、逃げる事なく威厳を保ち見送った。
島津軍は、福島軍には目もくれず突き進んだ。
ここで徳川軍の弱点がさらけ出すこととなる。
福島正則を通り抜けて、井伊直政、本多忠勝の目の前にすごい気迫の部隊が現れて部隊はパニックになった。井伊直政は、島津義久によって致命傷を負わされた。そして、家康はその様子を見て同じくパニック状態に陥っていた。家康だけではなく、徳川軍全体が、武田信玄に背負わされた正面突破の恐怖に取り憑かれているのだろう。
瞬く間に部隊は壊滅状態になり混乱した。
そして、その混乱の中、島左近の決死隊も本陣に斬り込みました。
島左近は影武者部隊で黒田長政の軍勢を混乱させて、100騎ほどの精鋭部隊で突破して本陣にたどり着いていました。
家康に向けて両軍が本陣に雪崩れ込みました。そして、立ち止まる事なく徳川家康本陣を駆け抜けて去って行きました。
天海はその様子を見ていました。
島左近まで来たのか!さすがだ!この作戦を読み解いたか。島左近も死兵部隊で突っ込んで来るとは。
両軍ともに恐ろしく強い。徳川軍はこれから先、正面突破されると体が恐怖で動かなくなるだろう。
そして、家康の亡骸を天海は馬上より見下ろしていました。作戦は成功した。これでしばらくは安泰だろう。信長、秀吉、そして家康の3人はもういない。
そう思っていた時に、本多忠勝が大声で言い放った。
『死んだのは家康公の影武者だ!』
そう叫んでいる本多忠勝の隣には家康がいたのだ。
天海は悟った。
死んだのは、家康に間違いはない。
だか、家康が生きている。
そうか、影武者を家康に仕立てたな。
もう島津軍も島左近もいない。
島左近が抜けた事で石田三成の部隊も壊滅するだろう。西軍の負けだ。
僅か6時間ほどで戦は終わった。
徳川秀忠は関ヶ原の戦いには間に合わなかった。
上田城で真田親子に足止めを食らっていたからである。徳川秀忠を大将に本多正信もその軍勢にいた。
秀忠が遅れていなかったら、東軍はあっさり勝利していただろう。
秀忠が着いたのは、関ヶ原が終わった5日後の事だった。
部隊が戻るなり、本多正信のところに本多忠勝が怖い顔をして現れた。
実は家康公が討ち取られた。
お主が言っていたように、影武者を連れていたが、そっちが生き残り、本物が討ち取られた。
これからどうすべきであろうか?
本多忠勝の機転で、影武者の世良田二郎三郎を家康公として部隊を建て直し、西軍を倒したようだ。
正信は言った。
他言無用。豊臣が滅ぶまでは、世良田二郎三郎に家康公になってもらおう。指揮は私が取る。
秀忠様には、家康公が会わないと言っていると言っておこう。その間に影武者には家康公になってもらう。
こうして、関ヶ原は終わり豊臣の時代も終わった。
天海はこの時、寧々と連絡を取り、約束通り三成の子供たちの救出の手配をしていた。
石田三成は、天海が手を回したが無用とのことで、武人として最後を迎えたようである。











