明智光秀のお友達の筒井順慶と島左近の想像話をしたいと思いますウインク

⬆️ 筒井順慶

⬇️島左近

まずは、筒井順慶についてです。

筒井順慶(つつい じゅんけい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した大和国(現在の奈良県)の戦国大名です。宿敵である松永久秀との長い抗争を生き抜き、織田信長や豊臣秀吉に仕えて大和一国を統治しました。

一般的には本能寺の変の際に「洞ヶ峠(ほらがとうげ)で形勢をうかがった(日和見した)」という逸話で有名ですが、近年の研究ではこの日和見は後世の俗説とされています。
武将であると同時に、奈良の有力寺社である興興福寺の衆徒(僧兵の棟梁)という宗教的な背景を持っていました。非常に教養が高く、謡曲や茶の湯を嗜み、名物茶碗「筒井筒」の所持者としても知られています。
二人の絆を決定づけたのが、信長の仲介によって実現した政略結婚です。明智光秀の娘(のちの明智十六(またはおツマ))が、筒井順慶の養子(甥の筒井定次)のもとへ嫁ぎました。これにより、光秀と順慶は「親戚(義理の兄弟・親族)」となり、一蓮托生の強固な同盟関係となりました。

二人は戦の合間にもお茶会を開いたり、連歌を詠み合ったりして、政治を超えた精神的な結びつきを持っていました。順慶にとって光秀は、自分の教養を最も理解してくれる良き理解者だったのです。

これほど、明智光秀と筒井順慶は「公私ともに非常に深く、互いを深く信頼し合っていた特別な仲」でしたが、本能寺の変のあと、明智光秀からの要請には答えず、応援にかけつけませんでした。


一説には、藤孝の兄が死んだ事に光秀が関わっており、その恨みとも云われてます。


続いて、島左近についてです。

主君の筒井順慶を支え、のちに石田三成に「破格の条件」でスカウトされたエピソードや、関ヶ原の戦いでの鬼神の如き戦いぶりで知られています。彼の優秀さを称えた「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」という落首(当時の風刺歌)は非常に有名です。
筒井順慶の後は、豊臣秀長、蒲生氏郷、そして、石田三成と名だたる武将に仕えました。

さて、今回の想像話は、筒井順慶と島左近にまつわる話です。想像話ですが、聞いてくださいウインク
明智光秀が筒井順慶に応援してくれと手紙を出した時、出陣に対して猛反対したのが島左近と云われています。その事についてと、その後の想像話です。
明智光秀は山城の戦いで、わざと負けました。負ける事が作戦だったからです。明智光秀のこの時の目的は、『織田信長を倒す事だけ』だったからです。
そして、光秀と仲が良かった周りの人たちに、火の粉がかからないように手を打ちました。それがあの手紙です。
細川藤孝、筒井順慶への手紙は、秀吉からの疑いがかからない様に、光秀が一方的に送りつけた手紙でした。手紙も光秀の作戦のひとつだった。そして、この手紙は合図でもありました。

1581年信長が天下に力を見せつけるパレードが京都で行われました。『京都御馬揃え』です。

※AI生成画像です。雰囲気用です爆笑


明智光秀がプロデュースしたこのパレードに、筒井順慶と島左近も参加していました。

この際、島左近に光秀は言いました。


この先、何か起こっても順慶を支えていってくれ。

私に何か起こったら、順慶は1番に駆けつけようとするだろう。でも、引き止めないといけない時がある。その際、私から手紙が届くであろう。その手紙とは反対の対応をするように。これは、島左近という男を信じて言っている話。覚えておくように。


島左近は、いつもと違う雰囲気に『はい』と言うしかなかった。


その後、大事件が起こった。

本能寺の変である。


そして、光秀から順慶に手紙が届いた。

島左近は、光秀との約束を思い出した。

そう言えば、手紙と逆の事をしろと言っていたな…。


順慶は、手紙を読むなり全員に向かって言い放った。

『出陣じゃ‼️光秀の応援に向かう‼️』

はっ!っと島左近は思い出した。
そして、光秀から言われた通りに順慶に向かって言い放った。

『お待ちくだされ‼️』

そして、他の家臣を巻き込み、光秀応援を引き止めた。そして、しばらくして秀吉軍が中国地方から戻り、山城の戦いで明智光秀は敗れたと伝令が入った。

島左近は、光秀の言いつけ通り順慶を引き止め、順慶を守った。その時、島左近は光秀がいかに順慶を大事に考えていたのかを理解し感謝した。

そして、何年か立ち島左近は筒井家を去り、浪人時代を過ごす事になる。持宝院に居候して、大和国に留まっていた。そんなある日、僧侶がふらっと現れて、島左近に声をかけて来た。島左近は顔を見て驚いた。

