ママちです。

 

ハート初めて訪問していただいた方へハート
以前のブログ(2016年5月~9月)で
娘や母との葛藤中のありのままの気持ちを書いております。

▷母娘の葛藤記事はこちら

「親子の葛藤」で悩んでいる方のヒントになるのでは、と
最後に紹介していますので宜しければお立ち寄り下さい。

 

今日は「人間の尊厳」について

お話しさせて下さい。

 

「人間の尊厳」と言う言葉は、

若い頃から、

たくさん耳にしてきました。

 

障害を持っている方や

高齢者や子供たちなど

社会的に立場が弱いと言われる方たち。

犯罪の被害の遭われた方たち。

発展途上国や政情が不安定で

厳しい環境下で生活されている方たち。

 

そんな方々の中には

「人間の尊厳」を守る事が出来ず

傷つけられている方が

大勢いる事を知っています。

 

でもまさか、

普通に幸せそうに生活している私が

その対象だとは思ってもみませんでした。

 

「人間の尊厳」が何かを知らないと

誰でも私と同様に

加害者にも被害者になり得るし

なっていると思いました。

 

この事を是非みなさんに

知って頂きたいと強く思い

ブログに書く事にしました。

 

賛否両論いろいろあると思います。

「尊厳」の捉え方も様々と思います。

 

尊厳を考える機会になれば、

と思い書きました。

少し重たい話しですが

お付き合いください。

 

 

 

先日、

娘とゆっくりと話しをする機会がありました。

私の養子縁組も話題となりました。

 

私には幼い頃から

「大人になったら

叔母夫婦の家の跡継ぎとなる。」

と言う養子の約束がありました。

 

私は幼い頃より、

養子になると言われて育ちました。

そして大人になり養子縁組をしました。

 

でも跡継ぎである主人と結婚したくて、

養子縁組を解消しました。

それは苦い経験でした。

 

「子供のいない夫婦が

親戚の子供を跡継ぎに貰う」

そんな形の養子縁組は

世間ではよくある事でした。

 

私も両親も

色んな想いを持ちながらも

養子縁組という慣習自体には

大きな疑問を持たず

ずるずると

進んでしまったように思います。

 

 

養子の話しになると

言い争いをする両親の姿。

 

叔母夫婦に断りを言えず

困っている両親の姿。

 

いろいろ弁解しては

納得しようとする母。

 

私が養子になる事を

とても喜び待っている養父母の様子。

 

微妙な親戚間の空気。

 

子供なりに

「私の事で大人が喧嘩をしたり

お母さんたちが困るのは嫌だ。

おばちゃんたち好きだし。

私が養子に行けば、

みんな喜ぶ。」

と考えるようになりました。

 

でも一方で

 

「なんで

貰う、あげる、なんて言うの?

私は物じゃないのに。

なんで大人たちは

勝手に私の事を話すの?

なんだか嫌だ。」

 

と子供心に

違和感や疑問を感じていました。

 

結局私は

自分の違和感を封印して、

「いい子」を選択しました。

 

 

私は今までずっと

「養子縁組もそれを解消したのも

みんな仕方が無かった事。

誰も悪くない。

私も悪くない。

 

でも結局、

私は皆に大きな迷惑をかけた。

皆の期待を裏切った。

悪気は無かったけど、

私はきっと罪深い人間だ。」

 

と考えていました。

 

 

幸せ求めながらも、

気が付くと

心のどこかで

モヤモヤしたものを抱えたまま

自分や両親を責めていました。

 

 

 

 

娘は私に言ってくれました。

 

「ママちは、

何も悪くないよ。

全く悪くないよ。

 

ママちは、

ママちの尊厳を

傷つけられていたんだよ。

 

私は昔からずっと不思議だったよ。

この話しを聞く度、

いつも違和感を感じていたよ。

そう、そこやったんよ。

 

ママちは

『嫌や』って怒ってよかったんよ。

 

ママち、

これから自分の尊厳を取り戻そうよ。

もともと、

ママちが持っていた

ママちの尊厳なんだよ。

 

大切にしていこうよ。」

 

 

私は驚きました。

 

「私の尊厳!?」

そんなの考えた事もありませんでした。

長年の違和感や疑問の謎が解けました。

 

子供の私が感じた違和感や疑問は

間違っていなかったんだ。

私がずっと悲しかった想いは

間違いじゃなかった。

 

「私は物じゃない。

あげたり、貰ったりされたくない。

私の人生を勝手にやりとりされたくない。」

 

私はやっとモヤモヤの正体に手が届き

救われた気がしました。

 

 

 

母自身も養子です。

戦時中に実母を病気で亡くし

戦後に別の叔母夫婦の養子となりました。

 

