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小屋山館は白河の関跡のある園地のすぐ北、社川対岸の山上にある。観光客で賑わう関跡とは対照的に訪問者は皆無。しかし遺構の残りはとても良く、城の外周を囲む横堀がかなり大規模。

鎌倉時代の終わり頃に白河の結城氏から分かれた関朝泰が築いたといわれるが、伝承の域らしい。戦国時代の天文年間には関備前守が城主だったが、佐竹氏に攻め落とされた。天正五年(1577年)には結城氏の内紛に介入して小峰城も攻め落とした佐竹氏だったが、2年後に和議が成って小屋山館も関氏に返還されたとか。


10月の三連休の初日に白河の関に入ったあと、そのまま歩いて訪問した。


→登り口の位置(Googleマップで)

館跡へは青い建物の脇に降りてくる尾根から登れるとのことだったが、どう見ても民家の庭らしいところを通り抜けるようなので遠慮して、少し北から取り付いた。

まずは尾根側面の急斜面を登ってゆく。

倒竹も多くてやや面倒な登りだが、さほどの苦労もなく城へ続く尾根に出ることができた。

ここまでは平坦だった尾根が、城の方に少し進むと急に登り始める💦

城へ続く尾根、倒竹と土塁


そして、道のない急斜面を登りきると小ピークに出る。

樹林などがなければ周囲を見渡すに良さそうな、アパート一室ぐらいの広さの高台。出丸か…?

