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袴腰狼煙台は小諸の町から千曲川を挟んで南西側すぐの山上にある。てっぺんから樹間越しに小諸城あたりが見えるほどの近距離で、県道142号の橋を渡ればそれほど時間もかからず到達できる。直下を林道が通っていて、駐車スペースもある。

信濃に侵攻した甲斐武田氏が狼煙台にしたと伝わっているとのことだが、詳細は不明か。


GWを利用した北陸遠征の初日、ノタノタ移動の末に駐車スペースあるという情報に釣られてここに寄り道した😅


現在位置(Googleマップで)

けっこうな急坂の林道を慎重に登ってゆくと、なんと展望台になっているようで道沿いに案内が立っており、普通車1〜2台分の駐車スペースもある😮

長野県小諸市 袴腰狼煙台の案内板と黄色い花


これは助かったと、駐車スペース奥から登ってゆく道へ💨

立っている案内の裏側には、武田氏が狼煙台として使ったという言い伝えも書かれていた。

袴腰狼煙台入口、長野県小諸市


道は、狼煙台から南へ伸びてきた尾根を登ってゆく。

雰囲気が甲府盆地南側の金刀比羅狼煙台の登道に似てるかなぁ…?

袴腰狼煙台への山道


直下まで来ると、尾根の西側へ。

トラバースしながらの登り。

袴腰狼煙台への山道


そして最後は反対側まで回り込んでゆく。

いっぱしの坂虎口みたいな見た目だな😮

長野県小諸市 袴腰狼煙台への山道


そして狼煙台に到達🙌

虎口脇の松の木、周りが石垣で囲まれちょる😮

石碑も立ってるな…

袴腰狼煙台の石仏と松の木


いや、石碑と思ったら反対側に仏様が彫られていた。

石仏だったか😮

石仏と狼煙台、長野県小諸市


てっぺんはテニスコートぐらいの広さがあって、これが自然の力で平坦にされたのだという。

規模は取れないが、狼煙台ばかりか砦にして斥候とかを常駐させることも出来そう😮

袴腰狼煙台の自然の削平地と緑


松の木と反対側にも石碑。

袴腰狼煙台の石仏と新緑


狼煙台周囲もちゃんと切岸加工されていたようで、縁はシッカリしていて外側の傾斜も急。

袴腰狼煙台の石垣と松の木


南の端のほうには、塚みたいな盛り上がりに松の木が立ち、いわくありげな岩も…

袴腰狼煙台の自然石と松の木


さっき登ってきた尾根が降りてゆく南側は、そんなに急斜面ではなかった。

土木工事はほぼ無し、自然がつくった削平地というのは本当なのか…

袴腰狼煙台への山道、茂る草木と枯れ枝


いちおう樹間から小諸の市街地方面が見えるが、狼煙台時代のような展望は無いか…

浅間山も見える。

長野県小諸市の街並みと山々


なお、西の小県郡のほうも見えそうだったが、樹林にほぼ完全に隠されて、様子は窺えなかった。


これだけだった。

狼煙台以外に使うことはほぼ考えられていなかったらしい、てっぺんが平坦な高台があるだけだった。

それでも、この高台が遠く甲府までの連絡を担っていたというのが、惹きつけるなぁ〜


ラストは、登り口あたりに咲いていたヤマブキの花で。

ヤマブキの花と新緑


★袴腰狼煙台

長野県小諸市山浦

登り口に普通車1〜2台分の駐車スペースあり。

山城

 

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(2026年5月6日 記)

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阿波竜貝城は稲敷市の東の方、大杉神社のすぐ近くで南に突きだした丘の上にあった。多くの参拝客が訪れる大杉神社の近くにあって取り残されたように静かで、かつて郭内に広がっていた畑も無くなってササヤブの広がる台地になっている。