その僧侶は、明智光秀だった。


光秀は言った。

順慶を守ってくれて、ありがとう。

私の戦いに巻き込まれなかったのは、お前のおかげだ。と。


そして、光秀は話を続けた。


私は信長、秀吉、家康を倒す。

3人まとめては倒せないので、1人づつ倒していく事にした。そして、まずは織田信長を倒した。

次は秀吉と家康を戦わせて、兵力も財政も弱らせていく。秀吉は戦の天才、家康は数で勝負をする戦略家。2人をぶつける事で、2人を弱らせていく。私は周りの武将たちは巻き込まない。直接本丸を突くやり方で2人を倒し、戦のない世の中を作って行くつもりだ。


島左近は訪ねた。

独り身で何が出来ようか?


光秀は微笑み言った。

かつて、斎藤道三が親子二代で国盗りを行った。

相手の懐に飛び込み、内情を知り尽くし準備を進めればたやすいこと。現に同じやり方で、信長は討ち取った。私の時代に倒せなくても、左馬介、利三が引き継いでくれるであろう。


島左近は驚いた⁉️

あの2人も生きていたのか⁉️


私は美濃国を取り返すべく、美濃国斎藤道三の家来となった。内情を知り尽くして、同じ様に斎藤道三から国を奪い返すためだ。その時、同胞の長井道利も動いていた。斎藤道三の息子の義龍に美濃国を取り返すように進言した。斎藤義龍が美濃国を取り返してくれた。上手く行ったかと思っていたが、信長が美濃を奪い取った。義龍は討ち死にしてしまい、道利は狂ったようにその後信長憎しで動き始めた。


私は将軍家に仕え長井道利とは違うやり方で、美濃国を取り返し、世の中から戦をなくそうとした。

その時に知り合ったのが、細川藤孝と筒井順慶だ。

そして、武田信玄の上洛話の時に武藤という面白いヤツに出会った。武藤が信玄を動かしてくれた。


ところが信長は思った以上に強かった。

武田信玄をもってしても倒せなかった。

信玄が途中で亡くなったからだ。信長には天運があるとその時に悟った。しばらくは無理だと。

そして、信長の家来となり、内情を探る事にした。


並ならぬ家臣の中で、飛び抜けた才のある者が2人いた。それが秀吉と家康だった。特に秀吉は、信長の移り変わりのように戦上手だった。家康は臆病だが、家臣たちの団結が強く味方の増やし方が上手かった。この2人がいずれ立ちはだかると思った。

案の定、秀吉は凄まじい野心の持ち主だった。

それを利用するために、討ち取った信長の遺体を本能寺から持ち出し、坂本城に隠した。そして、秀吉が永遠に見つけれないように坂本城と共に焼いた。


秀吉の事だから、順慶、藤孝にも手が及ぶだろうと思って手を打った。藤孝には、私の娘を守ってくれ。手紙が届いた時が合図と伝えた。それで藤孝には伝わった。順慶は情に厚い男だから、言う事を聞かないと思い島左近、お前に託した。そして、私の想いを実現して順慶を守ってくれた。今日は礼を言おうとこちらに参った。


島左近は黙って聞いていた。

驚く話ばかりである。ふっと思った。

どうして、美濃国を取り返そうとした?義龍が取り返して安堵した?分からない。


島左近は、光秀に聞いた。

美濃国と義龍の話を。


光秀は言った。 


美濃国は土岐の国だった。

私は土岐の血筋。

美濃国を取り返す!それが私の使命。


義龍は土岐の血を継ぐものだったが、信長に敗れた。だから、残った私がその想いを受け継いだのだ。そして、藤孝にその血を受け継ぐ者を預けた。藤孝はその事も理解して、手紙を見て娘を生かす方法を考えてくれた。


島左近は驚く話ばかりである。


明智光秀、この男はすごい。

順慶の事を知り尽くし、命を守ってくれた。

そしてら自分なら出来ると信じてくれたこの男を自分も信じたい。


光秀が言った。

秀吉の弱点はすでに分かっている。

弟の秀長だ。

秀長がいなくなれば秀吉はたやすい。


島左近は、明智光秀に静かに言った。

その話、私にやらせていただきたい。

筒井順慶の意思を受け継ぐ者として、明智光秀の力になりたい所存です。


光秀は微笑み頷いた。

そして、また会おう。

そう言って光秀は去って行った。


つづく