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(松本 若澤寺の遺構 その1からの続き)


さらに上へは、この平場を奥まで行ってから山道チックな道を登ってゆく。

松本山城の遺構、若澤寺の山道


すぐ脇の算木積みの欠片っぽい石垣、今にも崩れそうで心配…

若澤寺の遺構、苔むした石垣


そして上の段。

長野県松本市若澤寺 遺構の石仏と石塔


トバ口に、山城で見る井戸みたいな穴がある…

ただ、この段にはもっと奥に『アカノ井』がある。

コイツは井戸か?

若澤寺の遺跡、石塔と草木


山寄りには石塔とか色んなものが立っている。

これらは絵図には無い…

長野 若澤寺 遺跡 案内板と石塔


ここのメインディッシュは中央に建っていた中堂救世殿だったようだが、いまは兵どもが夢の跡みたく🌿🌿の中に眠っていた。

礎石らしいものも見えなかった…
若澤寺の山道と石像、雑草に覆われた遺構

山寄りの隅っこには、泥混じりの池があった。

これがアカノ井か😮

若澤寺のアカノ井跡 長野県松本市


さて、ここからまだ上がある。

次の段は、てっぺんの方が石垣らしい。

若澤寺の石仏と遺跡、山城の遺構


ここから沢の方へ寄ってみると、この段の南側斜面も石垣で固められているようだった。

もっとも🌿🌿でサッパリ見えない…

若澤寺の山道と緑豊かな森


沢沿いの方にも階段状が見える。

弁才天とか雄鳥羽ノ滝とかがあったあたりで、降りてゆく階段道もあった。

ここは帰りに見ていったが、道が思ったより歩きづらかった…
若澤寺の遺構、アカノ井周辺の山城跡

さて、ここは上へと登ってゆく。

下からも見えていた天端下の石垣、さっきの穴太積み風とは違う感じだな…

若澤寺の石垣と植生


そして、段の直下が回廊みたく細長い平場になっている。

山道に石垣と緑が生い茂る若澤寺跡


段に登ると、そこは金堂跡だった。

いまは説明板が立っているだけで、礎石などは1つ見えただけだった…

若澤寺跡の案内標識と緑豊かな山道


その上が、今の遺跡の最上段かな…?

ここも石垣だったのか、シッカリと段が残っている。

長野県松本市若澤寺の緑豊かな遺構


登ってゆくと、右手に低い石垣が積まれていた。

その上は道になっていて、『金ピラ』の跡などへ行けるようになっているらしい。

若澤寺の石垣と緑豊かな森


そして、最上段(たぶん)へ。

入るなり、転がる大岩…

若澤寺の遺構、巨石と緑


これは宝篋印塔の台座だったのか、向こう側に『文化年中築之』と刻まれていた😮

石塔の文字、若澤寺跡


もう一つの大岩に碑文が刻まれていたが、もういいや😂

なお、宝篋印塔は麓の山形村竹田の穴観音に移されているとのこと。


この上はさすがに自然に還っているようで、踏跡らしいものは見えるが遺構は見えなかったので、ここまで。

さっきの低い石垣の上を入ってみると、『金ピラ』の跡らしい平場があった。

若澤寺の森、木漏れ日と緑の山道


道はここの前からさらに続いていて、奥には一切経蔵があったらしい。

だが新しそうな石仏らしいものが見えたので、やめた。


帰りは中堂救世殿跡から弁才天の方へと降りてみたが、細いし端が石垣の端で、けっこう歩きづらい道だった💦

降りてゆくと、沢沿いの階段状のいちばん上に出る。

ここが弁才天跡か。

若澤寺跡の平場と草木


その下に、雄鳥羽滝の平場があった。

中央の説明板の周りが盛り上がっているが、周りの平場は泥濘んでいる。

若澤寺跡の案内標識と草木


『滝』は、石垣を積んで上から水を流していたようで、その石垣が残っている。

いまは水は無く、渇いている…

若澤寺の遺構、苔むした石垣と緑


さて、ここからは階段道で入口まで戻れる。

途中には、波田地区でいちばん古いという『阿弥陀来迎三尊種子碑』が屋根がけに守られていた。

若沢道供養碑 長野県松本市


これが長禄二年(1458年)ということで、ここで見た最も古いやつということになるが…


ここから下ってゆくと入口に戻れるが、滲み出し水で濡れている。

これで撤収💨


明治維新まで栄えていたということで建物の礎石などが生々しく、廃墟の雰囲気のある遺跡だった。

廃仏毀釈は合戦と同じような破壊力を持っていたか…と言葉を失うところだった😢

そして最盛期は江戸時代だが、戦国時代にも大名とかと深い関係を持ち、僧や衆徒たちがここを拠点に外敵から守ろうとしたこともあっただろう、という考えで1城カウントね😎


★若澤寺(にゃくたくじ)