発掘調査などは行われていないようで、歴史も不明らしい。


この日は羽賀城を首尾よく収めたあとの2城めで、この日はこれで打ち止めにした。

大杉神社の臨時駐車場に車を停め、城のある丘の南側を流れる川沿いから城に近づいていった。


城のある丘の南西側の裾を道が通っているが、その脇がすごい斜面😨

これ見ただけでも、来た甲斐あったわ🙌

阿波竜貝城への道、竹林と木々


現在位置(Googleマップで)

城のある丘の裾に沿ってひたすら進んでゆくと、だんだん丘の上に登ってゆく。

そして、住宅地の中で丘の上のほうへ分かれてゆく道が現れるので、そちらへ入ってゆく。

茨城の阿波竜貝城への道、緑多い丘陵地帯


すぐに民家があって、その前で舗装道路は終わってしまう。

城内はここにお住まいの方の土地だろう。

そして郭内にワタシが見た他にも神様が祀られているとのことだった。


その先は柵などで仕切られているわけでなし、畑などでもないようだが、どう見ても私有地なので荒らさないよう注意しながら進んでゆく。

退城時に、お住まいの方と少しお話させて頂いたが、単に見学するだけであれば問題はなさそう。

阿波竜貝城跡の緑豊かな丘


少し進むと、早くも右手から竪堀が登ってくる😮

そんなに大きくはないが、斜面をハッキリ穿っている。

じつは下の道路からも刻み込まれた様子がわずかに見える…

ただ、それと知って見ていなければ分からないだろう。

茨城県の竹林と自然の風景


この堀、道沿いまで登ってきて消えてしまう…

阿波竜貝城の竹林と雑草が生い茂る様子


往時はこの堀が丘を横断していたらしいが、今は整地されて跡形もなくなっている…

阿波竜貝城址の草地と木々


反対側まで行ってみると、何となく痕跡のように凹んでいるところはあるようす…

阿波竜貝城跡の荒れた丘、雑草と木材


こういう所は奥の斜面に出ると堀の跡が見えたりすることがあるが、どう見ても地面が🌿🌿に覆われているし、斜面ぎわに刈り取った草などが積み上げられたりもしているようで、踏み込みようがなかった…


道へ戻ってなおも奥へ入ってゆくと、主郭らしい平場になってきた。

阿波竜貝城跡の竹林と木々が生い茂る広場


草の刈られている平場の周囲には竹やササのヤブが広がっているが同じ平坦地のようで、広さが相当あるようだ。

そして行けるだけ行くと曲輪の端手前で🌿🌿になるが、左の方に草刈りされている一帯があって、奥へと入って行ける✨

阿波竜貝城の竹林と地面の落ち葉


そして、ここを進むと左側に塚のような盛り上がりが見える。

主郭の中央にあるという天守台みたいなやつか😮

阿波竜貝城の竹林と雑草地


天守台と言うと聞こえは良いが、上は大木とササでビッシリ覆われていて、とても踏み込めたものではない😂

阿波竜貝城の森の木々


いっぽう反対側、曲輪の縁には土塁が盛られている。

上に朱塗りの祠が立っていた。稲荷社とのこと。

阿波竜貝城の朱色稲荷祠と鬱蒼たる森


稲荷社の存在は土岐氏の絡みを示すものとの事だが…?

この脇に虎口らしい切れ目が入っていた😮

阿波竜貝城の斜面とヤブ


この下は急な切岸のはず、囮虎口か?などと思いながら虎口を出てみると、下に帯曲輪が見えた😮

阿波竜貝城の雑木林と斜面


降りてみると、かなり荒れているがちゃんと削平されている🤯

茨城の城跡、斜面の竪堀跡


この帯曲輪は南の方が行き止まりになっているが、北の方はぐるりと丘の中腹をめぐっているらしい。

少し進んでみようと思ったが、だいぶ荒れていたのとちっこいマム君🐍を見てやめにした😱

全長30cmくらいのちっこい🐍だったが、帯曲輪を横切るように寝そべって動かんかった💦

木の棒とかで突くとかすればお怒りの末に通してくれたかも知れなかったが、驚かすのも可哀想と思って止めにした…


丘城の生命線?たる基部の堀が埋められてしまったのが少し残念ではあるが、周囲の切岸とか先端の帯曲輪とか降りる虎口とか、名残りになるものは思ったより残っていた。


★阿波竜貝城

茨城県稲敷市阿波

川沿いの大杉神社臨時駐車場が利用できるが参拝客で満杯の場合あり?

