(松本 若澤寺の遺構 その1からの続き)
さらに上へは、この平場を奥まで行ってから山道チックな道を登ってゆく。
すぐ脇の算木積みの欠片っぽい石垣、今にも崩れそうで心配…
そして上の段。
トバ口に、山城で見る井戸みたいな穴がある…
ただ、この段にはもっと奥に『アカノ井』がある。
コイツは井戸か?
山寄りには石塔とか色んなものが立っている。
これらは絵図には無い…
ここのメインディッシュは中央に建っていた中堂救世殿だったようだが、いまは兵どもが夢の跡みたく🌿🌿の中に眠っていた。
山寄りの隅っこには、泥混じりの池があった。
これがアカノ井か😮
さて、ここからまだ上がある。
次の段は、てっぺんの方が石垣らしい。
ここから沢の方へ寄ってみると、この段の南側斜面も石垣で固められているようだった。
もっとも🌿🌿でサッパリ見えない…
沢沿いの方にも階段状が見える。
弁才天とか雄鳥羽ノ滝とかがあったあたりで、降りてゆく階段道もあった。
さて、ここは上へと登ってゆく。
下からも見えていた天端下の石垣、さっきの穴太積み風とは違う感じだな…
そして、段の直下が回廊みたく細長い平場になっている。
段に登ると、そこは金堂跡だった。
いまは説明板が立っているだけで、礎石などは1つ見えただけだった…
その上が、今の遺跡の最上段かな…?
ここも石垣だったのか、シッカリと段が残っている。
登ってゆくと、右手に低い石垣が積まれていた。
その上は道になっていて、『金ピラ』の跡などへ行けるようになっているらしい。
そして、最上段(たぶん)へ。
入るなり、転がる大岩…
これは宝篋印塔の台座だったのか、向こう側に『文化年中築之』と刻まれていた😮
もう一つの大岩に碑文が刻まれていたが、もういいや😂
なお、宝篋印塔は麓の山形村竹田の穴観音に移されているとのこと。
この上はさすがに自然に還っているようで、踏跡らしいものは見えるが遺構は見えなかったので、ここまで。
さっきの低い石垣の上を入ってみると、『金ピラ』の跡らしい平場があった。
道はここの前からさらに続いていて、奥には一切経蔵があったらしい。
だが新しそうな石仏らしいものが見えたので、やめた。
帰りは中堂救世殿跡から弁才天の方へと降りてみたが、細いし端が石垣の端で、けっこう歩きづらい道だった💦
降りてゆくと、沢沿いの階段状のいちばん上に出る。
ここが弁才天跡か。
その下に、雄鳥羽滝の平場があった。
中央の説明板の周りが盛り上がっているが、周りの平場は泥濘んでいる。
『滝』は、石垣を積んで上から水を流していたようで、その石垣が残っている。
いまは水は無く、渇いている…
さて、ここからは階段道で入口まで戻れる。
途中には、波田地区でいちばん古いという『阿弥陀来迎三尊種子碑』が屋根がけに守られていた。
これが長禄二年(1458年)ということで、ここで見た最も古いやつということになるが…
ここから下ってゆくと入口に戻れるが、滲み出し水で濡れている。
これで撤収💨
明治維新まで栄えていたということで建物の礎石などが生々しく、廃墟の雰囲気のある遺跡だった。
廃仏毀釈は合戦と同じような破壊力を持っていたか…と言葉を失うところだった😢
そして最盛期は江戸時代だが、戦国時代にも大名とかと深い関係を持ち、僧や衆徒たちがここを拠点に外敵から守ろうとしたこともあっただろう、という考えで1城カウントね😎
★若澤寺(にゃくたくじ)
長野県松本市波田
入口付近にスペースあり。アプローチ道は未舗装区間の路面が荒れていて神経を使う。
山城
(2026年9月25日 記)
















































































