長野県松本市波田

入口付近にスペースあり。アプローチ道は未舗装区間の路面が荒れていて神経を使う。

山城


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(2026年9月25日 記)

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松本の町から西のほう、梓川が山間から出てくるあたりの右岸側の山中に若澤寺(にゃくたくじ)なる寺院の遺構がある。

いまは🌿🌿にまみれた石垣や土の階段状に礎石などが残っているだけだが、江戸時代には隆盛をきわめた寺院で多くの伽藍が立ち並んでいたという。開創は奈良時代にまで遡るが当初はもっと山の上の方にあり、戦国時代に武田勝頼の保護・寄進を受けたあたりに現在地へ移ってきたのだとか。

明治維新の際の廃仏毀釈の流れのなかで1875年に廃された。いまは松本市の特別史跡。

近くに波田山城もあって歴史上では関係がありそうだが、ワタシが調べた限りでは分からなかった。


台風から逃れるためのシルバーウィーク遠征の道草で波田山城に登り、その足で続けて入った。

日も傾き始めて、夕暮れまでに麓に戻れるか…?💦


→現在位置(Googleマップで)

若澤寺への入口は、波田山城と同じ林道を車両通行禁止ゲートまで行ったところにある。

道標が立ち、すぐ上の右側に説明板などが見える。

若澤寺への緑豊かな参道


すぐに右側から登ってゆく階段道に入り、説明板が立つ。

松本市特別史跡 若澤寺跡の案内板


登り始めの道は、絵図に描かれたようすが信じられないような、自然のなかの緑豊かな道だった😮

若澤寺への緑豊かな山道


そんな中を1〜2分ほどで、さっそく正面に現れた平場😮

若澤寺跡の山林、礎石とベンチ


山に抱かれた平場は方丈とか護摩堂とかが並ぶ下にあたっていて、絵図には描かれていない場所らしい。

すぐ左手が二段目、道はその斜面を斜めに登っている。

若澤寺遺構、緑豊かな階段道


外側の沢に面した斜面はヤブの中でよく見えないが、城のようにガッツリ守っているのとは少し雰囲気が違って、やっぱり大きな伽藍とかが見えているようすが似合うか😊

最初の平場を、登ってゆく道から見下ろしたようす。

若澤寺跡の遺構、松本市の緑豊かな山道


上の段へ登ってゆくところは、坂虎口に見えなくもないが、幅が広くて登りやすいし、やっぱり雰囲気が違っているような…

若澤寺への緑豊かな道、木々が生い茂る


そして、二段目。

ここには護摩堂や方丈(僧侶たちの居間)が立ち並んでいたとのことで、礎石とか石列とかがあちこちに見える。

まだ廃の雰囲気が残っている場所だな…😮

若澤寺跡の礎石と山々


方丈跡という説明板の脇に、円形の石列。

若澤寺跡の井戸遺構、松本市の史跡


護摩堂の玄関があったというところの石列。

これが生々しい感じ😮

若澤寺跡の石垣と礎石


南側に護摩堂があったらしく、たくさんの礎石が並んでいる。

説明板も立っている。

若澤寺遺構、礎石と説明板


手前側に並んでいる礎石の一つ。

こんなのが、公園チックながら草刈りだけされたような広場に並んでいる…

必ずしも真っ平らじゃないのね…😮

若澤寺跡の礎石と自然の風景


傍らには、井戸らしい穴が開いていた。

ちゃんと石積みで固められていたようだが、少し崩れているな…

若澤寺跡の井戸跡と石垣


さて、この上にもまだ空間が階段状に並んでいるようで、けっこう厳つい段が見えている。

若澤寺跡の緑豊かな遺構、長野県松本市


上へは、沢寄りの端の階段のある道を登ってゆく。

わりと🌿🌿な風景になってくる…

若澤寺遺構への緑豊かな石段道


上に登るところは、山城の虎口みたく急坂で少し掘られたように見える。