丘城

 

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(2026年5月5日 記)

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羽賀城はかつての江戸崎町中心地から2kmちょい南西、県道49号の東側にあった。いまは東耀寺や芳賀神社の隣で深い竹ヤブの中に眠っているが、遺構の残りはなかなか良好。

江戸崎城を本拠地とした土岐氏(土岐原氏)の家臣臼田氏の城だったとのこと。天正十八年(1590年)に江戸崎城は佐竹氏に攻められ落城したが、羽賀城も運命をともにして廃されたらしい。

なおこの臼田氏は信濃国の滋野氏出身で、南北朝時代の末期にこの地に移ってきたのだとか。県指定文化財「臼田文書」を今日まで伝えてきていて、中世後半のこのあたりの貴重な記録になっているとのこと。


日曜朝イチに訪問したが、寝坊したうえに車を停めておく場所が無くてウロウロし、攻略に取りかかった時には9時を過ぎていた😅


入口の位置(Googleマップで)

東耀寺というお寺さんが城への入口になる。

この奥の方の竹ヤブから入ってゆくのだが、境内を通り抜けてゆくので入って行きづらいところ💦

竹ヤブの中が広い平場になっている。

羽賀城跡の竹林と倒木


この竹ヤブ、少なくとも手前のほうはある程度手入れされているようなので、筍のシーズンなどは注意したほうがよいだろう。

丘の一定のラインを堀でぶった切っているような感じでなく、どこから出入りする城なのか縄張図から読み取れなかったので、進む方向を見失わないよう丘の南の端に沿って進んでゆくことにした。