虎口の広さ、急斜面の土塁


ここからは一旦少し下って鞍部になる。

そのすぐ先に、大きな盛り上がりが見えてくる。

そして、裾が抉れている…

虎口の切岸に堀がっている風景


ということは…


でっかい堀〜🙌

虎口の土塁、倒竹の切岸


早くも正面に主郭の切岸、そして裾を大きな堀が抉っているのに出会った。


正面からガリガリ直登で入ってゆくのは、切岸を崩す恐れがあるので控えるべきだろう。

東側に虎口があるらしいので、ここは東へ回ることにした。

まずは堀底へ。キレイな薬研のV✨

薬研Vの土塁と倒竹


東側へ回ると、外側がどんどん低くなっていき、ついにはただの帯曲輪のようになってしまった😮

主郭側の切岸は、相変わらず高くて鋭い😨

薬研Vの土塁と倒竹


少し進むと、東へと尾根が落ちているようで、しだいに堀状が復活してくる。

底がウネのように上がっているようだ。このウネは土橋ではないようで、主郭へは上がれない。

城へ続く尾根、倒竹と土塁


このウネの向こう側で、堀が復活する。

少し左カーブしつつ北に向かう。

虎口の土塁と倒木


さらに少し進むと、急に🌿🌿が多くなる💦

ヤブというほどでもないが、倒木とかもあって足元が見づらくなるので、注意して進む。

虎口の土塁と倒木


そして、すぐ先で堀が東に折れている😮

🌿🌿に埋もれて分かりにくいが…💦

虎口の横堀と土塁


いや折れているというより、土橋に塞がれている🤯

ここが主郭部への虎口で、動線は外側へ寄せられた堀から土橋の上に登り、上のほうでは右カーブしているようだ。

虎口から主郭部への横堀、土塁


土橋の向こう側には、ふたたび見事な横堀が続いていた。

この堀は城の外を周回しているらしい。

虎口から主郭部への横堀、土塁


ここは、虎口から主郭部へと入ってゆくことにした。

カーブしながら郭内へと登ってゆく動線✨

堀の横堀、虎口から主郭部を周回


ここから見下ろす横堀。

カッコよく城を守ってくれる頼もしいヤツ✨

郭内城横堀の土塁


そして郭内。

郭内城横堀、土塁、樹林


一気に曲輪へ入ってゆくのではなく、一段低い空間で北に回り込んでから南にターンして入ってゆくようだ。

なかなか🌿🌿で面倒くさそうなので、一気に段を登って郭内へ入ってしまう。

段を登って振り返ったところ。

曲輪の広さ:灌木、土塁、樹林


そして、曲輪の主要部。

灌木が多くて向こう側まで見通せないが、ソフトボールが出来そうな広さはありそう😮

曲輪の広さ、虎口、土塁


南側の主郭は、段の上らしい。

その手前に少し高くなったところが見える。

城内の土塁、灌木が多い風景


主郭へ登る前に、まずは反対側の堀を見に曲輪の奥へ。

堀は同じように大きく鋭い断面だったが、灌木が多いな…

堀の断面、灌木が多い


主郭との間の段は、ここまで城内を横断している。

堀の断面、土塁に切れ目を入れた虎口


その中央部には、馬出のように一段高くなった空間があった。

アパート一室ぐらいの広さがあるが段差は数十センチというところで、歩いて登れる。

主郭の広さ、土塁、虎口、樹林


ここから主郭へは、土塁に切れ目を入れた虎口から入ってゆく。

2本の木の間だが、まぁ分かりにくいったら😂
アパート主郭の広さ、虎口、土塁

そして、主郭。

ここは野球の内野ぐらいの広さで、南側以外に土塁が盛られている。

虎口の広さで土塁が盛られている風景


いま入ってきた虎口の左側の土塁。

そんなに高さがないように見えるが、基部の幅があるので往時はけっこうな高さがあったのだろう…

虎口の広さで土塁が盛られている風景


反対側は、小さいが土塁らしく盛り上がっているのが見える✨

虎口の土塁、高さは一段低くなった空間


この土塁はすぐ先で切れていて、そのあたりが一段低くなっているように見える…

北側が開いているので、貯水池ではないか…
虎口の土塁

曲輪の端っこはまた土塁に守られていて、こちらはけっこう高い😮

向こう側は外周の堀。

曲輪の端っこ、堀底に土塁がある


さて土塁のない南側には、一段低くなった空間がある。

曲輪の端っこに堀がある土塁


この下は先ほど登ってきた尾根より西にズレた位置だが、堀の中をこちらへ回ろうとする寄せ手を上から狙撃出来るだろう。


下の堀は、外側が低くて堀底まで高低差がある😨

虎口の土塁、尾根に正対する


反対に、主郭の南東端は登ってくる尾根に正対するところだが、一段高くなっている。

尾根の尾根、弓矢で位置を狙撃する


登ってみると、内側はやや不整ながら小さな曲輪のようになっている。

虎口の土塁、尾根に正対する弓矢


ここから登ってきた尾根のほうを眺めると、堀の手前まで登ってきた寄せ手の姿が丸見えなことがよく分かる。

弓矢なら十分に射程内だろう😨

倒竹の尾根、土塁、弓矢


ここは立派な堡塁だったか。


これで、だいたいは見られたと思う。

秋になって日が落ちるのも早くなってきたので、今日はここまで💨

このあと白河の町に降りる前に革籠原防塁で道草食ったけど😅


寄せ手の突入を正面から受け止める主郭南東端の堡塁状もさることながら、虎口の前とか内側とかに空間をちゃんと取っているし、高さで序列がハッキリ付けられているようにも見える。

織豊の城に近いようにも見えたりして…


★小屋山館

福島県白河市旗宿西山

城の近くに車を停める場所は無い。白河の関等の駐車場に停めて徒歩が無難。10分強。

山城


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(2026年10月14日 記)

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関ノ森城とは白河関のある丘に残る土塁・空堀に囲まれた城郭と思われる場所のこと。高さ3メートル前後の土塁と同等以上の深さを持った空堀の組み合わせが雄大。

国の史跡となっていて、南に隣接する『白河関の森公園』からの遊歩道から見学できるようになっている。

古代の関所に付随したものとの見方と、関所が衰退した後の中世の城との二つの見方があるらしい。発掘調査で城内と思われる場所から見つかったのは古代の土器、そして掘立柱建物跡などで、城郭としての経歴などを明らかにするには至らなかったようす。


6年ぐらい前に一度訪問したことがあったが、その時はけっこうな雨降りの中だった。10月の三連休を使っての福島遠征の初っ端に訪問した。


→現在位置(Googleマップで)

