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夏の高遠城 その2からの続き)


では、城内では最後のピースになった南曲輪へ。

堀を渡る土橋は後補らしい。

高遠城の緑豊かな遊歩道


そして、ここから見下ろす南側の堀が、城内で一番キレイに断面を眺められるかも🤗

高遠城の空堀と森


南曲輪は、盛大に発掘調査中だった。

江戸時代後期、ここには庭園があったという。

高遠城跡、南曲輪への小道


発掘調査現場にはシロウトに分かりそうなものは何も見えなかったので、南の白兎橋からサクッと退出した。

下の堀、さらにデカい🤯

高遠城の堀と木々


外には、宝憧院曲輪。

ここには戦国時代に宝憧院なる寺があり、落城の後に東へ移転して桂泉院となっているとか。

高遠城南曲輪の発掘調査現場


ここの外側の切岸どうなってるかと、曲輪の端まで行って見下ろしてみると…


ガッツリな堀‼️🤯

え〜知らなかったの〜?😁なんて声がキコエル…😅
高遠城の南曲輪、夏草茂る緑豊かな斜面

過去に何度か登城したがここはちゃんと見たことがなかったし、ただ切岸があるぐらいかと思ってたら、めちゃくちゃ立派な空堀で守っていた。

角度を変えて南ゲートから見下ろすと、断面がわりとキレイに見えた✨

高遠城の空堀と植生


そして、この曲輪の城内側、二の丸との間にも深い堀が横たわっており、そちらへは南ゲートの少し内側から遊歩道が降りている。

この道は二の丸の『無字の碑』横まで繋がっていて、迫力ある空堀の断面を満喫することが出来る🙌

夏来たりの今はモジャモジャだが…😂

長野県高遠城の森と空堀


さっき渡ってきた白兎橋の下の堀にも入れる。

踏跡は無いので、本当は入って欲しくないのかも知れないが…

高遠城の堀と橋、緑豊かな城郭


外郭廻り


さて、南ゲートから二の丸北東の搦手門跡までわりと近いので、撤収はそちらからにした。


堀とか見えないかなぁ…なんて思いながら歩いていると、搦手門に近づいたところにカーブしてゆく堀がキレイに見えるところがあった🙌

二の丸の北東に隣り合う、三の丸の北側外周の堀。

長野県高遠城の緑豊かな森と空堀


そして、少し歩けば搦手門跡。

土橋らしい道が渡っているが、遺構らしいものは見えない。

高遠城跡の南側、緑豊かな道


が、ここからは北側の堀に降りることができる😮

これまた雄大なっ🙌

高遠城の南曲輪の堀と石垣


そして、車を置いた勘助曲輪の方へ向かう道の途中からは、二の丸の外側でカーブしてゆく堀も見下ろすことができた。

かなりモジャモジャだが、カッコいい✨

長野県高遠城の木々に覆われた空堀


こんなもんじゃろ!

退散💨


盛夏だったせいだろうが🌿🌿が盛大で、どこぞの山城をデッカクしたように見えたのは、武田の築城術が色濃く出ているということなのだろうか…?

『武田流築城術』なるものをイマイチ全く?理解していないワタシなんだが…😅


★高遠城

長野県伊那市高遠町

公園入口前の駐車場は有料。勘助曲輪はシーズンにはバス専用になる。整備良好だが堀の中は草が旺盛。

丘城?

 

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(2026年8月4日 記)

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夏の高遠城 その1からの続き)