しばらく進むと前が下り斜面になり、その下に離れ小島のような塚が見えてきた。

羽賀城跡の竹林と遺構


この塚は城の東側を仕切る空堀を南側に出たところにあって、現在位置を特定する良い目印になる。

ここは、少し右手に進むと土橋のある虎口が現れるか、と思って斜面の縁に沿って進むと、それらしい場所が現れた。

右手から堀が降りてきて、それを正面の土橋で渡って城内に入っている。

しかし、荒れっぷりが相当で分かりづらいったら…😂

羽賀城跡の竹林と遺構


右手から降りてきた堀も、デカい倒木とかでこの有様😂

こりゃ、とても辿れない💦

竹林に覆われた羽賀城跡の堀


この堀は城内最大のようで、少し北で西に折れているという。

しかし堀の中はとても進めないので外側の土塁に沿って進んでゆくと、断面がだんだん大きくなりながら登っていった先で、奥に90°折れていた。

森の中のパンダでサッパリなコンディションの中、広角レンズのワイド端で…

羽賀城跡の竹林と木々


この堀の外側は城内から撤収するときに見てゆくことにして、さっきの土橋から城内に凸入💨

入った先はごく狭い平場…と思ったら、わりあい広さがあった。

羽賀城跡の竹林と植生


ここから、さらに城内に向かって登り坂になった土橋のようなものがあった。

ハッキリと踏跡あるやんけ😮

羽賀城跡の竹林と小道


この土橋の両側はさっきの堀の続きだが、薄くてほとんど分からなくなっていた…


さて土橋を登ってゆくと、すぐに虎口。

上の曲輪に竪堀状で入ってゆく。

羽賀城跡の森。竹やぶと土塁の遺構。


この両側の切岸が、なかなか鋭くて地味な見ものだろう✨

羽賀城跡の鬱蒼とした森の斜面


この切岸上からは、🌿🌿が無ければ土橋の下の曲輪が丸見え😨

あそこは虎口空間だったのだろうか…


さて、虎口から上の曲輪へ。

ここがまたジャングルみたいな🌿🌿の世界で、広さがまったく見渡せない😂

羽賀城跡の茂る竹林と緑葉


踏跡は北の方へ入り込んでいたので辿ってみると、曲輪北端の土塁上に小さな石龕が立っていた。

ここも御神域になっている。

羽賀城跡の石祠と竹林


向こう側は、さっき反対側から見下ろした大きな堀の折れ。

ちょっと荒れているし、神聖な場所を踏み荒らすのもイヤなので、そのまま引き返した。


そのまま曲輪の縁に沿って、灌木を掻き分けつつ進んでゆく…

南の端は、すぐ下が事業所とかになっているようで、大きな建物が見える。

そっちの方は、けっこうな傾斜の切岸になっている😨

羽賀城跡の雑木林と日陰


で、そちらへ向かって降りてゆく竪堀状があった。

羽賀城址の竹林と土塁


以前はこの下に曲輪があったようだが、削り取られたかな?

