ママちです。
初めて訪問していただいた方へ
以前のブログ(2016年5月~9月)で
娘や母との葛藤中のありのままの気持ちを書いております。
「親子の葛藤」で悩んでいる方のヒントになるのでは、と
最後に紹介していますので宜しければお立ち寄り下さい。
今日は
人々の思いにより
川は回復し
そして
人を癒やし、
鳥や魚を育む。
そんな希望のお話です。
一文橋から眺めた江の口川
私のふるさと高知市には
江の口川という
市街地を流れる
素敵な川があります。
私も実家に帰省した時は
愛犬かんたと散歩で
お邪魔する川です。
川や橋から眺める
日の出も夕日も美しい。
橋の上から眺めた夕日
川から見た、今年の初日の出
川の中には
東経133度33分33秒、
北緯33度33分33秒という、
同じ数字が12個もならぶユニークな地点があり
「地球33番地」という愛称が名づけられ、
モニュメントが建てられている
ユニークな川でもあります。
モニュメントの近くは
川に沿って
散歩道があり
地域の人々の憩いの場所となっています。
ちょっと北海道の小樽に似た
倉庫群もあり
素敵な景観となっています。
沢山の鳥が生息し
餌付けをされる方もいて
鳥は人間を怖がらず
近くに寄ってきてくれます。
でも、なんと
40年前、
江の口川は
死の川と言われていました。
パルプ工場廃液と家庭排水により
川面は真っ黒となり
メタンガスがブクブクと泡をたてて
強烈な異臭がたちこめていました。
息をするのも大変な場所で
鼻を手で覆い小走りに通っていました。
江の口川の汚染は
その先の浦戸湾汚染に
つながっていました。
生命の源である海も
ヘドロで汚染され,
漁も出来なくなりました。
大きな環境問題となっていました。
「浦戸湾を守る会」が中心となり
工場に交渉しますが
話し合いに応じない工場に
有志たちが業を煮やし
排水溝に生コンを流し込む
「生コン事件」がついに起こりました。
でも、その事件が契機となり
世論が高まり、やっと行政が動きます。
水質汚濁防止法の施行などもあり
工場は操業停止となりました。
あの当時、
高知県は工業化の遅れから
工場誘致に積極的でした。
川には工場廃液が垂れ流しとなり
自然環境は置いてけぼりになりました。
日本各地でも公害問題が大きくなった時期です。
現在、
江の口川は
流域市民や高知県の
長く地道な活動により
回復しています。
川には魚も生息するようになっています。
「江の口川をきれいにする取り組み」(高知県)
http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/170901/kasen-keikaku-enokutikawa.html
でも実は
まだまだ浄化は途上で
ヘドロも完全に除去はできていません。
水質や透明度はもう一息です。
現在も浄化活動は続いています。
江の口川を愛する人々により
市民の家庭排水への意識改革や
地域住民参加の川の清掃活動などが
行われています。
でも、昔を知っている私にとっては、
感動の回復状況です。
「あのドブ川だった
江の口川が。。。
すごい。
回復してきている。
みんなの思いと力で
回復してきた。」
今朝もかんたと川のほとりを散歩しました。
鳥たちが寄って来てくれます。
同じこの地球で生きる仲間たち。
私やかんたは地上を歩き走り
鳥は空を飛び水面をスイスイと泳ぐ。
何だか不思議で楽しい。
そんな風に思えるのも
川が鳥を育んでくれているおかげ。
川を愛し川の回復を願い
守っている人たちがいるおかげ。
江の口川の道沿いの花壇
いま世界のあちこちで
自然破壊が言われています。
でも、みんなの想いと行動で
自然は回復可能だ!
と江の口川は私に希望を与えてくれます。
みんなの思いがひとつになる。
それは、すごく大きな力であると
教えてくれてます。
私は愛する自然を守るために
何ができる?
何をする?
さあ、始めよう。
私よ。
今日も読んでいただいてありがとうございます。
あなたの心が平和でありますように。
あなたの心が幸せでありますように。
高知パルプの公害事件をより詳しく知りたい方へ
ネットで「高知パルプ生コン事件」を検索すると、宇井純氏が
地域研究年報(1997.4.30)に寄稿した原稿が読めます。
この公害事件の歴史や背景などが詳しく書かれていて、
当時の日本の公害問題を知ることができます。