城のある丘を南の公園から眺める。

こんもりした森に覆われた丘、手前には黄金色に実った田んぼ🌾

黄金色の稲穂と森、青空


公園の売店などのある場所から城のある丘へはすぐに入っていけるので、まずは表玄関たる関所の方へ回ってみる。

園路は丘をぐるりと一周しているので西側へ向かうと、さっそく城の南側斜面の脇を通る。

関ノ森城の緑豊かな土塁と木々


少し奥には、空堀が出てきているのも見える😮

関ノ森城の堀と土塁


他にも城内へショートカットできる道などがあるが、あえて関所の方へと進む。

従二位の杉という大木のあるあたりから北へ入ってゆく空堀状は、かつての街道?それとも外堀?

関ノ森城の土塁と空堀


→現在位置(Googleマップで)

白河の関があったところには、いまは白河神社が祀られている。

その玄関口のところが関所だったらしく、石碑が立っている。

白河関跡の石碑と狛犬


周りには説明板などがいくつか立っているが、いちばん面白かったのが左側に立っていた発掘調査の説明板。

要衝としての歴史を刻んできた場所だったか😮

白河関跡発掘調査の案内看板


まずは白河神社の境内を目指すか。

登ってゆく石段の前に、鳥居。

関ノ森城への鳥居と石段


隣には、白河藩主だった松平定信が立てたという『古関蹟の碑』

松平定信による古関蹟の碑


境内へと登ってゆく、苔生した石段…

関ノ森城への石段と灯籠


ここから見える左側の斜面がいかにも城塁に見えたりするが、この上の神社境内も中世には曲輪だったか…?

関ノ森城の土塁と空堀


そして白河神社。

れっきとした延喜式内社で、鎮座が西暦135年という大先輩なのか😮

関所を建てるときに、ここに移したのだとか。

白河神社と木造の本殿


関ノ森城の遺構は、ここから右手に順路を入っていったところにある。

いきなり、正面左手から直線的に伸びる大きな土の横堀😮

関ノ森城の空堀跡と土塁


正面の大木の向こう側にも…

関ノ森城の空堀と土塁


この土塁空堀コンボはもちろん以前訪問したときにも見ているのだが、こんなデカくてハッキリしてたっけ…

この堀は白河関の森公園の方に伸びていて、最初に園路から眺めたやつだった。


そして、今いるここは主郭の北西の端にあたり、郭内へは土橋で渡ってゆく。

ちゃんと守ってるじゃんか😮

関ノ森城の土塁と空堀


そして主郭。

ソフトボールぐらい出来そうな広さがある。

けっこうガッチリ城砦してるな…

関ノ森城:森の中の静かな休憩所


そして、北と東を土塁に守られている。

これは虎口の脇から続くやつ。

関ノ森城の土塁と雑木林


そして東側。

高さは2メートルちょいで、中世の土の城と考えるとかなり高いだろう😮

関ノ森城の土塁と空堀


南東の方には、東へ少し張り出した空間があった。

この意味は後で分かる…

関ノ森城の土塁と空堀


斜度がそれほどなく、草に覆われていて踏んでも傷めそうではなかったので、土塁に登ってみた。

めっちゃシッカリ盛られている✨

関ノ森城の土塁と空堀


そして、向こう側が…


杉山城の横堀かよっ‼️🤯

関ノ森城の土塁と空堀


いや、幅や深さだけで言えば杉山城(埼玉の続百名城の)のやつよりデカいんじゃないか、というような立派な横堀が横たわっていた。

もちろん白河神社の境内から続いてきたやつで、外側の土塁の上も遊歩道になっている。


で、南東の隅っこではクランク状に折れ曲がっていた。

これは間違いなく横矢掛かり‼️

関ノ森城の土塁と空堀


そして、南東の端っこ。

折れではなくカーブになっているが、見下ろしたようすもカッコいい✨

関ノ森城の土塁と空堀


この土塁の内側、主郭より一段高くなっていて、外側の堀への銃座みたくなっていた😨

関ノ森城の土塁と空堀


堀はここから南側に回り込んで、間もなく終わっていた。

ここから眺める堀✨

関ノ森城の土塁と空堀


堀の内側の土壁と、北寄りの切岸がひと続きだったようで、往時は北側まで繋がって主郭を囲んでたのか?