この竪堀の脇には、また石龕の立つ塚があった😮

羽賀城、土塁と竹林の遺構


そして、その向こう側が大きな堀になっているようだった。


そして…


教科書に出てきそうな虎口‼️🤯

しかし今見るとモジャモジャだわ…😂
羽賀城の竹薮と堀跡

深い堀をハッキリした土橋で渡って、向こう側へと動線が繋がっていた。


この堀も、凄いんだに。

土橋から北側

羽賀城の堀と竹林


南側は、さらに大きくて池も作れそうな😮

羽賀城の竹藪と遺構


そんな堀を土橋で渡って、郭内へは少し登ってゆく。

茨城の城跡、竹藪と落葉の森


そして、登ったところが主郭。

これまた灌木や竹ヤブがけっこうなもので、奥まで見通せない😂

竹林の中の森、羽賀城跡


虎口の左脇に残骸のような土塁がある。

外の堀に沿うところだけに盛られていて、丘の端に出ると無くなる。

羽賀城の遺構、竹藪の平場


右脇には、同じような残骸の奥に2メートルばかりも盛られた土塁が😨

羽賀城の竹林と空堀


上にダルマが置かれている…😨

なかなかに、意味ありげな守り神だ…

羽賀城、ダルマの置物


さて主郭の南側の切岸も、また見事✨

羽賀城跡の竹林と土塁の道


この下も曲輪だったようで、今は民家が立っている。

その曲輪の西側を囲うように、これまた見事な細尾根が南西に伸びていた✨

羽賀城の土塁と竹林


この尾根は民家の庭の端に向かって降りているので、奥まで入ってはいけない。

このあたりが城の南西端近くになるか。

ホントは西側の下の方にもう一段曲輪があるのだが、こんな斜面の直降りでないと行けないので、遠慮😅

竹林の様子


なおも主郭の縁に沿って進んでゆくと、坂虎口のように外へ出入りできる場所があった。

これは北西側の虎口か。

羽賀城跡の竹林の遺構


出てみると、広い堀のような曲輪のようなが伸びている。

ここが城の北側を通って東耀寺の方まで続いているらしい。

羽賀城跡の竹林と倒木


虎口を振り返ったところ。

さっきの東側のやつに比べたら、何とシンプルな…😮

羽賀城跡の竹林と倒木、道


外側の堀のような曲輪のような空間は、南へ行くにつれて深くなって、大きな堀のようになってくる。

羽賀城跡の竹林と倒木


この堀の外側を土塁のように守っている曲輪から退城することにしたが、この通りの🌿🌿の世界だった😂

羽賀城跡の竹林と遺構


ここを進むと、最後には土塁の上に出る。

羽賀城跡の堀と土塁、林の中の風景


最初の方で見た、大きな堀の折れのすぐ南だった。

羽賀城の森、竹やぶ、堀跡


ここまで来れば、もう入城した東耀寺が竹ヤブの奥に見えている。


最初こそどんな城か全く見えなかったが、結局は丘続きに大きな堀を2本入れて先端のほうを曲輪に仕立てた、典型的な丘城だったようだ。

戦国時代を後北条氏のもとで江戸崎城とともに生き抜いてきた土岐氏そして臼田氏は、さすがに溌剌としていた様子が遺構からも覗えるところだろう。

文書を伝えてきた家の城ときいて各務原の野口館を思い出したが、ここは同じ轍を踏まないで欲しいと切に思った。


★羽賀城

茨城県稲敷市羽賀

周囲に車を停める場所がなく苦労する。東耀寺から墓地を通るので荒らさないよう注意もいる。

丘城

 

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(2026年5月4日 記)

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江戸崎城はかつての江戸崎町の中心地、江戸崎小学校がある丘の上に曲輪を連ねていた。中央部が体育館などの建設で大きく崩されているが、南の本丸周辺や北の鹿島神社や瑞祥院、羅漢山あたりに面影を残している

美濃国の土岐氏出身の原氏(土岐原氏)の城で、南北朝時代に原秀成がこの地にやってきて、2代後の原景秀が城を修築したと伝わるとか。戦国時代には後北条氏の傘下に入って栄えたが、天正十八年(1590年)に佐竹氏に敗れ、麾下の蘆名盛重が城に入った。その佐竹氏が秋田に転封されると蘆名盛重も江戸崎城から退去し、城は廃された。


久しぶりに2日間たっぷり時間を取れた週末、1日目の最後に訪問した。陽が傾きかけて西陽を浴びながらの訪問だった😅


まずは主郭部へ


江戸崎城は、本丸が今の江戸崎小学校の南側の山上にあって、そちら方面へ車道が登っている。その入口がここ(Googleマップで表示)