通路だけ草刈りされているからか?😅

若澤寺遺構、緑に覆われた山道


そして、上の空間は先ほどよりかなり狭く、細長い平坦地になっていた。

ここには元々何も建っておらず、上の段へと登ってゆく坂道が出ていたようで、それらしいものが🌿🌿の中に埋もれているようすが見える。

見ているときは何が何やらという感じで読み取れず、あとで絵図と比べてそれと理解した…😅
若澤寺跡の遺構、緑豊かな自然の風景

さっきの護摩堂のある平場を、このあたりから俯瞰できる。

箱庭みたいだなぁ😮

長野県松本 若澤寺跡 礎石と緑の森


さらに上の段は、🌿🌿に覆われているが壁のように鋭い。

緑豊かな若澤寺遺構の風景


立入禁止になっているから何かと思ったら、


石垣で固められてたか‼️🤯

若澤寺の石垣とシダ植物


まぁ江戸時代に繁栄した寺院なら、石垣ぐらいは設えられたか。

これから整備されるのかな…?


さて、この上にはどんな世界が広がってるんだ…


(松本 若澤寺の遺構 その2に続く)


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(2026年9月24日 記)

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(松本 波田山城 その1からの続き)


主郭登るか…


さて、こんどは堀切の向こう側に見えた帯曲輪へ行ってみるか。

この帯曲輪は堀切に近づくと一段下がって、通路状になりつつ繋がっている。

このあたりから見下ろす堀切が、如何にも土木の跡という感じで陰影がスゴい😮

堀切と帯曲輪、山城の土木跡


竪堀になって落ちてゆくところ。

厳つい表情✨

堀切と帯曲輪の山城跡


このあたりから見上げる主郭。

尾根線に向かって堀切が登っていき、途中で帯曲輪への通路を繋いでいる。

堀切と帯曲輪がある山城の斜面


右手に入ったところ、主郭の北側一段下に広がる帯曲輪も、これまたシッカリ削平されていた。

そして、ここもかなりの幅がある😮

森の中の堀切と帯曲輪


奥の方は、一段高くなっている。

あれは主郭への虎口に続く土橋が降りてきているやつ。
波田山城の森林と斜面

主郭へ登る前に、まずは下を見渡してみる。

もう一段の帯曲輪が横たわっているのが見える😮

帯曲輪と堀切の風景、波田山城跡


降りてみると、これまでのよりは幅が狭いようだが、削平はちゃんと施されている✨

山城の帯曲輪と堀切の風景


ここから、主郭と北郭の間の堀切に繋がっているかは、だいぶビミョ~なところか…

波田山城の森、堀切と帯曲輪


さて、主郭への登り口は、どうやら上の帯曲輪の一段高くなったところの上にあるらしい。

ここはかなりハッキリと土橋+虎口コンボになっている😮

波田山城の堀切と帯曲輪、松本市


土橋状の向こう側にも帯曲輪が続いているらしい。

主郭から奥のほうが止め山らしいので、ここは後で帰ってくる経路になるか…

堀切と帯曲輪のある波田山城跡の森


さて、主郭へ入るか。

秋葉神社と標柱、巨木のある森林


一見して白い標柱と祠が立ち、ベンチも置かれているなど、過去には信仰の場所とかになっていたような雰囲気がある😮

祠は秋葉神社だそうで、これがあることから『秋葉城』とも呼ばれるのだとか。

波田山城跡の標柱と秋葉神社祠


標柱は1990年4月設置だそうだ。


今登ってきた虎口と動線。

これが大手なのだそうだ。細いなぁ…😮

波田山城の堀切と帯曲輪の自然景観


いっぽう、反対の南側には土塁が盛られていたようだ。

こちらにも虎口が開いていた?

波田山城の堀切と帯曲輪


虎口らしい外側はほぼ切岸そのままだったが、山城ではたまにこういうのを見かけるので、ここも…?