ラストは、堀の外側の土塁を通って神社境内に戻るか。

細い道を登ると、すぐに南東隅のカーブ。

日なたの白飛びが…😂

関ノ森城の横堀と土塁


カーブを曲がると、すぐに横矢掛かりのクランク。

複雑な土の造形✨

関ノ森城の土塁と空堀


そして、東辺を守る堀✨

関ノ森城の雄大な土塁と空堀


外側の土塁がまるで横たわる大蛇のようにうねって、気持ち悪いぐらい。

そして外側の高さも😨

関ノ森城の土塁と空堀、森林


これにて退散💨

そのまま徒歩で小屋山館に向かった。


横矢掛かりのある大きな堀や土塁と、見るからに中世でも終わりのほう、戦国時代のものに見えるやつ。

しかし横手市の大鳥井柵みたいに、戦国時代のものと思われていたのが発掘調査をしたら古代安倍氏のものだったことが分かった例もあるし…

経歴が明らかでないのは考古学の難しさ、というところか…


★関ノ森城

福島県白河市旗宿関ノ森

関所と白河の森公園の駐車場が利用可。白河神社は観光地ともなっていて人の訪れは多い。

平山城


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(2026年10月13日 記)

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上城から中城までの尾根は特に険しく滑落注意です。また中城から下城へは急峻すぎて登降は厳しいでしょう。


(沼津 烏帽子岳城 その1からの続き)


ヒリつかされる上中間🥶


上城をそれほどの苦労なく訪問してから、いよいよ中城へと向かったのだが…

烏帽子岳城(上城・中城)の案内図

(電子国土webの図上に筆者作図)


上城の堀切土橋コンボからはてっぺんの尖った尾根になり、ちょっと進めないので左側に降りて進む。

露岩の感じが房総を思い起こさせる…

烏帽子岳城の急峻な石垣と植生


帰りにヤバ斜面から登って尾根上に出てしまったが…

意外だった…歩けるように削平してた?

烏帽子岳城の急峻な尾根と崩落斜面


この先の下りが、崩落が進んでいるらしい斜面を斜めに走る外傾した狭いバンドを降りてゆくところで、落ちたらヤバいところ…🥶

烏帽子岳城の急峻な尾根と露岩


振り返ると、とても登れるルートなど無さそうな岩峰っぽくなっていた😨

どこから降りてきたんだっけか…🥶
険しい尾根の石垣と樹木

ここは険しいだけでなく土も滑りやすく、さらには掴まる立木なども少ないので、不安を感じたら無理に突入しない方が良いだろう。

通過する際は十分に注意されたい⚠️


その先も急な下り、そして岩がゴロゴロ散乱している尾根が続く。

烏帽子岳城の岩場と落ち葉の登山道


この尾根の右側下には、この城内で最大と思われる石垣が積まれている。

これもヤバいが、下が急斜面すぎて正面に立てない…

烏帽子岳城の露岩と絡みつく植物


この城、やたら険しくて容易に人が近づけないような場所にあるのに、けっこうあちこちに石垣が使われてるな…

城を築いた勢力は分かっていないとのことだが、戦国時代末期のそれなりに大きな勢力だったことは間違いないだろう。


ここを越えると尾根の鞍部になる。

さっきまでと打って変わって露岩とかのない滑らかな尾根で、ここが上城と中城の境界になるのだろう。

烏帽子岳城の険しい斜面と森林


中城到達🙌


ここからの登りは、急にヤブの濃さが増す💦

その中、少しでも薄くなっていそうなところを選んで登ってゆく。

烏帽子岳城の険しい尾根と植生


てっぺん間近になると、ツルツルの土がむき出しになる。

烏帽子岳城の急峻な尾根と植生


そして、てっぺんが中城の最高所。

ここが主郭というべきところか。

テニスコートの半分より狭いぐらいで、南西―北東に細長い。

烏帽子岳城の山道と木々


両側面の斜面はそうとうキツく、切岸加工されているだろう😨

西側

烏帽子岳城の険しい尾根、滑落注意


東側

烏帽子岳城の険しい尾根と木々


曲輪の入口あたりに、小さいが深い穴…

井戸か?

