すっかり思い出を振り返るブログになってしまいましたが、2023年の5月に岐阜県中津川市への続100名城・苗木(なえぎ)城と中津川市鉱物博物館を訪れ、その日は恵那峡で宿泊ニコニコ


翌日は岐阜県恵那市の100名城・岩村城のあと、岐阜県可児市の続100名城・美濃金山城を訪れました照れ


今回はその時の思い出を振り返ります爆笑

美濃金山城は1537年(天文6年)、斎藤道三の養子である斎藤正義によって烏峰城として築城され、その後、織田信長の家臣・森可成が城主となり、「金山城」に改称され、およそ35年にわたり森氏の居城となりましたカブト

1570年(元亀元年)に近江宇佐山城の戦いで可成が戦死すると、「鬼武蔵」と呼ばれた次男の長可が跡を継ぎ、1582年(天正10年)長可が信濃国川中島に転封されると、有名な森蘭丸(乱丸)こと、弟の成利(長定とも)が入りましたナイフ


しかし、成利は本能寺の変で信長とともに討死、川中島から撤退した長可が再び治めますが、1584年(天正12年)に長可が小牧・長久手の戦いで戦死すると、可成の六男にあたる、弟の忠政が城主となりましたニコニコ


安土城の天守とほぼ同時期に建てられたとみられる複合式層塔型2重2階の天守がありましたが、森氏が川中島藩に転封されると、後に入った石川貞清によって1601年(慶長6年)に建物は犬山城の改修に使われ、破城されたそうです照れ

先に資料館に行くつもりでしたが、通行止めを迂回していると先に城に着いてしまったため、下図の左にある出丸の駐車場に車を停めましたニコニコ


この日は先に行った岩村城から雨が降り始め、翌日にかけて雨の予報でしたが、城に着いた時は雨は弱まってました爆笑

出丸からの眺めを見るより、相方は下をのぞき込んでます下矢印

出丸の下には早速石垣があります爆笑

出丸下に回り込んで石垣を見に行きました走る人

なかなかの石垣がありますチュー 

出丸から本丸へ目指します下矢印

下矢印苗木城も岩村城も、人が結構いたので気にしてなかったのですが、この城では人が全然いなかったので、念のため熊鈴は持っていきましたいのしし

雨がまた降り始めたので、傘をさしての登城となりましたあめ

雨の山城は足場が心配なので、無理そうなら引き返すつもりでしたが、木が生い茂っているので結構雨は避けられました口笛

三の丸の門跡へ走る人

崩れてはいますが、石垣がありましたラブ

崩れているのは、再び城が築かれないように破壊した跡だそうです照れ

水の手への虎口がありました爆笑

ギリギリまで先をのぞきに行きましたが、水の手はわかりませんでした笑い泣き

二の丸へ上がりますチュー

二の丸はそこそこで、さらに登りますニコニコ

そして現れたのは枡形虎口爆笑

石垣で枡形を作ってますチュー

キレイに真四角が形成されてます照れ

南腰曲輪と、その下に二の丸ニコニコ

そしていよいよ本丸へ上がります爆笑

またも石垣がありましたラブ

これが天守台だそうです、天守台の一部でしょうか照れ

ここも長くなってしまいましたので、残りは次回後編に回しますニコニコ