その後日、密宗和尚から南化玄興は話を聞きます。
この度戦が起こった場合、豊臣政権は壊滅します。家康が豊臣の武将たちを共に戦わせて、豊臣の力をなくすためである。そのため石田三成ら文治派と戦場にいた武闘派の加藤清正、福島正則たちをぶつけて壊滅させるのが目的でしょう。さぞかし寧々様も心を痛めている事でしょう。なぜ、豊臣同士が戦わなくてはならないのか?これは家康の策略です。
福島正則ら武闘派と呼ばれている武将たちは、家康から「この度の戦は、豊臣を私物化している三成から、豊臣政権を取り戻す戰である」と伝えられています。正義は我らにありとお互いに譲らない状態になっています。
なるほどそれは、引こうにも引けない事になっている…。
これから申し上げる事はご内密にしていただきたい。覚悟を決めた顔つきで密宗和尚は続けた。
明智光秀は生きております。
僧となり今も生きています。
彼は言っています。
豊臣の武将が睨み合い戦うのは家康の思う壺。
そして、こうも言いました。
徳川家康の首だけ取れれば、この戦の犠牲は最小限に抑えられる。それには、寧々様の力と妙心寺の力が必要だと。
南化玄興は静かに聞いていた。
では、どのように?
西軍石田三成には策を与え、東軍の豊臣武将たちには待機をしてもらえたら家康の首は取れるそうです。寧々様に話をしてもらえませんか。
南化玄興は三江紹益を呼び寄せた。
そして、先程の話を伝えて寧々に話をするように
言った。
三江紹益は直ちに寧々の元に出向き、そして戻ってきた。
寧々からの要求があった。
自分はあの子たちの母であり、彼らは息子だ。
その息子たちの子供が、この出来事に巻き込まれないように出来るのなら受けると。
数日後、光秀から文が届いた。
内容を読んだ。
匿ってくれる先は準備出来る。津軽ならそこまでは追っ手が来ないだろう。嫡男は、妙心寺で僧にならないと後々殺されてしまう。娘は寧々が信用できる者に嫁がせれば手が出しづらくなる。そうすれば、嫁いだ家が匿ってくれる。
徳川家康の首は、西軍の三成が取ってしまうと東軍の豊臣武将の顔が立たない。そこで光秀の仲間が首を取る事になっている。東軍の武将は戦況の見極めをして、待機してくれればいい。
寧々からはお受けするとの返事があった。
光秀から密宗和尚に要望があった。
夬室智文(かいしつ ちもん)と言う僧侶と知り合いならば、福島正則に話をしてほしいと伝えてほしい。寧々様だけでなく、その僧からも伝えてほしい。
夬室智文は、密宗和尚の後輩にあたる妙心寺の僧である。どうやら福島正則が心を許している僧のようで、彼の話には耳を貸すらしい。
福島正則から話が漏れないのか心配だったが、その辺りも光秀は分かっているのか書いていた。
信頼している寧々と夬室智文からの話だから漏らさないだろう。迷惑がかかるかも知れない事はしない。福島正則はそういう男である。
そして、日にちは過ぎていき、何度も三江紹益は京都新城の寧々の元に行き、寧々に指示を伝えた。京都新城において仲間たちに、寧々から作戦がそれぞれに伝えられて行った。作戦は、寧々の甥である小早川秀秋にも告げられた。だが内容的には、平岡が良いというまで中立を保ちなさいとだけ伝えられている。本当の作戦は、家臣 平岡頼勝に告げられた。小早川秀秋は何も知らない。まだ19歳なので、徳川の監査役からの圧には耐えれないという判断である。
家臣の平岡頼勝は秀吉、寧々に恩義があり忠誠を尽くしてくれる人物である。彼は寧々の甥の秀秋を献身的に支えてくれている。彼の指示なくして小早川軍は動かない。小早川軍には、徳川家康から監視役がきている。しかし、彼らも平岡頼勝には逆らえない。それほどの男である。
石田三成には、作戦と忠告が告げられた。
戦場は関ヶ原、そして、陣形の指定が告げられた。
三成は目を輝かせていた。納得いく内容なのだろう。忠告は、混乱が目的の陣形である。家康の首は三成が取る事は禁ずる。ちゃんと聞いていたかは分からない。
福島正則には、今回の家康の本当の狙いを寧々から伝えさせて、夬室智文からも伝えてもらった。どうやら理解したようである。自分たちは騙されていたのか…。一言言っていたようである。
自分の役目は騙されたまま戦い、家康本陣の前を死守。そして、刺客が来たら動かない。刺客は名前を聞く前に上杉討伐の出陣命令が来たので聞けなかった。ただ、百戦錬磨な福島正則なら、その刺客を察する事が出来るとだけ言われていた。
そして、光秀こと天海も動き出した。
そして、仲間たちも本能寺の変の後からこの日のために準備していた事を最終調整していた。
1人は関ヶ原で、もう1人は上田にて。
つづく