烏帽子岳城:中城への道、井戸跡か


真ん中あたりにも

ちとデカいようだが…

烏帽子岳城の堀切跡と尾根


下城へは…💦


ここは主郭をてっぺんにして尾根上に階段状に曲輪を並べている。

主郭の向こう側には、ずっと奥行きの短い曲輪が一段下がって続いている。

烏帽子岳城の険しい尾根の画像

この段はかなり高くて、標準レンズぐらいでは写野に入らない。

険しい斜面と緑の草が生い茂る尾根


この段にも石が嵌っている😮

これは自然のものか?

烏帽子岳城の岩場と植生


この曲輪に続いて、さらに狭くなった曲輪。

烏帽子岳城の険しい尾根と土塁


一番下は、ごく狭い帯曲輪状。

烏帽子岳城の急峻な尾根と石垣


ここからの下りは、赤色立体図を一見しただけで細尾根があったりして危険そうだが、下に下城があるのでさらに進んでみることにした。

ここから下の尾根上には、帯曲輪が階段状に続いている。

烏帽子岳城の険しい斜面と木々


振り返ると、階段状になっているのが見えるだろう。

険しい尾根の露岩と露出した根


しかし、この先は高低差数十メートルありそうな土壁になっており、ちょっと進めなそうだった。

 

ここで引き返し、そのまま来た道から退散💨


いやはや、街チカだし標高200メートルにも満たないし、おまけに近くの香貫山や本城山が公園になってもいるからと油断してたら、予想だにしなかった岩盤のヤバ尾根に遭遇して、久しぶりにヒリついたわい🥶

こんな険しい場所にこんなガチな砦を置くのは、やっぱり武田より北条のイメージ…

八王子城の縮小コピーとでも思ってんのかって⁉️😂

いや天ヶ岳砦とかもヤバいで😨


やっぱり八重坂峠の向こうの上香貫手城山と連携し、横山山頂とかにも駐屯地を置いて峠を塞ぐ意図だったと考えるのが一番自然なように思う。


ここ、調査キボンヌ🤗

陣城だと何も出ないとか、かも…?


★烏帽子岳城

静岡県駿東郡清水町徳倉

登り口周辺に駐車場無し。周辺も住宅街で路駐は難しい。横山から道なく尾根が急峻なので注意。

山城


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(2026年10月12日 記)

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この城は縦走コースから外れた険しい尾根上にあり、

特に中城に続く尾根上が南北両側とも絶壁に近く足場も悪いので、滑落しないようロープなどの装備が必要になる場面が出てくるかも知れません。

横山山頂から城内へは道などもないため、訪問には登山でもバリエーションルートの経験が必要と思われます。単独での訪問は避けて複数でパーティを組むことをお勧めします。

携帯電話(docomo)の電波の入りは全域で良好でした。


烏帽子岳城は沼津の町から狩野川対岸に立ち上がる山脈、いわゆる沼津アルプスの2つ目の峰の横山から北東に下る尾根上にあった。城の直下には八重坂峠、尾根を下った先には戸倉城があり、このあたりの要衝を押さえるための城、陣地同士の連絡などの役割を負っていたらしいことが立地から想像できるだろう。

市街地チカで周りの香貫山や本城山などは公園化されているが、この尾根は滑落の危険があるほど険しい場所で、沼津アルプスの縦走コースからすぐのところにありながら気軽に訪問できないところ。

歴史はよく分かっていないようで、築城者一つをとっても後北条氏、武田氏、そして武田氏滅亡後に入ってきた徳川氏のいずれも考えられるのだという。後北条氏や武田氏が築いたのであれば、天正九年(1581年)の香貫山の麓での軍事衝突と深く関係しているだろう。とくに後北条氏ならこういう場所に絶対陣取ると思う。

