神余地区山下集落の背後の丘陵に山下城は構えられていました
集会所の脇から登ります
文字が薄れてはいますが標示があります
残念ながら明確な遺構は確認できません
耕作地として利用されていたようで段郭状の地形は
確認できますが遺構なのか?なんともいえません
北東向きに構えられた城で神余城の支城と考えられます
麓には館山や稲村方面へ通じる道の存在が考えられます
監視の役割を担っていたのでしょう
安房郡誌には「今は田圃となれり」と記されています
これは麓に居館が存在していたということでしょう
丘陵には物見を兼ねた簡素な詰め城が
設けられた程度だったのかもしれません
神余家臣である山下定兼の城といわれます
この人物は南総里見八犬伝にも登場する人物であります
※八犬伝では山下定包という名で登場する
↓城跡らしい地形はこんなもんでしたwww
兼定は主家を滅ぼした後、その所領である神余郷を掌握したといわれます
その後、隣郡の安西氏、丸氏によって討たれます
この一連の事件により長く平穏が続いた安房国も戦国がはじまります
↓山下城の航空写真(電子国土空中写真1961~69を使用して作図)