二の丸土塁の向こうには…


進徳館から少し先は、いよいよ城址公園となっている二の丸への入口。

桜の時期はカオスになるところ…

高遠城址公園の小道と木々


渡る土橋の横に見下ろす空堀の、立派なこと✨

ここは間違いなく近世の城か。

高遠城址公園の堀と緑豊かな木々


そして郭内。

いまは桜やモミジの木が柵で守られ、コンクリ石畳の園路が通じてすっかり公園の装い。

高遠城址公園の遊歩道と緑豊かな芝生


モミジの木の下に説明板が立つ。

高遠城址公園 二ノ丸跡の解説板


真ん中あたりには、昭和九年(1934年)に建立されたという『天下第一櫻』の石碑。

高遠城址公園の無字の碑


たくさん植えられたタカトオコヒガンはここの象徴だが、大枝を剪定した痕が穴になっていたりして痛々しい木もあったりする…

もともとそんなに大きくなる木ではないらしいが、老木になって手がかかるようになってるのだろう…


さてここの見ものは、東辺を守る高い土塁。

寄ってみたら、高さ2メートルあって、一直線に南へ伸びていた😮

高遠城址公園の緑豊かな森

ここは南端から天端に登ることができる。

わりと幅広。

長野県高遠城址公園の空堀と緑豊かな土塁


そして、外側に横たわる堀が巨大なのなんのって🤯

これは近世の城ならではという感じ。

高遠城址公園の緑豊かな木々


さて二の丸を南の端っこまで行くと『無字の碑』が立っている。

台座に乗った、樹木の向こう側に見えるのがそれだが、たしかに字が彫られていないみたい…
高遠城址公園の無字の碑と緑

当地出身で東京市長や貴族院議員などをつとめた伊澤多喜男を顕彰しようと地元の人が碑を立てようとしたが、伊澤本人に断固拒否されてやむなく字を刻まないまま立てたのだという。


この周り、ちょっと佳き雰囲気…

高遠城址公園の無字の碑と緑地


本丸へ行く前に堀の中へ…


さて、ここから園路は土橋を通って本丸に隣接する南曲輪へ入ってゆくのだが、それは北側の桜雲橋を渡って行くことにして、まずは本丸との間の堀を見ていくか。

二の丸と本丸や南曲輪との間には、これまた大きな堀が横たわっているが、南側は完全なる🌿🌿の園😂

緑豊かな森の風景


北側には、池が見える😮

高遠城址公園の緑豊かな堀と池


そして、ここへは階段道から下ってゆくことができる。

池の水面にはアメンボが滑っている。

そのせいか、この風景のわりに蚊が少ないように思う。

高遠城址公園の堀と緑豊かな木々


そして、この池の西の方には、本丸と南曲輪を仕切る空堀が枝分かれしている。

これまたかなりの深さだが、すぐ先で土橋に塞がれて終わっているようだ。

高遠城跡の緑豊かな空堀


堀は桜雲橋の下をくぐってさらに続いているが、奥の方は立入り規制されていた。

🌿🌿でモジャモジャなのは、季節が季節だけに仕方ないか…😂

高遠城址公園の堀と木々


本丸へ


それでは、いよいよ本丸へむけて桜雲橋を渡るか。

高遠城址公園の桜雲橋と木造門


そして、江戸時代に城下の本町・問屋役所にあったものを移築したという門をくぐって本丸へ。

高遠城の移築門、緑に囲まれた古風な門


これらはどちらも往時の城の建物ではないが、高遠城のシンボル的なやつ。

風景にすっかり溶け込んで、城の雰囲気を演出しているな✨


そして、郭内。

両側に、櫓門の台か?という石垣。

高遠城二の丸への石垣と緑豊かな公園の道


中は、これまた公園の雰囲気。

高遠城址公園の「天下第一櫻」石碑と説明板


が、写真正面の木の脇に説明板が立っていて、この木は若返り策によって蘇ったものだという。

幹の下の方に太い根が絡み合っているように見えるが、これは途中に生えた若木の根を途中まで誘導して根付かせたものとのこと。

当地の象徴たるタカトオコヒガンを守るために、こんな策も打っていたか😨


本丸には、ほかに新城藤原神社が…

高遠城址公園の鳥居と石段


そして、太鼓櫓も。

高遠城の太鼓櫓と緑豊かな木々


ここからは、南曲輪や宝憧院曲輪に向かって退出するのだが、このへんの曲輪の標高がみんな一緒なのが面白いところ…🙄


夏の高遠城 終章に続く)

 

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(2026年8月4日 記)

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いまはタカトオコヒガンの名所として知られる高遠城は、三峰川と藤沢川の合流点あたりの東側に広がる段丘上にある。桜は明治維新後から城の荒廃を惜しんだ旧藩士たちにより植えられはじめたものとのこと。


もともとは諏訪一族から分かれた高遠氏の居城で、戦国時代に本家の諏訪頼重と反目した高遠頼継が甲斐の武田方に寝返って、諏訪への侵攻を手引きするなどして引き入れたが天文十四年(1545年)には領地争いから武田氏に城を奪われた。

その後は武田氏の城となり、伊那谷への進出さらには対織田・徳川の重要拠点となった。現在残っている遺構はこの時代のものが基本になっているとのこと。長篠の戦いから9年後の天正十年(1582年)になると織田信長が武田領へ大挙侵入し、真っ先に攻撃目標にされた高遠城は織田信忠率いる3万の軍勢に攻め落とされた。

同年の本能寺の変を機に武田家の遺領をめぐる天正壬午の乱が起きると、徳川家康配下の保科正直がここを押さえた。そして江戸時代には内藤氏により高遠藩が立てられ明治維新まで続いた。