烏帽子岳城、横山、戸倉城周辺の地理院地図

(電子国土webの図上に筆者作図)


この日は先週末に膝痛で戸倉城だけしか登れなかったリターンマッチと思って最初に上香貫手城山へ登り、いったん南下して出城山城を見たあと舞い戻ってきて取り付いた。

ここまでの城より比高があるのは分かってたが、まさかあんなにタイヘンだとは💦

烏帽子の名が付いている時点で気づけよ、的な…😂


まずは沼津アルプスコース登り


→現在位置(Googleマップで)

登り口は、香貫山との間を切通しで抜けてゆくところで、道標とイノシシ注意の看板が立っている。

なお、道の反対側、香貫山方面に上香貫手城山がある。

沼津アルプスの案内標識と山道


道は初っ端からかなりの急登で、木の根や岩角などをステップにしつつ慎重に登ってゆく。

急峻な登山道、烏帽子岳城の険しい地形


尾根が急な登りになっても、つづら折れなどという優しいものはほぼ無い。

ロープに掴まってでも真っ直ぐ登ってけ!と言わんばかり😂💦

険しい山道、露わな根とロープ


そのぶん高度はサクサク稼げるので、息が切れたら休みを入れつつ登ってゆく。


やがて、上のほうに平場らしいものが見えてきそうなところ、標高でいえば100メーカーあたりで、左手に尾根上を直滑降してゆく竪堀状が見えた😮

烏帽子岳城跡の土橋と堀跡


ここから、上の『中弛』なる平場の側面へと入り込んでいるようだ。

烏帽子岳城の険しい尾根とツル


これは一世代前の道、ひょっとすると城道か?


なんて思いつつ、上の平場に出た。

これが、キレイな曲輪のような削平っぷり…

烏帽子岳城の険しい尾根と露出した木の根


ここに立つ道標。

この道が沼津アルプスの縦走路として整備されたことを示しているようで、ここは『中弛』という場所らしい。

沼津アルプス 徳倉山・香貫山への道標


側面は、丸い山そのままのような感じ。

てっぺんだけ削平したか。

烏帽子岳城の険しい尾根の森


いまは樹林に覆われて展望は利かないが、麓まで見えれば物見にピッタリの位置。

それでも城の一部として使われたかどうかは分からないようだ。

研究や調査のネタになったことがあるか?しかも陣城って遺物がほとんど出てこないらしいので、ネタになったとしても…


ここからしばらく登りが緩やかになるが、その先はまたまた急登💦

それでも残りの比高は40メートルほどで、てっぺんも見えてきている🙌

そして山頂間近は、城塁のような違うような…

烏帽子岳城跡の山頂付近の様子


そして山頂。

奥までかなり長い削平地になっている。

沼津アルプスの森、根と枯葉の道


沼津アルプス縦走路の方へもう少し入ってゆくと、端っこが少し盛り上がっている。

沼津アルプスの山道と森


この盛り上がりは、『横山』というピークらしい。

丸い山頂だが、削平もされているように見える…

烏帽子岳城主郭の削平地と木々


山頂に立つ道標。

ここから徳倉山や砦のあった鷲頭山へも行けるようだが、今回はここの城を見るのが目的なので先のほうはパス💨

沼津アルプス縦走路、横山山頂の道標


ここを城域内と見るか外と見るか、見方は二分されているらしい。

しかし長浜城方面から鷲頭山―ここと後北条方が押さえて、風雲急を告げる香貫方面へ軍勢を急行させたりするのに、ここはぜひとも押さえておきたい要衝だろう。

いまは樹林に覆われて見えないが、ここからは戸倉城とも狼煙などで連絡できるみたいだし…


上城へ


さて、城の主郭はこの山頂の北端から北東に分かれてゆく尾根上にあるというのだが…

烏帽子岳城(上城)と中城、横山の地図

(電子国土webの図上に筆者作図)


