ママちです。
☆初めて訪問していただいた方へ☆
以前のブログで葛藤中のありのままの気持ちを書いております。
「親子の葛藤」で悩んでいる方のヒントになるのでは、と
最後に紹介していますので宜しければお立ち寄り下さい。
「私こんなにしてあげているのに家族は(`ε´)
でも、どういう訳か空回りが多く、自分が期待する程は感謝されません。
しかも私にはお返しがなくて、むなしさや淋しさばかり。
「私って、家族からは大事にされてないんだな~。」と思っていました。
いえいえ、「なんじゃい」といつも怒っていました。
私は暗い家に帰るのが淋しくて嫌いです。
だから、家族が帰る頃には出来るだけ玄関の灯りを点けるようにしていました。
「灯りが点いた家に帰ると嬉しいやろうな、喜ぶやろうな」
でも、でも、私が帰る時に点灯はありません。
「なんで、点けてくれないの?
私はいつも点けているやろ~!!
私、いつもしてあげているやろ!!」
せっかく帰ったのに、私はプリプリの顔で玄関を開けていました。
先日、この話しを主人にしたところ
「俺、玄関に灯りが点いていて嬉しいよ。
でも、点いて無くても淋しくも嫌でもないよ。
そんなの、ぜんぜん問題じゃないよ。」
「えっ、淋しくない!嫌じゃない!問題なし!!
えっー」
知らなかった。
娘からも同じ答えが返ってきました。
えっ-、みんな私と同じで「淋しい、嫌い」って思っていたのに。
そうなんです。私、家族は私と同じように感じていると思い込み
『当然、私がしてあげたら感謝され、何も言わなくても、私にもしてくれる。』と思い込んでいました。
だから、家族に何かしてあげる度にお返しを求めては期待が外れ、立腹していました。
は~、毎回これを繰り返し、怒り疲れていたんだ。
長年一緒に生活してきた家族でも、話してみると、こんなに違うんですね。
「してあげたい。」のは私の気持ち。
「してあげる」じゃなくて「したい」でした。
「あ~、喜んでくれるかな?嬉しいかな?」
喜ぶか迷惑かどうかは、相手の気持ちで相手のもの。
「したい」私の気持ちは「私がして私が満足して」完了。
では、私のもう一つの気持ちは?
「私もして欲しい」は私の希望、要望。
だから、ちゃんと家族に言葉で言わないと伝わらない。
「私、帰宅時に玄関に灯りが点いてないと淋しいの。点けてね、お願い。」
「ふ~ん、淋しいんだ。うん、分かった。
でもな、俺はあんまり玄関灯を気にしないから
気がつかない時もあるよ。いいかな?」
「ありがとう。点いていると嬉しい」交渉成立
忖度(そんたく)ばかりではスレ違いで疲れるし、腹が立つ。
やっと、「してあげる(いや、したい)」と「してほしい」を別々にする大切さに気がつきました。
お節介焼きの私は家族以外の人にも同様で
お節介を焼いては思うようにいかず立腹する。
「○○さんはしてあげてもつまらん。」(私)
「そんなに腹が立つならしなきゃいいのに。」(主人)
「私がしないとその人も皆も困るんよ!」(私)
「たぶん困らんよ。もし、困れば自分でなんとかするさ。」(主人)
「じゃー放っておくの?何も知らないからあなたはそんな事を言えるんよ。」(私)
と話しを聞いてくれた主人に喧嘩を売っていました。アハハ
その当時は、「してあげる」のが優しさで善いことで、
相手は感謝するのが当然と信じてました。
私、困った人でしたね。
こんな人、あなたの周りにいませんか?
私の周りには、私を含めて多いです
「してあげる」と「してほしい」を切り離すと生きるのが楽になりました。
天から頂いている私の人生。楽しいものにしていきたい。
あなたの人生が楽しいものであって欲しい。
今日の話が、私と同じ経験をしている方の役に立てば嬉しいです。
今日も読んでいただいてありがとうございます。
あなたの心が平和でありますように。
あなたの心が幸せでありますように。
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訪問して頂きましてありがとうございます。
娘や母との葛藤での私の心の有り様を書いた記事です。
あなたヒントになれば嬉しいです。
〇娘たちと私の葛藤の経緯の話しです。
→「人生の大切なピースがはまった瞬間 ① ② ③」
〇私が葛藤からどのように抜けたか。
→「押しても駄目なら、引いてみる ① ② 」
〇私の人生の転機となった話しです。
→「人生の転機~姉の死」
〇今度は、私は母と葛藤に悩みます。
→「お母さん。私はあなたの娘 ① ② 」
〇意識の変化の転機となった出会いです。
〇母への反応から「心の傷」と向かい合いました。
→「不思議な体験」
→「心は金平糖?」
→「自分の心地良いへ」
→「私は愛を選択していこう。」
あなたの心が平和でありますように。
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ありがとうございます。