現在は国指定史跡、日本100名城。


当地も最高気温36℃というこの日、心身のウォーミングアップのつもりで訪問した。

勘助曲輪の駐車場に車を停めて、先ずは少しだけ下って大手門跡からGo💨


さっそく大手門で足止め😂


現在位置(Googleマップで)

狭い車道が急カーブで登ってゆく、今の大手門。

傍らには石碑も立っている。

高遠城址大手門へ続く坂道


大手門から切通しになって登ってゆく大手坂。

高遠城址大手坂の石垣と路面


右側の民家の下の石垣は大半が後補のようだが、手前のほうに突き出しているところだけは往時の枡形の石垣とのこと✨

高遠城址の石垣と木々


そして、大手坂左手の石垣は、ゴツい穴太積みのやつ✨

高遠城址の穴太積みの石垣


その背後には、三の丸へと登ってゆく遊歩道の背後が土の切岸…

高遠城址公園の木道と石垣


この大手門の下、階段道のところに大手坂石垣の説明板が立っている。

草地になっているところの横にひとすじ、影になっているところがそれらしい😮

高遠城大手坂の石垣と草地

そんなわけで、風景がだいぶ今風っぽくなっているこの界隈にも城の名残はあちこちに残ってるもんだ🙌


三の丸・勘助曲輪を探索…


ここでだいぶ時間が潰れた😅

遊歩道は🌿🌿だらけなのでパスして、車道となった大手道を三の丸のほうへと登ってゆく。

そして、だいぶ傾いた移築門💦

高遠城大手門跡の趣ある門


三の丸は、完全な🌿🌿の園だった😂

まぁこの季節じゃ…

高遠城址公園の緑豊かな芝生と木々


上の段との間は、これも石垣が嵌め込まれてる😮

高遠城址の土塁と木々


草叢の中から、上の段へと登る石段が見える。

両側の石垣も、ここがいちばん見やすいだろう。それでも埋もれた感たっぷりだが…

高遠城址の石垣と草木が生い茂る階段


まぁ上へは整備された階段を通って登れるので、わざわざ🌿🌿の中へ足を突っ込む必要はない。

階段の上は、上下二段になっているようだ。

高遠城址公園の緑豊かな芝生と木々


上下間の段にも、石垣が一部残って(?)いるようだ。

高遠城址の緑豊かな石垣と木々


そして、ここも階段を登って上段。

いまは桜の木と🌿🌿の広場。

高遠城址公園の緑豊かな芝生と木々


ここから、大手道を挟んで向こう側が車を置いた勘助曲輪。

広いグラウンドになっているが、往時は真ん中を堀が横切っていて、その向こう側が勘助曲輪だったとのこと。

駐車場と青空、山並み


ここは本丸に近い東のほうが大手道よりも低くなっていて、その部分は土の切岸になっていたようだ。

高遠城址の緑豊かな斜面と木々


かつて堀がめぐっていたのは、本丸側につづくこの斜面の裾あたりか…?

いまは一続きの斜面に見えるが、向こう側から本丸周りの堀が降りてきていた?

高遠城址の緑が生い茂る坂道


ここに説明板が立っている。

高遠城跡 勘助曲輪の案内図


さらに奥まで行くと本丸まわりの南西側の堀も見えるはずだが、視界ゼロのササヤブに覆われて全く見えなかった。

門をくぐって本丸へ登れる遊歩道も、柵されて通れなくなっていた。

見えたのは、曲輪の外周を守る土塁だけか…

これが、意外と立派✨

草地と木々、そして芝生が広がる高遠城址公園


進徳館へ


さて、ここからは二の丸へ直接登れる階段道も整備されているが、ここは大手道へ戻る。

そして、二の丸の東側へ。

土橋らしいものが横たわっているが、幅が異様に広い😮

高遠城址の緑豊かな丘陵地帯


往時はここから二の丸へ登る道があったようだが、いまは埋められて切岸みたくなってる…

その向こう側は、空堀だな✨

大手道と並走している。

高遠城址の grassy な斜面と緑豊かな木々


上のほうから見下ろしてみると、おなじみの土の城の空堀✨

長野県高遠城址の空堀と草地


反対側には、藩校たる進徳館が構える。

高遠城址 大手門への石段と石垣


いまも茅葺き屋根を守る進徳館✨

すごい綺麗✨そして威厳😨

進徳館、茅葺き屋根の歴史的建物


さて、ここまで来れば城址公園になっている二の丸は目の前🙌


夏の高遠城 その2に続く)

 

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(2026年8月3日 記)