幅は広いが、けっこうな傾斜で下っている💦

ってか、灌木多めだし、そもそも道ないじゃんか🧐
烏帽子岳城跡の険しい尾根上

早くも前途多難な空気…💦

灌木はおおかた枯れて歩きづらくはないが、ここからは道なき山の行軍になるので尾根を外さぬよう注意したい⚠️

下りが終わったあたりの左側に、帯曲輪みたいな小さな平場が見える😮

烏帽子岳城、険しい尾根と自然の風景


その先で尾根が狭まり、露岩も現れる…

烏帽子岳城の険しい尾根と巨岩


最狭部は巨岩を木の根が抱えるところを通過する。かなりスリリング💦

烏帽子岳城の険しい地形と岩盤


そして、また少し下った先に崩れたばかりの土がむき出しの斜面と、左側に巨岩が並ぶ場所に出る。

烏帽子岳城、険しい尾根と岩場の風景


ここは横山山頂を除く城内で一番上に構える『上城』の南側を仕切る土橋なのだそうだ。

手前左側から奥の巨岩帯に向かってゆく岩の列からは、なるほど土橋のような盛り上がりが続いている😮

険しい山道、木の根と岩場


ここから向こう側の斜面を登ってゆくのだが、えらい険しさ😨

険しい尾根の岩と木々


左手は、巨岩のガケ😨

巨石と木々が生い茂る登山道


右側は尾根の鞍部で広い空間になっていたが、落石らしいものが散乱している…

烏帽子岳城、土橋の石積と堀


この上は、岩の列で動線を右側に寄せられる。

虎口か?

険しい尾根の岩と木々が生い茂る森


そして、その奥の尾根が細いながら天端を削平されているようだ。

ここが主郭で、長さは20メートルばかりか。

険しい尾根の森、烏帽子岳城跡


削平地が終わると、また緩やかに下り始める…

主郭はどこまでだろう…?
烏帽子岳城、険しい尾根の景色

少し下ると、向こう側がバサッと切れ落ちていて、左側に土橋らしいものが見えてくる…

沼津アルプス 険しい山道 烏帽子岳城


ってか、土橋からは両側に堀のようなものが伸びている。

だけでなく、石を積んでないかぇ?🤯

石積のある険しい尾根の様子


土橋は武田や北条の城らしい、カチッとした立派なやつ✨

烏帽子岳城の険しい尾根と堀


土橋から向こう側へと落ちてゆく堀。

左カーブして斜面を斜めに降りているみたい…

烏帽子岳城 土橋と堀


そして、石積の見えた右側へと落ちてゆく堀。

左の中城側、右の上城側と石積で固めている🤯

烏帽子岳城、石積みの土橋と堀


中城側

烏帽子岳城の石垣と土橋


上城側

石積みの土橋と堀跡、烏帽子岳城


どちらも穴太積みとは違う荒っぽい感じのやつだったが、こんなの林業とかでは積まないだろうから、ちゃんと400年以上持ちこたえてきたんだな😨


さて、ここから尾根を進むと中城に行けるんだが、久しぶりに相当ヒリつかされた…🥶


(沼津 烏帽子岳城 その2に続く)


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(2026年10月12日 記)

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出城山城もしくは手城山城は清水町と函南町の境目あたりの狩野川左岸に立ち上がる低い尾根上にあった。川と少し離れて並走するバス通りで尾根が切れているが、その両側が城域という。

天正九年(1581年)に後北条氏が築いたとのこと。この前年には香貫山一帯での戦いで武田勝頼勢に敗れ、近くの戸倉城が武田方に寝返るという事態になり、前線基地として築かれたらしい。


この日は、前の週末が膝痛で戸倉城だけしか登れなかったリターンマッチとして、朝イチに上香貫手城山に登り、一旦南へ移動して2つ目に登った。

まだまだ暑いとはいえ、尾根上では心地よい風に吹かれる日だった…


→現在位置(Googleマップで)

