朝倉城 レポ第5弾です。
その4のレポ
---------------------------------------
見所となる遺構(土塁など)はブルー、名前のある場所(本丸など)はパープル
現存建築物(移築建築物含む)はピンク、再現建築物(模擬建築物含む)はオレンジ
跡地(櫓跡など)はグリーン、その他(銅像など)はブラックで表記します。
縄張図
---------------------------------------
後世の開墾地を西に進んで行きますと、茶臼ヶ森 という峰があります。
その周辺にも遺構が残っています。
まず登場するのは、その北西を落ちる 竪堀 なんですが…見ての如く
イイ場所に、小さな木が植わっているので、全く見えませんでした。
その前に、ホンマにあるんか疑惑がかけられそうだが
正面から見ると、あんな感じでしたので、周囲を見て廻ると、それだとハッキリ
判る場所を発見できました。
案外、違う場所から見ると、発見できるもんなんですよね。
城巡りをし始めて十数年で得た知識ではあります。
こちらは上の竪堀の西を落ちていく 竪堀 です。
後で登場するもう一条の竪堀と、二条の竪堀はやや間隔が空いている様に見えます。
ただ、見ようによっては接近している様にも見えます。
人によっては『畝状竪堀じゃね』と言われると思いますが、僕は認定してません。
何故か言い切っていますが…。
見ようによっては接近しているので、認定してもOKでしょうが。
まぁ、城の専門用語なんて、後世の人が考えた(たぶん)でしょうから
どうでも良いんですけどね。
さて、この竪堀の背後には 横堀 が入っています。
この横堀、この茶臼ヶ森の主郭である詰ノ段(手元の縄張図による)があるのですが
その周囲を巡っています。
その4までに登場したそれよりは、浅めではあります。
とはいえ、ハッキリと堀が穿ってあるのが判るので、syunpatsuryoku1号的には
十分な評価を与えれる横堀です。
何故か上から目線発言なのだが…。
往時は、横堀はもっと深かったと思いますので、左(南)に聳える、詰ノ段の
切岸 が高く感じたでしょうね。
しかも切岸の角度もありますから厳しいモノがありますね。
これが北面の一番西を落ちていく、竪堀 です。
この竪堀が、三条の中で、最も見易く、しかもクッキリとしていますね。
まさに教科書の様な竪堀ですね。
『教科書』って何やねんというツッコミはなしです。
詰ノ段の西に廻りこんでみました。
横堀は、かなり浅くなっていますが、それがハッキリと判りますね。
陽が当たってないので、かなり薄暗いですが。
最後の言葉は城とは関係ない。
尾根はさらに西に進んでいます。
どうやらここにも、遺構があるという事で。
ただ、縄張図には三条あると書かれている 堀切 なのですが、この一条目は
全くもって、判り難かったです。
本当にこれだろうかという疑念を持ちながらでした。
すいません。
またもやでました。
ここは何なのか判りません。
恐らく、堀切なんでしょうが…。
もしかして、ここが一条目の堀切なのか…。
上の画の反対側なのか…でもたぶん違う。
でも、恐らくこの堀切は、最終的に 竪堀 として落ちているので、一条目の
堀切なのかもしれません。
しれませんって無責任だけど、しかたないんですよ。
レポは早めにやればイイんですけど、なかなかね。
ではこの画はなんなんだろうか。
本当に、レポは早めに書かないとダメですね。
以前から判っているんですが、なかなかね。
この城の最西端にやってきました。
ここには、二条目と三条目の堀切、所謂 連続堀切 が待ち構えています。
先ずは、二条目の 堀切 を見て下さい。
一気に降っている堀切です。
そして三条目の 堀切 を写して。
決して深くはない連続堀切ですが、尾根を遮断しているのが判りますね。
この連続堀切は、長宗我部氏の城には数多く見られますね。
特に、松尾城の連続堀切は、なんと十三連続です。
その4でそのレポを紹介しているので、参考にして頂ければ、幸いです。
十三連続はさすがにやり過ぎだと思っています。
三条目を違う角度から見ると、なかなかイイ感じに撮れました。
それでも、こじんまりとした堀切ですわな。
イイ感じ…自画自賛もエエところじゃわ。
連続堀切って、横から見るのもイイですが、この様に斜めから見れたら
よく判りますよね。
ただ、画にしてしまうと少々、残念な画になってしまう事がシバシバですが。
これは思ったより成功したと思っています。
三条目の西から連続堀切を見てみます。
ちょっと…いや、かなり判り難いかもしれませんが…。
それより、二条目の東の 切岸 上に何やら、オモロゲな(たぶん死語)遺構が
わずかばかり見えています。
という事で、近づいてみてみましょう。
オモロゲな遺構、それは 石積 です。
手元の縄張図には、土留めの石積と書かれていました。
この石積は、切岸を全面覆う訳ではなく、上部のみにあるんですよね。
ここで石積が登場するとは思いもよりませんでした。
もしかして、後世のモノかもしれませんが、只、今迄見て来た石積とは
まったく違う石を使用しているので、往時のモノだと期待しております。
何の期待やねん。
石積の上から連続堀切を見てみます。
連続堀切でよく見られる、城外側に行くほど、低い場所に堀切を切っているのが
判りますね。
そして、奥の堀切を越えたら、こちらからの完全に狙われる形になります。
もし、この場所に櫓台があれば、堀切内の敵兵も、安全ではいられませんね。
連続堀切は敵を疲弊させる上に、狙い撃ちしやすいメリットがあります。
上から覗いて見た石積。
もしかしたら、堀切を覗き見したのかもしれませんが…。
恐らく前者を狙ったのでしょう。
茶臼ヶ森の詰ノ段の周囲にある横堀まで戻ってきました。
こうやって見ると深く見えますが…。
決して深くはありません。
茶臼ヶ森の南側にも二条の 竪堀 が落ちていました。
こちらの竪堀は初見なのですが、なかなか素晴らしい状態でした。
モノが散乱していましたが、見応えのある竪堀です。
もう一条の 竪堀 も、やや見難さがありましたが、こう見ると、良好な状態で
残っていますね。
ここまで来るまでにあった、開墾地に城の遺構があったのかは判りませんが
もしなかった場合、ここが出城の様な感じだったと言えるでしょう。
ただ『出城』ではありますが、なかなか頑強な造りであったと言えるでしょう。
周囲はお墓などもあるので、少し慎重の遺構を見ていました。
詰ノ段 に登ってみました。
土塁などはなく、曲輪 オンリーの詰ノ段です。
50人程度は駐屯できるのかな。
この曲輪内には、祠があります。
地元の方に守っているのでしょう。
これで、茶臼ヶ森のゾーンは終了です。
---------------------------------------
その5はここまでです。
次回も読んで頂ければ幸いです。