ここから見下ろす切岸と、下の帯曲輪。

波田山城の森、秋葉城跡の堀切


奥のほうには、屋根がけされた井戸が復元されていた😮

底は1メートルぐらいか。

波田山城の復元井戸と秋葉神社の祠


そして、西端はけっこうゴツい土塁に囲まれていた。

長野県波田山城の帯曲輪と堀切


足元には、これまたザクッと掘り込まれた堀切✨

波田山城の堀切と帯曲輪の様子


南のほうへ尾根を横断していた😮

波田山城の堀切と帯曲輪の風景


そして、ここは隣の南郭を一望できる。

ごくちっこいテーブルマウンテンみたいに見える😮

波田山城の帯曲輪と堀切


相模、河村城の小郭をちょっと思い出したりして…

こちら側を堡塁のようにガッチリ固めていたようすが、ありありと覗われる…


南郭そして終端


ここから先は、尾根線から南側いや北へ少しはみ出たところまで止め山になっている。

堀切へは急斜面を直接降りることになるので避け、虎口から北へ出て進むことにした。

帯曲輪は意外と奥行きがなく、向こうに南郭との間の堀切が見えている。

波田山城の堀切と帯曲輪


帯曲輪と堀切との間は土塁で仕切られている。

東側が通路でつながっていたのとは対照的に見えた…

波田山城の堀切と帯曲輪


そして、堀切。

止め山に入らぬよう、ここまでで止め。

堀切と帯曲輪のある山城跡


北へ落ちてゆく竪堀は鋭い断面を見せているが、意外とすぐ下で斜面のなかに消えていた。

堀切と帯曲輪のある山道


この堀切からは南郭の北側斜面を横断して進めるようなので、入ってみる。

南郭の切岸もなかなか鋭いが、すぐ先で尾根の高度がストンと落ちている😮

波田山城の堀切と帯曲輪の森


そのまま、南郭の向こう側の堀切が俯瞰できるところに出られる。

コイツは引っかきキズみたく細いみたい😮

堀切と帯曲輪のある山城跡


堀切の脇から南郭にも入れるようなので、入ってみた。

ちゃんと削平された空間になっていた。

松本城跡、堀切と帯曲輪の森


堀切の向こう側に、さらに平場が見える。

長野県波田山城の尾根と帯曲輪


裾を横断する堀切、ホント細い😮

波田山城の堀切と帯曲輪


さて堀切の向こう側の平場、奥には土木工事の跡らしいものは見えず、ふつうの丸い尾根になってズルズル高度を下げているようだった。

松本波田山城の堀切と帯曲輪


防衛のための土木工事が施されたのはここまでと判断し、これで撤収した。


梓川を挟んで北側には北条城というゴツい土木工事を施した城があるが、この波田山城はそれに劣らない規模と土木工事量を持った城だった。

これが政治的にも張り合っていたとは…記事を書くための下調べで知った…😅


ラストは、主郭の下に堀切をバックに立っていた🍄

森のキノコ、秋葉城の風景


★波田(波多)山城

長野県松本市波田

若澤寺への入口付近にスペースあり。アプローチ道は狭く路面が荒れていて神経を使う。

山城


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(2026年9月24日 記)

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波田(波多)山城は梓川が山間から出てくるあたりの南側の山中に、若澤寺(にゃくたくじ)の遺構の近くの尾根上に構えている。かなり山奥でアクセスが大変だが素晴らしい遺構が残っており、松本市の特別史跡となっている。

城の始まりは室町時代中頃の寛正三年(1467年)、信濃守護小笠原氏の一族櫛木市正一俊が地頭としてこの地にやって来たときと考えられているらしい。梓川沿いにあった櫛木城の詰城として次の世代まで使われたとのこと。飛騨方面や対岸の西牧氏への備えだったとか。隣の若澤寺との関係はよく分からなかった。城の石垣を取り壊して寺を築くのに使ったらしいとも。


シルバーウィークには南岸から近づく台風を避けて北陸方面に行くことにし、道草として立ち寄ったのだが、何しろ道が狭く、田村堂のある集落からの道の荒れっぷりに神経を使いながらのアプローチだった😅


アプローチ長い…


松本電鉄渕東駅付近の国道158号から南に線路を渡り、まずは田村堂のある集落(→Googleマップで表示)に入ってゆく。このあたりが櫛木氏の本貫で、居城だった櫛木城があった。遺構はほとんど分からないとのこと。

見逃した!😅

ここからは若澤寺への道標に従って山の中へと入ってゆくが、この道が舗装が終わった瞬間から轍がえぐれたり流水に洗掘されていたりして、普通車では神経を使う。軽四駆がベストだろう。


→現在位置(Googleマップで)

凸凹だった道がラスト数百メートルがコンクリ舗装になるので、急坂とはいえ気は楽になって若澤寺の前まで進む。

そして若澤寺への登り口すぐ手前で、左へ分岐する細い道へと入ってゆく。

波田山城への道、森と緑の分岐点


こんな案内図も立っていて、これなら城内にはスムーズに入れるか?