出城山城は狩野川沿いに盛り上がった東堡塁と三嶽神社のある西堡塁とに分かれ、間をバス通りが抜けている。

東堡塁は民家などに囲まれて登れないようだが、西堡塁はバス停の裏から登れる。

出城山城への参道、三嶽神社入口


すぐに三嶽山の鳥居。

神社の参道になっているようだ。

出城山城への鳥居と石段


鳥居から階段をひと登りすると、すぐに道は左側に寄せられ、正面に小尾根が突き出てくる。

出城山城の山道と土塁跡


この小尾根の正面、上のほうに大きな露岩を並べて、まるで壁のように立ちはだかっているように見える😨

出城山城の西堡塁、岩と茂み


少し登ってから振り返ると、正に登ってくる寄せ手を正面から迎撃するようになっていた。

簡素ながら、紛れもない堡塁じゃんか?😨

出城山城、狩野川沿いの尾根道


道はこの堡塁の横を通り抜け、少し上で尾根の反対側に移って登り続ける。

が、直進で登ってゆく道跡も見えるか…?

出城山城への山道、茂みと倒木のある尾根


その場ではたしかに直進してゆくトレイルらしい跡が見えたんだが、写真で見返したらただの斜面じゃんか😂
ちなみに上の方では曲輪などに登ってきているようすも無かった。

ここはふつうに、整備された道を登ってゆく。

尾根上に出ると、わずかに竪堀状に凹みつつ登ってゆく。

露岩がだんだん多くなり、すぐ上に曲輪らしいものが見えてくる。

出城山城の登城路、露岩と植生豊かな山道


そして、曲輪らしきの目前。

飛騨古川城の虎口とまではいかないものの、上の曲輪から一段低いところを奥まで通される。

けっこうな大きさの岩がゴロゴロ…

出城山城の自然な森と石垣


脇の切岸には石垣も嵌め込まれているようだが、さすがにこれは三嶽神社のやつか…?

出城山城、巨岩と植生が生い茂る山道


そして、社殿の前まで来るとガッシリと積まれた石垣。これもさすがに神社のやつか。

出城山城、三嶽神社と石垣


神社の社殿。

小さいが綺麗😊

出城山城の三嶽神社と石灯籠


この前の平場が、最初の堡塁の拡大コピーのようなつくりで、城道を登ってくる寄せ手を正面上から迎撃できるようになっている。

このタイプの堡塁が二段構えか…😨

出城山城の山頂付近、露岩と落ち葉の敷かれた尾根


道は神社で終わっているが、尾根はさらに高くなりながら奥へと続いている。

🌿と土と露岩が混ざった、よく分からない山…

出城山城の露岩と雑草が生い茂る尾根


側方の斜面はかなり急傾斜、ここも露岩の多い山のようだ😨

出城山城、西堡塁の露岩と石垣


そして、だらだらと登ってゆく露岩だらけの尾根を進むと、小さな石龕の立つ空間が現れた。

ここが城内最高所、主郭らしい。

出城山城跡の石龕と木々


石龕

出城山城の石龕、主郭跡


奥はわずかに高くなっているが、土塁状になった向こうは低くなっているらしい。

出城山城の西堡塁、露岩と植生に覆われた山道


この土塁状の上は完全な🌿🌿だった😂

竹林と雑草が生い茂る山道


赤色立体図を見ると、この奥は2段くらいの階段状になり、その先は細尾根らしい。

しかし、こんな中へ突っ込んで確かめに行くのは、季節はまだ早い。


なので、退散💨


ちなみに、狩野川沿いから眺める東堡塁は、こんな感じ。

出城山城への道、緑豊かな山並み


先ほど登った西堡塁とのあいだはバス通りの抜ける切通しで分断されているが、東西両方に砦を置いて武田勢を防ごうとしていたのだろう。

もっとも敵対していた武田勝頼は西の高天神城で徳川家康に敗れ、この城が築かれた翌年には滅んでしまった。

情勢は後北条と徳川の激突にうつり、その背後から新しい時代の足音がすぐ近くに、か…


★出城山城

静岡県駿東郡清水町徳倉

近くに駐車場等が無い。狩野川沿いのふれあい広場駐車場は広場利用目的以外では利用できぬので注意。

山城


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(2026年10月9日 記)