私の「心の傷」は養子問題に関係しているようです。


でも、養子の事で何かを我慢していた、とは思いたくなかったようです。


今回、自分を誤魔化さず、ちゃんと「心の傷」を見てみよう。


あの当時、自分が隠した心とは?


少しづつ、紐解いていきました。

 

 

 

 

我が家は普通の温かい家族でしたが、


親戚の集まる場所では微妙な空気を感じていました。


母は親戚に気を遣い動き回り、私たちの母親ではなくなります。


母を奪う親戚が憎かったのを思い出しました。

 

 

 

 

養子の件で両親や私に皮肉を言う親戚が苦手でした。

 

 

 

 

養子の件で両親が言い争いをするのが辛かった。


特に母が責められるのは悲しかった。

 

 

 

 

常に周囲に褒められるように行動する自分を知っていました。

 

 

 

 

私は母に似ているので12歳で私も母を失うのでは、と怖れていました。


12歳が終わり、ほっとしたのを覚えています。

 

 

 

 

母は私の憧れの女性でしたが、


幼い頃より母に「心の闇=心の傷」があることを感じていました。

 

 

 

 

夏と冬休みは養父母の家に1週間ぐらい姉と泊まりに行ってました。


つい養父母は私をひいきしてしまい、姉の淋しそうな姿を見るのが辛かった。

 

 

 

 

そのため、小学高学年から一人で泊まるようにしました。


でも、正月だけは家族と過ごしたかった。


私もこたつでゴロゴロしてNHK紅白を見たかった。


だから、私はずーと正月が大嫌いでした。

 

 

 

 

養父母は大変可愛がってくれました。


でも、年齢も離れていて、養父母宅は私には退屈でした。


田舎で行く所もなく、いつも一人で海を眺めて


学校や友人、好きな男の子の事などをボーと考えていました。

 

 

 

 

大学で知り合った主人と恋愛をしました。


県外で跡継ぎの主人に嫁ぎたいと、


親戚を巻き込む大問題となりました。


両親に苦心してもらい養子縁組を解消しました。


後々まで両親や姉に苦労をかけてしまい


「自分の幸せのため、色んな人を苦しめた」


と随分と自分を責めました。

 

 

 

 


ふ~、やっと、いろいろ出てきました。


しっかりと覚えていた事もあれば、


忘れていた事もありました。

 

 

 

                           

私は我慢していた自分の姿を見つけました。


周囲にも、自分にさえ、そんな姿を隠していました。


愚痴を言えば両親も自分も辛くなる。


いい子供でいる方が安心。


私は自分の心を封印していました。

 

 

 

 

我慢している幼い自分の姿を思い出し


優しく抱きしめたい気持ちになりました。


愛しくなりました。

 

 

 

 

「ごめんね。今まで気がつかず。」


「ありがとう。我慢してくれて。」


「許してね。今まで探してあげれなかったね。」


「愛しているよ。昔も今もずーと。」

 

 

 

 

ふいにこの言葉が出てきました。


娘に教えてもらったハワイの「ホ・オポノポノ」


本には前世の記憶をクリーニングする。


と確か書いていたので、使い方は違うかもしれませんが。

 

 

 

 

毎晩、幼い自分の姿を心に思い描き


抱きしめるようにこの言葉を投げかけました。


「心の傷」が癒やされたか、まだよく分かりません。

 

 

 


でも、自分が我慢していた、と知ることは


とても心が安らかになる感覚でした。


心の鎖が取れて解放され、ほっとした感じです。

 

 

 

 

私は解放されない心の傷(我慢)から、


その矛先を母にぶつけていたのかもしれません。


「本当は養子になりたくなかった。我慢していた。」と。

 

 

 


                                                        
その後、私は私自身に優しくなったように思います。

 

 

 


母の言動に敏感に反応せず、


少し優しく耳を傾けれるようになった気がします。

 

 

 


今まで、インナーチャイルドの記事を読んでも


人ごとのような気がしていました。


自分の我慢(「心の傷」)には無関心でした。

 

でも、「心の傷」を知り認める事の大切さ


「心の傷」を自分で癒やす事の大切さを知りました。

 

自分を助けるのは自分なんですね。

 

自分を大切にするのは自分なんですね。

 

 

 

養子問題ですら心を隠していた私です。

 

大切な日々の暮らしの中の


まだ気がついていない傷がこれから出てくるかもしれません。


でも、その都度、丁寧に「心の傷」を知り、癒やしていこうと思います。


そして、心を自由にしていきたいです。

 

 

 

 

 

その後、盆に実家へ帰省しました。


私の心が安堵していたため


母と優しい時間を過ごすことが出来、嬉しかったです。


私は幼い頃から母が大好きだった事を思い出しました。


娘たちは私に言ってくれます。


私は娘たちの言葉から元気と勇気を貰っています。


でも、私は恥ずかしくて母に言えませんでした。


これからは「大好き」と言う練習をしていきます。


もっと、母の嬉しそうな顔を見たいので。

 


 

 

 

この夏の私の体感した出来事でした。

 

大切な体験はいつもありふれた日常の中にありました。

 

 

 

 

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。

 

あなたの心が平和でありますように。

 

あなたが幸せでありますように。

 

 

 

 

 

「俺、かん太。宜しく!!」
「父ちゃん、またか」


父ちゃんが今朝も母ちゃんからいじめられたゾ。
昨夜は飲んでも早く帰るち言ってたじゃん。
父ちゃん、何した?

「お父さん、なんで待ち合わせの場所を動くの!?」
「夕べは気持ちのいい夜でな、酔いも手伝って・・・」
「また、行き違ったら探すの大変なんよ!」
「気持ちのいい風も吹いて、ちょっと歩いてみた。」
「もう~!!今度はそのまま歩いて帰りよ!」
「でもお父さん、なんで離れたコンビニでバスを降りたの?」
「うん?・・・・・寝てしまって終点まで行った・・・。」
「お父さん・・・・・・・・!」

父ちゃんは逆のバスに乗った日もあった。
あの時は母ちゃんはかなり遠くのコンビニまで探しに行ったゾ。
父ちゃんは飲むと長いので、いつもはバスは終わっている。
が、バスや電車に間に合う日は別の問題を起こす。
「お母さん、冷蔵庫にコンビニの美味しいお菓子があるよ。」
「もう、そんなもんで騙されませんヨ!」
 

いやいや、母ちゃん。
俺は知っているゾ。
今日のおやつに「プリン生どら」を食ってたじゃないか。
まだ、シュークリームもある、っち喜んでただろう~。
もう、父ちゃんを許してやれよ。なア、母ちゃん。
 

 

 

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どうぞ、読んでみて下さい。

 

娘たちと私の葛藤の経緯の話しです。
    →「人生の大切なピースがはまった瞬間

 

私が葛藤からどのように抜けたか。
→「押しても駄目なら、引いてみる

 

私の人生の転機となった話しです。
 →「人生の転機~姉の死」

 

今度は、私は母と葛藤に悩みます。
    →「お母さん。私はあなたの娘

 

意識の変化の転機となった出会いです。

  →「心~manakiとの出会い 


あなたの心が平和でありますように。

 

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