関ヶ原の合戦が始まります。

関ヶ原の戦いとは、慶長5年9月15日に、美濃国関ヶ原で行われた日本の歴史上最大の野戦です。
豊臣秀吉の死後、次の天下を狙う徳川家康(東軍)と、豊臣政権を守ろうとする石田三成(西軍)が激突し、全国の戦国大名が二つに分かれて戦ったことから、「天下分け目の戦い」と呼ばれています。
当日の午前8時頃に霧の中で開戦し、午前中は宇喜多秀家隊や石田三成隊の奮戦によって、西軍有利、そして、一進一退の激戦が続きました。
小早川秀秋の寝返りと毛利勢の不参加により、西軍の防衛線は一気に崩壊し、わずか約6時間(午後2時頃)で東軍の圧倒的勝利に終わりました。
この戦で、家康の権力が絶対的なものとなり、1603年徳川幕府につながりました。豊臣家は一介の一大名(摂津・河内・和泉の65万石)へと転落し、のちの大坂の陣での滅亡へと繋がっていきます
本当は徳川家康は戦死していたのでは?と私は、思っています。その想像話ですウインク
西軍石田三成の陣形は、鶴羽(かくよく)の陣。一説には、またはそれをさらに発展させた「包囲陣(鶴翼包囲陣)」と呼ばれています。
この陣形は、光成から司令のあった陣形でした。飛び込んできた敵を左右から包み込んで全滅させる陣形で、前半はこの陣形がハマり西軍優位で戦が進みます。


この時、静かに一点集中を狙っている部隊がいました。ただ静かに道が開かれる瞬間を待っていました。


そして、また松尾山に陣をはった小早川秀秋陣営の平岡頼勝もその1人でした。その時を静かに見守っています。ただ陣の中には徳川家康から監視役として派遣されてきた奥平貞治、大久保猪之助がいました。いざとなれば稲葉正成もいるし何とかなると腹をくくりその時を待ち構えていました。


松尾山は、西軍の動きも東軍の動きもよく見える位置にありました。伊藤盛正という武将が先に陣をはっていたが、この位置でないと戦況の判断が付きにくいという事で、奪い取ってまで掴んだ位置。その分、自分の号令一つでこの戦はどちらが勝つか決まるだろう。周りの声が遠くにしか聞こえないほど

平岡頼勝は集中していました。


福島正則も戦況を確認しながら奮闘していました。その分、前半は差し込まれてしまったが、今は巻き返している。今回の西軍の陣形は三成ではないなと正則は思っていました。もっと戦経験のある者だ。ここまで西軍に手を焼くとは思っていなかった。今のこの状況で島津や小早川が動けば、東軍は一気に崩れるだろう。自分が崩れてしまうと本陣にたどり着く。そうはさせまい。


その様子を家康は本陣から眺めていた。

頭では別の事を考えていた。

少し体が震えている…。


魚鱗の陣で如何か?


軍議で天海から提案があった。

昨晩から陣形の事や戦場で意見が分かれていた。

西軍は鶴羽の陣である事は分かっている。

すでに調略で鶴羽の両翼は奪っている。

右翼の毛利、左翼の小早川はこちらの味方だから包まれる事はない。あとは中央突破すれば勝つ!という話だった。そして、天海は最後にひと言。


時間がありません。いつ小早川や毛利が寝返るか分かりません。短期決戦の方がよろしいかと。


家康は若い頃、武田信玄との「三方ヶ原の戦い(1572年)」で、自分自身が「鶴翼の陣」を敷いて信玄の「魚鱗の陣」にコテンパンに叩きのめされた苦い経験(トラウマ)があった。
陣形の特性として、「魚鱗(突撃)」が「鶴翼(包囲)」を打ち破るには、包囲される前に中央の敵(石田・宇喜多ら)を凄まじいスピードで突き破ることが絶対条件だった。福島正則らの猛将を先陣にして一気に中央突破を図ろうという話だった。


圧倒的な強さがあれば、魚鱗の陣に間違いはない。武田信玄は本当に強かったんだろう。


家康の心は落ち着かなかった。あの時の恐怖が思い出されてくる。中央突破された時の恐怖…

今も表には出していないが、実はトラウマとして家康の心を蝕んでいた。


福島正則は、押されていたが押し戻した。

少し安堵な気持ちになるが体は震えている。

本当にこの陣形で良かったのか?



天海は戦場で家康の近くにいました。

そろそろ戦況は動く。家康の首を取る時が来た。

毛利勢は最初から戦う気がなかったので、調略は簡単だろう。そもそもこの戦は、豊臣家の揉め事に家康が首を突っ込んで大きくした話。周りの大名が命を掛けるとは思わない。

小早川にはとどまるように先に話は付けてある。これで混戦になるだろう。その混戦こそが家康の首を取るチャンス。福島正則は強い。本陣の前に配置して中央突破を短時間でする事を家康は狙っているが、福島正則は途中で止まるだろう。最後まで作戦は話せていないが、彼は戦経験が多い。気配を察する事が出来るのは福島正則しかいない。家康は数で勝負をする陣形が得意だが、攻撃布陣は苦手。ましてや、武田信玄の戦の時に中央突破された恐怖が思い出されてパニックになるだろう。魚鱗の陣を採用した時点で家康は策にハマった。

中央突破❗️その時が勝機❗️


そして、一進一退の攻防だった戦場が動きます。

午前11時頃三成が狼煙を上げました。

これで一気に戦場が動く❗️


狼煙を見て天海は苦笑した。

三成め欲を出したか…

家康の首を狙っているな。

それは、後々揉める原因となる。

豊臣家臣が首を獲ってはいけない。


三成の思惑通りに毛利は動かなかった。


小早川陣営も揉めに揉めまくっていた。

奥平貞治が烈火のごとく小早川秀秋と平岡頼勝を罵っていた。


平岡頼勝はただ待っていた。

まだダメだ。

そう答えるばかりである。


家康からは早く突撃せよと空砲の合図が来ていた。それでも平岡頼勝は動かない。平岡頼勝と稲葉正成は調略成功で、こちらに寝返っていると聞いていたが違うのか⁉︎


奥平貞治は、平岡頼勝と刺しちがえる様子を見せたその時、小早川秀秋が叫んだ。

突撃せよ!

小早川秀秋の精神は限界だった。19歳の大将は奥平貞治のプレッシャーに打ち負けた。

しかし、驚いた事に小早川軍は動かない。

痺れを切らし奥平貞治は突撃を開始した。

平岡頼勝の号令以外動かなかった小早川軍だったが、小早川秀秋が叫んでいるので、鳥が飛び立つように奥平貞治らに釣られて突撃を開始した。


その様子を家康は本陣から見ていた。

よし!これで勝った❗️


天海は横でそれを見ながら

チッ!少し早過ぎる。耐えきれなかったか…。

あとは彼らが何とかしてくれる。

いざとなれば、私が成敗する。


その時、戦場の空気が変わった。


つづく