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羽賀城はかつての江戸崎町中心地から2kmちょい南西、県道49号の東側にあった。いまは東耀寺や芳賀神社の隣で深い竹ヤブの中に眠っているが、遺構の残りはなかなか良好。
江戸崎城を本拠地とした土岐氏(土岐原氏)の家臣臼田氏の城だったとのこと。天正十八年(1590年)に江戸崎城は佐竹氏に攻められ落城したが、羽賀城も運命をともにして廃されたらしい。
なおこの臼田氏は信濃国の滋野氏出身で、南北朝時代の末期にこの地に移ってきたのだとか。県指定文化財「臼田文書」を今日まで伝えてきていて、中世後半のこのあたりの貴重な記録になっているとのこと。
日曜朝イチに訪問したが、寝坊したうえに車を停めておく場所が無くてウロウロし、攻略に取りかかった時には9時を過ぎていた😅
→入口の位置(Googleマップで)
東耀寺というお寺さんが城への入口になる。
この奥の方の竹ヤブから入ってゆくのだが、境内を通り抜けてゆくので入って行きづらいところ💦
竹ヤブの中が広い平場になっている。

この竹ヤブ、少なくとも手前のほうはある程度手入れされているようなので、筍のシーズンなどは注意したほうがよいだろう。
丘の一定のラインを堀でぶった切っているような感じでなく、どこから出入りする城なのか縄張図から読み取れなかったので、進む方向を見失わないよう丘の南の端に沿って進んでゆくことにした。
しばらく進むと前が下り斜面になり、その下に離れ小島のような塚が見えてきた。

この塚は城の東側を仕切る空堀を南側に出たところにあって、現在位置を特定する良い目印になる。
ここは、少し右手に進むと土橋のある虎口が現れるか、と思って斜面の縁に沿って進むと、それらしい場所が現れた。
右手から堀が降りてきて、それを正面の土橋で渡って城内に入っている。
しかし、荒れっぷりが相当で分かりづらいったら…😂

右手から降りてきた堀も、デカい倒木とかでこの有様😂
こりゃ、とても辿れない💦

この堀は城内最大のようで、少し北で西に折れているという。
しかし堀の中はとても進めないので外側の土塁に沿って進んでゆくと、断面がだんだん大きくなりながら登っていった先で、奥に90°折れていた。
森の中のパンダでサッパリなコンディションの中、広角レンズのワイド端で…

この堀の外側は城内から撤収するときに見てゆくことにして、さっきの土橋から城内に凸入💨
入った先はごく狭い平場…と思ったら、わりあい広さがあった。

ここから、さらに城内に向かって登り坂になった土橋のようなものがあった。
ハッキリと踏跡あるやんけ😮

この土橋の両側はさっきの堀の続きだが、薄くてほとんど分からなくなっていた…
さて土橋を登ってゆくと、すぐに虎口。
上の曲輪に竪堀状で入ってゆく。

この両側の切岸が、なかなか鋭くて地味な見ものだろう✨

この切岸上からは、🌿🌿が無ければ土橋の下の曲輪が丸見え😨
あそこは虎口空間だったのだろうか…
さて、虎口から上の曲輪へ。
ここがまたジャングルみたいな🌿🌿の世界で、広さがまったく見渡せない😂

踏跡は北の方へ入り込んでいたので辿ってみると、曲輪北端の土塁上に小さな石龕が立っていた。
ここも御神域になっている。

向こう側は、さっき反対側から見下ろした大きな堀の折れ。
ちょっと荒れているし、神聖な場所を踏み荒らすのもイヤなので、そのまま引き返した。
そのまま曲輪の縁に沿って、灌木を掻き分けつつ進んでゆく…
南の端は、すぐ下が事業所とかになっているようで、大きな建物が見える。
そっちの方は、けっこうな傾斜の切岸になっている😨

で、そちらへ向かって降りてゆく竪堀状があった。

以前はこの下に曲輪があったようだが、削り取られたかな?
この竪堀の脇には、また石龕の立つ塚があった😮

そして、その向こう側が大きな堀になっているようだった。
そして…
教科書に出てきそうな虎口‼️🤯
しかし今見るとモジャモジャだわ…😂
深い堀をハッキリした土橋で渡って、向こう側へと動線が繋がっていた。
この堀も、凄いんだに。
土橋から北側

南側は、さらに大きくて池も作れそうな😮

そんな堀を土橋で渡って、郭内へは少し登ってゆく。

そして、登ったところが主郭。
これまた灌木や竹ヤブがけっこうなもので、奥まで見通せない😂

虎口の左脇に残骸のような土塁がある。
外の堀に沿うところだけに盛られていて、丘の端に出ると無くなる。

右脇には、同じような残骸の奥に2メートルばかりも盛られた土塁が😨

上にダルマが置かれている…😨
なかなかに、意味ありげな守り神だ…

さて主郭の南側の切岸も、また見事✨

この下も曲輪だったようで、今は民家が立っている。
その曲輪の西側を囲うように、これまた見事な細尾根が南西に伸びていた✨

この尾根は民家の庭の端に向かって降りているので、奥まで入ってはいけない。
このあたりが城の南西端近くになるか。
ホントは西側の下の方にもう一段曲輪があるのだが、こんな斜面の直降りでないと行けないので、遠慮😅

なおも主郭の縁に沿って進んでゆくと、坂虎口のように外へ出入りできる場所があった。
これは北西側の虎口か。

出てみると、広い堀のような曲輪のようなが伸びている。
ここが城の北側を通って東耀寺の方まで続いているらしい。

虎口を振り返ったところ。
さっきの東側のやつに比べたら、何とシンプルな…😮

外側の堀のような曲輪のような空間は、南へ行くにつれて深くなって、大きな堀のようになってくる。

この堀の外側を土塁のように守っている曲輪から退城することにしたが、この通りの🌿🌿の世界だった😂

ここを進むと、最後には土塁の上に出る。

最初の方で見た、大きな堀の折れのすぐ南だった。

ここまで来れば、もう入城した東耀寺が竹ヤブの奥に見えている。
最初こそどんな城か全く見えなかったが、結局は丘続きに大きな堀を2本入れて先端のほうを曲輪に仕立てた、典型的な丘城だったようだ。
戦国時代を後北条氏のもとで江戸崎城とともに生き抜いてきた土岐氏そして臼田氏は、さすがに溌剌としていた様子が遺構からも覗えるところだろう。
文書を伝えてきた家の城ときいて各務原の野口館を思い出したが、ここは同じ轍を踏まないで欲しいと切に思った。
★羽賀城
茨城県稲敷市羽賀
周囲に車を停める場所がなく苦労する。東耀寺から墓地を通るので荒らさないよう注意もいる。
丘城
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(2026年5月4日 記)