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小菅沼B城とは、松倉城郭群を構成する城のうち松倉城本体北端付近のすぐ西に見つかった小規模な城。21世紀に入った頃からの分布調査や測量などで見つかったばかりのようで、まだ本格的な調査の手は入っていないようす。

登城日現在の状況は、かなり濃いヤブの中にてっぺんの削平された小山があり、縁の一部に土塁が残っているだけという感じだった。


小菅沼城(武隈屋敷)を見てもまだ日没まで時間があったので、Googleマップ上に見えたこの城にもアタックすることにしたが、何しろ屋敷前から城の直下に至る道が舗装されているのに両側から🌿🌿に覆われかけたような道で、城の下に到着する頃には🌿が車を擦る音にも感覚が麻痺しているような有様だった😂

🌿にソナーが反応しまくってウルサイったら…


さほど広い城ではなく、車で麓まで行ければアプローチも短いので道迷いなどの心配は無いだろうが、携帯電話(docomo)の電波はまったく入らないので地図などは事前にダウンロードしておく必要がある。


現在位置(Googleマップで)

一般にはまったく知られていない城で、登道なんて優しいものは無い。

道路脇の斜面をガサゴソ登ってゆくしか無い。

小菅沼B城への林道


少し登ると、何となく平坦な場所に出る。

向こうの方に大きな盛り上がりが見えて、早くも主郭の下らしい…

小菅沼B城の急斜面と森


この平坦地、道路脇から5〜6メートルばかり登っただけだが、なかなか広さがあって削平もソコソコされているらしい…

小菅沼B城跡の森、植生豊かな林道


これを登れば主郭に行けるだろうとのことで、左手の尾根が降りてきているところから登ってゆく。

けっこう急傾斜で登っていて、天端の丸い尾根…

小菅沼B城跡の土塁とヤブ


登ってゆくと、なんか🌿🌿でよく分からなくなった尾根の向こうに、東側を土塁で守られた平坦なところが見えてきた。


やった到達🙌

小菅沼B城跡の森、茂る灌木と土塁


主郭は南北にかなり細長い楕円形をしているようだ。

灌木がかなり濃いぃくて奥まで見通せないが、削平はしっかり施されているようだ。

小菅沼B城跡の森の様子


東側の土塁は、すぐ先で終わっているようだった。

下の切岸もそんなに急傾斜でもない…

小菅沼B城:東側土塁と平坦な曲輪


それでもこんな地形は自然には出来ないだろう(?)から、ここが城だったという証左になる…か。


反対側には、土塁とかは無かった。

代わりに、外側へ落ちる斜面はけっこうな鋭さ😨

小菅沼B城跡、自然の地形のような斜面


北の方へ行くと、濃さを増してきた灌木の中に凸凹の土塁みたいなのが見えてきた。

曲輪はここまでのようだが、周囲の灌木が濃いぃくなり過ぎて全く様子を覗えない…😂

小菅沼B城跡の森、土塁と灌木

北の突端も、縁がハッキリ見えはしたがパシッとした終わりかたではなく、ダランとした段で終わっていた。

小菅沼B城跡:ヤブに覆われた平坦地


ここを外側から振り返ってみたが、🌿🌿で内部に何があるのかサッパリだった😂

小菅沼B城跡の自然豊かな森


この外には木のテーブルなどがシートを掛けられて置かれている広場があった。

その先に、ひいき目に見れば東に開口した虎口と言えなくもないような凹み…

小菅沼B城跡の森、土塁の残る削平地


ここから外の尾根に、土木の跡は無さそうだったので、これで退散することにした。

凹みから東へ出て、振り返ってみる。これは虎口なのか…?

小菅沼B城跡、森の中の城跡地


なんか、外には馬出に見えなくもないような帯曲輪状が横たわっているようにも見える…

小菅沼B城跡:ヤブに覆われた削平地


ここからは、木のテーブルとかのあった場所の横っ腹に登ってきていた踏跡を見つけて、そこから降りていった。

途中で眺める東側の城塁が、けっこうな迫力を持ってそびえ立っていた✨

小菅沼B城跡の森、木々が生い茂る斜面


ちょっとだけ、千早赤阪城跡群の無名の城を思い出すような…


★小菅沼(こすがぬま)B城

富山県魚津市小菅沼

東側を通る道が比較的広く、路駐出来るだろう。

平山城?