ってなる。

波田山城跡への案内図


ここまでの運転でだいぶ神経すり減らされたが、奥のほうはこんなのが立つほど売り出し中か…

最初は🌿🌿な足元注意のトレイルになってゆくかと思わせたが、意外にも道はきれいで周りの谷も土と緑が美しい✨

波田山城への山道、緑豊かな森


城のある左側が止め山で立入規制されているのが気になるが…

そんな中を、沢沿いに少しずつ登ってゆく。


そして、沢からせせらきの音が聞こえなくなるあたりで、城に向かって道が登っている。

ここまで来れば、比高はあと30メートルぐらいというところ。

波田山城への道標と山道


あたりには道標、入口の案内、そして説明板が立っている。

説明板は鳥瞰図イラストと縄張図も入った、とても勉強になるやつ✨

波田山城跡の復元イラストと縄張図


まずは北郭へ


縄張図の印象とは裏腹に、けっこう急な登りの階段道を進んでゆく。

そして右手から尾根が入ってくるあたりから、主郭部にグッと食い込んで登ってゆく。

このあたりは大きく2段の階段状になっている。

波田山城への木製階段と森の道


その反対側が水の手らしい。

見てみると、尾根に小さな溝が刻まれ、斜面を滑り降りているのが見える。

波田山城、北郭への急な階段道


そこから階段を数段登ると、尾根の方から落ちてくる竪堀に出会う😮

けっこう立派なやつで、道は沿うように登るようになる。

波田山城への険しい登山道と森


左手はすずらんテープで規制されているが、これまた幅広でハッキリした帯曲輪✨

波田山城の尾根筋の遺構


ここを登ると、いよいよ主郭目前というところで二段目の帯曲輪にぶつかる。

見上げる主郭の右側に深い堀切がザックリ✨

波田山城の竪堀と帯曲輪


この帯曲輪も、かなり幅広😮

城の南側を西に向かってかなり奥まで続いているが、止め山で入れず。

波田山城の遺構、急な森の斜面


そして鋭い堀切✨

波田山城の堀切と雑木林


主郭へ登る前に、まずは北郭へ登ってみるか。

ツルンとした切岸だが、ふつうに歩いて登れる。そしてこちら側は規制されていない。

波田山城の尾根、遺構の土塁


北郭には虎口も何もなく、登ってみると東西に細長い平坦な高原状だった。

テニスコートくらいの広さで細長くなったような感じか。

松本波田山城の遺構、森の中の地形


主郭との間の堀切。

まさに、ザックリ😮

波田山城 堀切と帯曲輪


北側の一段下には、これまた立派な帯曲輪が見える✨

長野県波田山城の斜面と森


いっぽうツルンとした曲輪の南端には、低いながら土塁らしい盛り上がりが見えた。

波田山城の山林と遺構


曲輪の東端。

土塁こそ無くなっているが、縁はハッキリしている。

波田山城:森に囲まれた緑豊かな地形


外側の切岸も、なかなかシッカリ✨

ちゃんと切岸盛土されていたようす。

波田山城の急峻な山道と緑


北側を這っていた帯曲輪、この先まで回り込んできていたか😮
しかし、だいぶ低い位置にあるようだな…
波田山城の山道と森の風景

北の帯曲輪たち


さて次は、北郭の北側に見えていた帯曲輪へ入ってみるか。

主郭との間の堀切を抜けて右手だが、これまたかなりの広さ😮

波田山城の遺構、帯曲輪と堀切


堀切は右カーブしながら落ちていた。

途中で主郭北側の帯曲輪へも繋がっているようで、通路にもなっていたようす。

森の中の木々と紅葉した地面


帯曲輪は奥へ入ってゆくとストンと数メートル落ちていて、さらに北郭の東端の方へと続いていた。

波田山城の竪堀と帯曲輪


土がやわらかいので足元に注意して降りる。

この帯曲輪も立派なやつ✨

波田山城の山道、森の風景


外側の斜面はだいぶ大人しくなってるな…

波田山城への道、森の斜面


そして、この曲輪が北郭の東端まで回り込んでいた。

倒木とかあるが、容易に入って来られる。

波田山城の遺構、帯曲輪と堀切


北東の端っこに、よく見ると下から道が登ってきているか?😮

縄張図と照らし合わせると、北東からの大手道がワインディングしながら登ってきて、城内に入るところだったらしい。

波田山城の林道と遺構


一段下に段があるが、これは虎口空間だろうか…?