この登道、かつては堀だったようだが、面影はごくわずかなようだ…

江戸崎城への登り道、緑陰と木漏れ日


思いっきり逆光、燦々と降りそそぐ日差し…


山裾にはかつて堀もめぐらされていたようだが、住宅とかになって見る影も無かった…

しかし、道の両脇から続く曲輪を守る切岸は、流石✨

茨城県の江戸崎城、切岸の跡地


切岸をバックに今季初タケノコ😂

やっぱり春の城はコレ✨

江戸崎城跡のタケノコ


道に戻ってを登ってゆくと、途中にけっこう広い曲輪が広がっていた。

江戸崎城跡の広場に置かれた赤いコーン


入口の脇に、説明板がひっそりと立っていた…


江戸崎城跡の案内板と周辺の自然

曲輪の西側には、上の曲輪との間の段。

往時はこの裾が堀だったようだが、いまは段だけが残っている。それでも土木の跡なことは読み取れる。

江戸崎城跡の切岸と建物


ここから車道を登ってゆくと、てっぺんの曲輪に到達する。ここが本丸。

江戸崎城跡の広場と緑豊かな木々


南北二段構造のようで、間に低い段が走っている。

江戸崎城跡の土塁と草地


この段の前に『江戸崎高等学校発祥の地』なる石碑も立っていた。

城の跡地が高校に転じたようだが、今は更地…

江戸崎高校発祥の地記念碑


そして、段の上には古びた家が立ち、その向こう側が本丸の中心地だったようだ。

今は畑と草地…

江戸崎城跡の畑と緑の木々


東の端には神社も立っていた。

江戸崎城の鹿島神社、赤幕の祠


畑の方に足を踏み入れるわけにはいかないので隅々まで見て回ってはいないが、この本丸まわりに土塁や虎口などは残っていないようだ…


北のほうに遺構あるか…


さて、城はここから北へと曲輪を連ねていたようだが、小学校や体育館などの造成でゴッソリ削り取られてしまい、さらに麓には建物が集まっていて近寄ることもできない。

体育館の向こう側の鹿島神社のあたりから城山が復活するようなので、そちらへ行ってみる。


小学校の前の道を北に進んでゆくと左手に鳥居が現れるので、奥をのぞき込んでみると住宅地の向こうに鹿島神社の鳥居と社殿が見える。

たしかに周りより一段高くなっていて、城の面影を残しているようだ…

江戸崎城の鹿島神社参道


そして、東側の段。

ちゃんと切岸加工されていたようだ。

江戸崎城の草に覆われた土塁と切岸


境内に登って、鹿島神社。

どっしり✨

江戸崎城の鹿島神社、石灯籠


この鹿島神社は戦国時代の終わりに城主土岐治英が城の守護神として勧請したのだという。

やっぱり城の歴史と無縁ではなかったか…


そして、南側のこの段が体育館とグラウンドに削り取られた切岸の名残りか…?😢

積まれた枯れ枝と草


本殿の裏、西側も平坦地になっていた。

江戸崎城跡の緑と木々


外を通る道路沿いは法面防護されているし、外に這っていたという堀はすっかり住宅地で、こちら側にも城の面影は無かった…


さて、この鹿島神社の境内の北側には、この城で最大だろう土塁が横たわっている。

高さ4〜5メートルぐらいあるか。

江戸崎城跡の土塁と草木


東側の端から天端に登ることができるが、幅が広すぎて土塁っぽさが見えん💦

森とかササヤブとかになってもいる…
江戸崎城跡の崩れた石垣と緑

さてこの土塁の西端近くには、これまた見事な虎口がある。

江戸崎城跡の自然が残る土塁と木々


土塁に切れ目を入れただけだが、ザックリと薬研の断面を刻んでいるし、右側の土塁を包み込むような木の根もイイ✨


三の丸は瑞祥院


さて、城はまだ終わりでなく、通りを挟んで北に隣り合う瑞祥院の境内も三の丸だったという。

すっかりコンクリだらけで面影の見えない、瑞祥院のほう…

江戸崎城跡 墓地入口 水堀と石碑


しかし、通りの向こうに水をたたえる池がある。

恐らくこれが水堀の唯一の生き残りだろう✨

江戸崎城址の水堀と睡蓮


では、瑞祥院の境内にも入ってみるか。

もとは別の場所にあったものを戦国時代末期にここに移してきたというから、やっぱり城の歴史と深い関わりがあったようだ。

江戸崎城跡 瑞祥院入口 墓地と竹林


境内。

裏が、五百羅漢の祀られた羅漢山。

瑞祥院と墓石、竹林と空


そして東側、高い尾根の上に立っている金比羅神社。

これがまた、城塁の雰囲気をハンパなく漂わせている😮

神社の建物が櫓に見えたりして…
江戸崎城の鹿島神社と古木

ここは、最高所になる羅漢山へ行ってみる。

金比羅神社からも登れるが、今回はこの尾根裾を一番奥まで行ってみた。

ここから登ってゆく階段道がある。

羅漢山階段と石碑、石像