 

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(2026年7月31日 記)

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小菅沼城は武隈屋敷とも呼ばれ、松倉城の城下町があった鹿熊地区を西側はるか下に見下ろす尾根上にある。

松倉城主椎名氏の家臣だった武隈氏が屋敷を構え、近世以降もこの池に住まわっていたとか。戦国時代には椎名氏とともに戦い、椎名氏が滅んだのちの文禄四年にこの地に帰参、帰農しこの地の開発に尽力した。大正時代に他県に転出したとの由で、この屋敷は中世から近代に至るまで時代の変遷を静かに見守っていたか。

いまは魚津市指定史跡。


一気に猛暑日寸前の34.2℃(魚津市)まで気温の上がった7月の三連休中日、午後になって日差しが傾き始めた中での訪問。森に入ると🦟はいるが涼しい…


現在位置(Googleマップで)

県道67号を鹿熊地区からぐんぐん登っていき、焼山砦を右手に見ながらなおも登ってゆく。

このあたりの景色はものすごく、かなり下の方から山の上の方まで階段状になっている😮

これが、武隈氏が開発の槌音を響かせた跡なのか…?

小菅沼城への山道と段々畑


この写真は、この後小菅沼B城へ行き、撤収する途中で撮った。

そして、『松倉城址→』とある道標にしたがって松倉城方面に進むと、峠みたいなところで道が何本にも分岐している。

その脇に小菅沼城がある。

石垣も見える虎口のところに説明板などが立っているので、すぐにそれと分かる。

小菅沼城址への案内板と石垣


説明板は、えらく簡素😮

小菅沼城跡 (武隈屋敷跡) の説明板


その左側に、石垣に固められた立派な虎口✨

小菅沼城の石垣と森の小道


石垣はしっかり積まれていて、武隈氏が大正時代に転出するまで手入れされ続けていたようすが伝わってくる。

小菅沼城の苔むした石垣と森の小道


ここだけでなく、峠らしいところを切通しで抜けてゆく道から一段上がったところにも立派な石垣の法面が😮

小菅沼城の石垣と雑草に覆われた森


苔生し、🌿🌿にも覆われかけているが、れっきとした石垣✨

苔むした石垣と植物


こんなのが、こんな人里離れた山中に残っているとは思っていなかったので、けっこうビックリした。


さて、虎口から入ってみる。


この切通し状は意外と長くて、少し進むと左にカーブして郭内に入る。

小菅沼城跡への道、森と緑


そして郭内。

大正時代まで末裔がお住まいだったとのことで、その名残なのか廃屋も立っている…

小菅沼城跡の緑豊かな森、竹林と木々


先ほど通ってきた切通し状の東側には、平坦な高台のようなところがあった😮

小菅沼城の森と土塁


ここへ登ってみると、意外と広い平坦地が広がっていた。

小菅沼城跡の緑豊かな森


東側、石垣の方に向かってズリ上がっているようだった😮

家臣の屋敷とは言え、外敵に対する最低限の守りだったか…

森林に覆われた草木が生い茂る小菅沼城跡


さて、主郭は🌿🌿の園になっていて、背丈は低いが地面が見えないというイヤな状態…💦

草丈の低いとこから奥へ入ってゆくと、南西側は土塁で守られているようだ😮

竹林と石垣のある小菅沼城跡


奥の方にも、曲輪を南北に区画していたらしい低い土塁が横たわり、その向こうにも空間が広がっている。

竹林の小道、苔むした石垣と落ち葉


区画する土塁。

これが東西に横断している。

小菅沼城跡の竹林と枯葉の積もる地面


その土塁の傍らに、積み上げられた石たち…

無造作に散らばっているという感じではない。神様が祀られていたようにも…

小菅沼城跡の石垣と竹林


向こう側の空間。

こちらもちゃんと削平されていたようだ。

竹林の様子


いっぽう、南に見える土塁のほうへ寄ってみると、これがかなり立派✨

竹林の地面に落ち葉とシダ植物


向こう側に民家の瓦屋根が見えるし、登ると崩れてしまいそうなほど鋭いので登るのは遠慮😅


この土塁に沿って北の方へ進むと、何やら西の方から虎口のように空間が入ってくる…

小菅沼城跡の竹林と緑の茂み


ここからは正面から通路のようなものが入ってきているようだが、この🌿🌿空間を突破したくない…💦

そして、この空間は南のほうに土塁に挟まれて続いている😮

虎口にしては広い空間…

竹林と雑木林の山道


さて、ここはこんなもんだろう。

足元注意で退散💨


中世から近代に至るまで時代の変遷を静かに見守ってきた、という威厳をそこかしこに感じた。

荒らさず静かに休ませてあげたい、そんな場所…


★小菅沼城(こすがぬまじょう、武隈屋敷)

富山県魚津市小菅沼

駐車場はおろか車を停められそうな路肩もない。場所探しに苦労するだろう。

山城?

 

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(2026年7月30日 記)