長野県松本市波田山城の森の斜面


次は、堀切を渡って主郭のほうへ入ってゆくか。

そちら側にも帯曲輪とかが見えていた…


(松本 波田山城 その2に続く)


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(2026年9月23日 記)

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十王山烽火台は十王山砦とも呼ばれるようで、富岡の町のすぐ北、西毛広域幹線道路が富岡城の脇に巨大な掘割で通り抜けてゆく西側にあった。

西毛広域幹線道路ができる前は富岡城から尾根続きで、その支城もしくは小幡氏の烽火台と言われるが、詳しい歴史は分かっていないらしい。


安中の天神山にある堂尾根砦や鷹ノ巣城を回って、ここのところ通い込んでいた安中アルプスの城は一段落にし、帰り道に訪問した。


→現在位置(Googleマップで)

烽火台のある城山公園には立派な駐車場があるが、どうもくたびれた感じが…

その傍らから、山上に向けて登ってゆく。

烽火台への石段、群馬県富岡市


その上はずっと階段道だろうと思っていたら、すぐに終わってしまった…

つづら折れになりながら登ってゆくようだが、早くも🌿🌿で怪しい雰囲気…😓

十王山烽火台への草むした登り道


道がこんなんなので、マム君だけでなく🐍全般に注意しまっす💦

マムシ注意の看板と草むら


そんなに高低差はない尾根だが、🌿🌿の中を足元に気をつけながら慎重に進んだので、かなり時間を要した💦

登ると土の車道になり、富岡市街の雄大な展望が開けるが、すぐ先が民家で犬が吠えてくるので緊張した。

いちおうハイキングコースとして整備されたところらしい。

群馬県富岡市 城山烽火台 案内標識


そして、民家の奥に烽火台の盛り上がり🙌

道は烽火台の北側に沿って通り抜けている。

十王山烽火台の遺構と山道


ここもまた🌿🌿だが、南側は割と背丈が低いようなので、そちらから入ってみる。

上に登る道があったようだが、🌿🌿で完全に覆い尽くされていた💦

群馬県富岡市 十王山烽火台の草木


ここはてっぺんが平坦な地山の上に古墳を継ぎ足したような築かれ方だったのか、周囲に武者走り状が囲んでいる。

上も下も、なかなかの急斜面😨

十王山烽火台、群馬の山城遺構


北東の端では低くなって、先ほどの道に繋がっていた。

山側に土塁状を盛って、動線を絞っていたか?

群馬県富岡市 十王山烽火台への道


出てから振り返ったところ。

右が土塁、左が斜面に絞られた虎口のように見えなくもない…か?

十王山烽火台への山道


さて、目の前まで来て主郭に登れぬのも悔しいので、何とか登れる場所がないかと探してみると、このあたりの森の中か手前の草地から登れそうな感じ。

ただ🌿🌿は思いのほか深かったので、北側の森との境目あたりから登ってみた。


祠の立つ空間…

十王山烽火台の石造物と雑草

そして、背後の切岸だか盛土だか。

これはシッカリ盛られていた。

十王山烽火台の草木が生い茂る斜面


さて、この山は東の富岡城から続いていたという。

いまは西毛広域幹線道路の掘割でぶった切られてしまったが、その面影が残っているかどうか、少しだけ東へ行ってみた。

すぐに左右に道路が分かれていき、中央が西側の稜線、右が富岡城の主郭方面になる。

あまり城らしい感じはしないな…🤔

十王山烽火台への道、脇には緑が生い茂る


右へ入ってゆくと、麓まで落ちてゆく斜面は見事✨

十王山烽火台の斜面と緑


尾根はこのすぐ先でドン詰まりになり、北側の一段下に平場があった。

ソーデンセン立ってる…

十王山烽火台の山頂と送電鉄塔


こんな広い平場はやっぱり何かの施設を作ろうとしなければ出来ないだろうなので(?)、やっぱりこれは城の遺構なのだろうか…

まぁ西毛広域幹線道路の反対側まで富岡城を見に行けば、何かわかる…かな?


★十王山烽火台

群馬県富岡市下黒岩

麓の城山公園の駐車場が利用可だが、駐車場も登道もだいぶ草臥れた感じ。烽火台脇に民家あり。

山城


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(2026年9月22日 記)