明日はMOS試験。Excelアソシエートを受験します。半年以上やってきたことを出し切り、満点合格を目指します!私、失敗しないので(笑)

 

閑話休題。

 

去年の城納めで茨城に行ってきたときのお城です。

 

本来であれば、内宿城を紹介したいのですが、諸般の事情により割愛します。

 

今回は行方(なめがた)市相賀(おうが)城跡です。根小屋城とも呼ばれています。というか、行方市の担当の方は根小屋城と言っていました。

 

全開訪れたときは、郭にある神社の参道側からアクセスしましたが、今回は集会所?のようなところの駐車場に停めさせていただき、そちら側からアクセスしました。

 

切通しの坂道を登っていくと、広大な農地が広がっています。ここら辺も郭のようです。堀跡もあるようですが、判別できませんでした。

 

物凄い激ヤブを突っ切った先に第一堀切発見。

 

そういえば、この辺で元来た道を振り返ったとき、同業者を見かけました。集会所にも先客が一台とまってました。こんなマイナーな城跡で珍しいことです。

 

竪堀です。

 

空堀かな。行方市は、けっこう城跡の整備に熱心なほうの自治体と思います。以前木崎城について質問した際も、わざわざファックスで地図を送ってくれたり、担当者の方が電話をくれ、親切に回答していただきました。

 

同じ茨城でも、焼き物が有名なK市は「管理してないんで知りません」とつっけんどんな回答で、観光協会に聞いてください、でした(笑)

 

堀切。以前来たときはもうちょっとキレイだった気がするのですが、今回、近年の暴風雨の影響か、倒木ややや荒れた感じが見受けられました。

 

土塁。この通路は後世の手が入っている気がします。土塁の削られ方が不自然な気がしました。

 

郭の城塁です。かなりの高さがあります。

 

空堀。

 

少しヤブになっていますが、こちらの堀底を進みます。この先の竪堀状のところも少し崩落しているようでした。注意してください。

 

空堀です。左側が神社のある曲輪で、おそらく主郭でしょうか。

 

神社側からアクセスすると、最初に目につく竪堀。山麓まで続いていそうです。

 

この城も戦国時代後期まで存続したようですが、佐竹氏の南方三十三館の仕置きの被害にあったようです。

 

鹿行地域では、いまだに侵略者、この地域の城主たちをだまし討ちにしたと伝わる佐竹氏に対する恨みが根深く、鉾田市の一部の地域では佐竹氏の本拠のほうに向けて矢を放つふりをする儀式が残っているそうです。

 

佐竹義宣は、豊臣政権に取り入り、石田三成と親しくなりその仲介で秀吉から常陸一国切り取り次第のお墨付きを取り付けます。

 

すると、鹿行地域(現在の行方市、鹿島市、鉾田市、潮来市)に点在していた城主たち、多くは大掾氏の一族を居城の舞鶴城に、「今後のことについて相談したい」と呼び集め、宴のさなかに毒殺してしまったとされます。

 

城主を失った城は佐竹氏の軍勢に蹂躙され、佐竹氏が常陸一国を収めました。

 

次回も、南方三十三館の餌食になった城跡です。