階段道で登ってゆく山だけに、高低差は20メートルばかりながら斜度はけっこうあるようだ😮

江戸崎城跡の竹林と落ち葉、自然の景観


山頂直下で二又に分かれ、どちらへ登っても良いらしい。

左に折れると山頂にストレートに登って行き、これが坂虎口のようにも見える😮

江戸崎城跡への石段、竹林と落ち葉


登ると、なかなかグッとくる…

羅漢像がこれだけ並ぶと、さすがに気圧されるものがある😨

羅漢像と灯籠、江戸崎城跡


山頂のお堂。

江戸崎城の境内にある祠と石灯籠


ここの羅漢像は493基が現存していて、発願が安永九年(1780年)というから江戸時代のものらしい。

完成まで24年を要したというから凄い😮


ここは羅漢山の夕照として江戸崎八景の一つに数えられているとのことだが、樹林が繁茂して周囲のようすを確かめることは出来なかった。


さて、ここからは先ほど下から見上げた金比羅神社のほうへ降りてゆく道があったので、帰りはそちらから降りていった。

城の東側を守る尾根上を下ってゆくのだが、ここが美しいったら✨

竹林の小道と枯葉の絨毯


そして、外側の切岸加工がメチャクチャ急傾斜😨

これ、本丸の周辺にも見劣りしないぜ✨

江戸崎城跡の竹林と土塁


さらには、郭内から登ってくる竪堀状まであった😮

竹林の土塁と切岸、江戸崎城跡


金比羅神社から尾根のこの辺だけガッツリ城郭していて、外敵を寄せつけぬ厳しい表情を見せている。

これは、機能美というべきか✨


真ん中は後世にだいぶやられたような感じで見て歩くことも出来なかったが、南北の両端が要害の地だった面影を色濃く残しているような感じだった。

街の雰囲気に溶け込んでいるような様子も、また佳き。


★江戸崎城

茨城県稲敷市江戸崎

本丸一段下の曲輪に車を停めておけるらしい。

平山城

 

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(2026年5月4日 記)

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椎塚城は圏央道稲敷東ICから1.5kmばかり北の台地上にある。曲輪一つだけで周囲を土塁や空堀が囲んでいたと思われるがいまは郭内が畑で遺構は北側に残っているだけらしい。

歴史などはまったく不明らしい。


なおこの城は郭内が民家や畑などで生活の場となっているので、探索は周囲の土塁空堀コンボを外側から観察するだけに止めないと不法侵入になるだろう。十分に注意が必要。


現在位置(Googleマップで)

ゴム工場の横から車道を森のなかに入っていくと、すぐに道が左にカーブする外側に土の道が出ている。

これが城への入口。

椎塚城への道、森の中のカーブ


道があると喜んだのもつかの間、すぐに🌿🌿に覆われて見えなくなってしまう😂

椎塚城入口の森と土塁、草木


少し進むと小さな祠が立っているが、そのあたりで道形は消えてしまう。

ここからは適当なところで右へ折れて進むと微かな道形が現れるので、これを拾いながら南南西へ向かって進む。


しばらく進むと、正面が明るくなってくる。

道形はそちらの方へ突っ込んでゆく💨

椎塚城跡の森、竹林とシダ植物


そして、向こう側は畑のようだ。

その手前に土塁が横たわり、裾には堀らしい凹みも見える😮

道形は堀に土橋のようなものを架け、土塁の切れ目から向こうに入っている。

だいぶ大人しくはなっているが、教科書のような土橋虎口コンボではないか😨

椎塚城の土塁と堀、森の入口


土塁は、人の背丈より少し高いぐらいのようだ。

とくに虎口の西のほうが立派✨

椎塚城の土塁と堀、竹林


手前の堀は…

左側はよう分からんな💦

椎塚城の森、竹林と樹木


右側は、土塁の裾にちゃんと凹を入れられているようすが見えている。

間違いなく、奥の土塁とのコンボ✨

椎塚城跡 土塁と竹林


さて、郭内は畑になっていて、農作業中らしき方もおられた。

椎塚城の畑と土塁


これ以上はよそ者が踏み込める場所ではないと判断して、引き返した。


見られたのは北辺のごく一部だけだったが、同じように平坦な丘の上に広がる実穀古屋敷と比べると遺構は非常にハッキリしていて、城館らしい雰囲気を漂わせていたように見えた。


★椎塚城

茨城県稲敷市椎塚

周囲に駐車場等無し。郭内は民家や畑なので周辺の土塁空堀を見られるぐらい。

平城

 

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(2026年5月1日 記)