10代半ばから

養父母と同居します。

可愛がって貰っても色々あり、

淋しさから

実家へ逃げるように

帰ったこともあるようです。

 

好きな人との結婚も許されず、

父と見合い結婚をします。

母は私以上に

尊厳を傷つけられた人なのです。

 

 

 

でも、

私の尊厳を傷つけたのも

母と父と養父母です。

 

母は被害者でありながら、

今度は

加害者となってしまいました。

 

母は娘を自分と同じように

養子にした事を

後悔し悲しんでいました。

 

でも、

自分の尊厳が傷つけられていた事も

私の尊厳を傷つけていた事も

気が付いていませんでした。

 

私同様に

尊厳を知らなかったのです。

 

 

両親は昔も今も

私を愛し大切に思ってくれています。

知らずに愛する人を傷つける、

なんと悲しいことでしょうか。

 

 

無知は罪だと思います。

無知のため

誰かの尊厳を

傷つけてしまう事があるのです。

たとえ相手が愛する人でも同じです。

 

そして、

双方とも

傷ついている事にすら気が付きません。

 

心の底に傷を沈めて

ずっと癒えない傷に苦しみます。

幸せそうに暮らしても、

癒えない傷は疼きます。

 

 

 

幸せな老後を過ごしている母ですが

辛い事があると

天国の親や養父母への恨みが出てきます。

 

法事などちゃんと行う母なのに

仏壇の前に座り

手を合わす事が出来ません。

 

「そんな気持ちにならないのよ。

だから、

お父さんの役目にしてるの。」

 

養父母たちへ

素直に感謝が出来ないのです。

 

母は高齢となった今でも

癒やされない心の傷と戦っています。

 

 

 

平凡で幸せそうに暮らしている私や母です。

周りの方から見れば、

「その位のことで」と思うでしょう。

私も「この位のことは何でも無い事」

と思っていました。

 

でも、「この位のことで」

私も母も苦しみました。

 

 

では、

「もっとひどい扱いを受けている方」

「理不尽な扱いを強要されている方」

はどうなんでしょう。

 

もっと、もっと、

苦しく悲しい思いの中に

いるのではないでしょうか?

 

 

「自分の尊厳」に気が付いた時、

私はやっと、

大勢の苦しんでいる方たちの姿が見えました。

 

ずっと自分や他人の「尊厳」に

無関心だった事に気が付きました。

 

私が知っていたのは

「尊厳」と言う言葉の外側でした。

 

 

 

今の日本はどうでしょうか?

 

個人より

集団(仲間、家制度、夫婦、学校、会社、地域社会、国などなど)や

習慣や慣習、性別、ルールや規則、規律や規範を

優先する社会のように思います。

 

私たちが現代社会で生きていくには

集団の存在はとても大切でしょう。

ルールや規範なども大切でしょう。

 

でも、

個人の「人間の尊厳」は

守られているのでしょうか?

 

 

「私の尊厳」は「他の人の尊厳」を

傷つけることはありません。

「人間の尊厳」同士は争いません。

「人間の尊厳」と争うのは

「自分や人や集団のエゴ」だと思います。

 

私の尊厳を傷つけたのは

私を取り巻く大人のエゴでした。

 

「家を潰したくない」

「あの子に自分たちの家や老後を託したい。」

「世話になった叔母に断りを言えない。」

「あの子はいいと言った。」

「どうせ娘は嫁に出すから、

裕福な家の養子になった方が幸せ。」

 

全て、

私の愛する両親と養父母のエゴでした。

今、やっと声に出して言えます。

 

 

私はあれからずっと考えています。

 

でも、今だに

「尊厳」と「エゴ」を

明確に見分けることが出来ません。

「尊厳」とは何かをもっと知る必要があります。

私は先ずは、ここから始める必要があります。

そして、見分ける意識と訓練がいるようです。

やっと、出発点に立ったんだと思います。

 

私も誰も

尊厳を傷つけられる事のない世界を

また、傷つける事のない世界を

私は望みます。

 

誰もが、

当たり前に自由でのびやかに暮らせる。

そんな世界を作りたいと思います。

 

 

 

 

 

*今日の記事は決して

「養子縁組」を否定するものではありません。

養子縁組が幸せに繋がっているケースも沢山あります。

私と母のケースは

「尊厳」に関わっていた一例として紹介させて頂きました。

「尊厳」について、

立ち止まり考える機会になって頂けると嬉しいです。

 

 

皆の「尊厳」が当たり前に守られる

そんな世界を一緒に作っていきましょう。

 

 

 

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。

 

あなたの心が平和でありますように。

 

あなたの心が幸せでありますように。

 

 

 

 
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